第十話
「ありえない……まさか私が……」
「ありえない……まさか僕が……」
「……あの2人はいったい何をしているのだ?」
「さぁね」
部活中、瑞揶くんと沙羅ちゃんがげんなりして頭を抱えてるのを見てナエトくんが尋ねるも、環奈ちゃんが肩を竦めて返す。
今響川家に住まわせてもらってて事情を知ってる私が2人に口添えした。
「あのね、瑞揶くんは今日の朝食からお弁当まで作るの忘れちゃって、ずっとああやって申し訳なさそうにしてるの」
「……ほう。瑞揶が弁当を作り忘れたのか」
「だからウチの弁当無かったのね。購買で買ったから良いんだけど」
2人とも驚きと納得の様子を示してくれる。
瑞揶くんがお弁当を作り忘れた日は初めてだし、その点は驚きだけどあれだけ頭を抱えてるのも納得だもの。
朝食、全部りんごだったし……。
「で、沙羅ちゃんの方なんだけど……これは環奈ちゃんにだけ教えるよ」
「む? 僕には言えないのか?」
「ちょっとここは女の子だけで……」
「あ、じゃーアタシ聞く!」
「……レリちゃんは話しちゃいそうだから、ちょっと……」
「なんだとーっ!? じゃあナエトで遊んでおとなしくしてる!」
「僕に触るな! 引っ付くなコラ!!」
話に割り込んできたレリちゃんがナエトくんで遊びだしたため、少し離れて環奈ちゃんに話す。
「あのね、まだ憶測なんだけど――」
後の事を環奈ちゃんに耳打ちで話す。
一言だけ伝えて環奈ちゃんに向き直ると、後からじわじわ来たのか、くつくつと笑い出した。
少しして落ち着いたのか、問いかけてくる。
「クスクス……え、え? マジで?あーでもいいんじゃない? 家族だし」
「あの2人、従兄弟なんだよね?」
「うん、一応はね。ていうかアレだよね。瑞揶がなんか無理そうだよね」
「……そうかもね。一緒に生活してるのに、なにもないんだもんね……」
2人揃ってため息を吐く。
沙羅ちゃんの今後はきっと、前途多難に違いない。
「あー、面白いこと聞いちゃった。ま、代わりといってはなんなんだけどさ、これ見て、理優」
「ん?」
そう言って6ページ分ぐらいある冊子を私に渡してきた。
中は音楽ノートをホッチキスで留めたもので、中身は一つの歌だった。
ただ、これって、内容が――
「理優さえ良ければこれを文化祭で使いたいんだけど、どう? ちなみに、歌うのはウチと理優ね」
「……え、えっ! 私、歌なんて……!」
「大丈夫、声綺麗だし。音程とかね、声が綺麗なら気にしなくていいよ。元々理優の歌声を想像して書いた歌詞だから」
久し振りに歌詞書いたら著作権関わるの彼氏に消されちゃったー、なんて言って笑う環奈ちゃんに対し、私は全く笑えなかった。
“Calm Song”の合わせで、環奈ちゃんの歌の上手さはみんな知っている。
普通じゃ出せないような高音のソプラノを安定した音程で歌えるし、トーンの長さが常人の比じゃない。
とんでもない肺活量に、最高の喉を持ち合わせた、天才だ。
そんな人と私が並んで歌うなんて、しかも人前に立つのだって苦手なのに……。
「理優」
「む、無理だよ環奈ちゃん! 私なんかとても……隅っこでアコーディオン弾いてる方が――」
「親に良い所見せてやんな」
「――――」
私の言葉を遮って言った彼女の言葉に、私は息を飲んだ。
「あんね、理優が居て悪いと思うからアンタの母さんは嫌なんだと思うよ。だったら、アンタが居て良かったと思わせてやりな。そして、この歌で仲直り……って、まぁそれが最善最高ってだけだけど、やれる事は精一杯やろ。ね?」
「……うん」
まだ自信はないし、人前には立ちたくない。
だけど、親友が書いてくれた歌詞を、想いを無駄にしないために、私は頷いた――。
◇
夏休み前からクラスで文化祭の出し物は決められていて、私のクラスでは射的コーナーをやるらしい。
けど、クラスでは1人の私は特に作業をさせられることもなく、文化祭はまったり音楽部の方に集中する事になる。
だけど、瑞揶くんや瑛彦くん、沙羅ちゃんとナエトくんもクラスの方に残ってる方が多いらしく、放課後に視聴覚室に集まるメンツは僅かになってしまった。
私も環奈ちゃんもバイトがあって、環奈ちゃんと合わせる時間は限られる。
だけど、精一杯練習して――絶対に成功させたい。
「……あー、マジつれー」
文化祭まであと1週間というとき、偶然瑛彦くんと部活に来るのが重なり、他にもナエトくんとレリちゃんが来ていて、レリちゃんは相変わらずナエトくんで遊んでいる。
