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絶望の先(2)

残酷な描写、若干の性描写が含まれています。読む際は注意してください。

「ジーク、その布取れ」

 レイはジークに命令する。現段階でも紙とペンを持ってはいるが、どちらにしてもジークの顔に巻かれた布を取らない事にはどうしようもない。二度手間を惜しんで、レイはジークの顔に巻かれた布を取ってもらう事にした。

 ジークは無言で布を取る。そこにはいつも通りのジークの顔。整いすぎた中性的な顔。

「この男を知らないか?」

 レイは男に質問する。とにかく情報収集をしなければならない。意味はないかもしれないが、可能性を逃す事はしてはならない。

「知ってます」

 しかし、男は肯定の言葉を返す。

「本当なのか?」

 後ろで控えているサーシャが男に聞き返す。その気持ちは分かる。誰も期待をしていなかったのだ。そこで、知っている、という言葉。思わず聞き返しても不思議ではない。

「はい。それで一つ謝らないといけないんですが…」

「何だ?」

「さっき、嘘をついてしまって」

「嘘?」

 先程のやり取りに嘘が混じっていたのだろうか。レイは男の動向を観察していたが、そのような雰囲気は見られなかった。

「妻を待っているといいましたが」

 そこで男の持つ雰囲気が、少し変わる。

 レイはそれを感じ取る。不穏な、それこそ、人が持つべきではない何かの―――

「本当は貴方達を待っていました」

 男は笑う。歪に、楽しそうに。




 男が言い終えた瞬間、レイの目の前から男の姿が掻き消えた。

「っ!」

 レイはすぐに両手に刀を持つ。鞘は抜かれ、いつでも迎撃出来るように。

「皆!構えろ!」

 レイは辺りを注意深く見まわしながら、他の三人に忠告する。レイの視界に男の姿は入らない。

「こっちだよ」

「っ」

 後方からの声。レイ達は素早くそちら側に体を向ける。そこに立っているのは特徴のない男。

「いやぁ、待ってたよ。来るのが遅いってば」

 男はにやにやと笑いながら、ジークに話しかける。レイはバルドとサーシャを下がらせながら、男と対峙する。

「どういう意味だ」

 レイは男に問いかける。ジークを待っているという意味。それはどういう事なのか。ジークと目の前の男は繋がっているのか。

 レイはジークにも意識を向けながら男を見据える。

「そのまんまの意味だよ。そこのカッコイイ子を待ってたんだ」

「何故」

「そこの子は街を襲ってたでしょ?それに便乗してみたらその子はどうなるかなって思って」

 意味のわからない答え。ジークに便乗するとはどういう事か。

「お前がリオネルを襲ったのか?」

「そうだよ。僕は見ただけで真似ができるんだ。もちろん能力もね。その子はなかなかいい感じだったよ」

 聞いていない事まで答えてくれたが、リオネルの街を襲ったのはこの男らしい。他人の姿を見て、模倣 する能力。どこかでジークの姿を見て模倣した。

 だが、何のためにリオネルの人々を殺したのか。

「う~ん…暇潰し?」

「貴様!!」

 サーシャが男の答えに勢い込んで突っ込もうとする。しかし、バルドが慌てて引きとめる。まだ、会話が成立している。相手の能力がどれほどのものかはわからないが、少しでも情報が欲しい。最悪、逃走も考えている。

 レイはもう少し話を引き延ばす事にした。男の言った事に腹が煮えくり立っている事を隠しながら。

「暇潰しで殺したのか」

「殺した事は関係ないよ。その子がどういう感じで絶望するのか見てみたかっただけ」

 レイはジークを見やる。ジークも意味がわからないという風に眉を顰めていた。

「だってさ、自分がしてない事で捕まって、嫌われて、死刑にされたらどう思う?色々恨んじゃうよね。それこそ絶望するよ。無実だーって喚き散らしても、姿形はその子の格好してる訳だし。どうにもなんないよね。それを見てみたかったんだ。もう、最っ高だよね。想像しただけで興奮するもん」

