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2.夢のあとで……

 あれぇ、来ないのかな。

 何度も廊下側に目をやる。練習はとっくに始まっているけれど、あの少女は表れる気配さえしない。昨晩の様子だと、約束を忘れるとは思えないのに。

 合間を見て、瑠香ちゃんに「来てないよね?」と問う。何度聞いても、首を横に振られた。そして……とうとう、練習の終わりの時間が来てしまう。

 結局来なかったね、と瑠香ちゃんが寂しげにつぶやく。

「あの子に、また会いたかったのに」

「うん。あたしも……」

 そう返事した時だった。ふいに扉がノックされ、「こんにちはぁ」と声が聴こえる。

「どうぞ。ちょっと待ってて」

 駆け寄ると、あの少女が立っていた。

「よかったぁ。具合が悪くなっちゃったんじゃないかと思って、心配してたんだよ」

「……ごめんなさい、ちょっと探しものをしてて」

 他の部員達が、一斉にこちらを振り向く。

「原野、この子だぁれ?」

「あ……それは、えっと」

 言われてみれば、まだ名前も聞いていない。ねぇ……と問う前に、少女は答えた。

鈴原絵美すずはらえみです。急にお邪魔してしまって、ごめんなさい」

 昨日と同じように、丁寧な言葉遣いで答える。

「四月になったら、わたしもK中学校に進むんです。中学ではブラスバンド部に入りたくて」

「へぇ、絵美ちゃんっていうの」

 部長の宮田愛みやたあい先輩が、少女の前にかがみ込む。

「なんか、この子……川本と似てない?」

 どきっとする。ずっと感じていたことなのに、なぜかあたしは……そのことを考えないようにしていた。思い出すのが辛いから、なのだろうか。

「あの子も入部した頃、こんな感じで丁寧な話し方だったよね。すごく生真面目な……もうちょっとリラックスしていいんだよって、よく言ったんだけど」

 それに、鈴原絵美という少女の名前……何だかどこかで、聞き覚えがある。

「じゃあ……昨日の演奏、もう一回見せようか」

 愛先輩の一声に、部員達が「はいっ」と答える。

「せっかく未来の後輩が、わざわざ来てくれたんだし」

 その固い結束を示すように、小気味よく響く。ところが……あたし達がそれぞれの位置へ散り、楽器を構えようとする時だった。

「……あの」

 絵美ちゃんが、か細い声で口を挟む。この時初めて気づいたのだが、彼女は楽器のケースを持ってきていた。

「できれば、わたしも一緒に……いいですか?」

「えっ。絵美ちゃん、やったことあるの?」

 先輩が驚いて尋ねると、絵美ちゃんは「はい」とうなずく。そしてケースを開け、中身を取り出す……それはフルートだった。

「昨日の曲ですよね? 時間がある時、一人で練習してたんです」

 彼女はそう言うと、フルートを吹き始める。部員達の間から、感嘆のため息が漏れる……とても美しい音色だった。さらに、曲のパート部分もほぼ完璧に吹きこなしている。

 絵美ちゃんが吹き終えた瞬間、大きな拍手が起こった。

「これはちょっと、すごいなぁ。今すぐスカウトしたいくらいだよ」

 愛先輩に褒められると、絵美ちゃんは「ありがとうございます」と頬を赤らめた。恥じらう控えめな表情が、とても愛らしい。

 ただ、あたしは複雑な思いだった。フルートは……自分が入部する前だけれど、栞ちゃんが担当していたからだ。親友の影が薄れていくような気がして。

 顧問の先生が、正面に立つ。指揮棒を構え、振り上げた瞬間……演奏が始まった。

 絵美ちゃんは、あたしと瑠香ちゃんの間に入り込んできた。狭いよと言ったのに、なぜか「ここがいいです」といたずらっぽく笑う。細身な少女だから、あまり関係ないのかもしれないが。

 彼女の細い指が、滑らかに動き……周囲と調和した美しい音色を、紡ぎだしていく。

 もちろん、すごく上手だなと思う。でもそれだけじゃなく、絵美ちゃんは……心底楽しそうだった。彼女は今初めて、人と一緒に音を合わせる喜びを、味わってるのだろうと。それまでの彼女の孤独を思うと、涙がこぼれそうになる。

