軍医少女
重苦しい雰囲気が室内に漂う中、一人だけ緊張感のない男がいた。
そこは王国都市の王城である一角に存在する会議室。その会議室には八人いる。誰もが沈痛な面持ちをしているはずである今の状況で、レイは豪奢な椅子に深く腰掛け、頭の後ろで手を組んでいた。
時折、欠伸をもらし、今現在、この王国都市が魔物に襲撃されている事をまるで理解していないかのように振舞っていた。
レイ達はギルドの斥候から報告を受け、すぐにリヨンを発った。リヨンから王国都市まで普通に行けば、三、四日で着く。しかし、レイとバルドは万全を期して、索敵を念入りに行いながら、王国都市まで戻ったため、約一週間掛かった。
サーシャは焦りの気持ちをその言動の節々に表してはいたが、レイと、特にバルドの説得―魔物の群れに捕まるよりは、手間を取って行ったほうがいいという事を―でサーシャを落ち着かせた。
つまりは、急がば回れ、である。そのおかげで、四人は魔物の群れに遭遇する事もなく、王国都市に辿り着いた。
王国都市に到着した四人、いや、サーシャとバルドは甚く歓迎された。
サーシャは鎧と兜を装着していたし、王国都市の連中はバルドの顔を知っていて当然なのである。誰もが喝采と共に二人の名前を呼ぶ中、レイの名前が呼ばれる事は唯の一度もなかった。ジークの名前が呼ばれないのはわかるが、レイの名前が一度も呼ばれなかった事に、レイは酷く憤慨した。
しかし、憤慨した所でどうにもならないので、レイは心の中でバルドのハゲ頭を馬鹿にする事で心の平穏を保っていた。
四人はすぐに王城へと招かれた。ジークが入場する際に一悶着あったが、そこは、期待されているサーシャとバルドの言葉でどうにかなる。
そして、王城の会議室に招待されたのである。
会議室には、グスタフ、ウェイン、宰相―ヴェルガ=レンジ―、ハーベスタ、そしてレイ達四人がいる。円形の机のおかげで、皆の顔が見渡せる。
レイは辛気臭い七人の顔を見ていた。
「それで、要は俺達に手助けをして欲しいってこと?」
レイはグスタフを見ながら口を開いた。王に向かって敬語も使わず、態度もでかいその姿に会議室にいる殆どの人間がレイを睨みつける。
しかし、グスタフはレイを見据える事もなく、顔を俯けたままだ。レイも他人の視線などに構う事もなく、グスタフを見据えたままである。
態度はでかくとも、その目には真剣な様子が伺える。
「うむ。君達の力を借りたい。魔術師バルド殿の力は非凡なものだと聞く。そこのジークと言う男も騎士団長が太鼓判を押すほどの力量なのだろう。ならば、我々に手を貸してはもらえないだろうか」
グスタフは徐に顔を上げると、そんな事を口にした。レイは自身が含まれていない事に、少しの苛立ちを抱えながら考える。
残存兵力は一万と二千。魔物の軍団は約六千。二倍の兵力差を以てしても厳しいと言う王の言葉は無視するとして、敵は何をしたいのかがわからなかった。
魔神の壊滅に比べれば、随分規模が小さい。唯の魔物の襲撃にしては規模が大きい。
何が起こっているのか。
レイはそこを知りたかった。
「状況によるな。魔物の軍勢の内訳、被害の大きい部隊、場所。王国騎士団の士気の高さ。色々と吟味してからでないと答えは返せない」
しかし、今はその事を聞いてもわかるわけがない。レイはメリット・デメリットをしっかりと聞く。どちらにせよ受ける事になるのは間違いない。断ったら、脅され、無理矢理要請を受ける事になる。ならば、レイは少しでも話の主導権をこちらに持っておきたかった。
「私は君には聞いておらぬ。魔術師バルド殿とジーク君に聞いている。君は少しの間、黙っていてくれ」
グスタフは露骨に顔を顰めるといった動きは見せないが、レイの事を低く評価している事はその言葉で丸わかりだった。
