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直江事件  作者: 奥田光治
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第五章 六月二十二日~帰還

 事件解決から一ヶ月後の六月二十二日日曜日、榊原は警察病院の前に立っていた。その傍らには、今回は榊原とは別行動での活躍となった瑞穂も控えている。本当は榊原一人で来るはずだったのだが、「ずっと別行動ばっかりだったから、最後くらい一緒に行かせてください!」と瑞穂に言われてしまい、やむなくついてくる事を許可した次第である。

「あ、出てきましたよ!」

 瑞穂に言われるまでもなく、松葉杖をついた男……大科がゆっくりとこっちに近づいてくるのが榊原にも見えた。事件後、容体が危ぶまれていた大科だが何とか無事回復する事ができ、今日をもってめでたく退院する事になったのである。榊原はその出迎えのためにこうして警察病院まで足を運んでいた。

「よっ、出迎えとは嬉しいね」

「元気そうで何よりだ」

「この姿を見て元気そうとは随分だな。まぁ、お前らしいといえばらしいが」

 苦い笑いする大科だったが、すぐに榊原の隣にいる瑞穂に気付いた。

「彼女は?」

「あー、どう説明したものか……」

「先生の助手をしています、深町瑞穂です! よろしくお願いします!」

 榊原の言葉を遮るようにして瑞穂が元気よく挨拶する。複雑そうな表情の榊原に対し、大科は少し呆気にとられていたが、すぐに面白そうな表情を榊原に向けた。

「へぇ、お前、弟子なんかいたのか」

「自称だがな。詳しい事はあとで説明する。とにかくここは邪魔になるから移動しよう」

 榊原があらかじめ借りておいたレンタカーのドアを開け、大科は手伝ってもらいながら何とか後部座席に座った。瑞穂が助手席、榊原が運転席に座り、車は病院から出発する。一息ついたところで、改めて大科が榊原に話しかけた。

「事件の結末は警察から聞いた。あいつの……直江の敵を取ってくれてありがとうな」

「礼を言われる事ではないし、私にとってもあいつは友人だった。それに探偵として、目の前で起きた事件を放っておくわけにもいかなかったしな」

「そこは素直に受け取っておけよ」

 そう言って笑ってから、不意に大科の表情が少し真剣なものになる。

「あの後、犯人はどうなった? 確か、直江のいた署の新人女性刑事だったんだろ?」

「ついこの間送検されて、すぐに起訴された。近々初公判が行われるだろう。理由はどうあれ、法的な罪のない人間を一方的な逆恨みで殺害したんだ。それなりに厳しい刑罰が下されると思う」

「そうか……」

 大科は大きく息を吐いて座席にもたれかかった。

「人間、何で恨みを買うかわかったものじゃないな。俺も注意しないと……」

「心当たりがあるのか?」

「元警官である以上、ないとは言えないだろう。というか、それはお前も同じはずだ。というか、探偵なんて商売をしている以上、お前の方に心当たりが多いんじゃないか?」

「否定できないのがつらいな」

 ハンドルを握りながら榊原はそう答える。

 やがて車は、都内にある墓地へと到着した。三人は墓地の中を進むと、真新しい墓の前に立つ。それは、殺された直江慎之助の墓だった。今日は入院していて葬儀に出られなかった大科が、直江の墓参りをしたいと榊原に頼んでこうしてここにやって来たのだった。

「あいつの葬儀はどうだった?」

「何だかんだで、同期はほとんど来ていた。閑職だったとはいえ、あいつを知っている警察官は多かったからな」

「そうか……。そう言えば、あいつ、殉職扱いになったんだよな」

「あぁ。殺されたのは勤務時間外とはいえ、殺害動機が警察官としての職務に関係する事だったからな。無事に二階級特進になったそうだ」

「『直江慎之助警視』って事か。俺たち三人の中で一番の出世頭になりやがって……こんな形の昇進祝いなんかしたくなかったがな」

 そう言うと、大科は榊原が持ってきた日本酒のビンをあけ、その中身をひしゃくに注ぐと、そのまま墓石の上からゆっくりかける。

「聞いているか、直江。こいつはあの日結局行けなかった二次会の分だ。わざわざ榊原にお前が案内しようとしていたラーメン屋を探してもらって、そこで出している酒を無理言って買ってきてもらったんだぞ。ったく、二次会どころか俺たちをほったらかしにして一人だけ天国に行っちまいやがって。それでいながら一人だけ昇進するなんてずるいじゃねぇか。まぁ、せっかくの昇進祝いだからこの酒は俺たちがおごってやる。お前の敵も榊原がとってくれたし、思い残す事はもうないだろ。だから……お前はもう休んどけ。俺と榊原が途中でギブアップしたのに、お前だけはちゃんと続けていた警察の仕事はもうしなくてもいいんだぜ。のんびり休んで、その後は俺たちの事を見守っていてくれ。それが、これから先のお前の大切な仕事なんだからよ。おい、聞いてるか? 聞いてるならちゃんと返事しろよ、この野郎」

 そんなふうに語りかけながら、大科の声が震えているのを瑞穂は聞き取っていた。背中を向けているのでわからないが、努めて明るく言いながらもどこか震え声が混ざっているのがわかる。榊原も大科の後ろに立ち、じっと目を閉じて何かを感じ取っているようだった。

