第8話
瀬羅の帰省日がやってきた。
まだまだ肌寒いのでスーツの上からコートを着たり耳当てを付けてたり、マフラーをしていたりする。
送り出すのは玄関先で、熱い〜と唸る瀬羅に僕と沙羅は苦笑した。
「……また来るからね。絶対戻ってくるから……」
「ええ、また来なさい。ま、戻って来る頃にはこの家は私達の愛の巣になってるけどねっ」
「さ、沙羅……」
はしゃぐように腕に抱きついてくる沙羅。
デートに行った日からは家でも随分と甘えるようになって、嬉しいやら恥ずかしいやら……。
「うぅっ……私だって、彼氏作るんだから!」
「瀬羅はお姫様だから、王子様と結婚かなーっ?」
「そうなるでしょうねー。でもそれはそれとして、変な男と付き合わないでよ? 姉さんは凄く可愛いんだから、釣り合う男はそういないけどっ」
「ぷ、プレッシャー掛けないで……」
ううっ、と小さくなる瀬羅。
今日もまったりだねぇ……。
「じゃ、またね! 帰ってくるときには彼氏も連れてくるんだから!」
「ふふふっ、楽しみにしてるわ」
「またね、瀬羅……」
瀬羅が自身に転移付箋を貼り、ニコリと笑って姿を消した。
これでまたしばらく、家では僕と沙羅の2人になる……。
「……沙羅、2人きりだね」
「えぇ。こんな可愛い子と2人きりよ? 瑞揶、どうする?」
「大きな炊飯器を片付けよ〜っ」
「…………そろそろ抱いてくれてもいいのに」
まだ時期尚早だから勘弁してください。
あとの380年を楽しく生きるために〜っ。
◇
にゃーにゃーと迷い猫さんが家に迷い込んできたのは季節が巡り、春休みが始まる頃だった。
こたつも仕舞ってソファーとテーブルが返ってきたというもの、春の陽気を感じつつある日は縁側に座って居たり。
そこに現れたのが白いねこさんで、首輪も付いてないから野良猫さん……だと思う。
自室にいる沙羅を携帯で呼んで、2人で縁側に座った。
「あらあら、可愛いじゃない」
「でしょ〜? えへへ〜っ、にゃーさんが来てくれるなんて、ついてるね〜」
沙羅が膝下にねこさんを置いて背中を撫でている。
ねこさんは細身だけど毛並みがふわふわだった。
赤い瞳をしていて、沙羅の瞳みたいだ。
「にゃーさん、僕たちに怯えないよねーっ♪」
「アンタには大抵なんでも懐くでしょ……」
「愛ちゃんはもう居ないんだけどなぁ……」
それでも純朴な動物は僕に懐くし、公園の鳩たちにつつかれたり、カラスが頭の上に乗ってきたり……。
僕も鳥さんみたいに飛びたいなーっ。
「この猫はアルビノなのかしら? 真っ赤な瞳ね」
「沙羅みたいで綺麗だよ〜っ。可愛い〜っ……」
「……。ともあれ、この子はどうするの? 行き先がないなら飼う?」
「……どうしようか。しばらくは餌を与えて様子を見るけど、本当に帰る所がなかったら、うちで飼おうか」
「瑞揶はねこ大好きだものね。飼えばいいのよ、飼えば」
「あはは……」
確証がないうちは飼う訳にもいかない。
可愛いんだけどね〜……。
沙羅だけ愛せればもうペットもいらないんだけどなぁ……。
「今日は返してあげようか。よく見たら毛も汚れてないし、飼い猫さんかもだーよ〜っ」
「そうねー……。でも首輪付いてないし、変なの」
「にゃーっ」
というわけで、ねこさんは離してあげることに。
沙羅が庭に出てゆっくり地面に置くと、ねこさんはぴょんと飛んで塀を乗り越えて行った。
身軽……沙羅も身軽だし、やっぱり沙羅はねこさんに通づる出た所があるよね。
だから沙羅の膝上でもまったりしてたんだと思ったり、思わなかったり。
「ところで瑞揶。今日が何の日か覚えてる?」
「もちろんだよーっ」
「ん、ならばよろしい」
満足そうに隣の沙羅が頷く。
今日は初めて沙羅に会った日なのだ。
「初対面の時、僕を騙そうとしてたよねーっ?」
「うっ……言わないでよ」
「あはは。今になってみると、騙そうとされた事が不思議だけどね。愛ちゃんが居たのに、僕を騙そうとするなんて」
「そりゃ、一応魔人の王族だし、ね?」
「あ、そっか」
大抵の能力は阻まれるのでした。