 男はべらべらと狂った事を喋る。

 つまり、自分の欲求のために、何の関係もない人々を殺した事になる。ただ、自分が満たされたいがために。

 レイは自分の頭に血が昇るのを他人事のように感じていた。自分を客観視しないと、今すぐにでも男に飛びかかってしまいそうだった。

 恐らく、他の三人も似たような状況だろう。後ろにいるバルドとサーシャがどのような顔をしているかはわからないが、濃密な、それこそ殺意のようなものが伝わってくる。

 しかし、まだ。まだ、レイは話を聞く事にした。男の能力から、レイは男の正体を勘付いていた。

「お前、魔族か?」

「ん?そうだよ。よくわかったねって、そりゃわかるか」

 魔族。世界にごく少数しかいないとされる魔物の上級版。元は人間だったと言われ、魔の力を持つ事によって、魔物となる化物。

 魔物とは格段に優れた能力を持つ。そして、人間としての知恵も持つ。

 レイは今まで調べた文献の中にそういった記述がある事を思い出していた。それぞれが特殊能力を持つと言われているが、目の前の魔族は模倣する能力を持っているのだろう。


 レイは頭の中で計算し始める。

 無論、逃走する手段である。魔族程の大物が掛かるとは思っていなかった。いや、言うなら、魔族が存在している事すら伝説のようなものだと思っていた。

 レイ達が敵う相手ではない。いや、バルドの魔術ならどうにかなるかもしれないが、魔族の早さを鑑みるに、魔術を放つ前に殺される。

 勝率はほぼゼロ。逃走すると言っても、手段は殆どない。

「最近、暇だったんだよね。あの人に逆らうような人間は殆どいないし。人間をただ殺すだけってのもつまんないしさぁ。そこで、そのカッコイイ子だよ。あの人に逆らう気満々ってのは見ただけでわかったからさ。それを途中で、しかも無実の罪で頓挫させたらどんな顔するか。そう思ったら、いてもたってもいられなくなっちゃった」

 最悪、三人を囮にしてサーシャだけでも逃がす必要がある。今は、男からは何の殺意も感じない。不穏な気配を纏ってはいるが、それは魔族特有のものだろう。男が構える前に、動かなければならない。

「やっぱり人間は面白いね。そこまでたくさん殺すつもりはなかったけど、ついつい調子に乗って殺し過ぎちゃった」

 しかし、レイは動かない。動けない。

 隙だらけのように見えて、隙がない。

 他の三人も動けない。何も構えていない魔族の男の雰囲気に呑まれている。バルドも、怒り狂っていたサーシャも動かない。ジークは目を細めながら、男を見る。

 しかし、機会はここしかない。死ぬ事を恐れなければ、何とかなるかもしれない。レイは死ぬ覚悟は出来ていない。だが、死ぬつもりではある。

「ちょっと喋りすぎたかな」

 男は溜め息をつきながら、レイを見る。見透かしたように。見抜いたように。

 レイは自分の心拍が上昇するのを感じていた。

「さっきから、色々考えてるみたいだけど」

 男はまた笑う。無駄だというように。諦めろというように。

 レイは動く事に決めた。

「意味ないよ。皆、ここで死ぬんだから」

 レイは走る。男に向かって。死ぬつもりで。






 男は動かない。レイが明確な殺意を持って近付いていくも、立ったままである。

 レイは太刀を強く握る。倒せると思ってはいない。注意をこちらに向けてくれるだけでいい。恐らく、バルドはレイの意図をわかっている。斬り込んだ瞬間を狙って、サーシャを逃がしてくれるだろう。

レイは右手の太刀で、男に斬りかかる。

「逃げるぞ!」

 レイが太刀を振り上げた時、バルドの声が響いた。

 レイは男に斬りかかる。ミノタウロスの角を溶け込ませた太刀。レイの手に吸い付くように、その存在を示している。レイの全力を以て振るわれた斬撃は、今までのどの斬撃よりも早かった。

「っ!?」

 しかし、レイの一刀は空を切る。

 直撃の瞬間、男の姿が掻き消えた。レイは視認出来ていない。まさしく、煙のように消えていた。

「バルド殿!?」

 レイが焦って、辺りを見回していると、何かが倒れるような音がして、すぐにサーシャの悲鳴が聞こえた。

 レイはすぐに後ろを振り向く。そこにはうつ伏せに倒れたバルドと、その先に立つバルドの姿をした何か。

「逃がす訳ないじゃないか。皆、殺すんだから」

 これが、男の能力。何かを模倣する能力。

 レイは舌打ちをした。逃げる事も叶わなくなった。そして、男はバルドを模倣した。バルドを模倣されたのはまずい。レイを模倣していたのならば、逃げる方法はなくもなかった。しかし、バルドである。

