視て、死んで
難産でした。申し訳ないのですが、大幅改稿が起こり得ます。
なら、書くなよ、と思われるでしょうが、一度、皆様の反応を見てみたくて、投稿させて頂きました。
よろしかったら、意見をください。
二段階目の楔を解く。それは同時に死を見続けるという事だ。腐れ切ったレイの脳味噌でも、それは少しの苦痛と、途方もない快楽をもたらす。
麻薬じみた効果を持つ、甘美な死。彼女の歌声にも負けず劣らず、レイの脳髄を犯す。
限定的未来予知。まさしく、幻視する。
自身の死に関する事のみを限定的に予測する。それはイカれたレイの思想の前では未来予知にも似た効果をもたらす。レイの内面に巣食った悪魔が、レイを救うべく、死を見させる。死を囁き続ける死神が、レイを手助けする。
本来なら、レイはここまで使うつもりはなかった。例え、危機に陥っても楔を解くつもりは無かった。でも、彼等を見捨てて、三人と決別して、また普段通りにレイになれると思えなかった。
罪悪感は湧かないだろう。罪の意識もないだろう。それでも、心が歪んでしまうかもしれない。真直ぐ前だけを見て走れない自分の事だから、世界を、魔神を撃つ前に死んでしまうだろう。
レイはそんな事を思いながらも、馬鹿臭くなって髪の毛を掻き毟った。
現在進行形で死にかけて、思う事ではない。結局、自分は非情になり切れない、甘い人間だと言う事だ。
切り捨ててきたモノのためにも、自分はこんな所で死んではいけない。
阿鼻叫喚がそこには溢れていた。死んでいく者達は少なくない。
レイは大きく息を吸って、吐きだした。
日は傾いて来ている。日が暮れたら、魔物も退いていく、と甘い考えを持ってはいけない。何故、魔物がここまで大量に溢れて来たのかなど誰にもわかるまい。
顔を上げる。暮れていく日の光を視界に映しだしながら、それを切り裂くように一つの呪文を紡ぎ出す。
「セカンド」
がちゃり、とレイの頭の中で何かが外れる音がした。
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レミリア=ハーグリーブスは医療部隊と共に北門へと向かっていた。北門からの救援要請を受け、医療部隊がまず、彼等を助けるために向かっていた。魔術師バルド含む、他の部隊は目処が付き次第、北門へ向かうと言っていた。
彼女は南門へと配置され、南門で負傷した兵士達の治療を行っていた。南門は士気が高く、勢いもあり、順調に魔物を殲滅していた。魔術師バルドも物凄い勢いで魔術を放ち、魔物を焼き払う。当然、負傷者も死者も出ている。腕を失った兵士や、首のない死体もあった。
しかし、レミリアはそれらを見ても、動じることなく治療魔術を掛ける。彼女はまだ十代の女の子である。普通の女の子なら一生見なくてもいいモノを見ても、何かしらの感慨が浮かぶ事は無い。
人の死体は何もしない。彼女にとって最も恐ろしいモノは生きている人間である。人間は強欲で自己と違うモノを排斥する。差別的な考えを持った、傲慢な存在である。同じ人間同士でも、見た目の良し悪しや能力の高さで差別をする。容姿が優れている者は持て囃され、悪い者は敬遠される。能力の高い者は重宝され、低い者は弾かれる。
人間同士でそのような現象が起こるのならば、それが亜人であったなら。言うまでもないだろう。差別という言葉では言い表せない。苛烈な排斥が起こる。
レミリア=ハーグリーブスという少女は亜人である。それは、王国騎士団ではごく一部の者にしか伝わっていない。
亜人が王国騎士団に入団できるか、と問われたら、答えは否だ。仮にも王国直属の部隊である。アルメリア王国では亜人に対しての差別的な思想はそこまで高くない。それでも少なからず差別は存在する。就職にも不利だし、王国の中枢に就けるわけがない。
だが、レミリアは、人並み外れた治療魔術を行う事が出来た。身寄りもなく、亜人である彼女を雇ってくれた副団長のウェインには感謝してもしきれない。
彼女は人前では帽子を脱がない。その頭には、憎らしくも人間では絶対に有り得るはずのない、獣の耳が付いている。
王国都市内を真直ぐに突っ切って、北へ向かう。国民は一人として歩いていない。家の中で、この襲撃が過ぎ去るのを待っている。
レミリアは走りながらも、北門の事に思いを馳せた。
報告を聞いただけでは、北門の状況は絶望的だとレミリアは思っていた。だからと言って、助けに向かわない、という事はしない。憎むべき人間ではある。しかし、見捨てていい理由もない。人間の中にはウェインのような者もいる。彼に恩を返すためにも、レミリアは北門へと向かっているのである。