……ということは、素の僕を好きになってくれたって事、か。
…………。
「……1年経って、いっぱいお互いの事を知れたね」
「そうね……。お互い、過去にいろいろあって、めんどくさかったわね」
「……そうだね〜っ」
今となってはこうやって語れるけど、お互いの過去は大変だったと思う。
今でも僕は、こんなに可愛い子が軍属だったとは信じられない。
……魔法は見てるから、強いのは知ってるけども。
「それもこれも、にゃーのお導きだね」
「その“にゃー”だけは今でもまるで意味がわからないわ」
「え〜……」
「キリンさんじゃないの?」
「……キリンさんって鳴くのかな?」
「さぁ?」
じゃあダメですにゃー。
ねこさんの鳴き声は可愛くて好きなのですっ。
犬は吠えてるようで、あんまりなぁ……。
「とにかく、これからもよろしくね? 家族としても、恋人としても、ね……」
「ええ、もちろん」
そうして2人でキスを交わす。
春休みと言えども、こうして愛し合うことには変わりない。
「それで、また話は変わるんだけど……」
「……ん?」
沙羅の方から切り出してきた。
なんでございましょー?
「どうしたの?」
「……将来の事、今から話ときたい……と思って。ほら、瑞揶は家事が上手だから、私が主婦になるのはアレだし、私の義務教育も長いし……」
「……うーん。そうだねぇ〜……」
将来の事、それは思ったより早くやってくるかもしれない。
気がつけばもう春休みで、僕ら人間の義務教育は終わりが近付いてくる。
これからの進路、僕はどうしようか……。
「沙羅は将来の夢って、ある?」
「……夢なら、瑞揶のお嫁さん……だけど……」
「……あはは。それはもちろんだけど、教育機関が長いし、子供を作るなら……僕が家事をしている方が効率的……かなぁって、思うよ」
「やりたい仕事がないわ……。そういう瑞揶こそ、あるんじゃないの?」
「…………」
僕は手を合わせて、その手を見つめた。
将来の夢、遠い昔に思い描いた夢はある。
たくさんの人の前で、ヴァイオリンを弾きたい。
そして、みんなを感動させられたらな、って。
でも現実には、それは難しい事だ。
有名になったらの話だけど、ヴァイオリニストは世界を飛んでコンサートに行ったり……家を開けることになる。
それは、嫌だ――。
それに、僕はもう、あまりヴァイオリンを手に取っていない。
今から学べば実力も伸びるとは思うし、楽しい曲も弾けるだろう。
だけど――
「僕は……沙羅と一緒に居たい。その願いが叶うなら、なんでもいいよ」
誰よりも、何よりも好きなものができた。
人を好きになる、そこには尽きることのない魅力がある。
沙羅に比べたら、自分の夢だっていらない。
何より、世界を越えてまで追いかけてきてくれた、僕を愛してくれた人だから。
「僕は沙羅のために生きたい。だから、沙羅の好きなように、未来を決めていいよ」
「……なによそれ」
「……嫌、かな?」
「そんなわけないでしょ……。でも、それでいいの?」
心配そうな彼女の瞳。
僕が将来やりたい事を抑えてるんじゃないかと疑っているんだろう。
そんなことはどうだっていいんだ。
楽器に触るだけなら、家でもできるもの。
「いいんだよ。沙羅が好きなように将来を決めて」
「…………」
沙羅は目を閉じ、そっと僕の肩にもたれかかる。
甘えるような仕草に、心臓がバクバクと動悸した。
「……なら、私は音楽を勉強するわ」
「……音楽?」
「そうよ。フルートを吹くの。いっぱい勉強して曲も作って、瑞揶に聴かせたい。……ダメ、かしら?」
「そんなこと……」
僕のことを思って言ってくれてるんだ、良いに決まっている。
それに、沙羅に将来を任せると言ったんだから、僕は従うし、否定しない。
「……不器用だね、僕たち」
「そうね……。でも、いっぱい愛を感じるわ……」
「……うん」
互いを想いあって、互いにやりたい事が出来ないのはダメだよね。
もう少し、しっかり話し合って、2人の未来を考えていこう。
春をすぐ側に、僕らの心は既に暖かかった――。




