糞食らえ
ボーイズ・ビー・アンビシャス。少年よ、大志を抱け。
人は起きながらにして夢を見る。欲望と言い換えてもいい。
しかし、それは決して邪なものではなく、言うなればそう、進化欲。向上心。
空を飛ぶ鳥を見て人は自分も空を飛びたいと思い、飛行機を作った。
不可能を可能に。自分たち人間にできないことをできるようになりたい。
その一心で人類は成長を、発展を遂げてきた。
そして、今ここに新たな歴史の一ページを刻もうとする男がいた。
彼の名はウンコティン博士。
国、人種のその耳によってはふざけた名前にしか聞こえないであろう
その上、彼自身、指摘されたこともあるが彼はむしろそれを喜び、天啓と考えた。
彼が生涯をかけ研究している事。それは食糞である。
何も不思議な話ではない。ウサギ、コアラ、チンパンジー、虫や魚も糞を食う。
自らの、時には他の動物の糞を食うその理由。
それは糞の中に含まれる栄養素を無駄にしないためである。
こう聞けば何ともエコな話ではないか。
エコエコエコエコ。来たるべき食糧難、天変地異。
脅し脅され、企業が個人がエコを強いられるこの現代社会。
そこにエゴが絡んでいないとも言い切れないが
無駄にしないというのは実に素晴らしい考えである。
と、ウンコティン博士は尤もらしい事を述べ、研究資金を引っ張り
そしてついにスーパーフードを開発したのである。
一見、カレーのルーのようなこの固形物には
人間に必要な栄養素がふんだんに盛り込まれているだけでなく
なんと排泄の際、出たものを回収し水洗いすればまた食せるという
まさに二度おいしい一品なのである。
……が、大不評。人口増加、気候変動による作物の不良。
世界的な食糧危機と言ってもそれは数十年後、いやもしかしたら数百年後のことで
切羽詰まっているわけでもなく、食べ物を廃棄することに何ら抵抗がない
今の世の中でこれは受け入れがたい。やはり好きなものを食べていたい。
と、そういう事ならとウンコティン博士の次の一手。
彼が新たに開発したのは錠剤である。
これを食後飲むことにより、胃の内容物、つまり食べた物を結合、凝縮。
排泄されたものを回収すれば、また同じ味を味わえるというもの。
つまり、ステーキを食べればステーキ味の糞を食える。
キャッチフレーズは『二度おいしい』から『またあの味をあなたに』
……が、これもまた不評。
そもそも味の問題ではなく、自分の糞を食いたくないとのこと。
しかし、一部の意識が高いハリウッドスターやセレブたちに受け
小規模ながら製品化と広告塔の獲得には成功した。
おかげでまた開発資金が潤ったが「自分の糞は食べたくない」という尤もな意見。
この問題に向き合い、乗り越えてこそ進化できるというもの。
そして自分は少々独りよがりだったとウンコティン博士反省。
もっと、人々の声に耳を傾けなければ……。
そう考えたウンコティン博士は有識者を招集。意見交換会を開いた。
会議室に集まった彼らは糞尿愛好者。
最初こそ戸惑い、そして恥じらいはあったもののウンコティン博士の熱意を受け
一人が語ればもう一人と、次第に熱は伝播していった。
「そもそも肛門というのは人間が最初に性的興奮を覚えるもので――」
「失禁し、恥ずかしがる姿がいいんですよねぇ……。
私が小学生の頃ね、同級生が――」
「僕は至ってノーマルでした、でもねある時彼女が酔って僕の糞を食ったんですよ。
その瞬間、気づきました。これが愛――」
「糞を食うことがいけないなんてこの世の中間違ってる!」
「僕の友達はね、糞が喋ったって言うんですよ。
僕は信じますよ。彼らには意思があると。それをただ流すなんてよくないことです」
「私はフルーツしか食べないんですよ。するとね糞もね、フルーティで――」
「下痢便が好きって、ははっ異端すか?」
「食糞なんて動物界ではよくあることでしょう! なぜ、なぜ人間は……」
「異世界に行きたいです……糞だらけの世界に。あるらしいんですよ。
そこにはね、糞の王なるお方がいて――」
「博士……糞を……食いたいです。色んな人の糞を、堂々と……」
ウンコティン博士は熱と実と芯のある話にうんうん頷き、時に涙ぐんだ。
彼らは足を生やした魚。他の魚からは嘲笑われ、畏怖もされていたが
間違いなく、偉大な一歩を踏みしめている挑戦者。
月に敬礼。アポロよアメリカよ。英雄はここにもいるぞ。
それはさておき、自分の糞より他人の糞。これは実に建設的な意見である。
よって、先のハリウッドスター及びセレブたちにオファー。
彼らの糞を商品化することにした。
これには、食糞を支持する彼らの第一声の時から
苦い顔をしていたファンたちも目を光らせた。
無論、目を背を背ける者のほうが多かったが、セレブは気にしない。我が道を行く。
また、先の有識者の意見にあったパンジン(一般人)素人さん(食糞未経験者)
に受け入れられるためにはまず見た目からという事で
レトルトカレー、ガトーショコラ、かりんとう、チョコに似せた形で発表された。
これは各食品業界から猛反発を受けた。
「本気で殺すからな」と殺害予告まで受けたが
ウンコティン博士が涙したのはそれが理由ではない。
……人類よ。なぜ糞を食わない。なぜ進化を拒む。
どうして受け入れようとしないんだ。
セレブたちの糞を原料としたフードも賛同者がいまいち増えず
量産化の目途はたっていない。
そしてそのセレブたちも最近は捕鯨反対運動に熱が入ったようで
食糞に対する関心が薄れ、そっけない態度。
糞の切れ目が縁の切れ目。
腹痛、食に返らず。
博士の研究は頓挫した。
……かに見えたがウンコティン博士は諦めなかった。
卵が先か、ニワトリが先か。出した答えは一つ。
心を、意識を変えるためには、まず体を変えればいい。
博士はあるウイルスに着目した。感染力に優れ、嗅覚・味覚に変化を及ぼすものだ。これを改造すれば……と、考えたのだ。
そして……長い月日が経った。
ある日、博士はショッピングモールに赴いた。
イエローグリーンのチェックシャツにサングラス。オフホワイトのバケットハットを
深く被り、そしてその糞色の鞄から取り出したのは試験管。
博士は蓋を開けるとタンポポの綿毛を飛ばすようにふっーと息を吹いた。
博士のクソ臭い息は周囲に漂い、何人かの買い物客が変な臭いが……と顔を顰めた。
やがて、パン屋、カレー屋、レストラン、あらゆる飲食店の前で今のような顔をするだろう。
そしてトイレの中でこう言うはずだ。
ああ、美味しそうな匂いがする……と。