「まあ、待てよ。パーティ『アホとハゲ』のリーダーは俺だぜ。俺に決定権があるんだよ。だから俺に聞くのが筋だろ?」
しかし、レイはそういった評価はわかり切っている。気にする様子を表には出さず、軽い調子でグスタフに話しかける。
「本当か?バルド殿」
「はい、本当です。依頼の話は全てレイに一任しています」
「そうか……ならば、仕方あるまい。レイ、といったな。君に打診をしよう。…ウェイン、詳細を頼む」
騎士団副団長のウェインは立ち上がり、説明を始めた。
ウェインの説明は簡潔に、しかし、詳しくわかりやすいものだった。
魔物軍勢の内訳。低級な魔物が大半を占め、強力な魔物もいるにはいるが、飛び抜けて、それこそ全く手に負えないという魔物はまだ確認していないと言う。
部隊に至っては、持ち場と連動しており、南門を守っていた部隊が最も被害が大きく、同様に南門も消耗が酷い。
王国騎士団の士気は決して高くはないが、サーシャとバルド、二人の帰還で幾分持ち直したと言う。
「俺からも頼もう。この国と民を守ってくれ。お前らなら出来るはずだ」
ウェインは殊勝にも頭を下げる。
「詳しい話はわかったけどさ、こんだけの兵力差があって勝てないなら、俺らが助太刀しても勝てないんじゃ?」
レイの疑問ももっともなものだ。たかだか四人が加わったくらいで戦局が大きく変化する訳もない。いや、バルドなら出来るかもしれないが、それでも、それだけ弱い兵と共に戦って、勝ちを掴めるとは思いにくい。
「確かに、そうではある。だが、恥を忍んで言ってしまえば、俺達は指揮官が不足している。優秀な指揮官がいれば、ここから盛り返す事も可能だ」
「ふ~ん……でもさ、バルドは軍を率いるなんて出来ないぜ。そいつは魔術師としてならとんでもなく優秀だけど、それ以外はからっきしだ」
「それならば、俺が付けば済む話だ。南門には俺とバルド殿があたる。次に被害の大きい西門は騎士団長殿に当たってもらう」
誰もがバルドを高く評価し、レイを低く評価する。魔術師バルドがいれば、必ずどうにかなる。グスタフ、ウェイン、ヴェルガ、国の重鎮、また王国都市の住民の殆どがそう思っているだろう。
レイの存在は薄い。評価も低い。レイ自身が望んでそういう人間である様振舞ってきた。
確かに能力も低い。言い返せるほどに、才能溢れる人間ではない。言い返せるほど綺麗な人間でもない。
そんな事を考えながらも、レイは表情には出さない。
「ジーク、お前、兵の扱い方わかるよな」
ジークは無言で頷く。
レイの思った通りだった。ジークが博識なのは、髪の毛の構造を言い当てた時にわかっていた。
ジークは恐らくレイと似たような道のりを辿っている。その内容は全く違っても。
「ジークは東門な。雑魚な俺は一番被害の少ない北門という事で」
「…何故、北門が一番被害が少ないとわかった」
ウェインは訝しむようにレイを見る。
確かに、ウェインは北門が一番被害が少ないとは言っていない。だが、わざわざ説明されるまでもなく、レイはその程度の事はわかっていた。
「なんでって、俺達は偵察して北門から入ってきたんだぜ。少し考えればわかるだろ。明らかに北門は被害が少なかったじゃん。何?それともその程度もわからないくらい俺はへぼいと思ってた?悪いね、期待を裏切っちゃって」
レイ達は王国都市の周辺を回りながら、双眼鏡で観察していた。他の門の消耗具合がどの程度かはわからなかったが、北門だけは綺麗な形を保っていた。
「ま、要は次の襲撃の対応だろ?俺は休ませてもらうぜ。二時間後に呼びに来てくれ」
レイはまた一人だけ会議室から退室した。
