エッセイジャンルって難しい。
こんにちは、はせです!
新年早々、全く嬉しくない災害が起きましたね。
2024年1月1日16時10分頃、石川県の能登地方で最大震度7、マグニチュード7.6の地震が起こりました。
緊急地震速報が何度も鳴り、津波や建物の倒壊、地割れなどの様々な被害が出ております。
ちなみに前回の震度7は北海道胆振東部地震以来らしいのですが、私も被災しました。海が見える家に住んでいた私は、恐怖のあまり避難することさえ出来ませんでした。
今回のように津波が来ていたら...。
想像もしたくありません。
そして今回の令和6年能登半島地震でも震度7を観測しました。
連日のニュースで津波などの映像を見て、辛い思いをされている方は、甘々の小説とかを読んでみては如何でしょうか。意外と精神が疲れている時に、小説は有効ですよ。
さて、それは置いておいて、
久しぶりに(1週間ぶりに)エッセイを書いているのですが、今日はエッセイジャンルの難しさについて話してみようかなと思っています。
いつも「エッセイはこんなにも楽しいんだ!」と書いているのにも関わらず、難しい点について説明するのも少しおかしいですが許してください。
最近、自分がエッセイを書いていると、どうしても様々な意見を持った方に出逢います。
全くそれ自体は問題ないのですが、結構付き合うのが苦手なタイプの方っていらっしゃるんですよ。それは人間だからどうしようもないかなと思っていますが、難しい人間関係も人生の経験ですから私は「避けることはしないけれども、自分から話すことはしない」というスタンスを続けています。
エッセイを書いていて、多くの方に評価されると色々なご意見をいただきます。
「拡散しているだけで、無理やり主張を通そうというように見える」
「世の中の仕組みを理解していない」
「なぜ貴方のエッセイはここまで評価されているのか」
正直に言うと、結構批判される方のご意見は私の核心的な部分を指摘されます。
自分でも「ここが足りないな」「勉強不足だな」という点が沢山あるのですが、そう思いつつも投稿してしまうので、批判が多く付きます。
それらに関して、第三者目線からエッセイを投稿してくださる方や、自分のエッセイを機に、様々な調査を行ってくれる方もいます。
非常に嬉しいです。
だけど...
たま〜に、いるんですよね。
私の人格を否定される方が。
私のエッセイを読んで「こういう考えは違うのでは?」「このデータは間違っているのでは?」とアドバイスをくださる方に関しては、凄く感謝しています。
ただ、人格を否定するのは駄目じゃないですか?
「お前は人間として色々欠けている」
と言うのはおかしいですよ。
この前、ブロック・ミュート機能に関してエッセイが投稿されていて、私も読んだのですが、自分のブロックの基準として「人格を否定した」というのは大部分を占めています。
別に意見が食い違うことは普通ですし、それらに関して議論するのは構わないのですが、人格を否定するのは良くないです。
他のSNSと比べてそういう方は非常に少ない傾向にありますし、日常エッセイを投稿していたら、批判コメントなんて、大体付きません。
ただ、多くの人の目に触れるエッセイを書くと、評価は増えるのですが、それと比例して批判の数も増えていきます。エッセイジャンルに限った話では無いのかもしれませんが、多くの人に自分の考えを示すエッセイというジャンルは、揉め事が起こりやすいジャンルなのかもしれません。
まあ、私のようにエッセイを主体として投稿されている方は全体の数%ですから、本当かどうかは分かりませんが、小説よりもエッセイの方が批判コメントは付きやすいです。
それでも限りなく治安の良いジャンルです。
批判コメントは、大体感想を書いてくださる15人に1人くらいです。
人格を否定してくる方は感想を残していってくれる方の、体感150人に1人です。
それくらい多くの方と色んなことについて話せるジャンルです。
ただ批判的な感想が書かれることも決意したり、極稀に人格を否定されてしまうかもしれないことは意識してエッセイを投稿するようにしてほしいです。
読んでいただき、ありがとうございました!
共感して頂いた方は、評価よろしくお願いします!