遊ばれた女
鏡にうつる自分を入念にチェックした。髪は整っているか、服装に乱れはないか。最終チェックを終えた後、バックから香水を取り出し、それを首筋と手首の裏にかけた。
今日俺は合コンに参加していた。男3人、女3人の構成だった。俺がトイレから戻ると、ちょうど女性達が到着しており、合コンが始まった。
食事と談笑をそつがなくこなした俺は、ある程度の手ごたえがあった。合コンは3時間で終了し、その日は解散となった。
その日のうちに、連絡先を交換した3人の女性にメールした。数回メールのやり取りをした後、俺はそのままの勢いでデートに誘った。結果的に、一人は快諾。一人はやんわりと断り、最後の一人からは返事すらこなかった。
俺はため息をついた。デートに行くことになった女は3人の中でも、一番容姿が良くなかった。容姿の平均値でいうと並以下がいいところだろう。あとで、一人だけデートに誘わなかったことがバレると気まずいため、形だけデートに誘ったつもりだった。ふたを開けてみれば、その女だけが俺の垂らした釣り糸に食いついた。
俺は約束した手前、しょうがなしにと、その女とデートをした。気持ちが入っていない分、女の気持ちは考えずに俺が行きたかった野球観戦へ行った。試合の結果は、俺が応援していたチームが惨敗。俺は機嫌が良くなかったが、女は初めて見る野球にずいぶん楽しそうだった。
その後も、暇だった俺は、空いている日があれば女に連絡し、女とデートをした。そして、何回かのデートのあと、俺の家に女は泊まった。女は一緒に寝ることを最初恥ずかしがっていたが、とうとう明かりを消して、一緒のベッドに入った。
俺はまず、女の手や髪に触った。それから徐々に背中、脇、そして胸へと触る場所を変えていった。胸に触ったとき、女はやんわりと俺の手を払い、「友達とこういうことはできない。私たちってどういう関係なの?」と俺に聞いてきた。
俺は女が何を言わんとしているかがすぐにわかった。が、この女と交際する気など少しもなかった。しかし、一度火が付いた男の性を止めることはできず、俺は「ごめん。順序を間違えていたね。好きだよ。付き合おう」と言った。早く行為をするための、でまかせだった。
暗がりの中でも女が喜ぶ姿が感じ取れた。女は「私も好きだよ。よろしくね」と言い、俺に身体を預けてきた。俺は心の中で、馬鹿な女だな、とあざ笑った。
言葉のうえでは交際することとなったが、俺は全く意識していなかった。他に良い女がいればすぐに乗り換えるつもりだった。
しばらくすると、俺は女との連絡が面倒となり、メールを返す頻度が徐々に遅くなった。それでも女は文句一つ言わなかった。文句や不満を口にできない女だとわかった俺は、さらに自分の都合で女と連絡をとった。
ろくに女からのメールは返さなかったが、俺は自分の性的欲求が高まったときに家へ来るようメールした。そして、性行為を楽しんだ。俺は遠慮がなくなってくると、女にとっては恥ずかしいであろう行為を要求してみた。すると、女は健気に全ての要求に応じた。俺の欲求を満たそうと必死になる女を見て、俺は哀れみすら覚えた。
そんな関係が続いたある日。女から妊娠したと言われた。
俺は避妊をせずに何度か行った性行為を思い出し、後悔した。俺は回りくどく、子どもを中絶するよう促したが、既に中絶できる期間を超えているため、中絶できないと女が泣いた。女のお腹を見ると、確かに普段よりもお腹が膨らんでいた。女に言われるまで身体の変化に気づかなかった俺は、改めてこの女に興味がないことを再確認した。
俺は一度しっかり考えたいと、女を家へ帰した。その日の夜、俺は人生で一番といえるほど頭を悩ませた。どんな状況でも前向きに考える俺だったが、今回ばかりは思うように考えがまとまらなかった。しかし、一晩を費やして、とうとう俺は不幸を逆転させる発想に思い立った。
