プロローグ
屋敷を燃やす炎は冬の夜風を味方に、さらに勢いを増す。
少年は生まれて十一年慣れ親しんできた家が炎に包まれるのを呆然と眺めていた。いったい何がどうしてこうなったのかと。
「父上も母上もあの中だ。運が良かったなナサニエル」
少年の背後から男の声がした。ナサニエルと呼ばれた少年はそちらへ振り返る。
「兄さん、なんで……こんな」
泣きそうになりながらナサニエルは兄の冷徹な赤い眼を見た。そして悟った。
ことの首謀者は兄だろう。でなければこんな冷淡な顔が出来るわけがない。であれば何故、とナサニエルは昨日までは暖かな笑みをたたえていた兄と今の兄とで煩悶する。
「……今のお前じゃ理解できない。だが、これは必要な事だったんだ」
「必要なこと!? 必要だから父さんや母さんを殺したの? そんなのあんまりだ!」
そう叫んでナサニエルは兄へと掴みかかった。が、
「がぁ!」
彼は左手でナサニエルの腕を掴み、捻り上げ、そして横腹に右拳を叩き込んだ。ナサニエルはそのまま崩れ落ちる。
「お前が知る必要はない。慈悲で生かしてやった事を忘れるな」
そう言って彼はナサニエルの頭を踏みつけた。
「なん……兄さん、こんな」
「愚図が。いや、何も知らずに楽して生きているお前じゃ仕方ないのか」
普段はとても優しい兄がそんな事を言うので、ナサニエルはついに決壊した。少年はナサニエルのえずく姿に舌打ちを一つする。
それから彼はナサニエルの髪を掴み上げると、泣き濡れた頬を押さえ込み、
「死にたくないだろ? いいか? 下町へ行け。上手くいけばドブさらいとして生きていける。ここであった事は忘れろ。そのほうが更に生きやすくなる」
それから彼はナサニエルの上体を起こすと、念入りとばかりに腹へ蹴りを入れる。またもやナサニエルはえずいた。
悶え苦しむ弟を見下ろしつつ、彼はポケットから硬貨を数枚取り出し、放り投げた。
「上手く使うんだな」
それから少年は燃え盛る屋敷を一睨みした後、翻り、闇夜へ溶け込むように歩き去って行った。
ナサニエルは未だ痛む腹を押さえながら去って行く己の兄を涙顔で睨んでいたが、姿が見えなくなると、地に落ちている硬貨をかき集め、そして這うように木陰へと移動した。
「家が。父さん、母さん……」
消防の鐘の音をおぼろげに聞き流しながら、焼き崩れていく屋敷をぼうっと眺める。
「にぃさん……!」
奥歯を噛み締め、ナサニエルは震える足を必死に下町のほうへと走らせ、闇夜へ紛れていった。