フランチェスカという少女
過去
――十九年前――
某国、とある屋敷の庭に男の子の声が響いていた。
少し赤みがかった金髪を持つ少年、名前はレオナルド・サルバトーレ。フランチェスカの兄である。
彼は目隠しをして、乱立した杭の上をアクロバティックかつ迅速に移動し、振り子のように揺れているサンドバックに木剣を振るっている。何度も、何度も。
日課であるこの訓練を初めて一時間が経った頃。
「っと、ヤバっ」
足場が緩んでいたのか、不意に足元がぐらっと揺れてバランスを崩した。
そこに揺れるサンドバックが近づいてくるが、レオナルドはいち早く察知。
何とか跳んで身体を捻り、サンドバックを蹴った反動で離れたところに着地した。
「ふーっ、足場点検した方が良いかな」
目隠しを外し、ぐらついた足場を確認しながら汗を拭う。
二十一世紀だというのにこんな訓練をしている理由は、少々特殊な家柄であるためだ。
サルバトール家は代々エクソシストの家系なのだ。それも、最強と呼ばれ、時には法王から拝命を受けるほどの名家。
だから、というわけではないが、とある使命感から、彼は二年ほど前から父に師事を仰ぎ、暇さえあればこうして訓練に時間を割いている。
足場を確認していると、ふと視線を感じ、屋敷を見る。視線の犯人は二階の窓から顔を出していた。
陽の光を浴びて光る美しいブロンドの髪を風に靡かせ、眠たげに訓練の風景をを見つめる少女、フランチェスカだ。レオナルドがとある使命感を奮い立たせた原因でもある。
今日は彼女の五歳の誕生日だ。
「最近はあんまり遊べてないし、たまには構わないと拗ねられそうだな」
存分に構ってやろうと決めると、フランチェスカに向けて手招きをする。すると、すぐに二階の顔が引っ込み、玄関から飛び出してきた。
しっかりした足取りで走り、笑顔で抱きついてくる。まったく、こういうころが可愛いんだよ。はぁ? シスコン? 可愛いものを可愛いと言って何が悪い。
「兄様、兄様、今日のお稽古は良いのですか?」
「ああ、フラン。今日は終わりだよ」
「じゃあ遊びましょっ!」
「ははっ、もう少しでお姉さんだって言うのに、いつまで経っても甘えん坊だな」
少しだけ特殊で裕福な家に生まれたフランチェスカだが、家のことをまだ知らない。二年後には伝えられることだろう。こんな無垢な笑顔が見られるのももう少しかも知れない。
何も知らぬ今は、無垢な、太陽にも負けない輝かしい笑みで、兄であるレオナルドに甘えていた。
レオナルドの大きな胸に抱かれることが、フランチェスカにとって最上といっても過言ではないほどの幸せなのだ。
「お姉さんになったらぎゅってして貰えないから今のうちにしておくの!」
もうそろそろ、三人目の兄妹が生まれる。妹らしい。
「妹が生まれても、フランは僕の妹だよ」
「ダメなの! お姉さんになったら私が妹を甘やかすの!」
「そうかい? いつでも甘えにきていいんだよ? そうじゃないと、僕は寂しいよ」
そう言われると弱いフランチェスカは、戸惑ったように「えっ? えっ?」と繰り返している。可愛くて素直な妹を困らせるのは、レオナルドにとっての幸福の時間であった。
やがて抱擁を解き、レオナルドの服の袖を抓んだフランチェスカは、今の精一杯のお姉さんらしさを出しながら、兄の目を見る。