「へぇ、すごいね、こいつ。魔力ならその辺の魔族にも引けを取ってないよ」

 男は、バルドを模倣した己の姿を見回しながら、感心したように呟きを漏らす。

「サーシャは逃げろ!ジーク、行くぞ!」

 レイの声に呼応して、ジークが男に肉薄する。レイの全力を遥かに上回る早さで、男に斬りかかる。斬撃の早さも、走る早さもレイとは段違いだった。

 しかし、ジークの渾身の一撃も、男の伸びた爪によって、いとも簡単に防がれた。男はバルドの能力を模倣していながら、自身の能力も失っていない。

「君も結構人間離れしてるよね」

 男はジークの剣を爪で挟みながら、話しかける。ジークは剣を引き抜こうと必死になっている。剣を手放すという選択肢はないようだった。

「…土よ!」

 ジークはゼロ距離で魔術を放つ。しかし、ジーク程度の魔術がバルドに通用するはずがない。

 男は詠唱もなく、足元の地面を硬化させた。ジークの土属性の魔術は不発に終わる。

「そうそう、魔術も大したものだよね。でもこの男のほうが凄いなぁ」

 男は飄々としている。本気でバルドに感心している。ジークに視線を向ける事もなく。

 ジークは魔術は効かないと悟ったのか、剣を引き抜く事に全力を費やす事にしたようだ。

 レイとしてはどうしてそこまで、剣に拘るのかわからなかったが、今は、そんな事を考えている場合ではない。ジークに遅れて続いて、男の左手に斬りかかる。

 男は受け止める事もなく、軽く後ろに跳んで、レイの剣を避ける。ジークの剣はその時に解放された。

「君は弱いね。止まって見える」

 レイは男の言葉は無視して、サーシャが逃げたかどうかを確認する。

 しかし、サーシャはバルドの傍から動いていなかった。全身を小刻みに震わせながら、バルドを見ている。自分が憧れてやまないバルドが、為す術もなく倒れた事に恐怖が再燃したのか、立ち尽くしていた。

「逃げろっ!!」

 レイはサーシャに向かって叫ぶ。しかし、サーシャには聞こえていない。動く気配はない。

「よそ見しちゃいけないよ」

 男の声がすぐ側で聞こえて、レイは慌てて振り返る。いつの間にか、ジークは倒れていた。血を流し、倒れている。剣と爪が弾きあう音は聞こえなかった。

 レイはバックステップしながら、剣を振るう。しかし、男は僅かに身を引くだけで避けた。

「大丈夫だよ。まだ誰も殺してないから。致命傷も外してある。もっともっと甚振ってから殺すから、安心して」

 レイは両手の太刀を駆使して、剣撃を放つ。


 側頭部に放った一撃は、頭を捻るだけでかわされた。

 胴を狙った一撃は、爪で簡単に防がれた。

 足を狙った一撃は、足を上げるだけでかわされた。


「ホント、弱い。君は全然面白くないなぁ」

 レイの全力の一撃達を男は涼しい顔をしてかわし、防ぎ続ける。

 レイは焦りながらも、時間を稼ぐ。男が余裕をかましている内にサーシャが立ち直ってくれればいいが、それはまず無理だろう。いや、例え立ち直ったとしても、男の早さでは逃げ切る事は不可能だ。ならば、バルドが目を覚ますまで、そこまで、稼げれば―――

「時間稼ぎとか考えてる?」

 男の何気ない一言。レイは心臓を鷲掴みにされたように感じた。男は場馴れしている。このような経験を何度もしているのだろう。何度も、誰かを絶望の奥底に叩き込んできたのだろう。

 男の目だけは笑っていない笑顔を見て、レイは決心する。

「ロ」

 レイが、自身が唯一使える魔術。いや、魔術と言うのもおこがましい、魔力の運用をしようとした時、男の蹴りが、レイの腹を叩きつけた。

「ぐっ」

 レイは苦悶の声を漏らしながら、数メートル吹き飛ばされる。立つことも叶わず、ごろごろと地面を転げまわる。

 バルドの怪力を上手く使いこなしているのだろう。全力でなくてもこれほどの威力が出る。

「げほっ…」

 レイは口腔内に血の味を感じながら、立ち上がる。恐らく、内臓を傷つけた。肋骨が折れた等の事はないだろうが、動きに支障は出る。

 ふらつく足に叱咤しながら、レイは男と対峙する。

「なかなか、粘るなぁ。弱者の努力って奴?諦めなかったら夢は叶うとか」

 レイは男の侮蔑を無視して、もう一度魔術を―――

「とりあえず倒れてて」

 気付いた時には地に倒れ伏していた。

 右足に激痛が走る。見やると足はあらぬ方向に折れまがっていた。

 レイは痛みより、自分が何をされたか気になっていた。何も見えていなかった。何もわからなかった。足を負傷している。魔術を使うにしてもこれでは意味がない。唯の自殺行為である。

