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第五話 敵対

「…………殺す」

 小さく呟いた言葉は今まで誰も聞いたことのないくらいに低く、レミリアは息を飲んだ。呟きを受けて三人の前に立つ男は楽しそうに笑った。

「殺すって、どうやって?」

 厳然たる事実として、レイでは彼に勝てない。レミリアも戦闘要員としては役に立たない。向こうは二人。こちらもレイを含めれば二人。レイがビルサを相手するとして、ジークはカイを相手にすることになる。カイが魔術を使えず、ジークが魔術を使える事くらいしかアドバンテージは存在しない。剣技はカイの方が優れ、総合的な強さはほぼ互角。いや、ジークが少し劣る程度。

「……簡単だ。この剣で、斬ればいい」

 ジークは手に持つ剣を愛おしそうに、しかし強く握る。彼女の面影を残す顔以外は、その剣しか残った物はない。

「勝てると思ってんのか? 俺は強いぜ」

「……勝てるとは、思っていない。……けど、勝つんだ」

「はっ、威勢がいいこって。ま、やるって言うならやってやるよ」

 ジークとカイが構える。



===



 夜が明けて、レイは共に森の中にいる連中から離れて日課をこなしていた。

 何年も振り続けている剣は一向に鋭さを増す事はなく、自分に才能が少しも存在しない事を嫌でも感じさせる。

「……っ」

 何度も破れた手の皮は厚くなり、そう簡単には破れたりしなくなった。しかし、それでも、今でもレイの手の皮は破れていく。それは昔とは違う。痛くないのなら痛くなるまで振り続ける。皮が破れにくくなれば、それだけ剣を振るう時間がとれる。

 そもそも万全の状態で戦える事などそうそうない。調子が悪かったから負けましたでは唯の言い訳だ。レイの様な力のない者はどれだけ自分の調子をフラットに持っていくかが重要だ。唯でさえ力がないのだ。調子が悪ければ、それは死を意味する。

 約一時間、剣を振って少し休憩をしている時だった。レイのいる少し開けた奥の茂みからビルサが現れた。

「よう」

「……」

 レイが軽く手を上げて挨拶をすると、ビルサは頭を少し下げた。

 ビルサはそれだけ行って、後は口を開くこともなく立っている。

「どうした。何か用か?」

「……」

 レイの問いかけにも反応はない。昨日から見飽きたといってもいいくらいの無表情のまま。せっかく綺麗な顔立ちをしているのに、その無表情では勿体ないとレイは思っていた。

 

 ビルサは一向に動きを見せない。別に気にする程でもないと思い、レイは日課を再開する。

 地力の底上げがレイの命題だ。魔術は使えず、奥の手も頻繁に使えるものでもない。レイに許されたのは自分の体のみ。それも何の才能も付与されていない体だ。凡人がどう足掻いた所で、才能を持つ者を越えられない。凡人の努力が天才を打ち破ったという話があるが、それはそういった才能を持っていたにすぎない。レイがいくら努力を重ねても、ジークには勝てない。バルドには届かない。サーシャを越えられない。不意打ちや多対一の状況を作り上げてようやく勝てる。ジークとの初戦闘の時はバルドとサーシャの戦いの後で、なおかつ向こうに殺す意思がなかったから勝てた。

 無心で剣を振っているつもりだったが、視界の端にちらちらと入るビルサの姿が映り、レイは集中を切らしかけていた。何の意図を持ってこの場にいるのか。お世辞にもレイの鍛錬が面白いとは言えない。つまらない反復作業の繰り返しである。数分と見たら才能のなさに気付き、その作業の様な鍛錬に見飽きて何処かへ行ってしまうだろう。だが、ビルサは動こうとしなかった。

「なあ、何の用だよ。ただヒマだからこんなつまらねえものを見てる訳じゃねえだろ」

「……」

 レイは無言のビルサの意図が掴めずに髪の毛を掻き毟った。しかし、すぐに掻き毟るのをやめた。頭皮に悪い。この程度の事でイライラしていたら強面のハゲの様になってしまう。

「……お前、それ」

 ビルサはローブのフードを被っていない。無表情のままレイを見つめるその碧い瞳には感情が乗っていない。レイはビルサの首についている跡を見て声を漏らした。

「……っ」

 そこで初めてビルサの目に感情が宿る。ほんの僅かなものだが、人の行動に目敏いレイはそれに気付く。空気は読めずとも、人の感情に疎かろうとも、レイは無から有に移り変わる物がわかる。

