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【異世界恋愛2】独立した短編・中編・長編

雨さえ降らなければ

 あっ、とか細い悲鳴を上げながら、男爵令嬢アデレードは床に倒れ込んだ。


 か細いながらその悲鳴は「十分に周囲の注意をひく音量」であり、倒れた角度も絶妙。薄紅色のドレスの裾がはだけて投げ出されたふくらはぎがチラ見えし、編みこんで結い上げた髪まで「なぜか」「いつの間にか」若干ほつれている。


 その不自然さに即座に気づく要領の良さがあったら、結果は違ったのだろうか。


「アデレード嬢、大丈夫でしたか」


 公爵令嬢であるリセルダは、かがみこんで手を差し伸べた。

 その次の瞬間、悲鳴が上がった。


「も、申し訳ありませんでした……! 私がそそっかしいばかりに、リセルダ様のお手をわずらわせるだなんて……! お怒りもごもっともです、ぶつならぶってくださって構いません!!」


 絹のグローブに包まれた手を差し出したのは、決してぶつためではない。すぐ側で転んだアデレードに対し、助けになればと、ただそれだけ。

 アデレードの声はホール中に響き渡った。

 熱心に歓談しており、遅れて気付いた貴族たちには、刺激的な単語ばかりが拾われる。「リセルダ嬢がぶった?」「いくら相手の身分が低いからといって」「倒れるほど?」「ひどい」「そこまでするか」誤解を含んだざわめきが広がっていく。


 誤解なのだ。本人が「ぶつならぶってくださって構いません」と言っている。それは「ぶたれて転んだ」ことを意味しない。筋道立てて追えば誤解はすぐに解ける。

 だから、リセルダはさほど心配もしていなかった。


 アデレードのもとに、鮮やかな黄色のドレスを身に着けた、子爵令嬢のサミアが駆け込んだ。


「大丈夫? どこか痛いところはない? まさか舞踏会の真っ最中にそんな……」


 倒れ込んだままのアデレードを抱き上げながら、潤んだ榛色の瞳でリセルダを睨みつけてくる。

 状況だけ見たら「転ばされた」ように見えるのだろうか? とリセルダはここでようやく少し不安になり始めた。

 

「突然、何もないところで転んだように見えたのだけれど。靴かしら?」


 可能性として思いついたことを、口にする。

 途端にアデレードはひぃっと声を上げて、サミアの腕にすがりついた。


「この靴は、母の古いものなんです!! 夜会や舞踏会に同じドレスを身に着けて出席するのは、貴族の娘として何よりも恥だと。それで、ドレスはなんとか用立てられたのですけど、靴はどうにもできなくて。そうですね、たしかに公爵令嬢であるリセルダ様からすれば、こんなみすぼらしい靴で歩き回られてはたまったものではないですよね。失礼しました!!」


(何を言っているの?)


 嫌な予感がした。

 靴について言及したのは、迂闊だった。はっきり見たわけではなく、踵が高いのかという程度の意味だったが、言葉尻をとらえられた。

 まるでリセルダがいじめているかのように喧伝される。

 周囲のざわめきのすべてが、いまや自分を責めているような気がしてきた。


(公爵令嬢は思い上がっている)(なんと底意地の悪い)(身分が下の相手を故意に転ばせ、古い靴を嘲笑うなど)(自分はやり返されないと思っているから)


 はっきりと、聞こえたわけではない。

 それでも、聞き取れないほどのひそひそ声というのは神経に障る。

 焦ったせいで、取り返しのつかないミスをした。


「誤解よ。私は何もしていないわ。アデレード嬢が勝手に」


 両手を開いて、周囲に訴えかける。

 その横で、アデレードがサミアにすがりながら声を上げて泣き始めた。


(人前でそんな風に泣くなんて、はしたない)


 泣けないリセルダは唇を噛みしめる。

 その対比が、どんな印象を生む絵面なのか今やはっきりと悟りつつあったが、泣けないものは泣けない。


「公爵家の末の令嬢は今日がデビューとのことだが。遅いデビューには、なるほど相応の理由があったらしい。古風な貴族らしい傲慢さだ。我が国の未来にはそぐわない」


 高らかに男声が響き、場が静まり返る。

 きらびやかな刺繍の施された赤のジャケットを身に着けた、茶色髪の青年。鮮やかな緑の瞳に笑いを閃かせながら、片方だけ、口の端を吊り上げる。


(第二王子、ジョシュア殿下……)


