可笑しい選択
「夏木先輩。」
穏やかな時間を切り裂くような声。…いや、正しく言えば溶け込むような声。つい先刻まで2人だったはずの空間に、当たり前のように立つ人物。
「波川…衣瑠ちゃん?」
顔を見た瞬間にするりと名前が出てくることに自分で驚いた。たった1度聞いただけなのに。となりがその場から動かないでいると、横にいるいろはがおどおどし始め、
「いろ、先帰るね!」
と走っていってしまった。
取り残された。こちらだけが一方的に知ってるだけの関係で2人きりは気まずい。
近くで見ると思っていたより身長が高く、スタイルも良い。白い絵の具にほんの少し肌色を混ぜたような肌に、少し切長の目と、形の良い鼻、薄くて端が少し上がっている口がのっている。短く切られた髪は繊細そうに、さらり、さらりと流れている。
「えと、どうしたの?」
「…この前、飲食店で喧嘩した所を先輩は見ていましたよね。あの時、他の人は皆泣きそうな彼女を見ていたのに、」
「先輩だけはなぜか、私を見ていた。」
「その時思ったんです。付き合ってみたいなって。」
「まて。話の飛び方がおかしい。」
「なんでいきなり…」
「やっぱり?」
「作り話はバレるもんだなぁ」
「もっとマシな嘘をつけ!」
思っていた子と違う。
見た目の淡白さからのあまりのギャップに思わず突っ込んでしまった。そもそもこの子が私を覚えていることがおかしいし、どこからが本当の話かもわからない。
「…先輩に興味があるのは本当です。」
「…そう」
「私と、付き合ってくれますか?」
さっきまでの、少し違和感のある笑顔が徐々に消えていって、白い顔に残ったのは、わずかに張り詰めた空気を通り抜ける、まっすぐな眼差しだけだった。
普通なら、一般なら、generallyなら、選択肢は、たったひとつ、断るだけなはずだ。もちろんわかっている。自分の口から今飛び出さんとする言葉が、どれだけ可笑しい選択か。でもしてみたくなったのだ。可笑しな選択を。
「いいよ。」