絶望の先(3)
男がレイの記憶を覗きこむ。先程から狂い始めたように見えたレイにしては、レイの記憶、心の中というものにおかしな所は見られなかった。
日常にありふれた記憶が錯綜している。
ご飯を食べる記憶。
誰かを笑っている記憶。
誰かと笑っている記憶。
誰かに笑われている記憶。
見た所、先程見た人物との記憶が大半だった。男はその記憶を見て、つまらなそうに呟く。
「つまんないなぁ。別にこれといって面白い所はないし…」
人間の記憶が近いものから思いだしやすいように、男が見る記憶も近いうちから始まる。男が今見ている記憶は、先程、犯そうとした女と、気絶させた男と、自身が模倣した男の記憶である。ここ最近の出来事ではこの三人の記憶で占められていた。こんなものでは、男の欲求を満たす事は出来ない。
男は更に記憶を掘り下げてみることにした。
最近の出来事で面白い事はないようだが、過去の記憶に何か面白い、それこそ、臓物が巻き散らされているようなモノを見る事が出来るかもしれない。
そして、到達する。
それはレイとバルドの出会い。
「こういう出会い方をしたんだ」
レイとバルドが出会った当初の記憶を見て男は感想を漏らす。
なかなかに面白い出会い方である。
最も期待されていなかった男と最も期待をされていた男が、血に塗れた姿で共闘している。周りには人間のものとは思えない様な死体が転がっていた。手足が引きちぎれ、転がっている。何かに噛まれ、胴体の大部分を失った何かがある。
血と脳漿が周りには溢れ、見ているだけでも臭い、死臭というものが沸き立つようなその光景を見て、男は自身の血が高揚するのを感じた。
「こういうのを待っていたんだ。もっともっと昔の事を見てみよう」
男は過去へ疾走する。レイの記憶を第三者という立場で俯瞰する。
記憶の奥へ奥へと向かっていく。心の底へ底へと沈んでいく。その最中、男が見たレイの記憶は期待通りのモノだった。
男は自分の期待通りのモノが見えた事に興奮していた。
「凄い凄い凄い凄い!これだよ!この絶望感!この敗北感!あの男が泣いてる!ああ、いい顔だ!素晴らしい!この葛藤!この自己嫌悪!最高だ!あははははは!」
男が見たレイの記憶は死と絶望に染まったものだった。
泣きながら、少女であった化物を抱きしめる姿。泣き叫び、拳を地面に打ち付け、自分を罵倒する言葉。化物の胸に突き刺さっているのは、男がつい先程見た武器に似ていた。
泣きながら、剣を振い、人を殺す姿。殺したくないという思いが伝わるその顔とは相反して、多くの人間を虐殺していく。
泣きながら、罪のない人々を殺していくその姿。命乞いをする人間、子供だけは、という人間、泣き叫んで逃げ惑う小さな人間を容赦なく殺していく。必要悪と思いながらも割り切れていないその姿。
泣きながら、逃走するその姿。多くの人間を見殺しにして、浅ましくも自分だけは助かろうとする姿。
泣きながら、笑いながら、魔物を殺していく姿。憎しみに染まったその目以外は愉快そうにしている。傷つく事を無視して魔物の群れに向かっていく。笑い、嗤い、哂う。
血に染まったその記憶。死に染まったその両手。
凡そ、常人が経験しないような事を、レイは経験していた。この時点でこれ程の記憶。更に奥はどうなっているのか。
「あはははははははは!たまんないなぁ!こいつ、面白すぎるよ!」
男はレイの記憶を見て哄笑する。予想以上に面白いモノを見れた事を、レイに感謝したい気分だった。
これ程の経験をしておきながら、普通にしているレイの事を異常だと感じてはいたが、目の前の宝石のような記憶を見て、その考えは彼方へ飛んでいた。
男はレイの最も防御の固い記憶の侵入を試みることにした。
今まで見た記憶もプロテクトが掛けられていた。人間にはよくあることである。思い出したくない記憶を無意識の内に、心の奥にしまいこんでしまう事は人間の脳には機能として備え付けられている。本人が意識しようが、しまいが記憶にプロテクトが掛かるのは避けられない。
男はそういったプロテクトを解除する能力も持っていた。プロテクトの内側に入り込み、鍵を外すだけだ。
外は堅固なプロテクトで覆われていても、内は無防備である。
こういう方法で心を壊した人間の末路は非常に興味深い。廃人になってしまう事も多々あるが、中には面白い症状を出す人間もいる。
猟奇殺人に目覚めたり、自傷行為を繰り返す人間もいる。
男は、心の奥底に隠された記憶、その人間にとって一番触れられたくないモノを曝け出す事は、その人間の本性を暴く方法と思っていた。