 優雅な仕草でアデレードのもとへ歩み寄り、手を差し伸べて助け起こす。アデレードは、はずみでジョシュアの胸に飛び込む形になり、派手に慌てていた。ジョシュアは鷹揚な仕草でそれを許した。

 抱き合うかのように寄り添ったまま、リセルダに視線を向けてくる。


「身分がものを言う時代は間もなく終わりを告げるだろう。振る舞いには気をつけることだ、『公爵令嬢』」


 リセルダは顔を上げて、きっぱりと言った。


「ご忠告ありがとうございます。お優しい殿下」


 笑いかけることはなかった。そこまでの余裕はなかった、というのが正しい。

 身を翻して、ホールを後にする。


(さて。紳士淑女の皆様方は殿下の見事な対応を称賛し、私の傲慢さをあげつらっているのかしら)


 これがリセルダの、社交界デビューを飾った王室主催舞踏会、その惨めな顛末。


 * * *


(デビュー、即引退。ゴシップ誌に話題を提供したに違いないわ)


 アーチ型の高い天井に、石柱の並ぶ長い廊下を突き進みながら、リセルダは誌面に踊るであろう文字列を頭の中で考える。


 ジョシュアは随分とわかりやすい批判の種をばらまいてくれた。「傲慢な古い貴族」「身分にものを言わせる女」「淑女教育の遅れ」「これが公爵家の末娘」あまりにも鮮烈な。

 一昔前なら、下々の者と扱われてきた男爵家の令嬢にも分け隔てなく接する優しき王子と、貴族体質を貫く公爵家。誰の目にも明らかな対比。


 理由は思い当たらなくもない。


 公爵家は、王家から打診のあったジョシュアとリセルダとの婚約を断っている。理由は、ジョシュアの素行不良の噂が甚だしく、しかも概ね真実であったからだ。

 王家もその件に関しては公爵家をことさら責めることはなかった。いま公爵家と不仲になり支持を失うのは得策ではない、という判断だっただろう。すべて非公式の段階で話は終わっていた。

 リセルダ自身そう聞かされていて、特に問題視していなかった。それは甘かったらしい。

 王子の遊び仲間の若い貴族たちには、目の敵にされていたようだ。

 取り巻く人垣の中には、ジョシュアの妹である王女の姿もあった。笑っていた。 


 リセルダは、慣れないグローブを腕から抜き取って、握りしめる。

 すれ違う者は二、三名いたが、今は見渡す限り廊下の先まで人影はない。

 滲みかけた涙を堪えてながら、早足で進む。


(アデレード嬢は、私の手をとらなかった。嘘ではなくとも、事実を誤解させる発言をした。私は一切触れていないのに髪は乱れていて……)


 不審な点は挙げればきりはない。

 奸計に嵌められた。

 そうと理解するだけの洞察力や判断力は持ち合わせていたが、もう一度あの悪意渦巻く場に行きたいかと聞かれたら、答えは「否」だ。

 心臓は鉄製ではなく、面の皮とて普通の皮膚だ。機転と才知で名誉挽回するような立ち回りは、今日がデビューの自分には荷が重すぎる。

 せめて味方が一人でいれば違ったのかもしれない。

 生憎と、リセルダは外国での暮らしが長く、自国の社交界に友人と呼べる知り合いはいなかった。


 廊下を抜けて、開け放たれた大扉から外へと出る。

 門衛や、主を待つ従者、おびただしい数の馬車。薄暮のような薄暗さの中、浮かび上がる無数の人影を見て、リセルダは動きを止めた。

 生暖かい空気が、重く湿っている。

 雨の匂い。

 止まってはいられないと正面の石段を下り始めたとき、ぽつり、と肩に雫が落ちてきた。

 ぽつり、ぽつり。


 ざわざわと噂話に興じていた者たちが会話を途絶えさせて、空を見上げた。

 すぐに帽子を手でおさえながら、三々五々散っていく。

 その光景を視界にとらえながら、リセルダはさらに階段を一段、二段と最後まで下りた。


 ざーっと音を立てて、雨が降り注ぐ。

 石畳に触れて弾けて水煙が湧き上がるほどの激しさで。

 ともすると薄いドレスが破れそうなほどに、どこもかしこも痛かった。息も苦しかった。それでも、引き返すことなどできはしない。

 

