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異世界とファンタジーとハイ・ファンタジーと

作者: 嶺岸 圭

 なろうのジャンル設定で大ジャンル「ファンタジー」、サブ「ハイ・ファンタジー」「ロー・ファンタジー」の分類が成されています。

 その説明として「ハイ・ファンタジー」は『異世界が舞台』の話となっています。


 いや、ちょっと待ってください、ハイ・ファンタジーって『異世界が舞台』だけしか意味しない概念でしたっけ?

 私がハイ・ファンタジーと言うのを聞いたの自体は、1990年前後だったと記憶しているのですが、その時の概念では『異世界が舞台』*だけ*がその意味では無かったように思います。

 と言う事で、この違和感を追いかけてみました。


 なお、あくまでも私個人の私見、主観です。

 このエッセイは、何一切、誰に対しても、意見の変更を迫る物ではありません。

 あなたはあなたの意見のままで問題ありません。同様に、私が意見変更を強制される謂れも無い事に注意しましょう。


――――――――――――――――――――


 さて、上のような事を掲げておいてなんですが。

 なろうのジャンル編成上の話として「ハイ・ファンタジー」ジャンルは『異世界が舞台』とする事。


 それ自体には*何一切問題はありません*。


 なろうを利用する上で、そこを指標にして分類するという事、また対として「ロー・ファンタジー」『現実世界が舞台』と言うのも問題はありません。

 これは、「小説家になろう」と言うサイトを使用する上での分類としての使用、だからです。

 特定範囲内で使用する専門用語、の部分は全く問題ではありません。


 本エッセイは、外部から見た場合の違和感であって、これを理由にして内部の規範を替えなければならない物ではありません。


――――――――――――――――――――


 もう一つ。

 単語と語彙の話を書くと、必ず現れるのが「言葉は生き物です」論。

 はっきり言いますが、ここにこれを書く人は「馬鹿です」。

 言葉の概念が時間と共に変遷する事、そんな事はわかった上で、概念の差や違いの話を行っているのです。


 ついでに書いておきますが、言語ゲーム論を持ち出す場合も同様です。

 「小説家になろう」と言う『特定のゲーム』で使用する場合の共通ルールが『異世界が舞台』です。

 そうでは無く、その言葉が生まれて以後の単語概念が『異世界が舞台』とだけの簡単なものだったかどうか、と言う話です。


 言葉は生き物論では、その生きてきた過程の中の概念の話に対して現代だけを見ているから、反論として成り立っていない。

 言語ゲーム論ではそもそもの「ゲームが特定されていない」漠然とした状態の頃の概念の話に対して特定のゲームを前提にしているので、反論として成り立っていない。

 的を外して「はい、論破」とかやるのは、馬鹿の所業です。的を外している時点で詭弁の類になりますので、注意しましょう。


――――――――――――――――――――


 さて、では違和感を探るにあたって、まずは言葉の定義を考える場合の一番簡単な方法、「辞書を引く」と言うのを考えてみました。

 駄目でした。


 ハイ・ファンタジーはそもそも英語のカタカナ化ですから、high fantasy を引いてみました。当然、英語の辞書サイトで、になりますが。

 載っていませんでした。

 英語で載っていた辞書的なものでは Wiktionary にはありますが、これは誰でも書き換えが可能なので、引くのに妥当かと言うと……?


