懐古の跫
夢の在り処は何処ですか
風の旅人に聞くも
旅人は荒れ野の上でいびきをかいている
陽だまりの呪文は妖しを呼ぶからね
気を付けよ
辻占のお婆が蛭のような眼をして言う
風は何処から来たんですか
想い出は過去を遡る
夢はいつまでも脳裏に張りついて
巡る輪廻は影絵のように
活動写真の中で微笑む貴方
過去は問いかける
夕べの奇妙な夢の中で
お嬢さんの白い首筋の裏で
御御御付の中で
水母がゆらゆら
母の子宮のような形
入道雲は雨を隠して我が物顔
旅人のコートの中に
冷たい風が吹いている
秋はまだかと
路上の蝸牛は干からびながら
家族の遺影の中に誰だか知らぬ顔
夕べ布団の隣で笑ってゐた
夏の囁きが聞こえる
あのコンロのやかんの中から
あのサイダーの瓶の中から
空の青さは哀しみの色を湛えて
僕らの心臓に問いかけてくる
終ってなかった宿題も
あの子の揺れるスカートも
凡ては古い写真の記憶となって
あの旅人の燐寸の燐になって
遠い海に消えて行く
いいじゃないか
また夏は来る
夏の幻
片方の靴を神社で亡くしたら
学校の下駄箱で見つけた
賽銭箱に百円を入れたら
家の郵便ポストに蛍石
便所の戸を開けたら
黄泉路に通じていた
夏は不思議
押し入れの中は
布団が一杯詰まっていて
隙間から女の顔が笑顔で覗いている
夏空の色は悲し気な青なのに
入道雲は笑顔の様な気がする
向日葵畑に消えていった兄を
追いかけて墓地に迷い込んだ想い出
卒塔婆にもたれかかる枯れた花たちは
夏をその身に一心に浴び
なお墓を守ろうとするのか
木陰で拾った小さな蛍石は
亡くなった人の物じゃないのか
不思議は問いかける
あの鎮守の森に昭和は眠る
君は果たして見ないふりばかりなのか
夏の影は色濃くなる八月
思い出したかのように
線香の香りのする仏間
空のジェット機の音が
B25の音に聞こえる
戦争はまだ
懐かしい影を追って
曲がり角の向こうは
昭和の世界
過去は問いかける
小さな頃
踏みつぶしていた
夏の蟻塚
ごめんよごめんよ
汗が目に入って
見えないモノが
見えてくる
朧月夜に思い出す顔を引っ掻く庭の猫
櫻美し乙女の顔に似て
春の花火は切なさの魂を引っ張って
春のお彼岸にはあの櫻の木の下の墓参り
遠い記憶は久遠の眠る止まった懐中時計の針の上
遠い約束は暖かい温もりのように皺の暦
菜の花はあの人を思い出すからと日記帳に小さな栞
夜の外灯の下で舞う蝶々達
軒の下に雨のように油蝉の蝉時雨
観音様もたまにはお風呂に入りたい
青空は深い悲しみの色をたたえて
抽斗の中の犬の骨ががたがたと音を立て
茶柱の立った緑茶を一気飲み
僕は夏の子供になる
宿場町は眠る過去を抱えて
洗面台のコップの中に不気味な祖父の入れ歯
入道雲にシロップをかけて食べたい病
櫃の中には包帯だらけの躯
此処は平家の落ち武者の伝説が残る土地
忌まわしき過去在りマス
夏祭りには迎えに行くからね
あの神社に居た童は一体誰
鏡の中にだけ写る少女
やけに狐の多い土地
海の波間が恋しいです
月食になると
半分顔の焦げた幽霊が寺に現れるという
風は海からやってきて
山彦木霊す
太古の秋刀魚は
静かに冷蔵庫の中で眠る
懐かしさは冷凍庫の中で
明日の夢を見るか
昭和は懐古と神社で
隠れんぼをしている
どっちが正しいなんて
分かりはしないのにね
右を向いて阿
左を向いて吽
夢のしらべは頬に残る畳の跡
切れた鼻緒の下駄のような
調子はずれの音階を聞かせる
母親の子守歌
夢追い人旅立ち人
貴方の鼓動は古い教科書の中埃を被って
追憶の彼方に面影はある
過去は問いかける
希望は尊い太陽に吸い込まれ
レトロな向日葵のうなだれる首筋に消えて行く
仄かな夕陽の中で微笑む案山子は
明日の空の色を知っているか
ドーランを塗った学生たちは
明日の黄泉路を上手く渡れるか
