STAGE☆63 「ぼっち男と人魚の住み処」
「すみません、すみません。覚悟はしてきたつもりだったのですけど」
海を前にして、アレグア第3王子推薦の交渉人、エイラ・ヨンスーデは、服のままで平気だと言ったのにビキニ姿となり、ギブンによる風結界の中に入ると怯えだした。
「どうですか? 俺の声、聞こえますか?」
『あっ、はい。全然問題ないです』
「呼吸が苦しいとかは?」
『ありません。というか澄んだ空気が心地いいです』
少しは緊張が解けたのか、砂浜からゆっくり入水、恐る恐る沖へと向かって歩きだす。
腰の辺りまで波が押し寄せてきて、エイラ交渉官は思いきって頭を水の中に浸した。
『す、すごいです。ちゃんと息もできるし、目を開けてても痛くないし、なにより髪が濡れていません!』
興奮する22歳は急に泳ぎ出す。とても楽しそうだ。
『海の中ってきれいですね。私、海ってもっと怖い物だと思ってました』
北岸地方の中心にある領都で生まれ、町からおあまり出る事もなかったエイラのはしゃぎように、このまま海水浴にしてしまおうかとギブンは本気で思う。
「ギブン、早く人魚の住み処に向かうんだよ」
水着姿のマハーヌはもう待ちきれないとばかりに腰まで浸かると、下を脱ぐ。
「これ、任せたよ」
「分かったから。こっち向かなくていいから」
ビキニの下を脱いだマハーヌの下半身の変身が解けて、元の人魚の姿に戻る。
『マハーヌさん、きれい……。人魚ってはじめて見ますけど、本当にきれいですね』
城で初対面の時もエイラは、キラキラした目でマハーヌを眺めていた。
確かに彼女は伝説に恥じないくらいの美女である。中身はあれなのだが……。
「ギブン、早く行こう」
「もう少しだけ時間をくれないか? マハーヌの気持ちも分かるけど、海に、と言うか水に入るのに慣れてない人がいるから」
「……分かったんだよ」
エイラが怖がらなくなるまで、しばらく水面辺りで遊んで、ゆっくりと潜りはじめて水深10メートルの辺りを水中散歩。
人魚の住み処がある沖まで徐々に出ていく。
『随分と底が深くなってきましたね』
「そうですね。もう少ししたらまた景色が変わりますよ」
ギブンの言葉通り、急に底が見えなくなる。
『だだだ、大丈夫ですか? 見た事もない暗闇ですけど』
エイラはギブンの左腕にしがみついた。
「マ、マハーヌ?」
マハーヌは5人以外に寄ってくる女は浮気対象だと、嫁連盟のみんなから擦り込まれている。
「ふん!」
ここでエイラを払いのけたら、きっとギブンは怒り出す。それくらいはマハーヌだって言われなくても分かる。
ギブンもマハーヌの気持ちは伝わってきている。けどやはり怖がるエイラは守ってやらなくてはならない。
『ああ、灯りがあるだけでも少しは落ち着けますね』
「それじゃあ潜りますよ」
垂直になる岸壁を灯火で照らすと、深く潜っていく。
以前は戦いながらだったので、距離感も掴めていなかったが、全力で潜っていけない今回は、かなり深く感じてしまう。
海流に流されないように調整しながら、ペースはマハーヌに任せて海底へ。
『これが人魚の国、……ですか』
「本当にこんなに深かったっけ?」
「私、あの時ものすごく怖かったんだよ。ギブンはそう言ったところは鈍感なんだって、私でも思うんだよ」
人魚が言うほどだから、恐らくその時も常識外れな事をしてしまっていたのだろうと、反省するギブンは謝罪をし、人魚の結界の中に入っていく。
「まだ少し爪痕が残っているな」
マーマンに襲われ、荒らされた住み処はある程度きれいになっていて、灯火魔石の数も増えているが、どの建物にも傷跡が見て取れる。
「ここには空気があり、水の中ですけど、髪も服も濡れる事はありませんよ」
『ここが水の中?』
底に付いた足は地上のように歩けるし、水の抵抗を感じる事もない。なのに浮こうと思えば受けるし泳げてしまう。
『なんかこう、不思議な場所ですね』
「結界を解除しても?」