「あいつにやられたのか?」

 昨日の光景が頭に蘇る。カイがビルサに覆いかぶさる姿。あの時のレイは刺激の強い光景に碌に二人を見ることもなく立ち去った。あの時既に、ビルサの目には明確な感情が乗っていたのに。

「……そういうプレイか?」

 空気の読めないレイは大人の階段の遥か先にいるビルサに見当違いの問いかけをした。

「……」

 しかし、ビルサは答えない。一瞬だけ宿った感情はすぐに消えさる。

 だが、

「冗談だよ。お前が何を言いたいのかわからない程馬鹿じゃねえよ」

 レイには凡その予想は付いていた。

 カイと離れた所にいるレイに接触を求めたビルサ。何の意味もなくそういうことをしそうなタイプではない。ジークでないのは、カイが近くにいるからだろう。もしジークがカイと離れたなら、ビルサは彼と接触を図ったはずだ。つまらない日課を見ても立ち去ろうとしない事。首についた、両手で絞められたような跡。それを指摘した時に現れた感情、表情。それらを総合的に考えれば、余程の馬鹿じゃなければビルサが何を言いたいかなどわかって当たり前である。

「で、どうして欲しいんだ?」

 答えはわかりきっている。わざわざ聞くまでもない。しかし、レイは本人の口から聞いておきたかった。

 それはレイの意思の強さを表している。逆に言えば全てを自分で決めてきたから、レイには受動的な行動は理解できないという事になる。迷うことはある。後悔することもある。それでも振りきって生きてきた。レイはそういう意味では強かった。

 ビルサは答えない。ただレイを見るばかりである。何をしてほしいのか、何をされていたのか。それに対してどう思っているのか。それを言ってもらわなければ、レイには動きようがない。現状を変えたいと思うのなら、自分から動かなければならない。

「言いたくないなら言わなくてもいいけどな。カイの目を盗んでここまで来ただけでも十分っつったら十分か」

 しかし、レイはビルサの行動を許容する。受動的な行動が理解できないレイだが、それを見続けてきたのだ。いつも自分の隣にいた相棒を見ていたのだ。一の言葉で、一の行動で三、四を理解するくらいは出来る。

「つまり、自分を助けてほしい。解放してほしい。それでいいんだな?」

「……」

 ビルサは答えない。その無表情は、カイと出会わなければ違っていたのかもしれない。

「頷け。頷けば助かるかもしれないぞ」

「……」

 ビルサは答えない。何を恐れているのか。それ程に怖いのなら、何故レイに接触したのか。

「あー、もしかして俺だと相手にならないと思ってる?」

 ビルサは頷いた。それを見てレイはここで素直にならなくてもいいのにと思った。

「まあ、百回やって九九回は負けるけど。別に俺がやる訳じゃないし。ジーク、あの根暗な奴。あいつにやらせるよ。あいつは俺の五百倍は強いから、勝てんじゃね? 本当はジークにしたかったんだろ?」

 ビルサは無言で頷いた。それを見てレイはこいつ意外と素直な奴なんじゃないかと思った。

「まあいいや。今ので答えたようなもんだろ」

 レイは腕を組んでうんうんと頷く。別にレイとジークの実力差など魔術師が見てもわかるくらいに離れている。それに対して思う事は、特にない。

「わかった。助けてやるよ。俺じゃなくてジークがな」



===



 ジークは目が覚めてから、辺りを見回した。自分の周囲には人がいない。野営の残骸があるだけで、レイもレミリアもカイもビルサもいない。

 不思議に思う事はなかった。荷物は置かれたままだから、どこかで何かをしているのだろう。

 横に置いてある剣を掴む。思い出すのは彼女の事。ジークを守って、そして魔神に奪われた最愛の人物。そして頭に浮かぶのはカイ。はっきりとは覚えていない。本当にカイだったのか。しかし、心のどこかでカイがそうだと告げている。そうでなければ、あそこまで憎しみの感情を向けられない。

 ジークは、自分では普段と変わらないつもりでいたが、レイは気付いていた。目敏いくせに、鈍い。人の機微がわかるのに、感情を理解できない。

「……違う」

 ジークは思考からレイを抜き去った。今、考えるのは、思い出さないといけないのはカイの事。不確定な記憶で襲いかかる事は出来ない。レイやレミリアに迷惑がかかる。しかし、心はあいつだと訴えかける。彼女を汚したのはあいつだと。