 と言う事で、論立てのきっかけに置けそうな辞書が使えないという状態、ちょっとどういう筋道で語るかなぁと困ってしまいました。


――――――――――――――――――――


 さて、辞書をきっかけに使えないので、じゃぁ他の手を考えたのですが。

 思い浮かばなかったので、そもそも話を始める事になった私自身が持った違和感から始めましょう。

 そもそもの違和感は一つ。


『ハイ・ファンタジーとは『異世界が舞台』と言う簡単に説明が出来る程の内容の薄い概念だったか?』


 概ね自分の違和感の正体が分かった後で考えると、実は上の疑念の持ち方もまた間違えていたのですが、きっかけはそんなものです。

 一つの説明で済ませられる程簡単な概念ではない、と言う事で、では私が持っているハイ・ファンタジーの概念を説明してみますと、いくつもの要素が絡んできます。


・現実とは関係ない世界を舞台としている事

・・異種族、神々、魔物、他いろいろと

・剣と魔法の物語

・概ね、壮大な物語となる事

・ヒロイック・ファンタジー(英雄物語)かエピック・ファンタジー(叙事詩)の形を取る事が多い

・光と闇、善と悪の対立などで描かれる


 大体こんな感じですかね。

 私の感じているハイ・ファンタジーと言うのは、大体こんな印象なんですよね。決して『異世界が舞台』だけで説明できる物じゃないだろうと。

 小説家になろうでは大胆に意味を削り捨てて、『異世界が舞台』だけに集約してある、そこが違和感だという事に気が付きました。


――――――――――――――――――――


 でも、小説家になろうが「ジャンル」として「ファンタジー」の「サブジャンル」の形で「ハイ・ファンタジー」の単語を利用する事を考えた時。

 この場合、大勢の人間が見てわかる、非常に解りやすい「説明」が必要になります。

 その意味で、この大胆な意味の削ぎ落としは『正解』です。大勢にとってかなり明確な指針ですから、その意味で「ジャンル間違い」を減らす事が出来る。


 だから、私も現在のなろうジャンルとしての使い方は、なろうの中で納まる限りは問題無いと考えている訳です。


――――――――――――――――――――


 さて、では私が感じていた情報と言うのは、本当に共有されていない概念なのか?

 そこで Wikipedia を見てみると……

 日本語も英語も概ね似たような内容が書かれています。

 ただし、それは「定義的な意味」としてではなく「特徴」や「類型」の形としてです。


 確かに、私が書いた内容は、全ての物語に共通するのかと言うと、説得性に欠ける所があります。全てが必須要素とは言えません。

 そういう意味では Wikipedia 方がより上手く説明していると言えるでしょう。


――――――――――――――――――――


 こうして微妙に言語化につまずいた時に、本当にそこが「違和感」だったのだろうか?と言う考えが浮かびました。


 ここで、ちょっと話は変わりますが。

 ファンタジージャンルの小説(主にラノベ)のサブジャンル的な説明として、「異世界ファンタジー」と言うのが生まれています。物語の舞台が異世界な事を指してます。

 まさしく、なろうジャンルに言う「ハイ・ファンタジー」の意味概念と言っても良いでしょう。


 と言う事は、Wikipedia にもある「ハイ・ファンタジー」=『異世界が舞台』=「異世界ファンタジー」、と言う事になるのでしょうか?


 これもまた違いますね。

 ハイ・ファンタジーは異世界である事「以外」もまた含まれた概念です。少なくとも自分には。

 そして、そういう概念で*私が*覚えているという事は、少なくとも過去にそういう風に広い概念を含んでいたはずだと、私は考えています。

 この展開は非常に主観的であるため、客観的な論とは言えないですが、そこは最初に注意した通り、ご了承ください。


 さて、そこで「ハイ・ファンタジー」の語源的な所を探してみました。

 Wikipedia 英語「High fantasy」の項目に、一つ面白い一文があります。

 "High fantasy" と言う単語は 1971 年のエッセイ「High Fantasy and Heroic Romance(ハイ・ファンタジーと英雄的な物語)」で「造語された」と言う物です。


 では、この初めて使われた「High fantasy」とは、どんな文脈で使用されたのでしょう?


※注: Romance は、特に恋愛物の意味で使われる事が多いですが、中世騎士物語や冒険小説と言ったような意味合いも含まれます。対象のエッセイは特に恋愛に絞った小説の話をしていないため、ここでは恋愛系の意味合いを含まないとして、あえて上記のような翻訳を当てています。が、これもちょっと不適当かもなぁ。