「じゃ、じゃあ、兄様も甘えて良い、よ?」
天使だ。天使が降臨した。
計算された物では無い天然の恥じらい+上目遣いは、兄をして心臓が高鳴る程の破壊力を秘めていた。お姉さんらしさは全くないが、いつまでも見つめていたくなるほどの可愛さだ。
余談だが、この時レオナルドは妹に言い寄る奴は斬って捨てると心に誓った。
「そうだね、妹を寝かしつけてから、二人で寝ようか。父様と母様も、僕らを寝かしつけた後で寄り添って甘えているみたいだし、恥ずかしいことじゃないよ」
「そうなの? じゃ、じゃあ、寝かしつけてから……ね」
こう聞いていると、新婚の夫婦のようだが、この甘々な空間を広げているのは実の兄妹で、それ以前に九歳と五歳の少年少女だ。当然、二人を寝かしつけてから寄り添っている両親が何をしているのかなど、知る由もない。
「……?」
不意に、フランチェスカが空を見上げた。目をくしくしとこすり、首を傾げながら空を見続けている。
「どうしたんだい?」
「えっと、お空に人が……見えたの」
「人……?」
レオナルドが空を見上げるが、あるのは燦々と輝く太陽と、流れていく雲があるだけだ。
しかし、これを気のせいだと切って捨てるには、ある問題があった。
「……フランチェスカは感受性が高いから、一応父様に報告しておくか」
今よりもまだまだ小さい頃から、フランチェスカの目は見えざる物を良く捉えていた。
母が持つ目も特別なものを見ることが多々あったらしいが、フランチェスカの目は見えている情報量が桁違いなのだと、レオナルドは漠然とだが気が付いていた。
「兄様?」
「っと、何でも無いよ。きっと気のせいだ」
一瞬だけ暗い顔をしたレオナルドが、パッと明るくおどけるように笑う。
妹に情けない顔を見せるわけにはいかないというレオナルドの矜持と優しさからでた笑みは、狙い通りにフランチェスカを安心させて見せた。
「レオ、フラン、お昼ですよー!」
声の方に振り向くと、母が顔を出しこちらに手を振っていた。
「はーい。行こ、兄様」
「僕は先にお手洗いに行くよ。食べる前には必ず手を洗うんだよ」
「はい。兄様も手を洗ってね」
「ふふ、そうだね」
ぱたぱたと走っていくフランチェスカの背中に手を振り、レオナルドは用を足してからリビングへと向かう。
「あ、そうだ」
廊下を歩いていたレオナルドは、思い出したかのように踵を返して、リビングとは別の部屋の扉を叩く。彼の感性からは奇妙と言わざるを得ない装飾の扉。その向こう側から、少し軽めの声が聞こえた。
「入っていいぞ」
「失礼します。父様」
部屋の中はびっしりと本が並んでいる書斎で、サイズや著者、巻数できっちり分かれており、部屋の主の几帳面さが窺える。……が、実際、部屋の主は別に几帳面ではない。言うなればなんちゃって几帳面だ。自分の興味の及ばないものは割とどうでもいい主義。
フランチェスカにそっくりな綺麗な金髪を携えた筋骨隆々のナイスミドル。
それが、フランチェスカとレオナルドの父親、アンドレア・サルバトーレその人だ。
ちなみに母親であるラヴィーニア・サルバトーレには、普段尻に敷かれまくっている。
「レオか、相変わらず堅苦しいな」
「母様は厳格な方ですから。それに、僕は父様を反面教師にしていますので」
輝くような笑み! 父様はうずくまった!