レイは酷く疲れた時や大きな怪我をした時以外は日課を欠かさない。それはいつしか自身に課した誓いに似たモノである。
彼には才能がない。それは自他共に認める事実だ。才能と言うのは努力次第で越えられるものではない。残酷であって、絶望にも似た真実を受け入れる事は並大抵の精神では無理だ。
それでもレイは足掻かずにはいられなかった。越えられない壁を前に立ち尽くすのは、かつて起きた出来事に泥を塗る様なものだ。
越えられないのなら、ぶち壊してしまえばいい。
レイはそんな事を考え始めてしまった。それが不安定な綱渡りを始める事になるとも知らずに。
天才、秀才を前に同じ土俵で戦った所で、勝機は見いだせない。凡才には凡その能力しかない。ならば、違う土俵で戦えば、同じ道を辿るのではなく、全く逆のベクトルに向かって戦えば、勝つ事が出来なくとも、瞬時に負けを喫する事はないのではないか。
多くの人間が死ぬ覚悟を持って戦いに臨む中、レイは死ぬ覚悟を持ち合わせてはいなかった。死ぬ覚悟など必要はない。覚悟を持った所で事実を捻じ曲げられるはずがない。
覚悟を持たずにレイは何を持って戦いに身を投げ出すのか。
何も持たないのである。
何も持たない。それは、つまり、死ぬつもりで戦うという事である。死ぬ覚悟を持たず、死ぬつもりで戦う。
言葉遊びの様に感じるかもしれないが、二つの間には大きな差がある。
前者は死ぬ覚悟を持って戦い、最後は生きるつもりである。その先に待つのは、栄光に羽ばたく、輝しき生。
後者は、死にたくないと思いながらも、死ぬ事を事実として受け入れている。結局は死に向かっているだけ。言いかえれば、生きる覚悟を持ちながら戦い、最終的には死ぬつもりだ。
だからと言って、レイは常にそんな戦い方をしているわけではない。
レイには目標、誓いがある。死ぬつもりで戦う事は多くあった。それでも、運良く、いや運悪く、と言ってもいいのかもしれない。レイは今まで生きのびてきてしまった。レイが早々に死んでいれば、ここまで彼は辛い思いをしなかっただろう。
それ故の日課。地力の底上げ。自身の狂った思想に頼る事なく、凡人の持てる能力を持て余す事なく使いきる。
そして、レイ自身は気付いていないが、今ではその日課さえもレイの狂想に組み込まれている。
左手で握った小太刀が彼方へ飛んで行った事で、レイは動きを止めた。ここは王国騎士団の訓練場である。今は誰もいないが、どう見ても綺麗さがうかがえた。
レイの左手の握力はまだ完全に戻ってはいない。日課を始めて、これほどの短い時間で握力が落ちるという事は、かなり由由しき事態である。
レイは自身の左手を見ながら舌打ちをした。それは未だ戻らない握力に向けたものでありながらも、ここまで自身の評価が低い事にも向けられていた。
確かに、レイは自身がそのような人間に思われるように振舞ってはきた。飄々とした態度。口が悪く、アホっぽい言動。全て計算の内のものである。いや、計算の内のものだったと言い換えるべきか。
レイがレイになった日、彼は全てを計算で行っていた。しかし、いつしかレイは、本当にレイになってしまっていた。恐らく、バルドと出会った頃からそれは顕著に表れていただろう。
そんな益体もない事を考えながら、レイは自身の評価の低さに苛立ちを抑える事が出来なかった。
「だってさ……つまりは、俺には才能がないって言ってるようなものじゃん」
レイは独りごちた。レイの言葉通りである。本当に才能のある者ならば、例えそのように振舞っていても、そのような噂は立たず、そのような評価はされない。
噂は気にしていないし、評価の低さも気にしていない。しかし、それでも、自身に才能がない事を改めて言われると、レイは立ち位置がわからなくなった。