「―――!」

 不意に遠くから声が聞こえた。女性の叫び声。亜人の少女の声。

 ジークは剣を握り、思考を止めずに立ちあがる。そしてそのまま声の方向へ走っていった。


 ジークの目に映ったのは、衣服が乱れたレミリアに、彼女の口を塞ぎながら押し倒しているカイ。レミリアは必死に抵抗しているが、体格差と力の差でそれは無意味になっている。

「……おい」

 ジークの口から低く、抑えた声が漏れた。ジーク自身はもっと大きな声で言ったつもりだったが、思った以上に声が出ていなかった。

 ジークの声が届いていないのか、彼に背を向けているカイはレミリアに乱暴しようと、動きを止めない。

「……おい」

 またしても低く、抑えた声が漏れた。思い出すのは、これに似た光景。自分を守るために自らの体を差し出した彼女の事。

 先程と変わらぬ声量だったが、カイは気付いたのか、ジークへと振り返った。

「……何を、している」

「ああ? 見てわからねえのかよ。お楽しみだよ、お楽しみ」

 口を塞がれ、手を拘束されたレミリアがジークへ視線を向ける。怯えた目。それに加わる汚ない感情。ジークの知っている彼女とは違う。それが普通の目。

「邪魔すんなよ? 俺が終わったらお前にもやらせてやるからよ」

 フラッシュバックするのはこれと似て非なる光景。決して涙を流さずに、乱暴をされた後も自身に微笑みかけた彼女の姿。

 

 ―――大丈夫。貴方が気にする必要はないわ。

 

 そう言って震える体を抱き締められた。彼女の体も震えていたのに、絶対に怖かったはずなのに、それでもそう言われた。

 下卑た表情。ジークが思い出す顔はこの顔だった。


 沸騰した感情は自身を失わせる。記憶のフラッシュバック。疑念は確信に変わり、曖昧な記憶は明瞭な殺意に塗り替えられる。

 ジークは一瞬だけ自身の意識が途切れ、気付けばカイに斬りかかっていた。

「……ジークさんっ!」

 ジークの襲撃もカイは飛び去る様に避ける。ジークはレミリアを自身の後ろに庇いながらカイへと視線を向ける。

「―――おい! さっき悲鳴が……!」

 ジークとカイが睨みあっていると、レイが三人の元へと走ってきた。ビルサもその後ろにいる。レイはカイとジークが睨みあっているのを見て、レミリアの衣服が乱れているのを見て、瞬時に状況を理解する。ちらりとビルサへ視線を向ければ、無表情のビルサ。

「ビルサ、こいつらやっちまうぞ」

 カイに声を掛けられたビルサは少しだけ息を飲んだ。しかし、それだけで特に逡巡する事無くレイを追い抜き、カイの横へと歩いていく。

「……この顔を、……覚えていないか」

 ジークは後ろで束ねられた髪の毛を解く。肩に掛かる程の銀髪。

「あ? そんな顔……」

 カイはジークの顔を見て、そこまで言って言葉を止めた。少し、ジークの顔を見て得心がいったように笑う。

「ああ、覚えているぜ。そうか、髪型と格好でよくわからなかったけど、思い出した」

 ニヤニヤとカイはジークへ笑いかける。レイはジークの顔が見えない位置にいる。レミリアもだ。二人は彼がどのような顔をしているのかわからなかった。

「くくっ、中々面白かったからよく覚えてる。“お姉ちゃん”ってか?」

 びくりと、ジークの体が震えた。

「…………殺す」

 小さく呟いた言葉は今まで誰も聞いたことのないくらいに低く、レミリアは息を飲んだ。呟きを受けて三人の前に立つ男は楽しそうに笑った。

「殺すって、どうやって?」

 方法などいくらでもある。しかし、ジークが選択するのは一つ。

「……簡単だ。この剣で、斬ればいい」

 ジークは手に持つ剣を愛おしそうに、しかし強く握る。彼女の面影を残す顔以外は、その剣しか残った物はない。

 この剣で最愛の人物を汚し、辱めた報いを受けさせる。魔神へと向けられた感情は目の前の男へ。共に支え合ってきた彼女への弔いとする。

「勝てると思ってんのか? 俺は強いぜ」

「…………勝つ」

「はっ、威勢がいいこって。ま、やるって言うならやってやるよ」

 ジークとカイが構える。


 先に仕掛けたのはカイだった。レイでは到底届かない速度でジークへと斬りかかる。純粋な剣技ではジークの方が劣る。横薙ぎにされた剣を、しかしジークは受け止めた。

「意外とやるじゃねえか!」

 受け止められた剣をカイはすぐに引き、上段から斬りおろす。ジークの体を両断するほどの威力と速さが込められたそれを、ジークは身を捻る事でかわした。ジークは避けられた後の硬直を狙ってカイの腕を切断しようと剣を振るう。しかし、どういう体の使い方をしているのか、カイは一足で二、三メートルも後ずさった。