「おまっ……! そんな無垢な笑みで言うことじゃないだろ。それにあいつのは厳格じゃなくて上品なだけだ。本体はふにゃふにゃだぞ」
ラヴィーニアはその規律や道徳への厳しさを、人に押し付けたりはしない。品性は人を育てるのだと信じてなお、強制をしてはそもそも反発心を生むだけだと理解している。何より自分がそうだったからと。
レオナルドが生まれる前など、どう育てたらいいのかと会議をしては右往左往する姿は、見ていられないほど慌ただしく、ずっと見ていたいほど可愛くらしくもあった。
「そういえば、何か用があったんじゃないのか?」
親子の戯れはここまで。おちゃらけた雰囲気がアンドレアから消え去り、スッと目が細められる。威圧しているわけではないのだろうが、空気が変わる瞬間というのは、同じ家に住む家族といえど慣れるものでは無い。
レオナルドは心を落ち着かせるために、一度深呼吸をした。
「はい。フランの、いつものです」
「最近多いな。今度はどんな異変を見たんだ?」
「異変、というほどではないと思うのですが、フランが、空を飛ぶ人を見たと」
ピクリとアンドレアの動きが止まる。
「……本当に人型だと言うのなら大問題だ。最近悪魔の動きが活発になっているのと関係があるかは不明だが、しばらくはフランと離れないでいてくれ」
悪魔というのは本来は不定形で、形を為さない。故に一般人には見えず、質量を持たないがために、物理的な影響を及ぼせない。だが、人の形に留め、質量を持ったとすれば、自由に顔を変え、性別を変え、人を喰らい続ける未曾有の災害となる。
「フランは何があっても護って見せます。サルバトーレの名に懸けて」
サルバトール家の中でも、アンドレアの仕事は悪魔の動向の調査、そして監視。必要であれば排除もその職責に含まれる。
だからこそ分かることだ。数年前、正確には五年前から悪魔たちがやけに暴れている。
五年前。特別な目を持つ、フランチェスカが生まれてから。
「何も、起きなければいいが……」
アンドレアは拭い去れない底知れぬ不安に胸中を支配され、思わず溜息を吐いてしまう。
コンコンコン。
書斎にノックの音が響いた。
「親子の蜜月を邪魔して申し訳ないのだけれど、お昼出来てますよ」
「出来てますよ!」
ノックされた扉が開き、ジト目を向けて入ってくる女性、ラヴィーニア。
天然のストロベリーブロンドをふわっと靡かせる上品な佇まいが印象的で、女性らしさを強調してなおスレンダーなボディラインからポッコリ膨らむお腹を撫でる仕草が、慈愛に満ち溢れている女神と呼
ばれるにふさわしい女性だ。アンドレアがデレっとした。
そしてその後ろにくっついて入ってきたのは、言わずもがなフランチェスカである。左手を腰に当て、右手の人差し指をピンと立てている。レオナルドがデレっとした。
「あ、ああ。すまんラヴィ。すぐ行く」
「ごめんよ、フラン。待たせてしまったね」
レオナルドとアンドレアが急いで立ち上がり、バタバタと用意をしだす。先程のシリアスはどこへやら。神妙な雰囲気など消え去り、機嫌を取るための労いの声がこだまする。
悲しいかな、サルバトーレ家の男は、サルバトーレ家の女の尻に敷かれる運命にあるらしい。それが嫁であれ、妹であれ。
「さて、行こうか。フラン」
不意に歩き出したレオナルドの手を、フランチェスカの小さな手がぎゅっと握った。
「……? どうしたんだい?」
「兄様は暴れん坊だから、こうして手を繋いでるの」
幼児特有の言葉足らずさで話が見えず、困惑する。
「母様のお腹の中で、兄様が一番暴れていたんだって」
「……ああ、そういうことか。そういえば、フランはあんまりお腹を蹴ってなかったね」
レオナルドの時とは違い、フランチェスカは母の胎内で暴れることがあまりなかった。
「アンナも、あんまり蹴ってくれないって、母様、心配してた」
「アンナって?」
聞き覚えのない名前に首を傾げると、フランチェスカはラヴィーニアのお腹を指さした。
「妹の名前、私が決めてって」
「そうなの? うん。いい名前だね」
「でもね、変なの」
