堅物ガール(4)
サーシャは自分の思考が止まっているのに気付かなかった。
あの男が剣を弾かれた瞬間、もう駄目だ、と思った。しかし、あの男はそこから一瞬で決めた。剣を踏み、腕を折り、顔を殴って、昏倒させた。そのあまりの展開に思考がストップしてしまったのだ。
だからレイがサーシャ達の方に向かってくるのに気付かなかった。
「バルド。サーシャが終わったら、あの少年もやってやれ。たぶん顎もやっちゃった」
レイはそう言いながらサーシャの横にどっかりと座る。レイの体は満身創痍。座った際に、レイの血がサーシャの顔にかかった。そこでサーシャはようやく復活した。
「どうして…!」
「そのどうしてはどういう意味?少年を治療すること?それとも俺が少年に勝てたこと?」
両方とも聞きたいが今は。
「後者だっ」
「それはねぇ…」
レイはもったいぶったように言葉を濁す。その顔は非常ににやけていた。その態度にサーシャは苛立つより先に、答えを知りたいと思った。
「サーシャちゃんが必要ないって言った情報の力だよ」
言葉で言うのは簡単。しかしそれだけで納得できるものでもない。
「しかし、情報だけでは…!」
「ノンノン。情報は馬鹿に出来ないよ。俺は少年の戦い方を影から見てたし、少年がサーシャを殺さなかったことから、経験の足りない甘ちゃんだと思った。流石にサーシャが一発もらった時はひやっとしたけど」
見ただけでそこまでわかるものなのだろうか。
「だがっ、あの男は罪のない民を殺した!」
そして、王国騎士団員百名も。そんな男が経験の足りない甘ちゃんといえるのか。
「ん~、それはな…。いや待った。やっぱまだ言えない。直接聞いた方が確実だし」
「何を言って―――」
「それより、バルド。てめぇ、俺が助けを求めた時、少しも躊躇わずに断ったな」
サーシャの言葉を遮って、バルドに抗議するレイ。
「よく言うよ。あれも計算だったくせに」
「それにしても理解よすぎだっつーの。お前が援護に加われば、もっと楽に勝てたわ」
「俺達は手を引くって言ったしな」
「ちっ」
レイは舌打ちをして押し黙る。サーシャは話題の転換と内容についていけずに口を開くことができなかった。
「なあ、レイ。お前、サーシャとそこの少年を最初から戦わせるつもりだったな」
「…やっぱり、わかるか」
レイは苦笑する。サーシャは急に自分が話題に上がって、そして内容にも驚いた。
この男は最初から戦わせるつもりだった?
「どういう意味だ」
サーシャは怒りが湧きあがってくるのを感じた。
「もしかして、あの時もわざと負けたのか?私と男を戦わせるために、手を抜いていたというのか!?」
サーシャは自分の感情を抑えることが出来なかった。
そのためにわざと自分を煽り、そのためにわざと負けたのか。そうだとしたら酷い侮辱だ。
そして、何故そんなことをしたのか。
「何のために…、そんなことをした!」
展開の早さに、もう本当に何が何だかわからなかった。
「別にわざと負けたわけじゃねぇよ。あれはガチで負けた」
「じゃあ、何のために!」
「何のためって、言われてもなぁ」
レイは困ったように肩をすくめた。サーシャは泣きたくなった。
何の意味もなく、あんなことをやらされたのか。何の意味もなく死に直面させられたのか。もしかして、意趣返しのつもりなのだろうか。あんなに酷い態度をとったから、その仕返しに、自分の無様な姿を晒させ、それを見て嘲笑うつもりだったのか。
サーシャはこの男を少しでも心配した自分が恥ずかしかった。
「サーシャ。レイはな、サーシャのために戦わせたんだ」
バルドは深刻そうな口調で言う。そんなバルドの言葉にサーシャは息を呑んだ。
「私の、ため…?」
「何でお前は俺のことがそんなにわかるかね」
「相棒だからな」
「ど、どういう意味だ!」
自分のためとは。全く分からない
「お前さ、王国騎士団を引き連れて行った時、件の男とびびって戦えなかったんだろ」
疑問ではなく断定。
「っ!ど、どうしてそれを!」
何故それをこの男は知っているのか。
「少し考えればわかる。王国騎士団長、サーシャ=コールってのは認めてるからな、俺。そんな奴が、王国騎士団百人を犠牲にして、傷一つ負わせられなかった」
認めている。その言葉をサーシャは信じる気にはならなかった。
「それだけでもおかしいとは思ってた。そんで、お前から直接戦ってないって聞いて確信した。怖くて戦えなかったんだなって」