(涙が紛れて良かった)


 これだけ派手に濡れてしまえば、泣いたことはばれないだろう。意地悪な貴族と罵られて、泣いて逃げ帰ったと笑われるのは耐え難く辛い。

 雨がほんの少し弱まった。

 完全に上がってしまう前に、どうにか自分の馬車に辿り着かねば。

 ふらふらと歩きながら、ひときわ豪奢な一台の横を通り過ぎようとしたとき。

 出し抜けにドアが開いて、リセルダは馬車の中に引きずり込まれてしまった。


 * * *


 馬車の中は広く、きちんと灯りが燈されていた。

 雨の流れ込む目を見開いて、リセルダは素早く天井装飾に刻まれた紋章を確認する。


(かささぎ)と薔薇。アルメダ王家の紋章だわ)


 リセルダの腕を掴んで引いていたのは、仕立ての良い黒のジャケットを身に着けた黒髪の青年。リセルダと目が合うと、ぱっと手を離して、後退していく。


「乱暴なことをしてすまなかった。雨が晴れたら降りようと様子を見たら、あなたが濡れて歩いていたものだから、咄嗟に。その、この状況が、あなたにとって不名誉な問題を引き起こしかねないのは重々承知している。いや……申し訳ない。声をかけたら断られると思ったのだが、雨の中、そのなりで歩いていては危険ではないかと。少なくとも私はあなたに何もしない」


 少し癖のあるアクセントで、心底申し訳無さそうに猛烈な早口で謝ってくる。

 入り口にしゃがみこんだ状態で見上げていたリセルダは、雨に濡れた頬を拭うこともなく、呆気にとられていた。

 徐々に頭が追いついてきて、ついにはふきだしてしまった。


「そうですね。男性に馬車に引きずり込まれた令嬢がどんな目に遭うか。どんな噂話となるのか……。見ていて欲しい場面を目撃した人はついに出てこなくても、私が不利になる状況の目撃証言はこの先ずらずらと出てきそう。そう考えると、面白いわ」


「面白い? 何が?」


 困惑したように、黒い瞳を見開いて聞いてくる。

 その顔を見ながら、リセルダは笑顔のまま言った。


「馬鹿馬鹿しいって意味です。古くて傲慢な女だと人前で罵られた後は、見境のないあばずれと陰口が叩かれるのでしょう。私は私です。自分の身に何が起きているのかはよくわかっています。ここでいまあなたが、私に対し『何もしない』と宣言したことまで含めて。だけど、周りは決して信じない。もう、好きにすればいいのだわ。あなたも」


 淑女らしくない言動、八つ当たりをしている自覚はある。


(癇癪持ちという噂も広まってしまうかも。でもこれは事実ね)


 もう遅いと知りつつ、ようやく口をつぐむ。

 謝罪して、この場を立ち去るべき。頭ではわかっているのに、体が動かない。

 雨に降られることよりも、馬車を下りた途端に衆目を集めて、舞台の第二幕が始まるのが恐ろしいのだ。


 青年は生真面目そうな顔を強張らせて、その場に膝をついた。

 可能な限りの距離を置いたまま「私の見立てが正しければ、あなたはいまとても傷ついているようだ」と呟く。

 リセルダは、力なく笑った。


「もし見せられるものならお見せしたかったわ。だけど、傷は決して目には見えないところについているんです。それで良かったのかも。あなたも、初対面の相手からこれ見よがしに怪我などみせられても困りますよね」