夕べの御御御付に金魚が泳いでいた
入道雲に登る亡くなった少年
あの神社には孤独と昭和が眠っている
シンクタンクの排水溝に
ヤドカリが何匹も詰まっていた
娘は神隠しに逢って
見つかった時は
小さな子供に戻っていて
背中には蛇の模様が浮かんでいた
洗面台の映し鏡の一三番目に
過去の自分
旅人が燐寸を擦る頃に夏になる
遠い荒れ野では
蒔絵の折り紙が犬の針子が
そっと煙草を咥えて
草叢に隠れているそうだ
それを捕まえるのが
回文のビラを屋根から散らして廻る黒マント
入道雲、夕立、陽炎の中に
確かに亡くなった父がいたような
祖母は仏壇の前で念仏を唱えながら石になってしまった
夢の間際
空を泳ぐ魚が畳の上に落ちてきたあの夜
抽斗を開けると黄金色の蝸牛が
過去を夢見ているんだね
過去は問いかける
夢の在り処を
杖をつく?があの角を曲がる頃
昭和が壺の中でケラケラ嗤ってゐる
お寺の裏の墓地では
火の玉が閻魔様に連れてゆかれる
お提灯を頂戴よ
常世祭りには
闇があふれる
夕暮れ時の蝉時雨
何処まで行っても夏だけど
何処まで行っても故郷で
あの隧道の中では
闇に焦がれたお坊様が
青い彼岸桜を手折って
髑髏姫に渡している頃か
竹林の間は涼しい風が吹き
過去の記憶を呼び覚ます
常世からやってくるのは
夏の幻か妖怪か
陽炎に懐かしい人の
横顔が見えた
そんな気がした
夕べ電灯の下にあめふらしがいた
車のタイヤくらいの大きさになって
干からびて苦しそうにしていた
人の魂をだいぶ食べてゐないな
人の魂を食べて
いろいろな人の人生を見ている内に
情が湧いてしまい
人を喰う事を辞めたのだ
涙ながらに僕に風車を渡してきた
幼くして亡くなった娘のものだ
僕も泣いた
夢見る宿場町
こっそりと金魚を隠している家々
地獄経を密かに信仰していマス
夏になると
カキ氷屋が宇宙連絡船と交信している
宿屋に旅人の瘧病を治すマムシ酒が隠してある
銭湯は金を入れても動かない扇風機
蚊帳の下にはあかんたれ
風邪には葛根湯
鬼の出る商店のテレビは
今だにブラウン管があるそう
逢魔が時に現れる鴉の群れは電柱に止まって
死人の呼び声に気が付いているようだ
葬式が近い家に
死人は近づき葬式をじっと見つめている
そして喪服の群れに隠れて彼らは根の國へ還って行く
魂は六道を超えて輪廻の輪に入る
空から家族を見守っている神様は
夏の茄子や胡瓜の馬はお気に召しただろうか
祭りの村では娘たちは唄い
蔵の裏の川では人魚が薄荷を摘んでいる
味噌商人の倅は
見世物小屋で美しいキメラを見つめている
そっと夜は更けてゆき
漂う月の灯りの下で
人々は我に返り家に帰って行く
祭りの灯篭はぼんやりと明るく村を照らし
静かな田園ではざわざわと稲の葉が鳴っている
雲間に月
父は今何処を旅しているのか
旅人のコートの中を覗いたが
小人の父はいなかった
シンクタンクの中の
おばけわかめは膨らみ家中水浸しにする気だ
母は父親のしゃれこうべを抱きつつ
毎夜寝ているのだが
日本人形を抱いて毎夜
眠っている私はおかしいのだろうか
開かずの間には孤独が眠っている
夢の中をゆらゆらと
草臥れた麦わら帽子を頭に載せて
向日葵は首から俯いて
うだる暑さを避けるように
哀しみの溜まって行く部屋の隅は
いつでも薄暗くて
金魚鉢の中を小さな眼玉がふたつ
贄を求めて人身御供を待つ
雨は止んだか
星はまだか
夏の小径からの返事ははない
旅人はあの角を曲がって消えた
昔町、昔道
過去の人の足跡
過去は戻れず未来は遠い
人はどうして戻れない過去を想う
其処に置いてきた故郷
行きはよいよい
帰りはこわい
あんまり過去の事を想いなさるな
棺の中の昏い物が甦えるから
辻占の婆は云う
通りを一陣の風が通り抜ける
見知らぬ子供達のはしゃぐ声
蝉時雨
遠雷
軒の下の猫