「そんなことはない!私は怖くなんか…、怖く、なんか…」
「さっき、どうしてって言ったじゃん。いい加減認めろよ」
レイはへらへら笑っている。しかし、その目は笑っていない。その目にサーシャはたじろいだ。この男はこんな目をするのか。
「…ああ、そうだ。私は、怖くて戦えなかった!団員が次々と死んでいく中、ただ震えて見ていることしかできなかった!」
震えて、恐れて、ただ見ていたから、指示が遅れた。そして、多くの犠牲を出した。
「貴様の言った通りだ!私はただの臆病者だ!笑いたければ、笑えばいい!馬鹿にしたければ馬鹿にしろ!」
気付けば、立ちあがって怒鳴っていた。脇腹は痛まない。肩で息をして、レイに怒鳴りつけていた。
「笑わねぇし、馬鹿にもしねぇよ」
「…え」
レイは笑ってはいなかった。
「目の前で人がどんどん死んで行くんだ。それを怖がるのは人として当たり前だろ。ましてや、それが見知った人間なら尚更だ。それにサーシャはまだ若い。圧倒的に経験が足りてねぇんだよ。魔物の襲撃でも犠牲はでるだろうが、目の前で人が次々と死んでいくなんて見たことねぇだろ」
確かにそうだった。数字としてたくさんの人の死を見てきたが、現実にここまで人が死んだのを見たことはなかった。それに件の男は、笑いながら―――
「臆病なのは何も悪くねぇよ。俺が腹立ったのは、それを克服しようとせずに、後悔しただけで、他人任せにしようとしたことだ。これから先、それくらいのことは絶対にまた起きる。その時も同じことを繰り返すのか?」
「そ、それは…」
「王国騎士団長っていう立場で、責任があるんだ。サーシャには、俺にはわからない苦労や悩みがあるのもわかってる。けど、こんなとこで折れたら駄目だ。民と騎士団員を守るんだ」
「…」
「確かに荒いやり方だと思ってるよ。もしかしたら死んでたかもしれねぇんだ。でも、悪いとも思ってないし、謝るつもりもない」
「…」
「出来れば誰も死んでほしくない。俺は目的があって王国騎士団には入らないから、サーシャには強くなってもらわなきゃ困るんだよ。恐怖を克服しろ。負けても立ち上がれ。最後の最後まで諦めるな。それくらいの強さがなきゃやってけねぇよ」
レイはそこまで言って口を閉じる。
「そんなことのために…」
サーシャは改めてレイの全身を見る。
そんなことのために、この男はここまで傷ついたのか。最後まで諦めない姿勢を見せるために、ここまでやったのか。
「そんなことのために、そこまで…?」
「ん?これか?別に致命傷は一発ももらってないから大丈夫だ。血は結構流れてるけど。てか、バルド!早く少年をやって、俺を治療しろ!相棒が死んじゃうぞ!」
「それだけ元気なら大丈夫だろ。それにサーシャもまだ終わってない」
「じゃあ、早くやれや!」
レイはそう言って、横になる。
「はいはい。サーシャ、こっち座れ」
バルドはそう言って、自信の目の前を指さす。サーシャは無言で従った。サーシャの治療を再開するバルド。
「俺の言った通りだろ?アホで、ふざけてて、口は悪いけど、頼りになる奴だ」
サーシャは言葉を返すことが出来なかった。今、口を開いたら―――
「聞こえてんぞ、バルド!もっとカッコいいこと言えよ!」
レイは起き上がる。
今になって気付いた。この男は自分と戦った時も、男と戦った後も、少しも息を切らしていない。
「最高の褒め言葉じゃねぇか」
「どこがだよ!死ね!」
もう普段通りの二人だった。二人してぎゃあぎゃあ言いあう。
「あ、そう言えば」
「なんだ?」
「助けてやったんだからお礼言えよ」
「何でだよ。計算のうちだろ」
「うっせぇ!ここまでぼろぼろになったんだ!感謝の一つぐらい寄越せ!」
「ったく、わかったよ。ありがとな、レイ」
「お、おう。それでいい」
「何で照れてるんだ」
「いや、そこまでマジで言われると思わなかったから。てっきり、ありぐゎとぅごずゎうぃむぁしたぁ、レイすわ~ん、みたいな感じだと思った」
「お前じゃあるまいし…」
「サーシャには謝ってもらうか。あんだけ、下衆下衆言われたんだ。僕のガラスはーとは傷ついちゃったよ」
レイはにやつきながらサーシャに顔を向ける。そこには、サーシャがいつも通り突っかかってくるのを期待した顔だった。
「サーシャ、こんな奴に謝る必要ないぞ」
「てめぇは黙ってろ!