瑛彦くんはヘロヘロになって机の上に顔を伏せている。
文化祭では1組は気合を入れているらしく、瑛彦くんは毎日居残りで作業してて響川家でも疲れた様子を見せている。
「瑛彦くん、大丈夫?」
「おーっ、理優っちの熱い抱擁があればなんとか」
「ええっ!?」
「テキトーに喋ってるだけだから気にすんな」
「……大丈夫そうだね」
言うだけ言って、ぐーすか眠り出す瑛彦くん。
私は彼の正面に座り、その様子をずっと観察することにした。
机に伏せて眠るだけの様子に何かあるわけじゃないけど、それでも見ていて飽きないのは、やっぱり好きだからなんだろう。
どうしようかな、まったり音楽部に恋愛ブームが到来しそうだよ……。
レリちゃんもナエトくんと仲良いし、環奈ちゃんは彼氏居るし、沙羅ちゃんも……うん。
「にゃーだよーっ!」
「練習するわよっ! みんな立ちなさい!」
数分後には瑞揶くんと沙羅ちゃんが現れ、瑛彦くんは沙羅ちゃんに羽交い攻めにされて叩き起こされた。
その様子にみんな苦笑して、私も笑った。
これが、ここ最近の私の日常。
徐々に慣れてきた、私の新しい生活。
だけど、そろそろ行かなくちゃいけない所がある。
私の家に――。
「……理優、緊張してる?」
隣に立つ瑞揶くんが不安そうに眉を顰めて聞いてくる。
「うん……大丈夫」
「アンタの大丈夫って、大丈夫じゃないわよね」
「そ、そんな事ないよ! 大丈夫だよ……」
「はいはい。まぁ頑張りなさいな」
沙羅ちゃんにも背中を押される。
瑛彦くんだけは文化祭関係で今はいない。
私は自分の家の玄関の前に立つ。
5階建ての賃貸マンション、そこの3階にある私の生まれ育った場所。
いつも家に帰るのは怖かった。
だけど、今は今まで以上に怖い。
部活も終わって空は黒く染められたこの時間、おそらくママは居るだろう。
会うのは怖い。
だけど、勇気を出さないと――。
震える手で、私はインターフォンを押した。
数秒置いてから、ガチャリとドアが開く。
「――なに?」
玄関に現れたママは怖い目というよりも、暗鬱とした瞳をしていた。
やつれた様子はないし、服もちゃんと洗濯されてるらしく埃などは見られない。
ママの生活は安定しているのはわかった。
ママの水晶のような瞳が私を見つけるが、何も感じないのか、ママの冷たい口は閉ざされる。
「……ママ、あのね……文化祭がそろそろあって……」
「――それで?」
「ママに、来て欲しい……。私ね、部活で、演奏と歌を歌うから、見て欲しい……」
「嫌よ。私は疲れてるの。貴女にかまってる暇はないわ」
「…………」
ママの冷たい態度に閉口してしまう。
だけど、みんなが手伝ってくれてるから。
ここで引き下がるわけにはいかない。
「ママ、お願い……どうしても来て欲しいの……」
「貴女風情が、わがままを――」
「ッ!」
ママが拳を振り上げる。
あぁ、この後は無情にも私を殴るだろう。
そんな日常を頭に描き、目をつむった。
しかし、飛んでくるはずの拳はいつまでも来なかった。
ゆっくりと目を開くと、
「いくらなんでも、目の前で友達殴られるのは見てらんないわ」
沙羅ちゃんがママの腕を掴んでいた。
届くはずだった拳はすんでの所で止められ、ピクリとも動いていない。
「邪魔しないで。これは私達家族の問題。部外者が止めないで」
「暴力行為は、人間界じゃ犯罪よね? 目の前で起こされそうになって、止めるなって言われても困るわ」
「――ふん。なんと言われようと関係ない。理優、貴女の今までの悪行を考えれば私が貴女に何をしても許されるそうでしょう? この鬼子め――」
「……言い過ぎなんじゃないのかしら? この子はアンタと仲直りしたくて、殴られんのも嫌われんのも覚悟してここに――!」
「沙羅、理優に言わせてあげて」
沙羅ちゃんの言葉を、瑞揶くんが遮る。
沙羅ちゃんは少し黙り込み、悔しそうにしながらママの手を離して後退してくれた。
うん……私が言わないとね。
「……ママ、お願い。ほんの少しの時間でもいい。私の事、見に来て……」
「お断りよ。こうして貴女に構うのも嫌なの。わかるでしょう?もう帰りなさい。――あぁ、そこの男の子の所にね。うちには帰ってこなくていいわ」
「ッ……いつかはここに帰ってくる。だから、今日は招待状と――」
私はカバンの中から、招待状ともう一つ、小さな小袋を取り出した。
ピンクのリボンを付けて、可愛らしく装飾した袋の中身は、クッキーだった。
「これを、受け取ってください……」