堅物ガール(3)
長くなったので二つに分けます。
「…!」
突如現れたレイに、男が警戒心あらわにする。
「おっと、サーシャを殺すなよ。そこの二人には手出しさせないからさ」
レイは男が魔術詠唱をするのを見越して、先に釘を刺しておく。そしてサーシャとバルドに顔を向けた。
「さてさて、お二人さん。見させてもらいましたよ。なかなかに興味深いもので」
レイはチェシャ猫のように笑いながら、バルドとサーシャに話しかける。サーシャはその表情に愉悦の感情しかないように感じられた。
「な、ぜ…」
サーシャはもっともな疑問を口にする。
確かにこの男は帰ったはずだ。自分が負かせて、帰らせた。ここにいるはずはないのに、ここにいる。
サーシャは気に食わないレイの笑いに、怒りを覚えるより先に、まず疑問の感情が口をついて出た。
「喋らない方がいいぜ。たぶん肋骨折れてるから。血は吐いてないから、肺には刺さってないだろうけど、なるべく動かない方がいい。バルド、治療してやれ」
そして、何故、自分を気遣うようなことを言うのか。あれほど邪険に扱い、酷い言葉を投げかけた。それなのに、あの男は―――。
バルドがすぐさまサーシャの横に腰をおろし、魔術による治療を開始する。それを見て、レイは満足そうに頷き、男に顔を向け直した。
「ん?よく見るとかなり若いな。お前、年は?」
「…二十二」
男は律儀にも答える。
「若っ!まだガキじゃねぇか」
「…ガキじゃ、ない…」
男は嫌そうに顔を歪める。
「ガキガキ。二十二なんてまだ少年だよ、少年」
「…」
「あ、怒った?でも事実じゃん。そんなことで怒るからガキって言われるんだよ、少年」
レイは男に軽口をたたく。少しも恐れを見せず、普段と変わらない様子で。
「バ、バルド殿…。あの男は、何故?」
サーシャは横で治療するバルドに問いかける。先程の疑問にレイは答えなかったので、バルドに聞くしかなかった。
「喋るな。たいした怪我じゃないから、心配するほどでもないが、治りが遅くなる」
「し、しかし…」
サーシャは気になって仕方がなかった。それこそ、脇腹の痛みより。
何故、ここにいるのか。何故、全く恐れる様子もなく、男と対峙しているのか。何故、自分達を助けるような真似をするのか。
バルドは治療の手を休め、呆れたようにサーシャに言う。
「ふぅ。簡単な話だ。王国都市に帰らずに、俺達の後を尾けてきた。それだけの話だ」
そんなこともわからないのか、と言った風ではなく、喋るなと言われても喋るサーシャに呆れた様子だった。
「そ、そんなことはわかっている。だから…うぅ!」
当たり前のことを言われて、勢いこんで反論しようとしたのがいけなかったのだろう。サーシャは脇腹を押えながら、苦痛に顔を歪ませる。
「ほら、もう喋るな。喋ると痛むだろ。それに、今は理由なんて関係ない。とにかくレイが勝たないと、あの男を逃がしてしまう」
確かにそれはそうだけれど。
バルドはレイがここにいる理由を答える気はなさそうだった。
「では、バルド殿…。あの男は、ぅ、か、勝てるのか?」
バルドがレイが居る理由を答えてくれないのなら、この質問をするしかなくなる。
「さあ?でも、大丈夫だろ。黙って見てろ」
そう言って治療を再開するバルド。もう、何の質問も答えてくれそうになかった。
「てか、影から見てたけどさ。お前、マジで剣も魔術も凄いんだな」
レイは未だに男に話しかけることをやめていなかった。その光景を見て、サーシャは不安を覚えずにいられなかった。
自分とバルドの二人でも、大した傷を負わせることができなかったのだ。それなのに、自分より弱いはずのあの男が本当に勝てるのだろうか。バルドの腰巾着とまで言われる男である。バルドの援護無しでは数秒と掛からずにのされてしまうのではないだろうか。
「羨ましいね、その才能。俺には無いものだ」
レイはまだ喋りかける。男が既に剣を構えているというのにも関わらず。
「その才能の半分、いや、三分の一、いや、四分の…、五分の一でもあればなぁ…」
レイは心底羨ましそうに言う。サーシャはそんなレイの様子に不安とはまた違った何かが溢れてくるの感じた。それが何なのかはわからない。喉元まで出かかってはいるが、どうしても理解することが出来なかった。しかし、サーシャには気付いたことが一つある。
この男は、後悔している?