男は今まで見たレイの記憶と、今現在のレイの様子から、レイが廃人になることは、まず、ないと思っていた。
レイの本性。それを暴いた後のレイの動向を予想して男は、自身が感じた事がないような快感が走るのを感じた。
しかし、レイの奥底に眠る記憶のプロテクトは不自然なものだった。白かったであろう扉が存在している。扉があること自体は珍しい事ではない。何かを閉じ込めるという観点で、扉は多く用いられる事を、男は経験としてわかっていた。
だが、扉本体に不可思議な部分がある。四つのパイプらしき物が埋め込まれているのだ。用途の分からないそれは男の関心を買うものではあった。
それに、不可思議な点はそれだけではない。扉から生える剣の群れ。剣を鍵として考えれば、おかしくはない。おかしくはないのだが、その量もおかしければ、向きもおかしい。百本はあろうかというその剣の切っ先は全てこちらを向いていた。パイプの周りは避けている。
そして、その剣に所々血が付着している。酸化してどす黒くなったモノもあれば、つい最近ついたような赤黒いモノもある。元々は白い扉だったのかもしれないが、付着した血によって、白い部分はほとんどない。
「何なんだろ………まあ、いっか」
男は少し気にかかったが、別にこの扉に触れなくても、記憶を開ける事は可能なのである。今は、そのようなことより、最も素晴らしい絶望の記憶が眠っている扉の先を見る事に関心が向いていた。
自身の意識をもう一度霊体化する。意識下の霊体化。
記憶の中に潜り込んだ際は、この方法であらゆるプロテクトを回避する事が出来る。どれだけ強固なものだとしても、霊体化すれば関係はない。
「さあ!この先は何が待っているのかな!最っ高の絶望を期待してるよ!」
男はレイの記憶の中で、現実世界と同じように両手を広げ、声を張り上げる。この先に待つ何かに祝福を上げるように。呪いを込めるように。
「……」
男は全身の震えを抑える事が出来なかった。予想していた程の出来事はそこに眠ってはいなかった。
どこにでもありふれた一つの別れ。誰にでも訪れるそれ。さして珍しいものではない。
しかし、レイの記憶の底に眠る感情は素晴らしかった。絶望という言葉では生温い。生きとし生けるもの全ての負の感情を込めてもこれ程の感情は発現しない。
何かを失い、何かを失った。それだけの事で、これ程のモノ。そこにある全てを見て、男は歓喜に身を震わす事しか出来なかった。
レイの奥底は男の状況を無視して流れていく。無作為に流れていくシーン。断片的に垣間見える場面。その中に男にも見た事があるモノがあった。
「あれは…」
男はそこで、再起動する。味わった事のないような幸福感に包まれていた男ではあったが、その姿を見て、再起動せざるを得なかった。それは男がよく知っているモノだった。
「どうして…この男の記憶に?」
男が呟きを漏らす。それに呼応するように、今まで流れていた記憶が切り替わった。
「……?」
急激に切り替わったそれを見て、男は辺りを見回す。
真っ白な空間。空白。純白。扉だけは存在している。
純白であったはずのそこに少しずつ、色が現れ始めた。扉から染み出している色。染みのように広がっていくその色は、鮮血。
鮮血はゆっくりと、しかし急速に空白を埋めていく。
「何が……」
男は困惑の表情を浮かべる。記憶の奥底にこのような現象は起きえない。男は経験として知ってはいたし、普通に考えてもあり得ない現象だった。
男の困惑を無視して、遂にその空間が鮮血に染まる。ショッキングな赤。男の好む色。人間の血で染まったその空間の中、男は立ちつくす。
本来だったら、その色に悦ぶはずの男は、不穏な気配を感じていた。
何かがおかしい。
そう感じた男は扉へ向かって歩き始める。既に見るべきものは暴いた。ならば、ここに居ても時間の無駄である。後は現実世界に戻って、この男の狂態を見れば済む話だ。
男が扉まで後数メートルという所で、鮮血が弾けた。
「え?」
弾けた鮮血に目が眩んだ男は、無意識の内に目を閉じる。そして目を開いた先は―――
「あ、あああ、ああああああああああああああ」
男が絶叫を上げる。その先に見た何か。それは男の想像の埒外のものだった。
「い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいぃぃぃぃぃぃ!」
生物であれば、必ず訪れるそれ。ありとあらゆるそれは、男の意識を蝕んでいく。男の全身にあり得ない痛みが走る。ありとあらゆるそれはありとあらゆる痛みを男に与える。
