第四十二話「思考と愚考」
少し短いです。
後悔は後から悔いると書く。
俺はまさに今、文字通り後悔している。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
何故ノコノコと素直について来たのか、途中で人気が無いことに気付いていたではないか、いや、途中で逃げた所で逃げれないと思っていたからなのは分かっている。だから、賭けようと思ったのだ。
完全に裏目に出た。
アクアに悟られないように、俺は鋼の心を三回唱えた。
手に汗が滲む。
もし俺が冷静だったなら、この時気付いていたであろう。
アクアには魔素が見える言う事を。それが指す意味を。
だが、俺には余裕なんてこれっぽっちも無かった。
レナを背負い、腰に差しているダガーを指で確認する。
狙いは足、目的はこの場からの先制離脱。荷物も出来れば失いたく無いが、物盗りが目的なら、撒き餌の代わりにも出来る。それに邪魔になるようなら最悪破棄する。
一文無しにはなるが、命と天秤にかければ安いものだ。こんな事で無駄にリスクを増やす必要は無い。
とにかく。とにかくだ。
まだ仲間らしき人影は居ない。
もしかしたら、もう少し奥で待ち伏せているのかも知れない。
なら、今が最後のチャンスの可能性がある。
もう賭けには失敗している。
躊躇している暇も、時間も、余裕も、何一つ無いに近い。事態は一刻を争う。
間違いなく相手の方が格上であり、手を抜いて良い相手では――
「――ほう、乘加魔法とな」
ブワッと嫌な汗が身体中から吹き出る。
アクアの顔は未だ村に向けられており、一切こちらを見ていない。
にもかかわらず、完全に手の内がバレてる。それなのに警戒している様子がない。本当にやばい。
「魔素孔が小さい事をそのような形で補うとは、やはり――」
アクアが何か喋っているのを気にする余裕もなく、力一杯に地を蹴り――俺は翔けた。
当初の予定通り足を狙い、姿勢は低く狼のように前傾姿勢のままダガーに手をかけ引き抜く。
一閃。
射程は剣や日本刀よりも遥かに短いが、乘加魔法で強化された居合いは一閃と呼ぶには相応しい代物になっていた。
ダガーはまるで吸い込まれるかのように足に迫る。
動体視力も強化されているから、俺の目でもダガーの軌道は的確に見えた。
アクアが動く気配は無い。
そのままダガーは足へと刃を伸ばす。
(取った!)
ダガーを振り切る。
足を切ればまず立つ事は困難であり、切り落とせれば立ち上がる事も難しい。
それなのに。
――アクアは立っていた。
そこに血の跡はなく、足を切った感触も、ダガーに付いているはずの血痕も何一つ無く、ただアクアが立っていた。
俺は見た。
いや、正確には見えなかった。
ダガーが当たる瞬間、剣先よりが少し当たらない距離までアクアが奥に――ブレた。
強化された動体視力を持ってしても、どうやって動いたのか何一つ見えなかった。
ただ結果として、当たらなかったと言う事実だけが見えた。
「なんじゃ、見えとらんとでも思っておるんか?」
魔法を口ずさんだ素振りも、警戒している素振りも無かった。現に警戒しているような口ぶりでもない。
例えれば、子供がイタズラをしてるのを面倒くさそうに諭してる。そんな口調だ。
反射的にアクアの顔を見た。
顔はまだ村に向けられており、警戒と呼ぶには程遠い姿勢を取っている。
ただ一つだけ先ほどと違うとすれば、黒く深淵を覗かせる様な瞳だけがはっきりと俺を捕らえている。
その瞳と視線が交わる。
ゾワリと鳥肌が全身を襲う。
咄嗟に後ろに飛び、距離を取る。
その間もアクアは微動だにせず、ただ前を向いていた。
そして、瞑想でもするようにゆっくりと目を瞑り――時間にしてはほんの数秒だが――またゆっくりと開き、今度は体ごとこちらに向き直る。
「して、なんじゃ、いきなり女の子に襲い掛かるなんぞ、野蛮にも程があろう」
その声のトーンからは、不愉快や不機嫌な事が聞いて取れる。
(どうする。どうすればいい。今から逃げるか? 逃げ切れるのか? もう一回鋼の心を使えば、逃げ切れるとは思う、だがレナが負荷に耐えられない。それなら――)
アクアから目を離さないように、荷物と寝ているレナを、起こさないようにゆっくりと降ろす。
荷物にもたれながら眠るレナとアクアの間に立つ。
「硬く堅く固く鋼たらしめるは心,信ずるは己,貫くは我が心 鋼の心」
逃げる事は不可能。
――なら。戦うしかないだろ!
