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1.不思議な少女

 過分な反応に、戸惑ってしまう。

 学校近くの公民館内にある、大ホールだった。近隣の小中学校による合同の定期演奏会が、隔月で催されている。あたし達のK中学ブラスバンド部も、長年参加していた。

「お疲れさま」

 指揮者を務めていた顧問の先生が、観客席へ一礼してあたし達に向き直る。その後方では、大きな拍手が鳴り響いていた。まるで県代表でも決まったの?と問いたくなるような。

「……ちょっと疲れちゃったね」

 そう言って苦笑いを浮かべる。気持ちは分かるよ、と言いたげに。

 すぐ斜めの位置に立っている、クラリネット担当の吉木瑠香よしきるかちゃんと目が合う。何だかね……と、お互い首をかしげる。

 色々なことがありすぎた。少なからず動揺はあったし、それで練習に集中できなかった時期もある。だから、そこまで完成度の高い演奏ができたわけじゃないと、たぶんみんな分かっている。

 これは事件の余波だった。

 真相が二転三転し、最終的には『母娘の無理心中事件』として決着した……その被害者少女が所属していたということで、一目見てみようと思ったのだろう。いつもなら空席も目立つ会場なのに、この日は入りきれないほど大勢の観客が詰め掛けている。

 彼女が苦笑いを浮かべながら、小さく「ごめんね……」と肩をすくめた気がした。

 楽器を片付けて、舞台を降りる。ほどなくして全プログラムが終了した。複雑な思いを抱えたまま、荷物を持って駐車場へ向かう。

 この日は、そのまま解散することになった。

 腕時計を見ると、六時をすぎていた。十二月も半ばをすぎ、この時間になると辺りはだいぶ暗くなっている。もう吐息が白い。

 部員達はお互いに「お疲れさん」「またね」を言い、それぞれ散っていく。あたしと瑠香ちゃんは、親が迎えにくることになっていたので、しばらく公民館近くのバス停で待つことにした。

「へぇ……フレーム、赤にしたんだ」

 瑠香ちゃんは、あたしの眼鏡を指さして言った。

「うん。ちょっとおしゃれ」

 さっぱりとした性格の子で、いつも誰かと楽しげに話してる。人見知りのあたしともすぐに打ち解けることができた。

「しろちゃん、眼鏡よく似合うよね。頭良さそうに見える」

 瑠香ちゃんには助けられたんだよ……と、彼女もよく言っていた。入院生活が長くなると、久しぶりに登校した時に心細くなる。その時、瑠香ちゃんが話しかけてくれて、とても気持ちが楽になったと。

「に見える……は、は余計でしょ。これでも前の期末テストで、平均八十点だったんだから」

 取り留めのない会話が続く。余計なおしゃべりは苦手だけれど、瑠香ちゃんとならそんな話も意外に楽しい。いや、こういうことも悪くないな……と、この頃思い始める。

茉白ましろちゃんは、もともとそういう子だったでしょう』

 えっ……と、唇が動く。

 耳の奥に、声が響いた。今では懐かしい、そして……悲しくも、優しく切ない記憶を呼び起こさせる声だった。

「……どうかしたの?」

 顔を上げると、瑠香ちゃんがいぶかしげな目を向けていた。

「瑠香ちゃん。ずっと聞きたかったことが、あるんだけど」

 なぜだろうか。胸の内に仕舞い込んでいた感情を、すべて解き放ってしまいたくなる。

「事件の前から……栞ちゃん、様子おかしかったの。瑠香ちゃんは気づいてた?」

「当たり前でしょう」

 思いのほか、きっぱりとした返事が返ってくる。

「小学校から一緒だもん。分かるよ……そっかぁ。しろちゃんも同じこと考えてたんだ」

 そう言うと、彼女は物悲しげに微笑んだ。

「やっぱり、しろちゃんにはもっと早く入部してほしかったな。あたし……他の子達に『栞ちゃん大丈夫かな?』って、よく相談してたの。でも、なかなか分かってもらえなくて」

「そうだったんだ。あたしなんか、誰にも言えなかったよ……瑠香ちゃんみたいに動けなかった」

「ううん、その方が良かったと思う。言いたくなかったみたいだし」

 瑠香ちゃんの顔が、痛ましげに歪む。あっ……と思い当たることがあった。

「もしかして……栞ちゃんが何に悩んでたのか、知ってたの?」

 尋ねると、彼女はこくっとうなずく。

「体のあざ、でしょう。誰にされたのかは、最後まで言わなかったけど……あれってお母さんに?」

「うん。手紙にそう書かれてたし」

「そっか。塾でしろちゃんの、先生だったんだよね……それで栞ちゃん、しろちゃんにはずっと黙ってて。後から手紙で」

 パズルの空白が埋まっていく。栞ちゃんは二人の友達に、わざと謎を一つずつ残したのだろうか。あたしが彼女の後を追うようにブラスバンド部へ入り、こうして瑠香ちゃんと言葉を交わす……そこまで分かっていたような気がした。