 レイは歯を食いしばった。足を折られはしたが、まだ、立ち上がれる。時間を置けば、まだ行ける。魔術を使えなくなった事は痛いが、まだ諦めるつもりはない。あと少し、あと少しだけ、こちらに注意を向けてくれれば。

「さってと…後は、そこの女の子だけだけど…」

 レイの願望も虚しく、男はサーシャに意識を向ける。サーシャは地面に座り込んでいた。






 男は未だにサーシャの殺し方を悩んでいる。殺す事に快感を覚えている男は、絶望に染まった人間の顔を見る事が好きな男は、より効率的に苦しめる殺し方を考えている。レイとしては都合が良かった。サーシャに何かされる前に、自分が立ち上がるか、バルドかジークが目を覚ましてくれればいい。

 男はサーシャの顎を掴み、顔を近づけ思案している。

「ぐっちゃぐちゃに犯してから殺しても気持ちいいだろうし、両手足を引き潰してから殺しても面白いだろうし…」

 サーシャは動かない。動けない。動く気力もない。恐怖に体を支配されている。

 レイはこの状況を打破する方法を考えていた。例え立ちあがったとしても、今のレイ、いや、そもそもレイでは話にならない。何かの外的要因を望んでも、男の前ではそれにも意味はない。ベストはバルドが目を覚ますことだが、バルドはぴくりとも動かない。

 レイは自分の力のなさに歯噛みするが、そんなことにも意味はない。

「う~ん…どっちにしよう…」

 男はまだ悩む。バルドの姿をしておきながら、レイが今まで一度も見た事がない、下卑た笑みを浮かべながら迷う。

 レイはバルドの姿でそのような表情を浮かべる男に、存在ごと殺しつくしたい衝動が襲った。だが、怒りを腹に貯め込む。思考を冷静にしなければならない。怒りは我を忘れてしまう。

 サーシャはただ震えるのみである。自身が憧れた男に至近距離で見つめられながらも、あるのは恐怖と絶望。当然、そこに、憧憬はない。所詮は偽物。所詮はその程度。

「よし!決めた!」

 男は掴んでいたサーシャの顎を、まるで投げるように手放し立ち上がる。その顔は、バルドらしからぬ、子供の様に輝いていた。

 サーシャは地面に横たわる。

「犯してから殺そう!」

 そう言ってサーシャににじり寄った。





「じゃあ、まずは邪魔な鎧をっと…」

 動かないサーシャの目の前に立つ男は、サーシャの鎧を外そうとしていた。

 男がサーシャの鎧に触れた時、サーシャは体を僅かに捩ったが、それだけだった。

「ん~…外し方がわかんないな…」

 べたべたと、まるでサーシャの体を撫で回す様に、鎧に触れていた男だが、手間取っていた。

「まあ、いいや」

 男の爪が伸びる。サーシャの首元まで覆われている鎧に、爪の先を宛がい、下に引き下ろす。すると、まるで紙でも裂くように、抵抗なく鎧は切り裂かれた。

 サーシャの、アンダーウェアに包まれた体が露わになる。

 男はサーシャの肢体を舐めまわす様に見て、それこそ、人間らしい笑みを浮かべる。

「ふ~ん、いい身体してるね」

 男は爪の先でサーシャの体をなぞる。

 まずは、足の辺り。アンダーウェアに切れ込みが走る。

 サーシャの体に、まだ傷はつける気はないのか、男は優しくなぞっていく。優しく、慈しむように。

サーシャは体を丸めるような事もしない。地面に横たわり、光を失った瞳で、男を見るだけである。

 しかし、男の爪先が胸の辺りに来た時にサーシャの体が少し強張った。アンダーウェアは虚しく引き裂かれ、簡素な下着に包まれた胸が露わになったが、そこで、サーシャの体が反応する。胸を隠す様に腕を組む。いや、胸を隠すというよりは、違う物を守るようだった。

「ペンダントか…」

 バルドからもらったペンダント。銀に輝くペンダント。

 男の爪先はペンダントを弄ぶ。サーシャの腕の端からはみ出るペンダントの鎖を、爪で弄ぶ。

「や、めて…」

 サーシャは犯されるという意味を知らないのだろう。事ここに至って、自身の貞操より憧れた人物からもらった物を優先する。それとも、自身の貞操より、それの方が大切なのだろうか。