――――――――――――――――――――


 でと。

 えーと、私自身はいろいろとぐるぐる廻った上で、元エッセイを入手しています。

 URLも保存しています。

 まだ繋がって読める事も確認しています。


 そこで問題になるのですが、なろうにおいてURLを記述する事をなろう公式から直接禁止されております。

 よって、ポインタを示す事が出来ない事、ご了承ください。次に書いたら規約違反に容赦ないと大評判の公式の手によりID抹消になり、ブックマークが飛んでしまう……


 普段ならURL記述の替わりにリンクの辿り方や、参考となる検索ワードなどを示すのですが、こちらも「分かりやすい」物が見つからないため、文章記述も難しい所です。

 Internet Archive に、 2007/11/10 22:11:37 に取得した文章として持っているんですが、うまいポインタになる単語を見つけられない……


――――――――――――――――――――


 さて、このエッセイその物についてを翻訳しても意味が無いので、著作権法に問題にできないレベルでざっくり要約……できませんでした。

 ちょっと翻訳のための英語力が足りない……足りない英語力を補うだけの日本語力も足りない……


 ともかく、まぁ、要約はおいといて(逃げた)。

 このエッセイで語られている内容ですが、人間の想像力、芸術、欧州圏(と言うかゲルマン民族やロマンス諸語の辺りかな)の神話や中世の文学や散文、現代のファンタジー作品、の辺りいついていろいろと語っています。

 その中で「High fantasy」と言う単語は4回使われています。

 ではその文脈は?


 このエッセイの中では、“High fantasy とは強い感動をもたらす事が出来る、(神話にもあるような)英雄的な物語(ファンタジー物語)”のような語り方をしています。


 そういった、神話的な英雄物語を小説として書いている人として

 ウィリアム・モリス

 ロード・ダンセイニ

 E・R・エディスン

 James Branch Cabell

 C・S・ルイス

 T. H. White

 を取り上げています。

 そしてもう一人、(現代の)ヒロイックファンタジーの基礎とも言えるものを築いたJ・R・R・トールキンの業績は素晴らしいという一文もあります。


――――――――――――――――――――


 ちょっと寄り道をして。

 このエッセイの中で触られている一つが興味深いので、ちょっと無理やり引いておきます。ただし、著作権の問題から本文の翻訳ではありません。


 英雄物語を書く作家には、古い文学や神話などから造られた「スープの壺」(トールキンが言う「ストーリーの鍋」)と言う普遍的なソースがある……と言うような話をしています。今、溢れてる言葉にすれば「テンプレート」の話ですね。

 それは神話や伝承に何度も使われた事がある要素(モチーフ)からいろいろと引っ張ってきているという話が成されています。それはキャラクター|(英雄、悪役、妖精、ドラゴン、魔獣、幻獣、etc)やストーリー展開|(試練、誘惑、魔法の探求、一連となる出来事(キャンペーンクエスト))、あるいは様々な武器など。


 ただし、一方でファンタジーとは何も与えられていないとも。

 全てが自由であり、想像して構わないともあります。


 テンプレートを使う事を肯定しつつ、想像を忘れない事の重要性もまた大切な事と言う話ですね。


――――――――――――――――――――


 寄り道から戻って……えーと、high fantasy が最初に使用された文脈からもたらされる概念の解析と。


 先に書いた通り、high fantasy と言うのは、「強く感情が揺さぶられる」ような作品を示す意味で使用されています。

 それは時に文学的、芸術的な物と同じと言うような。


 このエッセイで使われている概念には、*特定の作品*を指していないし、ましてや現在の Wikipedia に書かれているような『異世界が舞台』と言う意味では、全く使われていません。