 やがて、大科はゆっくりとこちらを振り返った。その眼にはもう涙は浮かんでいなかった。

「……すっきりした。これであいつに言いたかった事は全部言えた」

「もういいのか?」

「あぁ。そういう榊原こそ、何かこいつに言う事はないのか?」

「私は葬式の時点で既に全部言ってある」

「……そうか」

 そして、三人は再び車に戻ると、そのまま次の目的地に向かった。行き先は、大科の勤務先である英彩高校である。

「悪いな、送ってもらって。一応、復帰する事を職場に報告する必要があるからな」

「構わんよ。もののついでだ」

「……あの後、学校はどうなった?」

 覚悟したような大科の問いに、榊原は努めて事務的に答える。

「あの後の調査で、朝海涼香が日頃からよく話していたという女子美術部員二人が大麻所持容疑で追加逮捕された。大麻の入手経路は朝海涼香の美術部の先輩に当たる大学生で、三ヶ月ほど前にスランプに陥っていた彼女がこの大学生に相談し、すでに大麻使用をしていた大学生が彼女に勧めたのがきっかけだったとか。本人曰くインスピレーションがわくようになり、やめられなくなったとの事だ。その後、彼女が同じくスランプで悩んでいた美術部の同級生二人にも勧め、最近はこの三人で一緒にやっている事が多かったらしい。もちろん、彼女たちに麻薬を流していたその大学生も逮捕され、美術部は無期限の活動停止になったそうだ」

「そうか……」

「ただ、それ以外に使用が確認された生徒はおらず、校内の逮捕者はこの三人だけとなった。放っておいたら使用者がさらに増えていた可能性もあったから、ここで食い止められたのはよかったと言えるかもしれない」

「……あぁ、そうだな」

 大科はため息をつきながらもそう言って窓から外を見やった。

 今日は日曜日で、なおかつ時刻は夕方になろうかという頃合い。従って学校にいるのは部活に来た生徒くらいで、しかも時間的にその部活も終わって校内にいる生徒も少ないはずだった。実際、大科もそれを見越してこの時間に学校に行くつもりだったのである。

 だが、いざ学校の門の前についてみると、休日にもかかわらず多くの人影の姿が見えた。

「何だ?」

 大科は首をかしげていたが、車が校門に近づいた時点で、その正体に気付いて思わず目を見開いていた。

「これは……」

 そこには、何人かの生徒たちが『大科さん、お帰りなさい!』と書かれた手作りの横断幕をもって待ち構えており、大科が車を降りると拍手が沸き起こったのである。大科が振り返ると、なぜか瑞穂がブイサインをしていた。

「大科さんが今日退院するって事を、あらかじめ小仲井先輩に伝えておいたんです。やっぱり、こういうのは出迎えてもらう方が良いじゃないですか」

 改めて校門の方を見ると、生徒会長の小仲井が「してやったり」と言わんばかりの笑顔を見せていた。と、そこへ守衛室から青野がのそりと姿を見せた。

「帰ったか。なら、さっさと手伝ってくれ。お前がいない間、たまりにたまった仕事を彼女たちが手伝ってくれたんだぞ。病み上がりだか何だか知らんが、その分はしっかり働いてもらうからな」

 ぶっきらぼうに言いながら、青野はすぐに守衛室に引っ込む。が、それが青野なりの励ましの言葉である事に大科も気付いていた。

「俺は……」

 と、そこへ榊原が近づき、隣に並びながら眩しそうに言った。

「いいものだな、帰る場所があるというのは。こればかりは、私には真似できんよ」

「……」

「……行ってやれ。詳しい話はまた飲みながらでも聞こう」

「……あぁ、すまないな」

 そう言うと、大科は少し目に涙を浮かべながらも、しっかりと笑みを浮かべて松葉杖をつきながら彼らの元へ向かって行った。そんな大科を見送りながら、残された榊原は瑞穂に語り掛ける。

「これで、本当に終わったな」

「はい。何というか……今回は大変でしたね」

「まぁ、そうだね。何にせよ、解決できてよかった」

「またまた。先生ならどんな事件でも絶対に解決できるって信じていましたよ」

「言ってくれるね。さて……それはそれとして、これからどうしたものか」

 榊原はそう言って少し考え込んだが、それに答えたのは瑞穂だった。

「じゃあ、私たちも帰りましょう。大丈夫です、さっき先生はああ言ってたけど、先生にだってちゃんと帰りを待ってくれる人はいますから」

「……聞くのが怖いが、それは?」

「とりあえず私。それに、亜由美さんとか」

「……」

「ちょっと! 何とか言ってくださいよ! 自分で言うのも何ですけど、若い女の子に待ってもらえるっていう状況はなかなかない話だと思いますよ!」

「待つ相手が自称探偵助手を名乗る奇特な女子高生というのもどうかと思うがね」

「あー、そんな事言いますか!」

「……まぁいい。何にしても私も疲れた。しばらくはゆっくりとしたいものだが……そうもいかないだろうな」

 榊原は苦笑気味にポツリと呟くと、車のドアを開けながら告げた。

「とりあえず帰ろうか。いつも通りの『日常』とやらへ」

「……はーい」

 大科たちが生徒たちに温かく迎えられるのを見ながら、二人の乗った車はゆっくりと走り去っていく。そしてそれが、今度こそこの事件が本当の意味で終わったという一つの節目となったのだった。

 ……なお、ゆっくりしたいと言った榊原の言葉とは裏腹に、この翌日……すなわち二〇〇八年六月二十三日から、榊原は六月上旬に蒲田駅近くの住宅街で発生した指名手配犯による女子高生襲撃事件(後の世では一部で『贖罪者』事件などと呼ばれている事案である)の捜査に関わる事となり、そこで相変わらずの推理力を見せつける事となるのだが……それはまた、この事件とは関係ない別の話だったりするのである。

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