「あの時は泣くだけだったのに、今は頑張るな」

 カイのニヤついた笑顔は変わらない。溢れるような殺意でジークの頭が満たされる。

 ジークは自分の持てる全ての力を使ってカイに向かっていく。下段からの振り上げ。凡百の兵士やレイは言うまでもなく、サーシャですら後れを取りそうなその攻撃はカイに受け止められた。

「頑張ったんだな。“お姉ちゃん”のために」

「…………殺す!」

 剣を引き、あらゆる角度から剣を浴びせていく。しかし、それをカイは受け止めていく。恐らく、速さはほぼ互角。力はカイの方が上。

 ならば、とジークは前掛かりになった体を止め、後ろへと飛ぶ。剣で叶わなくとも、自身が有するアドバンテージを使わない必要もない。魔術でカイの動きを止め、その間に剣で斬り伏せる。

 魔術行使のための一瞬の集中。その隙を逃す程カイも甘くなかった。

「おっと、魔術は使わせねえぜ!」

 腰に忍ばせていた短刀をジークへと投擲する。ジークの眉間を寸分たがわぬ程に狙われた正確なそれを、ジークは舌打ちしながら首をそらしてかわした。

「お前の戦い方は昨日の内に見てるからな。魔術を使わせなかったら俺の方が上だ。で、俺は魔術を使わせるほどお人よしでもない」

 カイはジークとの距離を詰める。流石に自身の弱点を掴んでいるのか、距離を不必要に離さずにカイは積極的に近距離で攻撃を仕掛ける。片手で握った剣を振りおろせば、ジークは両手でそれを受け止める。その隙をついて、剣を持たない左腕でジークの襟元を掴もうとする動き。ジークは肘を引き上げそれを防ぐ。

 カイの動きは、皮肉なことにレイの理想とした動きと似ていた。剣を持つか持たないかの違いはあれど、両腕での攻撃。それを言えば、相手の特徴を掴む目敏さ。それをこれほどの技量の男が持てば、脅威になる。以前に戦ったレイの動きは参考にはならなかった。

 剣と剣を打ち合わせての鍔迫り合い。カイは両手で剣を握り、ジークへと体重を掛けていく。

「どうした? この程度か? だよなあ。“お姉ちゃん、ごめんなさい”って言ってるだけの雑魚だもんなあ」

 ジークは無表情ではない。睨むようにカイを見据え、歯は軋みを上げる程に噛み合わされている。獣の様に息を荒くして、掻き混ぜられた感情がジークの体を支配していく。

「……黙れ」

「よーく覚えてるぜ。自分の姉が酷いことをされているのに、隅で丸くなってる姿をな。目を逸らして、耳を塞いで、ぶつぶつ言ってるだけの小娘の―――」

「黙れ!!」

 だから強くなった。だから体を鍛えた。自分を守ってくれた姉を守るために性別を偽ってまで。幸い、ジークには剣の才能があった。魔術の才能があった。姉を守るためだけに鍛え上げてきたそれは結局無意味になってしまったが、それでもこの場でこの男に出会えた事で意味を持つようになった。

「無駄だって。てめえじゃ、俺には勝てねえよ」

 カイが一段と力を込めると、ジークの体は後ろへよろめいた。その隙を逃さず、カイはジークの横腹を蹴り上げる。膂力にものを言わせたそれはジークの体を浮き上がらせ、数メートルと吹き飛ばされる。直撃すれば肋骨の何本も折られるそれを、ジークは何とか体を捻る事で直撃を避ける。それでもジークの体に負担は掛かる。

 痛みは一向に引く事はない。レミリアの回復魔術は行使されない。レミリアは亜人として迫害される事はあっても、襲われる事はなかった。そのショックから抜け出せずに、ジークとカイの戦いをまさしく他人事として見ていた。