――――――――――――――――――――


 で、これを読んだり、まぁ他にもいろいろとあって、自分の覚えていた概念を思い出せました。

 『異世界が舞台』=(或いは≒)「ハイ・ファンタジー」、と考えて使用していた事がそもそも無い、と言う単純な事実を。


 では、そういう『異世界を舞台』とした作品を何と言うジャンルで把握していたか。

 ただの「ファンタジー」作品です。


 そう、*「ハイ・ファンタジー」ではない*んです。


 数多ある「ファンタジー」作品(*『異世界を舞台』にした物語*)の中で、特に出来の良い物が「ハイ・ファンタジー」と敬意を持って呼ばれていた、と言う使い方なんです。

 私が最初に触れた「ハイ・ファンタジー」と言う*呼び方*は、そういう使い方でした。


――――――――――――――――――――


 これを思い出せたのが非常によかった。

 そう、私の違和感の根底にあるのは、語彙、概念の違い(概念の変遷や欠落)なんて生易しい物ではなくて、そもそもの「使用方法の違い」に起因していたのです。

 現在の言葉で厳密に言うなら、「ハイ・ファンタジー」と言うのは「ファンタジーのサブジャンル」と言う使い方ではなかったんです。


 私が「ハイ・ファンタジー」と言う単語を記憶したのが、確か1980年代後半から1990年代前半の辺りのはずなので、少なくともその辺りより前……記憶ではもう少し後の、多分、インターネットがここまで一般的になるより前まで……1990年代後半あたりまでは、「ハイ・ファンタジー」と言うのは、「ファンタジー作品」の中の一部の作品に対する敬称的な使い方だと思います。


 そもそも情報の拡散力が(スマートホンなどで手軽に情報拡散出来る今に対して)小さい時代ですね。


 と言う事で、本題の違和感について、その原因が解ってすっきりしました。


――――――――――――――――――――


 さて、ここで再び余談。


 「ハイ・ファンタジー」を『高尚な作品』と考えている人がいて、それを否定するという話を、「ハイ・ファンタジー」の様々な定義論を探している時に見ました。

 何故、このような論が起きているのか?と言う所の考察です。


 先に書いたように、元々の使い方として「ハイ・ファンタジー」と言うのは、『ファンタジーであり、出来の良い物』と言う意味合いで使われていた物です。

 そうなると問題はこの『出来の良い』と言う部分がちょっと曖昧で、ここに個々人の主観の揺れの幅が結構大きな概念と言えます。

 よって、この『出来の良い』と言う部分を『高尚(上品)』と捉えていた人が一定数いたのではないでしょうか?


 そもそものエッセイではどうだったか?