可能な限り、想像されうる全てのそれ。
それは男の髪先から爪先まで引き裂いていく。全身がばらばらになるような痛みに耐えながらも、男は何とか離脱を試みる。
意識を顕在化させるだけで離脱することができるはずなのに、男はレイの心から離脱する事が出来なかった。
「だ、だずげ…」
激痛に苛まれながらも、男は何とか痛みから逃れようと足掻き始める。先程から見えている光景を無視して、存在している扉へ歩いていく。
一歩、歩くだけで折れそうになる。
一歩、歩くだけで死にたくなるくらいの痛みが走る。
それでも、男は扉へ向かっていく。
このままこの場に居続ければ、確実に死んでしまう。肉体を失うことなく、心を失う事になる。
男はそれだけは許せなかった。
肉体を殺されるというのも許せるものではないが、それでもまだ、有り得る話である。
あの人には、どう足掻いても勝つ事は出来ない。自身が死ぬという事自体も許せる事ではない。
それなのに、人間の、しかも、これ程の記憶の持ち主の中で、死んでしまうという事は絶対に有り得てはならない。
せっかく、素晴らしき絶望の記憶を見たのだ。男はこんな所で倒れたくなかった。
「………」
あと少し。あと少しで扉に手が届く。
鮮血がはじける前、男は扉の数歩前に立っていたが、ここまで来るのに、永遠のような時間が立っているように感じていた。
意図せず震える手。視界に入る自身の手に何か異変が起きている訳ではない。あくまで、意識下の出来事。自分の肉体に損傷が起きてはいない。
ここを抜ければ、何とかなる。そう思い、男は手を伸ばし続ける。
その時、目の前のパイプの二つに光が灯った。
「あ…」
瞬間、男の意識は暗転した。
伸ばした手は、力なく落ち、意識下の肉体は倒れ込む。
鮮血はじわじわと男の意識を呑みこんでいく。まるで喰らうかのように。暴食とまではいかないが、全てのそれが男の体を喰らっていく。
男の姿が鮮血に飲み込まれ、見えなくなった。
扉にはめ込まれたパイプの光。
その色も鮮血。
===
レイが目を覚ましたのは痛みからだった。
「いっつぅ…」
右手の指は全て折られている。左腕も人体では起こり得ないようなへこみ方をしている。両足は折られており、身動きが取れない。
「こいつは…満身創痍だな…」
全身に走る激痛で意識が朦朧とする中、レイは呟きを漏らした。ここまで怪我をしたのは久しいのである。先程も言ったが、バルドと出会ってからは少し怪我をしたら、一端引いて、治療をしてもらってからもう一度赴く事が多かった。
レイは地面に横たわりながら考えていたが、おかしな事に気がついた。
「……生きてる?」
そう。レイは生きていた。魔族の男はどうしたのだろうか。
「どうして…」
レイの記憶は曖昧だった。
魔族の男がサーシャを犯そうとした。サーシャの衣服を切り裂いた時に、ペンダントに目を付け、それを投げ捨て、拾いに行くサーシャの事を笑っていた。
その隙を突いて、後ろから斬りかかり、かわされた。
そして、足を折られ、指を折られ、諦めかけた。
その事についてレイは少し恥ずかしさを覚えていた。絶対に諦めないと思っていたはずなのに、諦めかけた。そして、その諦めを振り払ったのが、気絶させられたバルドなのだ。
レイは一生の秘密として、誰にも言わない事を胸に誓った。
その後、左腕を潰され、そして―――
「…あれ」
レイはその先の出来事を思い出す事が出来なかった。何か暴走しかけていたような気がしたが―――
「って、んなことよりサーシャは!」
レイは慌てて辺りを見回す。自分が生きていることや、記憶の事は瑣末なことである。今は、サーシャがどうなったか。
サーシャは先程レイが見た場所から移動していなかった。未だ露わになった胸元を隠し、震えている。しかし、乱暴をされた形跡は見られない。衣服は裂かれているが、それだけ。それ以外は傷一つ負っていない。
レイは安堵の溜め息をついた。サーシャが殺されいていない事もそうだし、乱暴をされていないことにも安心していた。
しかし、それならば魔族の男はどうしたのか。自分とサーシャが生きているのなら、バルドとジークも生きている。魔族の男は誰も殺さずにどこへ行ったのか。
「サーシャ」
レイはサーシャに声をかける。サーシャは体をびくつかせながら、レイへ胡乱な目を向ける。
「大丈夫か?」
「ぁ…レイ…」
「とりあえず、状況を説明してくんない?」
サーシャの目は徐々に光を帯び始める。
「ふ~ん。いきなり叫んで倒れた、と」
レイはサーシャの説明を聞いて、横たわりながらも倒れている魔族の男へ視線を向ける。