「殺すのは勿体ねえな。上玉が二人もいるんだ。殺すよりは楽しんだ方が良いな」

 舐める様な視線がジークへと向けられる。脇腹を抑えたジークはその視線に怖気が走る。しかし、それがどうしたというのだ。ただ見られただけである。姉はそれより酷いことをされたのにも関わらず、自分に微笑みかけた。

 痛いなどと言ってられない。この程度の痛みなど自分の姉が付けられた傷に比べたら大したものでもない。

 ジークは剣を正面に構え、カイを見据える。先程まで熱くなりすぎていた思考が少しの冷静さを持つ。再確認したのは純粋な剣、力ではカイには勝てないという事。いくら鍛えても男との筋力差は覆すことが出来ない。純粋な筋力では、ジークはレイにも劣る。自身の強みでもある速さもほぼ互角。ならば、やはり勝機を見出すのは魔術しかない。だが、魔術を行使させてくれるほどカイは弱い人間ではない。

 ジークは思わず歯軋りした。勝てる要素が少ない。経験も向こうが上だろう。ジークは人を殺したことがない。目の前の男に対して、殺す事を躊躇うことはないが、命の遣り取りをした回数自体が少ないのだ。類まれな才能は挫折を知らなかった。

「おいおい、どうした? さっきから固まってるぜ!」

 言葉の途中からカイがジークへ襲いかかる。膂力だけなら避けることもいなすことも簡単だ。しかし、カイの剣は技術に裏打ちされた剣である。不用意に避ければ追い打ちを食らい、いなそうと剣を当てれば弾き飛ばされる。気の抜けない戦いになる。

 唯一の利点は、カイがジークを殺そうとしていないこと。カイの言う“お楽しみ”とやらのために、ジークは命の保証はされている。あくまで命だけではあるが。

 少し離れた所から魔術行使されたのか、何かが爆ぜる様な音がした。しかし、ジークはそちらに意識を割く余裕もなく、目の前で振るわれた剣をバックステップで避ける。その硬直を狙ってカイがジークへと追いすがり、剣を突き刺す様に前に出す。ジークはぎりぎりの所でそれを避け、しかし、先程蹴られた部分を少し裂かれてしまう。

「顔は傷つけねえから安心しろよ。傷だらけの顔なんてテンション下がるしな。でも、四肢のどれかは無くなるかもな」

 カイには余裕が見られる。ニヤついた笑顔は変わらず余裕を持った風体でジークに対している。

 勝てる要素は少なく、少なからず傷を負っている。それでもジークにそこまでの焦りはなかった。蹴られた痛み、体を裂かれた痛みは、ジークの熱を少しずつ冷ましていく。殺意は収まらず、憎しみも変わらずに目の前の男に向けられている。

 しかし、ジークの頭に浮かんだのはレイの姿だった。圧倒的な力量差。絶対的な物量差。敵わないと知りながらも諦められないその足掻き。ジークはレイの行動を理解しかねている所があった。あれ程の無才で、どうしてそこまで頑張っているのかと。

 自らと戦った時もそう。あの時も全身に傷を負いながらも退く事はなかった。殺すつもりなら、恐らくもっと早くに決着が付いていただろう。手加減をした訳ではないが、そこに違いがあった。今でも負けた理由がわからない。油断もあった。疲れもあった。しかし負ける要素などなかった。しかし負けた。

 王国都市防衛線の時もそうだ。劣勢の状況でも立ち続けたと聞いている。全身が血に塗れても倒れなかったと聞く。誰もが魔術師バルドを称賛する中、北門の警備についた兵士達だけはレイを褒め称えた。彼等もバルドの魔術を見ているのだ。それでも、バルドではなくレイを尊敬した。あの場所で何を見たのか。あの場所で何を感じたのか。それがわかれば―――

「ぼーっとしてるヒマはねえぞ!」

 カイがジークと勝るとも劣らないスピードで肉薄する。上段に構えた剣を振り下ろすと思いきや、途中で中段に変え、ジークの左腕を切断しようと剣が走る。上段に対応しようと構えていたジークは対応が遅れ、何とかそれを防ぐ。しかし、力の入らない防御はジークの腕を痺れさせる。距離を離そうとバックステップをするが、カイは追ってこなかった。

