0ー5 探索、初死に戻り
0ー4から分割された話になります。
外に出てすぐ目に入ったものは、白い霧だった。
小屋の周りは、霧が立ち込めてはいないのだけれどーー恐らく、数mでも外に出れば霧に飲まれる。そう思えた。
とはいえ、この小屋から少し離れたところに立ち込めた霧が比較的薄いようなのは幸いだろうか。周囲の景色が完全に見えない程ではない。
そしてきょろきょろと見回してみれば、この場所がどういう所なのかはなんとなく把握出来た。
ーー鬱蒼と茂った背の高い木々。そして立ち込めた白い霧が、今まさに出ているはずの太陽を覆い隠している。
もしも霧が無ければ小屋から出てすぐ死んでただろうな、と呑気に考える。
しかし、だ。
「……霧の立ち込める森、かぁ」
付け加えるなら、そんな場所に構えられた小屋が俺のリスポーン地点という事でもある。
余程辺鄙な所に住まいを構えたかったのだろうか。この身体の主は。
そう考えていたら、ぴこんと音が鳴った。更に眼前にポップアップしたウィンドウによるとーー
「『簡易マップが更新されます』。ほう」
こういうのって歩き回ってマッピングするものじゃなかったかなぁ。小さな頃に幾つか遊んだゲームの思い出を思い返しつつ、システムに感謝する。システム的なものは有難く受け取っておいた方が気が楽だ。
……そして勢い良く外に出たはいいものの、探索の目標が特に無い事に気が付いた。
指標がひとつは欲しくなったし、改めて広がった簡易マップを見てみることにする。
そんな思考の入力で開いたウィンドウに表示されたマップは、小屋の位置とその周辺の地形、加えて自分の位置程度しか分からない実に簡素なものだった。
「本当に簡単なマップなんだな」
思わずそんな発言が溢れた。……まあ、小屋の位置が分かっているだけ無いよりはマシなのだけれど。
ついでにエリア名を確認してみたところ、『???』となっていた。全部マッピングしないとエリア名出ないとかそういうシステムなのだろうか。
さておき、探索してみない事には始まらない。
今度こそ霧の中に足を踏み入れてーー少し、驚いた。
「霧に包まれているのは間違いない。でも、自分の周囲ははっきりと見える」
何が原因であるか、どういう理屈かは知らないものの、半径十数m程度の範囲にある物体や地形を視覚的に認識出来ているのだ。
要は木とか草とか地面とか、そうしたものが見える程度には霧が薄いと感じる訳だ。ある程度の範囲でしかないが。
勿論それより遠くの景色は靄に包まれて見えないけれど、これはこれで探索がしやすい。ゲームっぽい処理というやつかな?
そしてソロでよかったと改めて思う。これがパーティを組んで攻略しているのであれば、何時の間にかはぐれて死亡……なんてこともあり得そうだから。
兎に角、暫くは視界外に気を付けて進もう。
◇
周囲の草や木に《鑑定》を使いながら、森の奥まで進んで行く。
奥に向かうにつれて木々の質が変わっていると、なんとなく感じる。色合いや幹の太さとか、そうしたものが異なっているからだ。
森の深部というものは危険なものという印象があるが、歩みは遅いものの情報は得られているし、スキルのレベルも上がっているのでリターンとしては充分だろう。
スキルのレベルがまだ低い所為か、木々の名前程度しか分からないことがネックなくらいで。
【快癒草】に【魔樹】【百年樹】、更に【常霧の霊樹】に……【常霧の霊樹】、ふむ。常霧というワードが気にかかるな。
一度足を止めて、辺りを見回す。そしてそれは、直ぐに見つかった。
「……なんで気が付かなかったんだ?」
思わず呟いてしまう程に、巨大な樹木。天を貫かんばかりに伸びた枝と、何百何千と年を積み重ねたのだろうという太さの幹。ーーそして、端から少しずつ霧と化している一部の枝葉。
霊樹というのも納得がいく。もう一度《鑑定》をかけてみても、名前しか情報が出ない。
詳しい情報が分からないのが本当に勿体ないな。この森を歩く手掛かりになりそうなものだけれどーーどうしたものか。
少し逡巡する。
……とりあえず伐り倒す事にチャレンジしてみるか? やってみなければ分からないのだし。
アイテムボックスから斧を取り出して、手に持つ。
そうして振り上げた斧の刃を、樹の幹に軽く突き入れてみたはいいものの。