 しかし、それは逆効果である。男がそのような楽しげな事を見逃すはずがない。

 サーシャの言葉を聞いた男は、にんまりと、おもちゃを見つけたように嗤う。

「大切な物なんだ。わかったよ、それには手を出さない」

「本当…?」

「本当だって。だから腕をどかしてよ」

 サーシャは恐る恐る手を地面に着ける。

 サーシャが地面に手をつけた瞬間、男は爪でペンダントを引き千切る。

「あ…!」  

 サーシャが驚きの声を上げる。サーシャの思考能力は本当に低下している。少し考えれば嘘だとわかるような事も信じてしまう。

「大丈夫大丈夫。壊したりしないよ。ほら!」

 爪先でペンダントをくるくると回していた男だったが、それを彼方の方に投げ捨てる。

「取ってきなよ。大事な物なんでしょ?」

 サーシャは這うようにしてペンダントを拾いに向かう。

 男は、そんなサーシャの姿を見て、腹を抱えながら哄笑した。

「あははははははははは!面白いなぁ!」

 男はレイに背を向けている。レイは既に立ち上がる所まで回復していた。男がサーシャのペンダントを弄っていた時に、レイは立ちあがっていた。太刀を杖にして男に近付いていた。

 レイはなるべく音を立てないようにゆっくりと近づいていく。そこで、男の哄笑。男の声が響いている内に速度を速め、折れた右足は無視して、レイは小太刀で男に斬りかかった。

「気付いてるよ」

 しかし、男はまたも掻き消えた。レイは支えを失って、斬りかかった勢いのまま無様にも地面に倒れ込む。

 レイはまた舌打ちをした。チャンスと言えるモノだったが、気付かれていた。

「もう、僕がいい気分に浸ってるのに邪魔しないでよ」

 レイは男に向き直りながらも、立ち上がる事はしなかった。立ち上がる事が出来なかった。

男の足がレイの左太ももを踏みつけていたからだ。ぼきり、と骨が折れるような音がして、レイの左ももの骨は折られた。

「づぅ…」

 しかし、レイは男から視線を逸らさない。両足を折られ、立ち上がる事が出来なくとも、その目は諦めていない。最後の最後のその時まで、レイは諦める事はしない。諦める事ができない。

「まだまだ、抵抗するってかんじだねぇ…あの子を犯す所を見てもらおうと思ったけど、君から先に殺すかな」

 男はしゃがみこみ、レイと目線を合わせる。その時にレイの右手を掴んでいた。あまりの強さに、レイは剣を手放す。

「だけど、すぐには殺さないよ。くくっ、君の悲鳴を聞いてから殺してあげる」




 男はレイの右手を掴むと、指に手を掛けた。

「引き潰しても面白いけど、ここまで折ったんだから、ね」

 まずは、人差し指。

 レイは強く拳を握っていたけれど、怪力の前で、無理矢理、指を掴まれていた。この後の男の行動は、レイには簡単に予想できた。まず、間違いなく、指を折っていくのだろう。

 レイは声を漏らす事はしないよう心がけた。そのような事をしてしまえば、男を喜ばせるだけである。ゆっくりと、じわじわと男はレイの人差し指を手の甲側に曲げていく。痛みを出来るだけ引きのばす様に、じっくりと。

 人差し指は可動領域まで来た。男はそこで一端、手を止める。

「頼んだら、やめてあげてもいいけど?」

 ふざけた事を。

「うっせぇよ」

 当然、レイは男の申し出を一蹴する。何を言っても折るつもりのくせに、そのような提案に乗るほど、レイは軽くない。

 レイは薄く笑う。やるなら早くやれ、と。

「見上げた根性だね。じゃ、お望み通りに」

 また、ゆっくりと曲げていく。骨が軋み、悲鳴を上げる。しかし、レイはうすら笑いをやめない。声をあげるつもりもない。

 遂に人差し指がレイの手の甲にひっついた。有り得ない方向に曲がった指には目もくれず、レイは男を睨み続ける。レイの右手は力が入らずに、拳は開かれていた。

「声も上げないかぁ…さっきは面白くないとか言ってごめんね。君はなかなか面白いよ。君の悲鳴を想像しただけで、やばい。君が泣いて命乞いする姿を想像するだけで、笑えてくる。もっともっと足掻いて見せてよ」