男は完全に沈黙していた。
「死んでんの?」
「し、知らない」
「確かめてよ」
「無理に決まっているだろう!」
こんな時でもレイはサーシャをからかう事をやめなかった。別段、死ぬほどの怪我を負ったわけではないのだ。ジークも見たが、血の量は少ない。死ぬ事はないだろう。
そんな事より、レイはサーシャがレイと目を合わさない事が気に掛かっていた。
「何で俺の目を見ないの?」
「そ、それは…」
サーシャは未だにレイと目を合わさない。
「もしかして、何か酷い事された?」
サーシャが嘘をついて、何もなかったように言っているかもしれない。可能性は低いが、あり得ない話でもない。
「いや、私は大丈夫だ。怪我もしていない」
サーシャは嘘をついているように見えなかった。それならば、何故、レイと目を合わさないのか。
「どうしたよ」
「……」
「胸を見られた事を気にしてんの?」
「っ」
レイの言葉にサーシャは隠していた胸を更に強く抱きしめる。更に強く抱きしめた結果、サーシャの胸の柔らかさや、大きさを強調する事になったのだが、レイは眼福と思って、その事を指摘する事はなかった。
「悪ぃ。別に見るつもりはなかったよ。バルド以外には見られたくないよな」
そうはいいながらもレイはサーシャが目線を合わせない事をこれ幸いと、サーシャの胸を凝視する。レイはこういう状況を作り出してくれた魔族の男に感謝をしたい気持ちになった。
「違う。別に、その…む、胸を見られた事を気にしている訳ではない」
「じゃあ、何?」
サーシャは口を開いて黙りこむ。自分が言うべき事を探しているように見られた。
「すまなかった」
「は?」
しばらくサーシャが考え込んだ結果、出てきたのは謝罪の言葉。レイは意味がわからなかった。
「今は、これだけしか言えない。とにかく、すまなかった」
もう一度謝罪を繰り返すサーシャ。レイは意味が分からなくとも、サーシャの真摯な言葉に理由を聞こうとは思わなかった。
「まあ、いいよ。それよりバルドとジークを起こしてくれ。バルドにジークの治療と男の生死の確認をするよう言ってくれ」
「レイは大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないけど、命に直接関わってないから大丈夫だよ」
「わかった」
レイの言葉にサーシャはバルドを起こしに行く。やはり、バルドから先に起こすんだなとレイは笑ってしまった。
レイは笑いながら目を閉じる。
未だに激痛は体を駆け回っている。地面のごつごつした感覚も不愉快だ。
謎は多く残る。
リオネルの街から去ったはずなのに、王国騎士団と戦闘している。恐らく、魔族の男が戦ったのだろう。わざわざジークを苦しめたいがためにそこまでするのだろうか。
「……するんだろうな」
レイは呆れたように独りごちる。男の言動からして、むしろ、嬉々としてやったに違いない。リオネルの老人を殺さなかったのも気まぐれか何かだろう。
そして、男が沈黙した事もわからない。
ほぼ間違いなく、死んでいる。呼吸の動きも見られない。死んでしまった理由ははっきりとわからないが、レイは男の言葉を断片的に思いだしてきた。
記憶を読み取る事が出来るとか何とか言っていた。もしかしたら、何かしらの暴走に巻き込まれたのかもしれない。
しかし、今はそんな事より、誰も死んでいない事に感謝しよう。偶然でも奇跡でも、助かった事には変わりない。
レイは目を閉じながら考える。
この先、サーシャとジークはどうするのか。二人とも、レイとバルドに着いていく理由はなくなった。レイとしてはこのまま二人とも自分の目標のために利用したいと考えてはいるが、強要は出来ない。いや、ジークは何とかなるかもしれないが、サーシャは立場的にも、性格的にも無理だろう。
段々と遠のいていく意識。
思えば、四肢は使いものなっていない。
気を張り過ぎていたのかもしれない。考えるべき事はたくさんある。
しかし、どうしても、レイは眠気を払う事が出来なかった。
レイは目を覚ましたら考えればいいと思い、そのまま意識を手放した。
とりあえず、第一部的なものは終了です。
何が何だかわからないと思った方、それは作者の作戦通りです。そのまま読まれて頂けるとありがたいです。
第二部的なものは、予定では女の子が二人登場する事になっています。しかし、あくまで予定です。もしかしたら、一人になるかもしれません。
とにかく、ここまで読んでくださった読者の皆様には感謝を。
これからもよろしくお願いします。