「馬鹿な話はここまでにしておきますか。そっちはやる気満々みたいだし」
そう言ってようやく、鞘ごと剣を振り、刀を抜く。鞘は放物線を描いて、空を飛ぶ。
鞘が地面に落ちる瞬間レイが男に肉薄する。そのスピードは確かに速かったが、抜きん出たものではなかった。
「!…土よ!」
男は鞘を目で追っていたのだろう。レイの切り替えの速さに反応が遅れていた。
レイはだいぶ距離を詰めていた。しかし、それでも魔術を使われる程度の距離しか詰めることができなかった。
男が詠唱すると、レイは横っ跳びに転がる。次の瞬間レイがそのまま直進していたであろう場所に棘が三つ隆起していた。
「っぶね!少年!お前、棘は一つだけじゃないのかよ!」
レイは悪態をつきながら、素早く体勢を整え突進を再開する。その外套の裾は土の棘により裂かれていた。
「…水よ!」
レイが突進を再開するのと同時に魔術の詠唱をする。水の刃が三つ表れて、サーシャの時と同じように前方、左右から襲いかかる。レイはぎりぎりまで水の刃を引きよせる。全ての刃が交錯する瞬間、レイは体を捻りながら前に跳ぶ。前方の刃が縦方向に来たのを見て、そのように回避することを選んだようだった。なんとか刃の檻から脱出する。
「あいた!ちょっと脇腹斬られた!」
レイの言う通りに左脇腹の辺りの外套は裂かれていた。サーシャはその部分から血が滲んでいるのが見えた。
しかし、魔術を使わせる余裕はないくらいに距離は詰めた。そのまま突進の勢いを止めずに、右手の太刀で、上段からの一閃。その勢いの乗った一撃を、男は両手で握った剣で難なく防ぐ。レイはすぐに左手の小太刀で男の腕を斬り裂こうとする。しかし、それも男はバックステップで回避する。レイは左手を首に巻くようにして、そのまま右足で強く踏み込んだ。その踏み込みに呼応して、下ろしていた太刀での逆袈裟。それも男は剣で防ぐ。男が剣で防いだのを確認して、レイは肩の位置に置かれていた小太刀を振り下ろす。しかし、それまでもが剣で防がれた。
「マジ?」
それで仕留めることが出来ると思っていたのだろう。または、仕留めることが出来なくても、まさかあの状態から防がれるとは思っていなかったのか。レイは情けない呟きをこぼした。
レイの呟きを合図に攻守が逆転する。まるで、先程のサーシャの戦いの焼き直しのように。
男はレイの左手を押し返し、上段から剣を振り下ろす。右手の太刀を使ってなんとか防ぐ。その斬撃の重さにレイは苦悶の声を漏らした。
男の攻撃は止まらない。大上段、袈裟切り、横薙ぎ、逆袈裟、突き。あらゆる角度から放たれる。レイは、致命傷はないが、その身を切り裂かれながらも、男の攻撃についていく。
「バルドさん!バルドさん!こいつ、めちゃくちゃ強いんですけど!やっぱり援護して!」
レイは男の斬撃を防ぎながら、バルドに援護を求める。その声はかなり必死なものだった。
「断る。俺達は手を引いた。それにサーシャの治療の方が先だ」
しかし、バルドはその救援要請を断る。
「このっ、相棒だろ!てめぇなんか全身の毛が抜けちまえ!」
レイはバルドに暴言を吐いて、また男との戦いに集中したようだった。
「バルド殿、私のことはいいから。このままではあの男が…」
サーシャは驚いていた。バルドがレイの救援要請を断るとは思ってはいなかったのだ。自分の怪我は大分痛みが引いてきていた。これなら、もう大丈夫と言おうとしたところに、レイがバルドに助けを求めてきたのである。バルドだって、自分の怪我がかなりよくなっているのに気付いているはずだ。
「何だ、サーシャ。レイのことが心配なのか?」
「そ、そういう訳ではないが…」
そう。断じてあの男が心配という訳ではない。ただ、このままあの男がやられてしまっては、自分達に被害が来るかもしれないのだ。先程のように体が震えるのがわかる。自分は未だに、男に対する恐怖を持て余している。もし、あの男が倒されては、その恐怖をまた味わわなければならない。だから、あの男の心配しているはずがないのだ。
「大丈夫だ。言ったろ?あいつは頼りになる男だって」
サーシャが自己の中で、レイの心配をしていないことに対する弁護をしていると、バルドが声をかけてきた。その声はレイを信頼して、必ず勝つと信じている声だった。
サーシャは、羨ましい、と思った。あの魔術師バルドからここまで信頼を受けているのだ。自分だけでなく、どのような人間でも、バルドにこのような信頼を受けている人物に対して、羨望を持つな、と言う方が無理な話だった。
二人を目視する分の明るさはまだあったが、日はもう沈みかけていた。
レイは両手の刀を使って、ぎりぎりの所で防いでいく。既にその体は血塗れで、肌色を探すほうが困難だった。サーシャは落ち着かない様子で、バルドに視線を向ける。バルドはそれでも、黙って治療を続けていた。
遂に、男の斬撃に耐えられなくなってきたのだろう。男の中段を小太刀で受け止めるが、その勢いに負けて、小太刀を弾かれてしまう。小太刀はくるくる回りながら、遠い地面に突き刺さった。
