始まりの終わり
必要とするのは多くない。要は邪魔をされなければいい。それに王国の重鎮はどこかで魔神と繋がっている。そうでなければ、彼等は生贄を連れていくことが出来ない。
それは意味を求めての行動ではない。言ってしまえば、彼に意味など存在しない。それは彼自身も認めている。意味もなく生きる事は辛いように感じるが、それは決して辛いものでもない。
何故なら、悩む事がないからだ。自身の存在意義に悩みを持たないのは、ある意味では幸せと言える。刹那的な幸せと言われようとも、幸せには変わりない。終わりが不幸なものであっても、彼の人生を俯瞰してみれば、幸せと言えるのではないだろうか。
存在意義に悩みを持たなくとも、力の無さに悩みを持つ事はある。それぞれをイコールと捉える事も出来るが、彼にとってそれぞれはイコールではない。
過去に彼は死んだ。それは否定できない事実だ。死んだ後、彼は人でなく、違うモノとして生き返った。その時に、彼としての存在意義は消え去った。
復讐に身を任せ、命を燃やして、心を削って、無力さに嘆き、無意味に人を殺め、人々から侮蔑され、大切なモノを多く失った。失っていけないモノまで失った。
だが、それに後悔を持っていても、罪悪感を持っていても、心の底では、一つの誓いが、まるで彼を引きよせるように凛然と存在している。
気高いまでに強い意思は、武器であり、欠点でもあった。
望まない弱さは、弱点であり、長所でもあった。
手を伸ばせば、助けられる訳ではない。命は残酷に出来ている。
「魔神を倒す、だと?」
王城内の会議室で、一つの提案が挙げられた。重々しく口を開いた王は、否定的な様子が見てとれる。
それもそうだろう。今まで、魔神を倒そうとする存在はいなかった。少なくとも、王は魔神を倒そうとする存在などいないと思っていた。
「ああ」
しかし、王の思い込みは間違いだ。ここに魔神を倒そうと本気で思っている人間が二人いる。
その内の一人は実際に魔神に挑んだ大馬鹿者だ。
「本気で倒せると思っているのか?」
「ああ」
彼は当然とでも言うように答えを返す。迷いなど見られない。ぎらつく眼光は世界を撃つと言っている。
王以外は誰も口を開かない。彼の相棒も、王国騎士団長も、もう一人の復讐鬼も。
彼等は、彼の想いを知らなかった。
「お前らもわかっただろ。魔神は人を不幸にする。救われる人間はいない」
それは、魔神信仰を否定する。人々の安寧を否定する。
「今回の襲撃でどれだけの兵士が死んだ?あいつらは死にたいと思っていたか?」
答えを返す者はいない。この場にいる者だって、それくらいはわかっている。
「調べたらわかる。魔物を指揮しているのは、魔神だ。何故、今回の襲撃が起こったのかはわからない。襲撃が止まったのもわからない」
彼が眠っている間に、魔物の襲撃は一度もなかった。
大抵は彼の相棒が蹴散らしたから、襲撃する余裕がなくなったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「奴は気まぐれだ。俺達が魔族を王国内で殺した事に何かを感じて、暇潰しとして魔物を送ってきたのかもしれない」
結局、答えはわからない。
しかし、一つ、はっきりしている事もある。
「どちらにしろ、奴を倒さないと、本当の安寧は訪れない」
それだけは言える。彼にとっての全てだ。
「……仮初の安寧だとしても、安寧は安寧だろう。お前は民の拠り所を奪うと言うのか」
だから、それこそが間違っている。
「魔神信仰を拠り所にするんじゃなくて、魔神を恨む事を拠り所にすればいい」
それは、彼が拠り所とした事でもある。
「負の感情は人の心にとって、心地いいものだ」
彼はそこで区切る。誰も口を挟む者はいない。王でさえ、彼の口調の凄惨さに声を発さない。
「わかるか?嫉妬だろうが、復讐心だろうが、汚らしい情欲だろうが、それらは全部強くて、気持ちいい」
人が人を殺す時の感情に似ている。それはとてつもなく気持ちが良くて、気持ちが悪い。
「国民の中には兵士の家族だっている。生贄にされた女にも家族はいる。お前らは奪われた人間の気持ちがどんなものかわからないだろ。理不尽に奪われる事がどれだけ辛いかわかるか?汚されると知っていても生贄を差し出さないといけない家族の、恋人の気持ちがわかるか?答えろよ。お前らはそんな人間の気持ちがどうなのかくらい考えた事あるだろ!なあ!答えてみろよ!答えろ!!」
彼は荒々しく声を上げる。大切な人間を奪われ、汚され、殺された彼は、自分を抑えきれていない。
「……論点がずれている。今は魔神をどうすべきか、だろう」
彼の訴えも王は意に介しない。毅然とした態度で、彼を諌める。
「…わかった。とりあえず―――」