「あー…本当に不安定だな……」
レイは頭を掻き毟る。その行為は、もしかしたら癖になっているのかもしれない。
レイは胡坐をかいて座る。両手を後ろに着き、思い切り脱力する。まだまだ準備運動と言える所で日課を終えてしまったから、程良い疲れが心地よい。汗は一滴もかいていない。
「あの…」
「ん?」
もう何を考えるのも面倒になって、レイは頭を真っ白にしていた所、後ろから声を掛けられた。後ろを振り向くと、一人の少女が立っていた。
「なに?」
「あ、もう二時間経ったので、呼びに来ました」
年の頃は十七、八といった所か。レイよりかなり小さく、まだまだ幼い。細い体には不釣り合いな大きめな白い服を来ていた。白衣だろうか。となると、この少女は軍医か何かだろう。
栗色の髪の毛の半分は毛糸で出来たニット帽で包まれており、この場には完全に場違いな存在だった。
「ありがとう。でさ、聞きたいんだけど、君も騎士団の関係者?」
レイは立ち上がりながら少女を見る。かなり可愛い顔立ちをしている。目はぱっちりとした二重瞼。他のどのパーツも女の子としたら最高と言っても差し支えのない程のものを持った美少女だった。
「はい!レミリア=ハーグリーブスって言います!」
少女―レミリアは元気よく答える。その威勢のよさにレイは若干たじろいだ。
「そ、そう。俺はレイ。よろしくレミリアちゃん」
「はい!こちらこそよろしくお願いします、レイさん!」
レイさん。
レイはその響きに感銘を受けた。
早速もう一度言ってもらおうと思ったが、レイは何となくだが、それはやめておいた。
「白衣着てるって事はレミリアちゃんは軍医?」
「そうです!騎士団に属しています!」
「へぇ~」
やはり軍医だった。軍医という事は魔術的な治療から魔術を使用しない治療の知識も持っているだろう。
レイはこれ幸いと思いながらレミリアに提案した。
「実は俺、左手を怪我してんだけどさ、君はこれ治せる?」
レイは左腕を見せる。しかし、治せるとは思っていない。とりあえず聞いてみるだけ聞いてみただけである。
「え…すごい怪我の仕方してますね……これは、砕けた…?」
レミリアは初見でレイの怪我を言い当てた。目を細め、訝しむようにレイの左手を見ている。
当然、レイは驚いた。軍医という事からそれなりの力量はあるだろうと思ってはいた。しかし、今ではその骨はくっつき、後遺症として握力が戻っていないだけである。
レミリアはそれをさらっと見ただけで看破した。
「すげぇな、見ただけでわかるのか」
「…本当に砕けたんですか?」
「ああ、踏み砕かれたって言ったほうが正しいかな。で、これ治せる?まだ握力が戻ってないんだよね。今日か明日かはわからないけど、魔物の襲撃に当たらないといけないから、これじゃキツイ」
「あ、え…はい、たぶん治せると思います」
「そっか。じゃ早速頼む」
レミリアは右手でレイの左腕に触れ、左手で握手をするように、レイの左手を包み込んだ。彼女が目を瞑ると、レイの左腕全体は不思議な温かさが満たす。詠唱も何もせずにバルドとはケタ違いの治癒魔術。
レイは目の前の少女が「持っている」人間だと悟った。
「終わりました」
不意にレミリアは手を離す。彼女が手を握ってから、数秒で治療は終わっていた。レイは手を強く握って感触を確かめる。握力は完全に戻っていた。
「あ、ああ。ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、レイさん。今から会議室の方に向かってください」
レミリアはにっこり笑って訓練場を出て行った。
レイは一人訓練場に取り残される。もう一度左手を強く握って、レミリアが出て行った先を見つめていた。