医療部隊は北門へと到着する。彼等の総勢は五十人。少ない数だが、腕はそれなりにある。
北門の内側からは、外で何が起きているかは分からない。この先で、どのような惨状が繰り広げられているかなど、分からなかった。不気味なほどの沈黙が支配している。もしかしたら、報告は誤りで、この先には何も起きていないのかもしれない。そんな考えすら持つ者もいただろう。
しかし、沈黙はすぐに破られた。
北門でも聞いた、兵士の雄叫び。だが、質が違う。彼女等が南門で聞いた雄叫びは凄かった。腹の底を叩くように響いて来た。
しかし、この北門の外で起きた叫びは違う。魂を揺さぶるような、そんな雄叫び。びりびりと鼓膜を、空気を震わせ、辺りに吸い込まれていく。
レミリアはその雄叫びを聞いて、体を竦ませた。彼女は死や死に瀕した者を多く見てきた。それについては耐性がある。だが、今、起きた咆哮はそれとは真反対のモノだ。
狂おしい程の生の衝動。死を目前としながら、死へ向かいながら、生を勝ち取る。そんな感じがした。
レミリアにとってそんなモノは見たことも、聞いたこともなかった。だから、体が竦んでしまった。辺りを見回せば、他の者達も、体を竦ませ茫然としている。
この先では何が起こっているのだろうか。傾いだ太陽は血の色のようだった。
レミリアの見た光景は、予想以上に酷いものだった。
魔物が兵士達に群がる。リザードマンは無情にも命を刈り取って行く。
数は既に魔物の方が勝っているかもしれない。負傷していない兵士はいないのではないかと思えるくらい、血の匂いが辺りには充満していた。
しかし、そんな地獄のような中でも、戦っている兵士達の顔は少しも諦めていない。連携を取り、隊形を組み、戦っている。
その中で、一際、目を引く存在があった。
一人の男だ。彼女が腕の治療をした男。何もせずに立ちつくしている。
レミリアは少しの間、彼に見惚れていた。その姿が、何だか、途轍もなく気高く見えて。
確か、あの男はレイという名前だったか。
先程、自分が彼の腕を治療した時の事を思い出す。取り立てて特徴のない男だった。身長は高くは無い。顔も普通だ。
彼の噂を何度か聞いた事がある。彼はアホで、たいして強くもないのにAランクになった、とか聞いた事があった。相棒である魔術師バルドが強いのであって、彼は強くなどないのだ、と。
彼の怪我を見た時、自分は噂が本当のものかどうか疑った。
あの怪我は、普通の人間では、耐えきれない。
そこまで考えて、レミリアは動き出す。治療魔術を兵士達にかける。
彼女は離れていても、治療魔術をかける事が出来る。王国騎士団の中でもその能力はトップクラスだ。
ただ、笑みを浮かべて立っているレイに向けて、魔術を放つ。彼が一番負傷している。
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がちゃり、と音が鳴った時、体が少し軽くなったような気がした。後方を見ると、レミリアの姿が目に入った。
丁度いい。少し、体にガタが来ていた所だ。
レイはレミリアに感謝しながら、爆発した感情に体を預ける。
「くっ」
笑い声が漏れた。また、犯され始めた。
「くははははは」
もう抑えきれるものではない。レイの持てる最強の武器は、同時にレイの命を最も脅かす。
「ははははははははははははははは」
周りの兵士達は何事かと、レイを見やる。遂に気が触れてしまったかと思っている者もいる。
レイはそんな兵士達の様子を無視して、ただ、ただ笑う。
「ひひひひひひっひひひいいひいひひひひひっひひ」
がくり、とレイの体が沈んだ。首は折れてしまおうかというほど、下を向き、刀を握る両腕は力が抜けたようにだらんとしている。敵の目の前だと言うのに両膝は地面に着き、まるで、断頭台の上に立つ犯罪者のような姿だった。
「ひひひひひひひひひひいひひいひひいひひひひ」
笑い声は止まない。レイは止まらない。
顔を上げて、奴らを殺せ。
魔物達もレイの様子に不穏なモノを感じたのか、じりじりと間合いを見定めながら近付いていく。
一種、停滞した様な空気が周囲には漂う。兵士達にとっては好都合だった。医療部隊が駆け付け、彼等を魔術で治療する。
彼等の英雄は、回復しきっていない。
レイはまだうなだれたまま動かない。笑ったまま動かない。
流石に魔物も彼の事を脅威ではないとみなしたのか、それでも、ゆっくりと近付いていく。