「―――だが、王ではなく、一人の人間として言うのならば」
しかし、王は彼の言葉を遮り、そう断った。
「奪われた人間の気持ちはわからない。しかし、辛い事だろう。そういう意味ならば、魔神は必要ないと思っている」
王だって、奪われた人間の気持ちを考えた事くらいある。辛い事だと、魔神を恨んで、王国を恨んで然るべきだと考えている。
しかし、王なのだ。王としての立場で、そのような態度を取る事は出来ない。王は王たらんとしなければならないのだ。
この場にいた全ての人間が、驚いたように顔を向ける。
勿論、彼も例外ではない。彼にとってその言葉は誰よりも待ち望んでいた言葉だ。
「王国からの援助は出来ない。魔神に襲撃されたら、一たまりもない。魔神から生贄の要求があったら、今まで通り応える。しかし、君達がどこで何をしようと、私達は知らない。我々は一介の冒険者にかまけていられるほど暇ではない」
だからこの場で、王は一人の人間として、意見を言ってしまった。
それは、魔神を撃つ事を否定はしないという意味。
彼にとってようやく兆しが見えてきた証拠。
「―――それで充分。ハナっから援助なんて期待してねぇよ」
王国からの援助など、彼にしてみれば邪魔なだけである。彼と彼の相棒、そしてもう一人の復讐鬼がいればいい。
「ああ、そう言えば、今回の依頼に対しての報酬をもらってなかったな」
彼は空とぼけたような声で王を見る。今までの凄惨さはなく、普段通りの彼だった。
彼が普段通りの彼に戻った事で、場の空気は些か軽くなった。
「何を求める」
「そうだな」
わざとらしいまでに彼は考え込む。その目には既に答えは書いてあるというのに。
「とりあえずは、魔神の居場所、とか」
そして、間をとった後に発した言葉は、彼が求めたモノ。執着した誓いの出発点。命を賭けるための、必要最低条件。
彼の請求に王は気まずそうに目を細める。
「……悪いが、それは教えられない」
「へぇ、そう来る」
対する彼は、にやにやと笑い、不遜な態度を取る。
彼にとっては予想出来得る回答だ。気に掛けるほどでもない。必ず口を割らせるつもりではあるが。
「教えたいのは山々だが、それは私達でもわからない」
「ふーん…じゃあ、どうやって生贄を選んでるんだ?」
「それもわからない。気付けば、私達は差し出すべき生贄を知っている」
「……随分とアバウトだな。本当に知らないのか?」
「ああ」
手掛かりすら手に入らない。
ようやく兆しが見えてきたのに、いきなり頓挫。彼は臍を噛むような気持だった。
「……魔神信仰に一番詳しいのはアーセだろう」
王の言葉は彼だって知っていた事実。
「んなもん、わかってるよ。でもあそこは身分がどうこうで入国するのが難しい」
彼は明確な身分証明を持っていない。冒険者としての身分は持っているが、それだけではアーセには入国できない。
「私がどうにかしよう。君達、三人の身分を証明する物を発行する。それを報酬としてはくれまいか」
「三人?」
身分証明を出来る物を持っていないのは、彼ともう一人の復讐鬼くらいだ。彼の相棒は身分証明が出来る物を持っている。
王国騎士団長は彼の旅に同行しないだろうし、そもそも、彼女が最も身分が高い。
「王国騎士団医療部のレミリア=ハーグリーブスがどうしても同行したいと私にまで直訴してきた。断る理由も見当たらなかったので、彼女を君達に同行させようと思っている」
「…初耳なんだけど」
亜人の少女は彼等と共に同行したいと言う。王にまで直訴するとは、並々ならない決意だ。何のために彼女は彼等に着いていこうと思ったのか。
「君達が断るなら、彼女を引き止めるが、どうする」
そして、裁量権は彼等にある。
「いや、来てくれんなら助かるけど…」
回復役が存在するというのは心強い。彼の相棒では離れた距離から回復する事が出来ない。同行してもらった方が戦力的には、根幹が太くなる。
「でも、魔神を倒しに行くんだぜ?死ぬかもしんないけど、それをわかってるのか?」
「それくらい、彼女もわかっているだろう」
戦力が高まる事に何の不満もない。亜人の少女は王国騎士団長と違って、いなくなってもそこまでの損害はない。
「わかった。連れてくよ」
彼の言葉は肯定の言葉。
誰にも死んでほしくないと思った彼は、誰かを死の危機に直面させる。
犠牲の上に成り立つ安寧は安寧ではない。そう思いながらも、誰かが犠牲にならなければならない事を、彼は知っている。
翌日。彼等は王国都市の門前にいた。
太陽が燦々と陽光を照りつけている。これまでの降雨による不快さはまるで見当たらない。既に地面は乾いて、 人々は何事もないように街を出歩いている。
「そう言えば、お前の意見を聞いてなかったけど。お前は魔神を倒すために俺達に着いてくるのか?」