男は、これで終わりだ、とでも言わんばかりに、激しく攻め立てる。レイは両手で握り直した太刀で防いでいく。しかし、男の圧倒的な剣撃の前に、押されていく。二刀でかろうじて防げていたのだ。一刀になった今、男の剣が明らかにレイの体に届くようになってきた。血潮が飛ぶ。レイはそれほどの傷を負っていながらも、男に一太刀も浴びせられない。
サーシャは胃がきりきりと痛むのを感じた。バルドはレイのほうを見向きもせずに自分の治療を続けている。脇腹の痛みはもうほとんどない。なのに、バルドはレイに加勢するようなことはなかった。
男から今までより、より鋭い袈裟切りが放たれる。肩口から、脇を通るその一閃を、レイは、刀で受けながら体を捻る。恐らく、レイは受け切れると思わなかったのだろう。体を捻ることで直撃を避けたのだ。しかし、無理な体勢で斬撃を受けた。だから、レイが太刀を弾かれ、手放してしまうのは仕方のないことなのだろう。
「危ないっ!つぅ!」
サーシャは思わず声が出てしまった。それが響いて脇腹に痛みが走ったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
男の斬撃はレイの体に届かなかった。だが、剣を手放してしまったレイはもう終わりだ。レイとバルド以外はそう思っていた。
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弱い。男は剣を交えてそう思っていた。
目の前の男は黒い外套を羽織り、それ以外は特に防具らしいもの装着していなかった。戦いは、場馴れしている。剣も凡百の剣士よりは優れている。二刀流というものも珍しいから、最初は戸惑った。速さもそこそこのものだ。
しかし、それでも弱い。これなら先程の女の方がよほど強かった。槍の間合いを活かした攻めに、女とは思えないほどの膂力。それに加えて魔術の援護。なかなか、強気にでれないから、少し焦った。だが、連携が上手くいっていなかった。魔術師は女の動きを把握しきれていなかった。最初は小さな違和感。戦闘を続けるうちにそれはどんどん大きくなっていった。女は魔術師を当てにして、ろくに防御を取らない。確かにこちらがその隙を狙って、叩こうとしても、初級魔術で気を散らされ、逆にその隙を突かれた。
転機が訪れたのは、割と速かった。女は焦っていたのだろうか。今までとは別人のような不用意な突きに、魔術師の援護も届かない。そこを剣で脇腹を叩いた。流石に両断出来るとは思っていなかったが、肋骨を何本か持っていったのは感触でわかった。女を下し、魔術師と交渉して退こうと思ったが、目の前の男が現れた。
近づかれる前に魔術で倒そうと思ったが、それをくぐり抜けてきた。しかし、大したことはない。致命傷こそ避けているがこちらの剣は何度も届く。対して外套の男はこちらに一太刀も浴びせられない。
だからといって、油断をするつもりはない。左手の剣を弾いた。ここで手を休めない。さらに剣撃を浴びせる。存外しぶとくついてきたが、それももう終わり。今までで一番鋭い袈裟切りを放つ。外套の男もそれがわかったのだろう。無理に体勢を捻りながら、剣を受ける。しかし、その体勢で受け切れるほど自分の剣は甘くない。外套の男の剣を弾き落とした。その時、女が、危ない、と叫んだがもう遅い。これで終わり。
だから、ここで勝った、と思ってしまった。
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この瞬間を待っていた。
レイは心の中で笑う。
男が袈裟切りを連発していたことから、それに自信があることをレイはわかっていた。仕留めにくるなら、それ。そして、予想通りに一番鋭い袈裟切りが放たれる。最初から、あんなもの受け切れるとは思っていない。だから、レイは太刀で受けながら回避した。運よく体に届かなかったが、太刀を弾かれてしまう。いや、太刀を手放す。これで腕にダメージは残らない。サーシャの声も中々に切迫感があって良かった。
レイは男の空気が一瞬、弛緩するのを目敏く感じ取る。そして、剣を構えられる前に、足でその剣を踏む。剣は地面にめり込んだ。
「油断したな、少年」
今度は顔にだし、犬歯を剥き出して笑う。
「…何!?」
男はうろたえながらも、剣を抜こうとする。
「無駄だぜぃ。靴の裏に鉄板仕込んであるし、純粋な力ならお前は俺に勝てない」
無駄口はここまで。レイは魔術を使われる前に、潰すことにした。まずは剣を使えなくする。
男の右腕を両手でつかみ、肘の関節に膝蹴り。気持ちの悪い感触と鈍い音が響く。
「ぐうぅぅ…!」
男は剣を手放し、あり得ない方向に曲がった右腕を抑える。
この程度の痛みで―――
レイは呆れながらも、男が痛みのショックから立ち直る前に、左足を強く踏み込む。そして男の顎目掛けて、全体重の乗った右ストレート。
ごしゃり、と耳を塞ぎたくなるような音を立てて、男の顎は曲がり、そのまま倒れてしまった。
「肉を切らせて骨を断つ、ってな。最後まで気を抜いちゃいけないぜ、少年」
レイは笑いながら言った。
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