 男は、また嗤う。




 親指、中指、薬指と折られていく。全て同じように、可動領域の限界にきたら、レイに提案する。頼めばやめる、と。

 しかし、レイは口を開かない。歯を強く噛み、声を漏らさないよう足掻く。

 もう口を開くつもりはない。口を開けば、苦悶の声が漏れるとわかっていたから。そんな失態は起こさない。最後まで、男の期待に添うつもりはない。

 既にレイの顔は脂汗で濡れていた。それを踏まえて考えると、レイが声を漏らす事を耐えている事は丸わかりなのだが、レイは抵抗をやめない。

 男が小指に手を掛ける。今度は曲げる前に、レイの爪に指を掛ける。

「しぶとい。君はしぶといよ。我慢しないで泣き叫べばいいのにさぁ」

 そう言って、レイの爪を剥がし始める。これもゆっくりと。じわじわと。じっくりと。

 レイは流石に顔を歪ませた。小指の爪を剥がされているのだ。痛みに強いレイと言っても、そのような拷問じみた真似に経験はない。

 いや、そもそも今現在、拷問をされてはいるが、レイにとって爪を剥がされるというのは、初体験だった。

「いい顔になってきたね。最初からこうしてればよかった」

 男はレイの爪を剥がし終える。血が付着したそれをレイの眼前に持ってきて、笑う。

「あ~あ…剥がれちゃった。頼めばやめてあげたのに」

 レイは男の顔に唾を吐き掛けたかった。

 しかし、口を開く事はしない。既に、レイの歯の何本かは歪み、折れているだろう。それでも、男の思い通りになるつもりはない。

 男はレイの小指を掴み、曲げていく。爪を剥がしたというのに、まだ、拷問じみた真似をやめるつもりはなさそうだった。

 曲げられていく。折られていく。レイの意思も折ろうとする。

 右手の小指は折られてしまった。これで、レイの右手の指は全て折られてしまった。

「全部折れちゃったね。君ほど我慢強い人間は初めてだよ」

 男は、レイの顔を覗きこむ。

 レイの目の前には見慣れたバルドの顔。その顔を見ながら、レイは呼吸を整える。鼻で小刻みに息をしながら、痛みを抑えていく。

 男は立ち上がる。恐らく、レイに悲鳴を上げさせる方法を考えているのだろう。顎を触りながら、考えている。



 レイはバルドの癖まで模倣している男が憎らしかった。



 バルド。レイが最も信頼する相棒。その姿をした男に、拷問を喰らう。それは身体的な痛みを凌駕するほど、心が痛かった。

 もう、無理なのかもしれない。

 レイは諦めの気持ちを抱き始めていた。痛みに錯乱したか、バルドに拷問を受けたような気持ちになっていた。

 どこまでも信頼している相棒の姿、声。口調までは模倣していないが、それだけでも心が折れてしまいそうだった。そんな事はない、と頭ではわかっていても、心が痛む。心が痛んでしまう。

 最後まで諦めない、諦められないレイでも、バルドの姿では辛かった。他の誰に何をされても揺らがないレイの意思。

 しかし、それもバルドの前では塵芥に等しかった。レイを救ってくれた男。レイを唯一尊敬してくれる男。レイが唯一信頼し、尊敬している男。

 バルドになら殺されてもいいと思っていた。本気で。レイはそれ程バルドに心を開いている。

ならば、バルドの姿をしたナニカに殺されてもいいのかもしれない。







 レイは、倒れている、本物のバルドを見やる。

 起きる気配はない。何をされたのかわからないが、まだ死んではいない。体が僅かに上下している。息を、している。生きて、いる。

 レイはそんなバルドの姿を見て、安堵した。自身はここまで痛めつけられ、屈辱を受けているのに、そんな事が嬉しかった。それこそ泣きそうになるほど。

 レイは潤んだ瞳を左腕で拭う。

 これではサーシャの事を笑えない。自分もバルド大好きっ子である。


 そう。そうだ。アレはバルドではない。バルドのはずがない。

 そこでのびている、素敵にハゲあがった頭部を持つ男こそバルドである。

 自身を痛めつけたのはバルドではなく、魔族。バルドの姿を模倣した、魔族。よく見てみると、その頭部の輝きもくすんで見える。バルドの頭部はもっと、未来を照らす様に輝いている。

 散々バカにしてきたハゲだけど、その頭は、まさしくバルドの証だ。


 レイはジークとサーシャも見る。

 ジークは血を流して倒れているが、出血量は大したことはない。まだ、生きている。ジークが生きている事にもレイは安心していた。まだ若い。ここで死んでしまっては、少し可哀相だ。根はいい奴なのだ。根暗を度外視しても、そう言える。