『ああ、はい。私はあなたを信じていますから、何があっても大丈夫です』
エイラは風の結界が解除されるのを肌で感じて、ギブンを信じていると言いながら、止めていた息を思い切って吐き出して、ゆっくりと吸い込んだ。
「ここが水の中なんて、驚きです」
光源は町のあちこちに置かれた魔石、灯火を吸収して光を放ち、光の魔力を帯びた泡が光ながら昇っていく。
「不思議な世界ですね。まるでおとぎ話のよう」
感想を述べながら観光気分の交渉官。
「マハーヌ、本当にここのトップの人に会わせてくれるの?」
「うん、それは任せてくれていいんだよ。ここでは私がパーティーのリーダーなんだよ」
嬉しそうなマハーヌは先頭を歩く、里の中心へ向かうと言っている。
「おお! 海底を歩くのって、なんか変な感じですね」
水の抵抗はほんの少しだけど感じる。浮力も何となくあるけど、地面を蹴る感覚は地上とさほど変わらない。
「人魚の中にも変わり者はいるんだよ。変身魔法を編み出して、人の足で歩きたがるんだよ。昔の私には考えられない事だったんだけど、今ならそう言う人魚の気持ちも分かるんだよ」
人魚は基本裸で過ごしていいる。
半人半漁なら平気だとは言わない。男性の人魚なら上半身裸だからってどうって事はないが、女性の人魚はどうか胸元を隠して欲しい。
そして人間に変身して過ごすと人魚となると、今度は男性の人魚にも問題が発生する。
「はわわわわっ、そのえぇ~っと、わたしその、男性の全裸なんて見たことなくて……」
エイラのその気持ちはギブンにもよく分かる。
男だから全裸も平気とまでは言わないが、できたらそんな姿は見たくない。
それが女性になったら、目のやり場が完全に塞がれてしまう。
「本当に誰も、なにも着ていないんですね」
「あはは、人魚であるなら下半身が魚だから男はともかく、女性はもう少し気にして欲しいんですよね」
「そうですね。国交が開かれれば、ここを訪れる人間族もいるでしょうし、外交となれば、そのはほとんどが男性官僚となるでしょう」
それを喜ぶ役人もいるだろうが、それはよくないと言わざるを得ないだろう。
「ふぅ、私の仕事が1つ増えましたね」
エイラがそう言い出すだろうと思って、ギブンは必要物資は用意させるという王子の言葉に甘え、大量の水着を異次元収納に入れてきた。
手始めに、どうやらここの有名人であるマハーヌに寄ってくる女性に、片っ端から水着を渡した。変身魔法を使う事もあるだろうと、上下セットで。
ギブンを見て訝しむ住人も、マハーヌの一言で快く着用してくれる。
男性にも配りたくて、物陰で水着に着替えたギブンに興味を示し、近付いてきた人間の足になっている雄の人魚に着方を教える。
こちらの反応も悪くはなく、人魚姿の男性も欲しがってくれた。
なかなか目的の宮殿とやらに近付けずにいると、ギブンも見知ったピンクの鱗が泳いできた。
「マハぁ~ヌ~~~ぅ!!」
「エララ、久し振りだね」
「久し振りじゃあないよ。いくらこの里にめぼしい雄がいないからって、いきなり出て行くなんて、水くさいじゃあないのよぉ~」
このエララの叫びに、ダメージを受ける雄の人魚数は少なくない。
「でもそのお陰でいい人に出会えたんだよ」
大粒の涙を流す男性達は、ギブンを睨み付けてくる。
「ほら、女王様も待ってるよ」
エララはマハーヌの手を引っ張る。
泳いで行かれたら、歩くギブン達が追いつくのは難しい。
「ま、まずいですよ。ギブンさん! ……ギブンさん?」
「いや、エイラさんって、あのエララって人魚に似ているなぁと、名前もですけど……」
金髪のショートヘアもだが、眉の形や鼻の形、口元もそうだけど、右顎のホクロの位置は全く同じに見える。
「違うとしたら目の色と、胸の大きさ……」
「ギブンさん!? だから置いて行かれちゃいますって!」
我に返るギブンは急いで風の結界を張り直し、2人の人魚を追いかけていくのだった。