「変?」
変とは言ったものの、フランは難しくて説明できないようだった。
一生懸命体を伸ばしたり、ひねったり、ジェスチャーで伝えようとしてくれているのは伝わるけれど、一々動きの可愛さに目が行ってしまって答えまではたどり着かない。妹一級検定を勉強しなおさなければ。
「レオ、フラン、行くぞ」
「あ、はい。ほら、フラン」
「……うん」
意図が伝わらずにしゅんとしているフランも可愛いが、やはり笑顔が一番だ。
「今日は一日ずっと一緒にいてあげるから。こんな言葉しかかけられない、不甲斐ない兄を許しておくれ」
額と額をこつんと合わせて背中をさすると、フランの顔には笑顔が戻った。
妹が不安がっているのなら、今夜は一緒に寝てあげよう。
それで不安が解消されるのなら、兄としても鼻高々。何よりも天使の寝顔を特等席で見ていられるのだ。それを幸福と言わずなんというのだろう。
今夜が、楽しみだな。
◇フランチェスカ◇
今日は誕生日だった。
今日はもう終わりだけれど、いっぱい幸せに包まれた。
レオナルドも一緒に寝てくれた。いっぱいいっぱいぎゅっとして、ぎゅっとされる。
幸せだった。
「んふふ……」
穏やかな笑みを浮かべて、そんな声を漏らしてしまうほどに。
睡眠が浅かったのか、意識だけが起きてしまった。薄目を開けてもまだまだは真っ暗。
レオナルドという抱き枕を抱けば、再び眠りにつけるだろう。
「んぁ?」
微睡みの中、兄様の温もりを探してもベッドの上にいないことに気が付いた。
「……兄様? おトイレ?」
さっきまでいたはずの レオナルドがいなくなったことで、怖くなった。
トイレに行っているのであれば、すぐに戻ってくるのだろうが、待てずに探しに行くことにした。
探しに行ってしまった。
それなりに大きな屋敷なので、トイレは一階と二階にそれぞれあり、すぐ側にある二階のトイレには誰もいなかった。そして、特に不思議に思うこと無く一階のトイレへと向かう。
閉じそうな目をくしくしとこすりながら一階へと続く正面階段にたどり着いた。
月明りは雲に隠れて見えず、屋敷の明かりも点いていないので暗くてよく見えないが、階下に誰かがいるような気がした。
「兄様?」
階段を一段、二段と降りていく。
フランチェスカが嗅いだことの無い臭いが強く、近くなっていく。
ゆっくりと降りていき、踊場へと足をつけた直後、月を覆う雲が風によって取り払われた。
背後の窓から月明りが嫌なほど輝き、その光景を映し出した。
「ひっ」
目を剥き、瞠目した。
体を重ねたラヴィーニアとアンドレアが、飾り、崇拝していた十字架で纏めて胸部を貫かれ、力無く倒れている。幾人か屋敷に滞在していた使用人たちが、無造作に転がされ、石の床に咲く徒花となっている。
そして、死者を踏みにじるかのように十字架の上に座り、たった今レオナルドの首を折った人型のナニカ。
カラン、とレオナルドが持つ銀製の細剣が床に落ち、不気味なほどに森閑な空間に、音を響かせる。
どさりと腰が抜けるように尻もちをついた。
そこは最早、少女の幸福を全て壊す地獄であった。
悲鳴を上げるが、声が出ない。喉が張り裂けそうなほど痛み、呼吸が浅く過呼吸の症状を起こしていく。
部屋に充満していた異臭とは違うツンとした異臭が鼻を通り、目は瞬きもせず眼球を忙しなく移動させて状況把握に徹しようとしている。
何を把握しようというのか。今目の前にあるものが答えだというのに。
刹那、十字架に座っていたナニカが霞と消え、目の前に現れた。
「美しい瞳だな。何もかも見通されているようだ」
「はっ……はっ……はっ……」
目の前にあるのは、ただただ空虚な死。いや、死後という概念だろうか。
絶望に、恐怖に、小さな意識が生命活動を停止させようとしていた。
「少しだけ、面白いものを見せてやろう」
ナニカの甲虫のような手が、タクトを振る。
すると、空が落ちてきたかのようなプレッシャーに見舞われ、フランチェスカは容易に意識を飛ばした。
「寝るな」
だが、それは許されなかった。