『ファンタジー作品の中でも、強く感動をもたらす英雄物語』

 です。『出来の良い』ではない。

 作品例なども合わせて考えると、『重厚な世界であり、かつ、重厚な物語である』と言う感じですかね。

 ともかく良く練られ、考えられた作品と言うのが、元のエッセイの作者 Lloyd Alexander さんが「high fantasy」と称する物です。


 そもそも私の時点で語彙に変遷が生じていますね。

 そう考えると、「ハイ・ファンタジー」の『出来の良い』と言うのを『高尚な作品』と捉えていた人が居ても、あながち*間違いではない*と思います。

 私自身はそう受け取っていない事から、おそらく1990年代後半に生まれた概念だと思いますが。


 そして、そもそも「ハイ・ファンタジー」とは『異世界を舞台にした物語』と*数多ある意味を削ぎ落した語彙*と言う概念が、*一番新しく生まれた概念*なんですね。


 ついで。

 今回の話の場合に、「言葉は生き物です」と言う突っ込みに意味が無い事は、これでお分かりいただけたでしょうか。

 過去から今に至る、その「変遷」が重要な話の一つに対して、*最新の意味*だけ取り上げても、それはただの事実の指摘でしかなく、なんの価値も無いんですよね。


――――――――――――――――――――


 語彙の変遷の話をしたので、現在、この語彙の変遷に一番強く寄与していると思われる、wikipedia の history を見てみましょう。


 日本語で「ハイ・ファンタジー」の項目が作られたのが 2004年9月24日 (金) 11:24。

 この時の意味合いは、まさに今に連なっている『実世界と関係ない異世界を舞台にしている物語』となっています。

 最初に作られたこの方の概念が、デファクトスタンダード化している感じがするなぁ……


 英語で「High fantasy」の項目が作られたのが 17:35, 12 December 2001。

 こちらも『異世界を舞台としたファンタジーのサブジャンル』と言う説明です。

 付随として、


・善悪の闘争を扱った一大叙事詩

・(トールキンの)エルフなどの異種族

・魔法

・架空言語

・恋愛


 などがある、と言う説明です。


――――――――――――――――――――


 そして、英語の「High fantasy」初版には一つ重要な注釈が。

 現代を背景に持つキャラクターが【異世界転移】な物語は、純粋主義者は*真の*「ハイ・ファンタジー」とは見なさい可能性を記述しています。


 一番最初のエッセイでは、作品例こそ取り上げていなかったのですが、C・S・ルイスは「ハイ・ファンタジー」足り得るとしている事に注目しましょう。

 「ナルニア国物語」(現代を背景に持つキャラクターが異世界で冒険を行う物語)もまた「ハイ・ファンタジー」の一つと、エッセイでは考えられていると思われるんですよね。


 もう一つここに付け加える。

 「ハイ・ファンタジー」を語る時に、とあるページで「ハイ・ファンタジーとは、J・R・R・トールキンの指輪物語によって成立したサブジャンルである」「そして指輪物語の前に該当作品は無く、後にも該当作品は無い」と言うのを見かけた事があります。

 色々と面白い純粋主義者なのですが、これも先に上げたエッセイを見てみると。

 おそらくJ・R・R・トールキンの指輪物語を想定して、現代の基礎とも言えるものを築いた事を素晴らしい業績とはたたえていますが、「ハイ・ファンタジー」は指輪物語だけを想定はしていない、どころかJ・R・R・トールキンが一番若い作家なんですよね。

 一番最初に使われた概念から、かなり乖離している事がわかります。


 さて、このような対象の変遷、本質としては意味・概念の変遷は、何故起きたのでしょう?


――――――――――――――――――――


 さて、では、なんで『敬称的な使い方』が、ただの『ファンタジーのサブジャンル』『異世界が舞台の物語』になったのか?

 おそらく、これは、皆さん大好きな「ジャンル定義論」が原因にあると考えられます。

 作品に対する議論とかジャンルの議論とかは、古くは「おたく」第一世代の頃から。

 2ch でもいろいろと、まとめになっていたり。

 Twitter でも時々やってるのが Togetter にまとめられたり。

 「ライトノベルとは何ぞや」(発祥は日本でのジュブナイル向け・ヤングアダルト向けの*レーベル*から出された小説の感想を、海外小説をベースのフォーラム(掲示板のような物)に流されると、話題が混ざってうっとおしいので、話題を分ける為に新しくシスオペ(フォーラム管理者)によって造られた単語)とか、よくループしていましたよね。


 さて、今回の話では考察すべき点としては2か所。

・ハイ・ファンタジーが、敬称的な物からサブジャンルと化した事

・サブジャンルの意味として『異世界が舞台』と言う意味に集約された事

 この2点が、現在の語彙に繋がっている大きな変更点と言えると考えられます。


――――――――――――――――――――


 では、次にこのジャンル論ですが……と考えたのですが。

 元は短編エッセイのつもりだったのですが、あまりにも長くなり過ぎたし、そもそも「私の感じている違和感」が本題だった事から、「ジャンル論」に入るとかなりの客観性の担保も問題になるので、本題から大外れなんですよね。


 と言う事で、いろいろと考察点を書きだしておいてなんですけど、この辺りで一度、話を終わる事にします。

 お目汚し、失礼いたしました。


 ジャンル論として、ファンタジーとそのサブジャンルの考察は何度か書いては没にしてるので、ジャンル論エッセイを書きあげて公開する事があるのかは謎のままではあるのですけどね。

 趣味で書いてる事なので、約束はしないまま逃亡します。


 んでは、では(^^)/



余談

 書くかどうかわからないので、大雑把な所を少し打ち込んでおくテスト。


 ファンタジー、サブジャンル論には、おそらくSF、サブジャンル論の流れも一部で絡んでいるような印象を受けています。

 後は、二項対立ってとってもわかりやすい概念だよねと言う物も。先行してハイ・ファンタジーが存在していて、「それに対して」ロー・ファンタジーが新しく想像され、意味が後付され、この後付の意味に引きずられてハイ・ファンタジーの意味が変遷して……と言うような物。


 大体こんな話になります。



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