あの女を殺して保険金を得よう、そうすれば邪魔者はいなくなり、それと同時に大金まで手に入る。ただし、すぐに女が不審な死を遂げれば俺に疑いの目が向けられるため、一度は結婚し、落ち着いた頃に計画を実行しよう。女が死んだあとの子どもはそうだな。。。適当な理由をつけて女の両親にでも預ければいい。
俺は女を殺す決心ができたところで、女に連絡した。そして「結婚しよう」と言った。
女は電話越しで「ありがとう」と涙を流している様子だった。俺は愛されもせずに事故死を遂げるであろう女に、他人事のように同情した。
その後、些細な結婚式を挙げて、女との結婚生活が始まった。
結婚生活を送るうえで、俺は常に良き夫を演じるよう気を配った。女はいつの日か不慮の事故死を遂げ、俺に保険金がおりることになる。そのときの保険会社の調査において、少しでも俺に疑いの目が向くような事態は避けたいと考えての行動だった。
俺は仕事休みの日には、女の唯一の趣味といえるお菓子作りに付き合った。また、誕生日と結婚記念日には、女に些細なプレゼントを続けることにした。せっかく渡すならと女が喜びそうな物を選んで渡し、女はわかりやすく喜んだ。チョロい女だなと俺は鼻で笑った。
他にも、周りから見ても良き夫を演じるため、夫婦の良きありかたが学べる書籍は時間があれば、ひととおり目を通した。
女のお腹は順調に膨らみ、とうとう子どもが生まれた。いずれ、女の実家に預ける子どもとあってか、さほど感動は生まれなかった。しかし、夫がどれだけ子どもの教育に力を入れるかが、家庭円満となるかを左右する重要課題だということを俺は書籍の知識で得ていた。そのため、育児に関する知識を詰め込み、良き父としても振舞えるように気を配った。
子どもが生まれたことを契機に、俺と女は生命保険に加入した。女は自身が保険に入ることに疑問を感じていたが、俺は適当な理由を説明して理解させた。女を生命保険に加入させた夜は、一人でこっそりとシャンパンをあけた。
俺と女、それに子どもという3人の生活は順調だった。そろそろ女を殺す具体的な計画をたてようと思った矢先、女が少しずつ様子がおかしいことに俺は気づいた。
女はあるときから日中ずっと不機嫌になっていた。子どもが粗相すると、大声で怒鳴りつけるようになった。
それは徐々にエスカレートし、とうとう女は子どもに手をあげるようになった。
俺は子どもをあやして寝かしつけ、女の話を聞いた。子どもの声が耳障りに聞こえてきたと女は言った。そして、子どもを上手く愛せない自分が情けないと女は頭を抱えて泣いた。
俺は戸惑いながらも、女を病院へ連れて行った。診察をした医師からは育児ノイローゼの可能性があると言われた。女が脳の検査をしている間に、医師は俺に近づき、最近の母親はノイローゼで衝動的に死を選ぶ危険があるから気をつけろ、と注意してきた。
俺は、冗談じゃない、と思った。自殺では保険金がおりない契約だった。俺は夫としてどのように振舞うべきか医師から助言をもらった。ネットや書籍からも育児ノイローゼに関する情報を集めた。
最初は、女を実家に帰らせて、子どもと会う時間をなくした。その後、徐々に女が子ども
と接する時間を増やし、慣らしていった。その間は、家事は全て俺が行った。また、カウンセリングや女と同じ悩みを持った親が集まる会も、俺は女と一緒に参加した。女は俺に負担をかけすぎていて申し訳ないと傷心していた。気分が落ち込んでいる女を見て、これ以上病状が悪化しては困ると、俺は女に明るく振舞った。
子どもが幼稚園へ通園を始めると、徐々に母子の関係が好転し、子どもが5歳になるころには、すっかり元の生活に戻っていた。女は俺のおかげで体調が良くなったと周りに吹聴しているようだった。俺は、金のためにやっているだけなのに本当に馬鹿な女だ、とほくそ笑んだ。
女の病状が落ち着いた後も、医師の指示のもと定期通院は行われた。女が通院のたびに俺は付き添い、女の病状を確認した。保険会社は事故死した人が精神的な疾患を抱えている場合、自殺の線がないか医師に確認するためだ。そのため、医師から、もう通院しなくて良いと言われるぐらい、病状が回復することを俺は待っていた。