「あがッ! 熱いぃぃぃッ! ガアアアァぁァァァぁァッッ!!」
腹部に、甲虫のような手が当てられ、熱した鉄板を当てられたかのような熱量に意識が覚醒し、自由の利く四肢で逃げ出そうと藻掻き、暴れる。まさしく児戯に等しい攻撃はすべて無視され、意識を取り戻したのを確認すると、ナニカは手を離した。着ていた就寝用のワンピースはチリチリと燃え散り、されど肌に火傷の傷は無かった。
訳の分からない存在を相手に、ガタガタと震えることしか出来ないフランチェスカに、さらなる悲劇と絶望が襲う。
ガラン、と金属製の塊が落ちた音が響き、それを踏みにじって動き出した者がいた。
「あ、ああぁぁ……」
胸に空虚な穴をあけたラヴィーニアが、アンドレアが、首が捻じれてあらぬ方向へと向いている使用人たち。
そして、折れたはずの首を立てて立ち上がる、レオナルド。
「あぁ、痛い、痛いわ、フラン……」
「死なせてくれ、終わりにしてくれ……」
動き出し、喋りだした。
神の奇蹟などと思う人間はいないだろう。ドス黒く、禍々しいほどの悪魔の所業。
「非業の死、それは甘美な熟成を促すのだ」
「あぅ……!」
突然頭の中に何かが流される感覚がした。そして理解した。
元々、ただ見えていただけのものに意味があるのだと。
お伽噺の中だけだと思っていた悪魔の存在も、その所業も、人智を超えた能力も。
そしてこの知識が、なんのために与えられたのかも。
「さあ、絶望を知れ。無垢なる少女よ」
全ては、フランチェスカを絶望の坩堝へと叩き落とすため。
親だったものに足を掴まれ、悪魔の狙い通りに絶望した。心の底から、救いなど無いのだと理解して尚、フランチェスカは目を瞑り、祈った。
神様、どうか……。
――シィィィィィン
刹那、聞き慣れない音が耳を奪った。
足を握っていた力がだらりと落ちて、グシャと何かが倒れるような音がした。
「ほぉ、これは予想外だ」
悪魔が驚いた声を上げ、釣られたようにフランチェスカも目を開けた。
そして、目を剥いた。何かの奇跡が起きたのだろう。何かの偶然が起きたのだろう。悪魔が何か失敗したのかもしれない。この人だけが特別だったのかもしれない。
レオナルドが、両親だった物の首を、銀の剣で跳ね飛ばしていた。
「にい、さま……?」
首が飛んだ事への忌諱感は無かった。
ただ、救いに感謝した。
絶望は終わったのだと歓喜に震えた。
希望が湧いた。この悪夢から救われるのだと信じた。
「にいさま、がんばって……!」
その願いに呼応するように、レオナルドが地面を蹴り、悪魔へと肉薄する。
先程まで悪魔がいた場所に剣閃が走り、悪魔が霧のように霞んで消えた。
「やった!」
フランチェスカが思わず声を上げるが、悪魔はレオナルドの背後へと出現していた。
「実に興味深いな。失った魂を呼び戻したのが起因か? それとも……」
再び、剣閃が走り、悪魔を霧散させる。
「特別な能力を持っているのか、強引な転生により目覚めたか」
階段の上に出現した悪魔が、愉快だと言わんばかりにクツクツと嗤う。
「嗚呼、この期に及んで未知があるとは、全く以て人界は面白い」
果敢に攻めるレオナルドの剣を意にも介さず、全てを見下し、驕り、思考に耽っている。
高慢、傲慢、傲岸、驕慢、暴慢、不遜、不敵。人の奇跡を、神の御業を、嘲り、嗤ってみせる。それはもはや、悪魔にあらず。神に仇なす絶対の暴力、魔王の威風。
「クッハハハハッ! 愉快、愉快」
月明かりを背景に、魔王の口が三日月型に裂けた。
この世の不吉を全て孕んだかのようなおぞましい凶相で、愉悦を浮かべる魔王がタクトを振るう。
「遍くものよ。――〝跪け〟」
天が墜ちてきたと錯覚するほどのプレッシャーを浴び、驚くほど呆気なく、フランチェスカは意識を閉ざした。
その後、法王によって派遣された部隊と数名のエクソシストによって、フランチェスカは保護された。魔王や、場にあった両親と使用人たちの亡骸、レオナルドの安否などは知れず、悪魔絡みの事件は不用意に表沙汰に出来ない為、事件は闇に葬られた。
その場で何が起きたのかは、魔王以外知る由もない。