4回目の鋼の心
俺の最高戦力であり、最終兵器だ。
体が風のように軽くなったのを感じる。と同時に、体内からすごい勢いで魔素が抜けていくのが分かる。
依然として、アクアは何もせず、ただこちらを見ている。
その顔は不機嫌とは少し違う、何か含んでるような顔をしていた。
ダガーを二本とも引き抜き、地を蹴る。
相手の目を見ながらジグザグと進む。
まっすぐには向かわない。
これには二つの理由がある。
まず一つはカウンターを恐れて。
愚直にまっすぐ進んだ場合、俺なら間違いなくスピードを活かした一撃必殺を狙う。それは俺に限った事ではなく、攻撃手段としては常套手段であり、もっとも選びやすい手札だ。
そんな一撃必殺も無数にあるわけではない。
なら攻撃手段と攻撃場所は絞れる。
攻撃さえ予測出来るのであれば、カウンターをする事は不可能ではない。
それは向こうも一緒だろう。
それなら、あえて猪突猛進はせず、ジグザグに進む事でかく乱させると共に、手札が分かりにくいように動くのが最良。
そして、もう一つはアクアの力量が分からないからだ。
こちらの方が理由としては大きい。
俺の戦力は向こうにはバレている可能性が高い。
だが、俺はアクアの強さを何一つ知らない。
これは大きすぎる程の負のアドバンテージになる。
俺の実力をある程度知って、それでもアクアは逃げないと言うのは、勝てる自信があるからに他ならない。
対して俺が知っているのは、鋼の心三回ではアクアの動きすら捉えられないと言う事。
不利にも程がある。
だが、それはある意味、チャンスかも知れない。
俺の全力が鋼の心三回と誤解させた可能性が出てくるからだ。
それならば、四回目を唱えた今が一番の好機であり、一番慎重に行かなければならない。
相手の戦力を見極める判断と、その後の対応を同時に行わなければならない。
もし、このかく乱する為の動きに対応出来るのであれば、目で俺を捉えれるはずだ。
捉えれるなら、勝率は多く見積もっても五分かそれ以下にまで下がる。
逆に捉えられないようであれば、一気に勝てる見込みが上がる。
アクアの目を見ながら走る。
アクアは先ほどまで俺が居た場所をまだ見つめ、俺を捉えてる様子はない。
(行ける!)
狙いは胸、先程の足止めとは違う。
――確実に殺す。
持てる限り最大の速度でアクアの懐に飛び込む。
攻撃の範囲内に入ると同時に右腕に力を込める。
無意識に目が胴体に移っていた事に気付き、急いで視線を上げる。
――アクアは俺を見つめていた。
それは、偶然目があったのではなく、顔ごと俺に向いており、確実に俺を捉えていた。
その顔は酷く無表情で、まるで能面に見られているようなおぞましさがあった。
(――ッ!?)
嵌められたと今更気付いた。
だが、ここまで来て慣性の法則を無視して急にUターンなど出来るはずもない。
血の気が引くのを感じながら、そのままダガーを力一杯振り切る。
案の定、ダガーは空を切った。
急いで横へ飛ぶ。
追撃は無かった。
無数の汗が地に落ちる。
だが、一つだけ情報を得た。
先ほどまで見えなかったアクアの動きが、ダガーを避ける為に後ろに飛んだ姿が、はっきりと見えた。