 ふと夜空を眺める。無数の星が、瞬いていた。

「すごい。きれい……」

 自分には似合わないと思うけれど、思わずそうつぶやいていた。瑠香ちゃんも「ほんとだ」と、並んで眼差しを上げる。

 あのどこかに、栞ちゃんがいる。今でもあたし達のことを、優しく見守ってくれている。


 ところで、なかなか言えなかったんだけど。本当は一緒に、ブラスバンド部でがんばりたいんだ。わたしのフルートと、茉白ちゃんのトランペットで合わせてみるとか。どう? 楽しそうだって思わない?


 せめて最後の望みくらい、叶えてあげたかった。

 あたしが過去を引きずっていたばっかりに……ごめんね、栞ちゃん。ほんとはあたしも、そうしたかったんだ。いつか立ち直れたら、きっとその日がくると思ってたのに。


 会いたい。もう一度会いたいよ、栞ちゃん……


「……あの、すみません」

 話しかけられていることに気づき、はっとする。

 あたし達の座っているベンチの横に、少女が立っていた。清潔な白地のブラウスと、紺のジーンズを身に着けている。おさげ髪のよく似合う、可愛らしい子だ。

 ただ、より目を引いたのは彼女の肌だ。暗がりではあるが、時折車のライトに照らされ……透き通るような白い肌だと分かる。まるで病院を抜け出してきたようにさえ、思えた。

「お嬢ちゃん、何かご用?」

 返答してから、お嬢ちゃんは変かな……と思い直す。年齢はたぶん十一、二歳。自分とそんなに変わらないだろう。

「えっと……K中学の、ブラスバンド部の方ですか?」

 礼儀正しい言葉遣いだ。ますます亡き友を、思い出してしまう。

「うん。そうだけど」

「お願いしたいことが……えっと」

 少し緊張したような顔で、少女は言った。

「練習、見に行ってもいいですか?」

「見にくるって……あたし達の、部活をってこと?」

 きょとんとした感じで、あたしと瑠香ちゃんは目を見合わせる。

「はい。できれば、明日」

「うーん。だめってことないんだけど……ねぇ」

 別に珍しいことではない。春休みになると、新入生の子達が入部希望の部活を見学しに来るらしい。顧問の先生に言えば、問題なく許可してくれると思う。

 ただ、時季はまだ年明け前だ。

「あなた今、小学六年生かな。ブラスバンド部に入りたいんだ?」

 瑠香ちゃんが尋ねると、少女は「はい」とうなずく。

「いいんだけど、ちょっとまだ早いんじゃない?」

「でも……明日じゃないと、だめなんです」

 少女は心なしか、物悲しげな表情になる。

「わたし、ずっと入院してて……三日間だけ一時退院を許されてるんです。明後日には、もう病院に戻らなきゃいけなくて」

「えっ、そうなの。じゃあ……」

 あたしは驚いて、周囲を見回す。少女の親を探した。

「なおさら、後がいいんじゃない? まず病気を治さなきゃ」

 少女は大きく首を横に振った。そして、懇願する目で答える。

「いつ退院できるか、分からないんです。もしかしたら……部活はしちゃだめって、言われてしまうかもしれないし」

 そう言うと、うつむき加減になる。

「だから今のうちに、少しでも見たいなって」

「そっかぁ。それで明日じゃないと……っていうことなんだね」

 切ない感情が、胸の奥に伝わってきた。同時に、またも既視感に襲われる……こんな話、前にも聞いたような。

 いいよね?……というふうに瑠香ちゃんと目を合わし、返答する。

「練習は、朝の八時半から……三階の音楽室で」

「ほんとですか? やったぁ」

 少女は無邪気に笑う。おとなしい反応ではあるが、心底うれしそうだ。

「じゃあ、明日うかがいますね。よろしくお願いします」

 ぺこっと頭を下げると、踵を返し歩いていく。

「あっいいけど、お父さんかお母さんと一緒に……って、あれ?」

 気がつくと、あたしは少女を見失っていた。

「おかしいなぁ、いつの間にいなくなったの」

「もう……しろちゃん、どこ見てるの。さっき角のところを曲がっていったよ」

 隣で瑠香ちゃんが、少しからかうように笑う。

「うん。そっか……でも」

 不思議な子だなぁ、と思った。それになぜか、初対面だというのに……何だか懐かしい気がする。前にどこかで会ったことのある子だろうか。

 妙なことを考え出していることに気づく。慌てて、かぶりを振った。


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