「刃が通らない……」
それもそうだ。レベル1の《鑑定》で名前しか分からない格上なのを忘れていた。だとすれば、レベル1の《伐採》では歯が立たないのは当然だろう。
むしろ《伐採》のレベルが上がっただけ凄い。
けれどここで懸念が増えた。
ーー森に植わっている植物が俺よりも格上だとして、この森に棲んでいる動物やエネミーが格上ではないということは、殆どあり得なさそうだ。
警戒を更に高める。
弓の練習をしてみたかったが、恐らく今はそうもいかないだろう。
……《危険察知》に反応はない。《遠視》で遠くを見ようにも、霧に阻まれる。
急いで簡易マップを開いてみれば、かなり遠くまで来てしまっていた。
そして周囲には複数の気配。まだ殺気ではないが、一方的にこちらを見られていた。見えないのに見られているというのは、可笑しな感覚に誘われる。
「囲まれている……?」
そう考察を呟いて、ゆっくりと踵を返す。
俺が動くと同時に気配が動く。
……包囲されたままだ。まだアクションはない。
嫌な予感がする。
微かな地面の振動が、ボロボロのブーツと足の裏を通してダイレクトに伝わってきた。現実よりも鋭くなった感覚が、遠くから何かが来る予兆を訴えている。
一歩ずつ踏み締めて、小屋のあった方角へ戻ろうと試みる。
それと同時に、その存在もまた動く。走っているのか、体格が大きいのか。正体不明の存在だが、少なくとも足があることは間違いない。
このままだと、恐らくかち合うだろう。そしてそれは避けられない。
だが、そうだ。ーー恐れるな。体格の差がなんだ。威圧感がなんだ。
それよりももっと恐ろしいものを知っている。
結局現実の感知技術を持ち込んでしまっているのは業腹だが、普段使い出来るまで慣れさせた爺様が悪いのだ。そういうことにしておかないと疲れてしまう。……恨むぞ。
どちらにせよ、思考は後だ。今は頭を兎に角回せ。
「……会敵まで時間がない」
殺気が次第に近付く。何時の間にか、周囲の視線も何処かへと消えていた。
駆け出しそうなギリギリまで、足を早める。
弓を構えそうになるけれど、それにはまだ早い。ーーいや、もう遅い。
「ーーVOOOOOOO!!」
そして霧の壁を突き破って、咆哮と共にそれーー全高三メートルを超えようかという大猪は現れた。
そんな巨体をどう動かすんだ、というクエスチョンと。
そのアンサーとして、圧倒的な速度の突進を伴って!
「は、やい……!」
猪が地面を一歩踏み締める。それだけでどの程度こちらに近付いているだろう。
ーー強制的に、世界が少しずつスローモーションになる。……また、こうなったか。
けれどそれでもなお猪は速い。まだ届かない。覆しようのない圧倒的な差というものを実感する。
だが。
「それが、どうした!」
ギリギリまで猪を引き付ける。
そのまま跳び箱の要領で、手を前に突き出す。
猪の頭部を跳び箱モドキとして扱って跳んでやろう、という魂胆を実行した。
そうして斜めの角度で手を額に着けて、両足を揃えてジャンプする。突進の勢いを殺し切れずに、右の腕に罅が入った。同時に、HPと思しきゲージが勢いよく減る。残り6割。
ーーまだ避け切れていない。
揃えた足を、猪を足場にして更にジャンプする。両の足が砕けた。構いやしない。残り1割。
空中で縦に半回転。現実では上下逆さまの姿勢で弓を撃つなどアホらしいけれど、此処でなら出来る!
メニューからの思考操作で、弓を左手に構えた。
次いで矢筒から矢を引き摺り出し、番える。そうして漸く弦を引いた。
チャンスは、一度。
初射撃がこんな曲芸とは思いもしなかったけれどーーこれはこれで最高だ。
限界まで引き絞られた弦と、罅の入った右腕が悲鳴を上げる。
《ボウマスタリー》の補正で射撃の姿勢が自然に最適化され、《狙撃》の準備が整った。
狙いをつける。折角だ、百点満点を狙ってやろう。
……視界の向こうでは、大猪がUターンして戻ってきていた。いいじゃないか。
そして。
声も音もなく。スローモーションになった世界で、静かに弦から手を離す。
その瞬間、世界が通常の速度に戻る。
放たれた矢が真っ直ぐに飛び、目標を正確に射貫かんとして。
矢の着弾を見届けるよりもなお速く到達した、速度の乗った突進によって全身が砕かれーーそのまま俺は死に戻った。