リザードマンが剣を振り上げる。天にも届くかと思えるほど剣を振り上げ、一度止める。レイは動かない。不気味に笑い声を上げるだけである。
リザードマンは両腕で剣を握り直し、思い切り振り下げる。剣はレイの頭頂部を切り裂き、脳味噌を溢れさせ、体を両断し、臓物を撒き散らし、血の飛沫が飛び跳ねて、レイは死んだ。
ワーウルフの拳がレイの頭を掴み、首をねじ切った。首から脊髄が伸び、気持ち悪いくらい長いそれが見え、レイは死んだ。
人型の蠍が、尻尾でレイの顔を突き刺す。顔に穴を開け、眼球は飛び出す。毒は瞬時にレイの体を廻り、レイは死んだ。
手足が八つもあり、蜘蛛の様な目を持った魔物がレイを頭から食べ、脳味噌を食べる音がぐちゃぐちゃと辺りに響き渡る中、レイは死んで、去ったはずのハウンドドッグがレイに群がり、体を貪り食い、レイは死んで、後ろの兵士達がレイを裏切ってレイの首を刎ね、レイは死んで、サーシャが駆け付け、レイを突き殺して、レイは死んで、ジークが駆け付け、剣で体を横から両断して、レイは分かたれた自身の下半身を見ながら死んで、バルドが魔術でレイを塵もなく焼き殺して、レイは死んで、心臓が急に止まってレイは死んで、自分で太刀を喉に当てて、掻き切って死んで、急に雷鳴が轟き、雷がレイに直撃して、感電して、レイは死んで、馬車がレイを轢き殺して、レイは死んで、四方から圧迫され、レイは死んで、バルドがレイの首を絞めて、レイは死んで、四肢が急にねじ切れて、レイは死んで、死んで、死んで、サーシャがレイに毒を盛って、レイは死んで、死んで、ジークがレイを、死んで、死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死ねしねしねしねしね死ね死ね死ね死ね死ね―――
死んだはずの、愛した彼女に殺されて、レイは死んで。
殺すはずの、憎んだ魔神に殺されて、レイは死んで。
死に尽くした。
レイの目の前には剣を構えるリザードマンの姿。この先に起こる出来事をレイは知っている。
リザードマンは、その手に握った剣で、レイを頭から両断するだろう。そして、レイは血飛沫を上げながら、絶命する。
レイが動かなければ、その未来は確定されている。レイの狂った思考回路で弾きだした答え。それくらい、誰でも予想できると思ってはいけない。何パターンと用意された答えの中で、レイは最適なものを選択する。体の傾き方、体重のかけ方、目線の方向、呼吸の仕方。周囲に響く音。それらの諸要素を的確に見定め、自身が死ぬ未来を的確に視る。そして、それを回避する。そんな、対処療法じみたやり方。
レイは痛みまでリアルに想像できてしまう。痛覚が遮断された今でなければ、使う事の出来ない武器。
レイは動かない。未だうなだれたまま、その場から動く気配は見られない。
笑い声が止まらない。響き渡る笑い声は、悪魔のよう。震える肩は、弱者のよう。握る太刀は、死神のよう。
見上げた先は―――
「世界を撃つ」
取るに足らない、死が溢れている。
ゆらりと立ちあがったレイに剣が振り下ろされる。
その一撃を食らうのは必須。だが、レイは体を少し後ろに引くだけで、それを避けた。
レイには見えている。この場で自身が死んでしまう、あらゆる状況が見えている。魔物が犇めくこの場にて、全ての死を見ている。
体が軽い。斬り裂く魔物は、何の抵抗もない。
レイが動き回るだけで、辺りには死骸が積まれていく。限界を超えた動き。軋む骨は他人事で、渦巻く死は目の前に。
この程度を乗り切れずに、世界を撃てるはずがない。
しかし、三百六十度、あらゆる角度から魔物が押し寄せる。前へ逃げても、後ろへ跳んでも、右へ避けても、左へ転がっても、太刀を振っても、全部死ぬ。
所詮、自分はこの程度。これがサーシャ、ジーク、バルドであったなら。
レイは思いながら、死を見据える。
諦める事はしない。目を閉じる事は無い。逃れられない死から、目を背ける事はしない。魔物がレイの体を引き裂き、貪り食らい、跡形も残らなくとも、諦める事はない。
時間が引き延ばされるように、ゆっくりと動く。
そして、レイは独りごちた。
「……遅いんだよ」
レイに群がろうとした魔物が一瞬で消滅する。
レイに纏わりつくように、炎がレイの周りを飛び回る。炎は押し寄せた魔物を灰に変えていく。
触れたモノを灰に帰す魔術。バルドの魔術。
相棒の救援。
振り返るまでもない。
レイの後ろには、バルドが立っている。