「そんなことはありません。こう見えて私には医学の心得がある。怪我ならば応急処置しましょう。そうですね……、何か薬を持っていたかもしれない」


 言いながら、座面に手を伸ばして、置いてあった箱を持ち上げる。

 リセルダの目の前で、(おごそ)かな仕草で開けた。


「キャラメル入りのショコラ、ローズとキルシュのガナッシュ、砂糖漬けのオレンジとビターショコラ……」


 宝石のような菓子類が詰まっていたが、ぎっしりとは言い難い。

 見ているうちに、胸の内側からあたたかな笑いがこみ上げてきた。

 リセルダは明るい声で言った。


「ずいぶん減っているわ。本当にもらってもいいのかしら?」


 顔を上げた拍子に前髪から水滴が頬に落ちる。

 ハンカチ、ハンカチ、と青年は呟きながらリセルダに箱を差し出してきた。

 いかにも「少し預かっていて」という雰囲気だったので、リセルダはおとなしく両手を差し出して受け取る。

 青年は、ちらりと視線を流してきて、断る隙もない素早さで言った。


「夏とはいえ、そのままでは冷えてきます。拭くものもないのでこれをどうぞ」


 脱いだジャケットを、腕を伸ばしてさっさとリセルダの肩にかけてしまう。

 両手がふさがっていたせいもあり、かわすこともできなかった。


「私、見ての通り濡れています。ジャケットが濡れてしまったら、あなたが舞踏会には行けなくなってしまいます」

「構いません。私は確かに舞踏会に招かれてはいましたが、道中、大雨で立ち往生してしまい、遅れました。着いたタイミングでもこの雨で、まだ門衛もこの馬車には気付いていないようです」

「そんなことがあったら大問題よ。だってこの馬車には王家の紋章が。気づかないだなんて」


 言いかけて、リセルダは口をつぐんだ。


(私がこの方の正体に思い当たっているというのは、知られたくなかったかもしれない)


 青年は落ち着いた様子で「椅子は後ほど乾かしますので、遠慮せずまず座ってください」とリセルダに座面を示して言う。

 断り続けても失礼にあたるかもしれないと、リセルダはお菓子の箱を両手に捧げ持ったまま立ち上がり、座り心地の良さそうな座面に浅く腰掛けた。


「もしあなたさえ良ければ、このままあなたのお屋敷まで送らせてください。馬車が待っているなら、御者を探して声をかけます。特徴を教えてください」


 尋ねられて、腹をくくった。どうせ何をしても、噂が広まるのは避けられないのだ。

 絞り出すように、告げる。


「……バリ-公爵家です。白の四頭立て馬車ですから、さほど探さなくても見つかるかと」

「わかりました。ではあなたは車内にとどまっていてください。すべて良いようにします」


 低く沁みるような声で言い置いて、青年は馬車を下りて行こうとする。

 その瞬間、リセルダは後悔にかられて身を乗り出し、叫んだ。


「巻き込んでしまって申し訳ありません。大変なことになるわ」


 万が一、近くに誰かがいても、知らなければわからないように青年の国(アルメダ)の言葉で。

 片方の眉を持ち上げて、面白そうに唇に笑みを浮かべながら、青年も同じ言語で答える。


「巻き込んだのは私では? それに、この国のご令嬢が泣いて帰るようないわくつきの舞踏会には、私も思うところがあります」


(さすがにそれは、きわどいです……!!)


「そのようなことを言っている場合ではありません。雨さえ降らなければ」


(雨さえ降らなければ。私はこの馬車の横を通り過ぎ、この方も私に気づくことなく馬車を下りて、すれ違うこともなく終わったはず)


 そもそも、意地悪に負けておめおめと逃げ帰ってきていなければ……と、リセルダはどこまでも落ち込みそうになる。

 青年は戸口に手をかけ、「お菓子食べて待っていてください。それ、本当に美味しいですよ、止まらなくなります」と言い残し、背を向ける。

 すぐに肩越しに振り返って、笑って言った。


「虹が出ています」


 * * *


 王室主催の舞踏会。

 迎える側の不手際によって、招待客であった友好国の王太子は顔を出すことなく帰ってしまう。これはこの国の王女と、かのひとの顔合わせを兼ねていたのだという噂話も一時期流れた。すぐに立ち消えた。


 辛くも、出国前にかのひとを引き止めてもてなしたのは、長いことこの国の外交を担ってきたバリー公爵家。

 その歓待に感激した王太子は、予定より長めに公爵家に滞在をした。


 公爵家の教育の一環として、外国暮らしにも慣れて、様々な風習にも通じていた末の令嬢が、かのひとのよき話し相手となったとのこと。

 やがてそこにロマンスが生まれたらしい。


 滞在期間を伸ばしていたのは、国とのやりとりをしていたため。

 帰国と同時に、二人の婚約が大々的に発表された。


 晩年まで仲睦まじく過ごしたこの二人の婚姻関係が二国の絆を深め、それからも末永く友好は続くこととなった。




★お読み頂きありがとうございます! 

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