泣きながら、ごめんなさ~い、って言えば寛大な僕は許しちゃうよ?」
「…ん……い」
もう、無理だった。
「え?」
「…めん…さい…!」
サーシャは溢れる涙を抑えることが出来なかった。
「え?ちょ、ちょっとサーシャさん?」
この男が自分を気遣って、いつも通り振舞っているのはすぐに気付いた。バルドと目があった時に、頷かれたのを見て確信した。自分が表面だけを見て何も理解していないことに気付いてしまった。
「ごめん、なさい…!」
この男、いや、レイはすごい。自分とは違う。自分はレイに敵わない。
「お、おぉ!?バ、バルドさん!泣いちゃったんですけど!」
「お前が泣いて、謝れって言ったんだろ」
「俺か!?俺のせいなのか!?あれは冗談だっての!場の空気を和ませるためにだな…!」
「う、うああああぁぁぁぁぁ!」
サーシャは声を出して泣いてしまった。子供みたいに。
自分は弱い。才能はあるかもしれない。だけどまだまだ弱い。立ち直る勇気もなく、それを見越され、助けてもらった。
そのことが、たまらなく悔しくて。
レイのことを馬鹿にしていた自分が、たまらなく不甲斐なくて。
「い、いやぁぁ!悪かった!俺が悪かった!だから泣かないで!お願い!」
「うっ、うぅ、ひっく…ううぅぅ…わああぁぁぁん…!」
レイが謝る必要はない。悪いのは自分なのだから。
「無理!バルド、頼んだ!」
レイは匙を投げる。
「お、俺にどうしろと!?」
「頭でも撫でて、あやせ!」
「何で!」
「いいから!」
バルドはレイに言われ、サーシャの頭を撫でる。サーシャはそれを心地いいと感じた。心地いいと感じたサーシャは自己嫌悪した。
酷く泣いて。
このような状態で心地いいと感じてしまう自分がみっともなくて。
「わああぁぁん!ぅぅ…うああぁぁぁ…!」
「お、おい!泣きやまないぞ!」
「知るか!てめぇの撫で方に問題あるんだよ!」
二人はまた言い争う。サーシャを無視して。サーシャは泣きながら考えた。
自分はもっと強くならねばならない。レイの言った通り、折れず、曲がらず、最後まで諦めないくらいの強さに。自分一人では恐らく無理だろう。だが、レイ、いや、この二人と一緒なら―――
サーシャはこの依頼を通して、自分が如何に弱いか思い知った。
レイは、強い。バルドも、強い。自分とは比べ物にならないくらいに。
ならばこの二人についていけば、自分はもっと強くなれる。
日は、もう完全に沈んでいた。暗闇が辺りを支配する。しかし、夜空には満天の星空。雲一つない。風は優しく吹き、サーシャの頬を撫でる。星空の下には言い争う二人と、大泣きしているサーシャ。サーシャは星空を見て決意した。