陽光の眩しさに目を顰め、また、バルドの頭の輝きに眼球を焼かれながらも、レイはバルドに問いかけた。
「着いていく。相棒がそうすると言っているんだ。俺も着いていくに決まってるだろ」
「…そうかい」
シニカルに笑うその姿は照れ隠しの様に見えた。
「死ぬかもしんないけど、レミリアは本当に着いてくるのか?」
栗色の髪の毛をニット帽から除かせている少女に、気になっている事を問いかける。
「はい。着いていきます」
当初の様なにこやかさは見られない。医務室での事があってから、レミリアはレイの前で猫を被っていない。
「何で?」
「別に理由はどうでもいいじゃありませんか。とにかく、私はレイさん達に着いていきたいんです」
「わかったよ。ま、理由は追々聞いていくさ」
聞いた所で、連れていく事には変わらない。
「そんじゃ、出発しますか!」
レイ、バルド、ジーク、レミリアの四人。
つい最近までは、もう一人いた。彼女は立場がある。だから、彼等に着いていく事は出来ない。
僅かだが、寂しさが募る。
レイは彼女の事が好きだった。恋愛感情とかではなく、彼女の甘さも、弱さも含めたその在り方が好きだった。
からかえば面白いし、バルドと一緒にいるのを見ると腹が立つ事もあるが、バルドと上手くいって欲しいとも、本音では思っていた。
勿論、戦力的にもいてくれた方が助かる。経験が足りないだけで、その才能は申し分ない。強くなれる素養はある。
寂しい思いを、表に出していたわけではないが、レイは少し笑ってしまった。
金属と金属が擦れる音が響いている。それは遠くから聞こえてきた。今ではかなり近い所まで来ている。
「待ってくれ!」
息を切らして走ってくるのはこの場にいてはいけない立場の人間。
だけど、レイは笑みを保ったままだった。
「はあっ…はあ…」
彼等の前に膝を着いて立ち止まり、息を整えている。
ごつい鎧に、顔を覆い隠す兜。
王国騎士団長、サーシャ=コール。堅物で何も知らない、バルド大好きっ子だ。
「私も、連れて行って欲しいっ」
籠る声は周囲に響かない。
それでも、レイは笑った。そして、最初に出会った時の様に声を掛けた。
「俺達に頼みに来たんだよな。なら、その兜を取って話をするのが礼儀だと思うんだけど」
慌てて兜を外すサーシャに、レイは遂に声を上げて笑った。
「む、何を笑っている」
「いや、別に。で、何だって?」
「…私も、連れて行って欲しい」
むくれた様な顔で答えたサーシャは、どこか違って見えた。
「いや、俺的には構わないけど、国民はどうすんの?」
「ウェイン殿がどうにかしてくれると言っていた」
「そんな他人任せでいいのかよ」
「いいのだ。今回の襲撃で兵も鍛錬の重要さがわかったはずだ。バルド殿とジーク、そしてレイ。お前達が発奮するきっかけになった」
「…そっか。じゃ、一緒に行くか」
ぐ、と背伸びして声を上げる。レイは顔を上げて空を見上げた。
「今回はやけにあっさりと承諾するのだな」
「まあね」
どこまでも続いているかのように見える蒼穹は暗いモノを連想させない。死ぬ可能性が高いかもしれないのに、着いてくるサーシャに呆れている部分も少なからずある。
それでも、レイはこの関係を失いたくないと思っている。
見上げた蒼穹が、明るい未来を映し出してくれたらいい。
レイはそんな事を思いながらサーシャの言葉を聞き流していた。
ちなみに。
「ところで、さっきからずっと俺の頭を見てないか?」
「え?あ、いや、別に?」
「別に、じゃないだろ」
「……何だろ…何か、こう…しなきゃいけない事があったような気がするんだけど、思い出せん」
「何をしないといけないんだ?」
「ちょ、怖いって、バルドさん。いや、バルドだけじゃなくて、サーシャとジークにも何か聞かなきゃいけない事があった気がするんだけど…」
「思い出せないってことは重要な事じゃないんだろ」
「…………それもそうか」
なんてやり取りがあった。
===
物語はここでようやく動き出す。
レイの傷は、それは誰にも知られていない。
バルドの欠点は、未だに存在している。
サーシャの弱さは、克服出来ていはいない。
ジークの過去は、隠しているままだ。
レミリアの覚悟は、どれほどのものなのか。
五人の人生が交わって、どう軌道を描くのか。
それは誰にもわからない。
やっとここまで来ました。
第二部終了です。
というより、ようやく本編スタートといった感じです。
本当はもう少しさくさくと進むはずだったのですが、何がどうして、こうなったのか、かなり長くなってしまいました。
で、一度読み返してみたのですが、最初の方が酷い。いや、今も酷いのですが。
改訂したものを新しく投稿しようかと思えるほどです。
とにかく、ここまで読んでいただいた方には感謝の言葉を。
ありがとうございました。