 全員での演奏が終わった後も、絵美ちゃんは色々な曲を披露していった。ソロ曲だけでなく、他の楽器も合わせ……音楽室はさながら、ミニコンサート会場となった。

 フルート演奏の巧みさだけではない。あたしが驚かされたのは、絵美ちゃんがどの部員とも見事に呼吸を合わせていたことだ。まるで既知の間柄のように。

「……次は茉白さんと、瑠香さんも一緒にお願いできますか?」

「あっ、うん。いいよ」

 あたしと瑠香ちゃんも呼ばれ、三人で演奏する。

「すごぉい。今までで一番、きれいかも」

 愛先輩が手放しで褒めるほど、あたし達の息はぴったりだった。途中、お互い何度となく目を見合わせ、微笑む。こんなに音楽を心から楽しんだのは、初めてのような気がする。


 夢のような時間は、あっという間にすぎていく……



 予定の時間を、もう三時間もオーバーしていた。

 日曜日ではあるが、そろそろ……という話になる。あたしと瑠香ちゃんは、絵美ちゃんを送っていくことにした。先に音楽室を出て、他の部員達と別れる。

 さすがに疲れたのか、絵美ちゃんは無言だった。それでも十分満足したらしく、時々あたしと瑠香ちゃんに微笑みかけたりする。

 やがて、校門近くへ差し掛かった。

「ん……絵美ちゃんのお父さんとお母さん、来てないの?」

 そう尋ねると、絵美ちゃんは小さく首を横に振る。

「もともと来ない予定なんです。わたし一人で」

「うそっ、絵美ちゃん。それは良くないよ……まだ体の具合が」

 あたしが慌てると、絵美ちゃんは……なぜか、こちらに向き直った。

「よかった。最後まで、みんな気づかないでいてくれて」

 奇妙な一言に、ぎょっとする。

「絵美ちゃんはね。ずっと言ってたの……病気が治ったら、友達と一緒に音楽をしたいって。でも、それが叶わなかったから。あの子も一緒に、連れてきたんだよ」

 言い回しが、さらに理解しがたいものになる。それでも本人の表情は、穏やかそのものだった。

「ねぇ……思い出して」

 あたしに顔を向けて、絵美ちゃんはいたずらっぽく笑う。

「一緒に墓参り、行ったでしょう」

「墓参りって、何の……あっ」

 思わず声を上げていた。



「せっかく会いに来たのに。わたしが泣いたら、あの子が悲しんじゃう」

 まるで自分に言い聞かせるように、彼女は微笑んで答えた。

「絵美ちゃんは何があっても、笑っている子だったから。音楽が好きな子でね……楽譜を読んだり、ピアノを弾いたり。よく一緒にしてたなぁ」



 うそっ……と、あたしは瑠香ちゃんと目を見合わせる。彼女もこの異様な状況に、だんだん気づいてきたようだ。信じられないというふうに、目を丸くする。

「……ふふっ。やっと思い出してくれた」

 “鈴原絵美”と名乗っていた少女の声が、少しずつ変わっていく。やがてそれが、聴き覚えのあるものへと……

「驚かせちゃうといけないから。みんなの知らない、彼女の姿を借りてたの」

 声だけでなく、その姿までも。幼い面影の濃かった顔立ちから……もう少しだけ、大人びた少女の顔へと。二度と会えないはずだった、温かでそっと包み込むような、優しい眼差し……

「瑠香ちゃん、茉白ちゃん……わがままに付き合ってくれて、ありがとう。これでもう思い残すことはないよ」

 涙があふれる。顔立ちをはっきりと捉えた時、あたしは叫んでいた。


……栞ちゃんっ!


 だが、それは一瞬のことだった。気がつくと、もう目の前には誰の姿もない。後には風の音だけが、そよそよと優しく聴こえてくる。

「これって、夢だったのかなぁ」

 まるで独り言のように、瑠香ちゃんがつぶやく。

「そうだね。でも……んっ?」

 足のつま先に、何かがこつんと当たる感触があった。ふと見ると、あのフルートのケースが落ちている。その時、瑠香ちゃんが声を上げた。

「しろちゃん、これっ……見たことある」

 拾い上げてみる。あたしも、さっきは気づかなかった。

 いぶかしく思いながらも、ケースを裏返してみる……貼り付けられたシールに、サインペンの丁寧な字で“川本栞”と書かれていた。



 栞ちゃん、ありがとう。これからは、もっと強く生きていくね。


 でもあたし、絶対忘れない……栞ちゃんに何度も救われたこと。優しくしてもらったこと。そして栞ちゃんが、確かにここで一生懸命に生きていたこと。


 前に、手紙で書いてたよね。遠く離れても、一生の友達だよって……だからずっと、大好きだよ。

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