それから時が過ぎた。子どもが大学生となり、手がかからなくなった頃だった。突如女は自分の洋菓子店を開きたいと言った。
俺は内心どうでもいいと思い、女を止めたが、女の決意は固かった。住居の一階の壁という壁を壊し、どこぞの業者と打ち合わせして、いつの間にか1階全てを洋菓子店へと変貌させた。居住スペースが2階に追いやられた俺はうんざりだった。
失敗に終わるだろうという俺の考えとは裏腹に、開店後、瞬く間に近所から美味しいとの口コミで、繁盛店になるのに時間はかからなかった。
店の売り上げは上がるものの、手元に残る利益は乏しいものだった。女はほうぼう走り回って、選び抜いた食材を使用していたため、材料単価は安くなかった。しかし、たくさんの人に食べてほしいと女は手頃な金額で設定していた。
俺が苛立った。店が繁盛しようが、そのぶん下の階が騒がしくなるだけだった。
そんなとき、生命保険の営業が家に来た。既に保険には入っているため、適当にあしらうつもりだったが、営業マンが気になる話をした。それは、自営業用の死亡保障に手厚い保険があるというものだった。
俺は営業マンの話をよく聞き、頭の中で電卓を叩いた。そして、既に女が加入している保険よりも数倍死亡保険金が給付されることがわかった。俺はすぐ女に保険を変えるよう相談した。女は、あなたがいうなら、と何の躊躇もなく俺のいわれたとおりに保険を変えた。俺は何も疑わない女に対して、頭の足りない本当に馬鹿な女だと思った。
それからも店は繁盛していった。客の要望に応える形で、駅の近くに2号店をオープンすることになった。2号店は仕事帰りに立ち寄れる店となり、これまでとは違う客層の支持を得た。
女が経営する洋菓子店は、怒涛のごとく売上を計上した。ついには、大きなショッピングモールの中に、3号店が入るまでに発展した。
そんな経営が順調だった矢先だった。女は仕事中にいきなり倒れた。すぐに病院へ運ばれ、全身の検査が行われた。検査の結果は、悪性ガンだった。既に病気は進行しており、医師から半年の余命が告げられた。すぐに女は入院した。
俺は自分が女を殺すことになると思っていたため、少々肩透かしをくらった気分だった。そして、肝心な女の保険金を考えたときに、俺はあることに気付き、嫌な予感がした。俺は、ついこの間女が契約した生命保険の契約書を引っ張り出した。
保険の契約日から起算して、保障責任開始日が2年後となっていた。つまり、女にはあと約1年半は生きてもらわなければ、保険金がおりない契約内容だった。俺は頭に血が上った。
それからというもの、俺は仕事終わりに、毎日病院へ行って女を励ました。体に良いと言われる飲み物を持っていっては、病院食以外はダメだと女や看護師に笑われ、気力が落ちると心身に良くないと聞いては、生きる気力が湧きそうな小説や映画のDVDを買い込んで、入院先へ置いていった。
しかし、そんな俺の努力とは反対に、女は徐々に食べられる物が減り、身体を起き上がらせることも難しくなった。
男は必死だった。なんとか寿命を長引かせることはできないかあれこれ考えた。
あるとき、俺がいつも通り入院先の病院へ行ったとき、女の周りに医師と看護師が集まっていた。俺は急いでベッドへ向かうと、明らかに女の顔色が悪くなっていた。
医師は神妙な顔つきで、最後の時間です、と俺に言った。
俺は焦った。必死に女に向かって、生きろ! と叫んでいた。
女は苦しそうに顔を動かし、俺を見つめた。そしてか細い声で言った。
「あなたのような最高の夫に出会えて、私は幸せでした」
「何が最高の夫だ! 死ぬな馬鹿!」
必死に叫ぶ俺を見た女は、満足そうに息を引き取った。
俺はベッドに頭がうなだれた。そして、もっと生きてくれよ、と泣き叫んでいた。
少し距離をおいて見ていた看護師たちは、俺の姿にもらい泣きした。
「あのご主人、毎日献身的に奥様を看病していたわね」
「真実の愛を見た気がするわ。私もいずれはあんな夫婦になりたいわ」