「いいのかよ。レミリアちゃんをそのままにして」

 カイはレミリアを拘束していた。剣を持たない左腕でレミリアの首を抱えている。彼女は苦しそうに顔を歪ませた。

「…………」

 ジークは声が出なかった。多少の冷静さが戻ってきてはいたが、それでもまだ周りが見えていなかった。レミリアの存在を忘れていたのだ。

「……ジ、ジーク、さん」

 喘ぐように名前を呼ばれて、ジークは自身が敗北したのを悟った。この状況を打破する手段をジークは思い付かない。魔術ではレミリアを巻き込む可能性がある。

 震えるほどに冷めた何かが体を走る。鍛え上げたものは結局届かない。唯の人にすら届かない。冷たくなった体と頭に届くのは、魔術の爆砕音。レイの加勢も話にならない。それ以前にレイがビルサに勝てるかどうかもわからない。

「良かったぜ。やっぱり五体満足の方がいいしな」

 レミリアの首を締めあげながら、カイは顎をしゃくった。

「とりあえず、その剣を地面に置け」

 ジークは一瞬だけ躊躇った。

「……ぅ」

 が、カイがレミリアの首を強く締めたのか、彼女は苦悶の表情と共に声を漏らす。それを見て、ジークは剣を地面に置いた。

「それでいい。じゃあ、こっちに……いや、俺が行くか。お前は動かしたら速いからな。動くなよ。首をへし折るくらい簡単だ」

 一歩、カイが足を前に出す。それを見て、ジークは隠しようもない程に体が震えた。

「ん? 何だよお前。もしかして怖えのか? は、“お姉ちゃん”は自分を庇ったのに、自分がやられるのは嫌ってか」

 お姉ちゃん。大好きだった姉。優しくて、美人で自分を愛してくれた唯一の家族。公国が魔物の襲撃で壊滅した時、両親が死んでしまった時も涙を流さずに、泣いている自分を励ましてくれた。そんな姉を汚した男に、自分も汚される。

 一歩、カイがジークに近付く。

 ジークが覚えている限りでは、“お姉ちゃん”は泣いた事がない。アーセからアルメリアに移って、そして魔神に選ばれた時もそうだった。泣いているジークを励まし、彼女に微笑みかけながら連れられて行った。

 抗う事すらしなかった。“お姉ちゃん”が汚された時も何もしなかった。“お姉ちゃん”はいつもジークを助けてくれたが、ジークは何もしたことがなかった。

 そして、守ってもらったのにも関わらず、今、それをふいにしようとしている。どこからどこまでも姉に対して報いた事はなかった。

 諦めた。ジークはもう全て諦めていた。恐怖もなくなり、自然と項垂れていく。この状況を打破するための思考は既に打ち捨て、これから行われるであろう暴力にどれだけ自分を薄くして耐え忍ぶか。レミリアに対しての罪悪感は多少なりともあったが、それだけだった。行動に移す気にはならなかった。

 一歩、カイがジークに近付く。

 薄汚い笑みを浮かべながら、カイはジークへと近付いていく。魔神がどうこうという決意は消えていた。ジークは近付くカイをよそに、何もかもがどうでもよくなっていった。努力が実るとは限らない。才能があっても、それ以上の才能に出会えば勝てる事はない。人であるカイにすら届かない。なら、魔神に届くはずがない。

 しかし、ジーク以下の才能の持ち主である男はそうでなかった。

「うるせえ!! 自分が負けだと思わなきゃ負けじゃねえんだよ!」

 響いたのはレイの声。それはビルサに向けられたもの。

「努力したって届かないもんは届かないんだよ! だからって諦められるか!」

 カイがレイの声に意識を割く事はない。耳には入っているだろう。しかしそれだけだ。カイにとってレイは脅威にはならない。ジークと共に相手をしても敵にはならない。カイはジークが動き出さないように注意深く見据えている。

「勝手に諦めたお前に言われたくねえよ! 俺は諦めてねえ! 俺は―――」

 カイはもう既にジークの目の前まで迫っている。諦めた様に項垂れるジークの表情は誰にも見えない。

 ジークはレイの目標を知らない。人の身に余る夢を知らない。それはサーシャも、レミリアも、バルドですら知らない。人の身に余るものなのに、才能のないレイはそれでも諦めていない。ずっと夢を見続けている。

「―――絶対に魔神を殺す!」

 ああ、北門の兵士の気持ちが少し理解できる。

 ジークは拳を握りしめ、自身より弱い男を尊敬した。


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