 サーシャはペンダントまでたどり着いていた。大事そうに両手で何かを握りしめている。やはり、自分の貞操よりもバルドからのプレゼントの方が大切なのだろう。

 そんな姿を見て、レイは場違いながらも笑ってしまった。




「何笑ってるの?」




 男がレイの漏らした笑いに反応する。それもそうだろう。この状況で笑える人間はそういない。

 レイはすぐに笑いを引っ込める。この素晴らしき仲間達を死なせるのは忍びない。レイが彼等に利用価値があるかどうかの前に、死んでほしくなかった。生きて、幸せになってほしかった。

 レイの頭には何の妙案も浮かんでいない。状況は絶望的。

 まともに動ける人間はサーシャしかいない。そのサーシャも使いものにならない。ここまで、逼迫した状況は久しぶりだった。


 レイがバルドと出会ってからは、やばいと思ったらすぐに引いて、体勢を整えてから、向かい合う事が多かった。

 いや、そもそも、命の危機的状況になる事自体が少なかった。やばいと思う事は多々あったが、これ程のものはなかった。

 バルドの規格外の力があれば、大抵の事は些末事のように思えていたのだ。




 思えば、レイはバルドと出会ってから腑抜けていたのかもしれない。いつかの誓いを忘れたわけではないが、気の合う相棒と知り合って、どこか気を抜いていたのかもしれない。

 サーシャという面白い女に出会い、ジークという強力な仲間を手に入れた事に薄れていたのかもしれない。

 バルドの頼もしさも、サーシャの優しさも、ジークの魔神への恨みもレイにとってどこか心地よかった。

 本当に、心から。心から笑えていたのかもしれない。心から幸せだと思っていたのかもしれない。人間らしくなっていたのかもしれない。

 しかし、自身がそのように感じていい人間ではない事を、そういう気持ちを忘れてはいけない。

 自分の欲望のために、多くの人間を手に掛けた。多くの罪を犯してきた。どこかで誓いは変遷し、願いへと変わり、行動の多くを自身が望んだものとは違うものにしていた。


 後悔しているのだろう。

 後悔する人間を誰よりも嫌っているレイは、当たり前のように自分自身も嫌っていた。だから、そういう人間になろうとしていた。

 噂。レイの悪評。それはレイ自身が望んでいたものだった。カスのように生きて、クズのように足掻いて、ゴミの様に死ぬ。そう望んでいた。宝石を手放してしまった自分はそういう生き方をするしかなかった。

 罪滅ぼしのために、動いていた事は否めない。

 守るべきものを守る事が出来なかった事を挿げ替えて、違うもので楽になろうとしていたのかもしれない。

 それ以前に、レイという人間の原初の出来事が―――


「ねえ、聞いてる?」

 レイはそこで意識が戻った。あまりの痛みに夢現になっていたのだろう。

 しかし、痛みは先程より引いている。レイという人間の線引きも出来ている。あちらの世界に属してはいけない。いつかの誓いを忘れてしまいそうになるから。

「聞いてるよ。で、もう終わりか?その程度で俺を絶望させる事が出来ると思ってんのか?」

 口を開いても、悲鳴は漏れない。もう覚悟は出来た。

 未だに、レイはこの状況を打破する方法は思い付いていない。だけど、諦めない。諦められない。

 諦めたら、あいつらが死んでしまう。死んでしまう。殺されてしまう。

 そんな事はあってはいけない。死ぬなら自分だけでいい。







「強気だね。ぞくぞくしてきた。もう最高だ!君は最高だよ!」

 男はぶるっと体を震わせ、空を仰ぐ。天に向かい叫びを上げる。悦びを全身で表す。両手を広げ、祝福するように、呪うように。

「知ってる?骨ってさ、折るより、砕いた方が痛いんだよね。治りも遅いし。ま、治る事は気にしなくていいよ。どうせ死ぬんだし」

 男はレイの左腕を踏みつける。これもゆっくりと圧力を掛けていく。

 骨が軋む。先程、指を折られた時の軋み方とは違う。あれはそれでも関節の軋みだけだった。人体として有り得ない方向に曲がりながらも、許容できるモノではあった。

 しかし、今回は違う。人体として有り得ない、許容も出来ない事をされている。

砕く。折るのではなく、砕く。踏みつぶす。

 レイはまた奥歯を噛み締める。

 今度こそは悲鳴を漏らしてしまうかもしれない。それでも、足掻く。それでも、抵抗する。もう諦めない。諦めたくない。

 レイ自身は気付いていないが、希望の様にその思いを想った事は初めてだった。


 しかし、そのようなレイの想いも意味はない。主導権は未だに男が握っている。

 レイの左腕に圧力を掛け続けている。折らないように。折ってしまわないように。レイは手慣れた感じを受けていた。このような行為も初めてではないのだろう。何度も繰り返してきた事を思わせる。



 遂に男の足が接地した。聞きたくない音を無理矢理聞かされ、レイの左腕はへこんでいた。

「―――――!」

 レイは悲鳴を漏らしてしまった。

 奥歯を最後まで噛み締めていたが、ガリっとした感触と共に、我慢は限界を超えた。指を全て折られた右手でへこんだ左腕に手を添える。それで、痛みが引くわけでもないが、無意識の内の行動だった。

涙が滲み、意味のない叫びを上げる。

 レイは無様に転げまわるような事はしなかったが、それでも、体を丸め、痛みに耐える。

 そんなレイの様子を見て、男は感動する。

「あああああ!最高だ!遂に!遂に、君に悲鳴を上げさせた!いい声だ!泣きたくなるほどいい声だよ!あははははははははは!」

 男の声などレイには聞こえていない。ただ、痛みに耐えて、耐え抜くだけ。少しでも痛みを分散させようと、レイは未だに叫び声を上げる。

「あははははははははははははは!」

 男は未だに笑う。






 レイの叫びは終わる。レイはぴくりとも動かない。

「あははははは……あれ?もしかして気絶しちゃった?」

 動かないレイを不思議に思ったのか、男はレイに近付いていく。その姿はまさしく強者と弱者の図。奇しくも、レイは地面に頭を擦りつける様にして、丸まっていた。まるで、許しを請うように。慈悲を請うように。

 男はレイの前に立つ。レイの頭を踏みつけ、言う。

「本当に気絶しちゃったのかな…」

 レイの頭を踏みにじるようにしても、レイは何の反応も示さない。何度も踏みつけ、何度も人間としての尊厳を汚しても、レイは動かない。

「何だ、つまんないなぁ…もっと足掻いて欲しかったのに」

 男はレイの髪の毛を掴み、顔を上げさせる。

 どのような顔で気絶しているか気になったのだろう。あれほどの悲鳴を上げていたレイだ。それこそ、絶望に染まった顔で気絶しているに違いないと男は断じたようだ。

 無理矢理上げさせられたレイの顔は、

「……やっぱり、君は面白いよ」

笑っていた。








 レイは口を歪め、目を細め笑う。そこには弱者の風貌は見られない。楽しくて仕方がないといった風に笑っている。

「いいねぇ。そこまで気が強いなら、廃人にはならないよね」

 男はレイに話しかけるも、レイは何の反応も示さない。

 依然、笑ったままである。


「く、くくっ」


 しかし、レイは小さく笑いをこぼした。男の言っている事に笑ったわけではない。意図して漏らした笑いではない。抑えきれずにもれてしまったものだ。

「この状況で笑う、か。なら、もう最終手段しかないかな」

 レイに男の言葉は届いていない。

「僕はね、真似る能力を持っているんだけど、それだけじゃないんだよね」

「くくくく」

「対象に触れれば、その対象の記憶も読み取る事が出来るんだ。つまり、名実ともにそのモノ自体に成り切る事も出来る」

「ははははははは」

 レイの狂った思想が顔を現し始める。レイの意思とは関係なく、表層意識に侵入する。

 それはレイの脳髄を犯し、感情を爆発させる。

「君の最も見られたくない記憶を見て、心を暴く事も出来る」

「ははははっははっはっはっはははははははは」

 狂ったように笑い声を上げ続けるレイ。

 レイが意識して深層の深層に押しこめていたモノが溢れ出す。

 少し気持ちが悪くて、とても気持ちの良い、それ。

 形はなく、形がない故に、そこにある。そこにあるが故に、形を持ち始める。

 レイが、レイだけが辿り着いた、一つの終着点。他の誰にも辿り着く事の出来ないゴール。

 内面に巣食う、レイを救う悪魔。死を囁き続ける死神。形容するとすればそういったモノになる。

勘違いをしてはいけないのが、これは外的要因の為せるものではない。内的要因が為せるものである。

外的要因が直接的に関わってくるが、原因は内的要因である。

 内的要因。内面。心の内。

 意志が強すぎたせいで、ここまで来てしまった、終わり。

 自身が弱すぎたせいで、ここまで来てしまった、終わり。

「あははっははははははははははひひあはひひあひあはいひひひひっひっひひひひひ」

「さあ、最っ高の絶望を期待しているよ!」

 レイを無視して男は期待をする。その先に待つ何かを。絶望と呼ばれる何か。

 男はレイの顔を掴む。自身の意識を霊体化する。男はレイの心に侵入した。






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