第九話
そこには世界があった。
旧・愛律司神によって作られ、放擲された世界。
その世界は暖かかった。
世界は平和でどこかで毎日パレードをしているような場所。
誰しもが笑い、誰しもが人を思いやる世界だった。
しかし、その世界は
「……無くなっちゃった」
ポツリと1人の少女が呟く。
白雪のような長髪に鈍色の暗雲が立ち込めるような瞳を有し、小さな口は閉ざされている。
白磁のような柔肌の上からは白い布1枚を全身を覆うように着ており、世界のカケラがゆらりゆらりと漂うだけの場所にぽつんと立っていた。
彼女は先ほどまで、暖かな世界のパレードを見ていた。
その時に彼女は思った。
私も、愛が欲しいと――。
それだけなのに、少女は世界を消してしまった。
それは彼女が呪いをかけられているから。
欲しいと思ったものを、消してしまう呪い。
消して無くなる。
何もかも、彼女の欲したものは、全て――。
「……また星を消したのか、虚無」
「…………」
少女は声を掛けられ、振り返る。
そこには不機嫌そうに口を尖らせた自由律司神の姿があった。
「……自由?」
「やぁ、ご無沙汰。何年振り? ……って、覚えてないか」
「……記憶は、忘れる」
虚無と呼ばれた少女は鉛のような瞳でアキューを覗き込む。
彼女はアキューを認識することはできるが、会って話した記憶など、とうの昔に忘れている。
何故なら、彼らは生きる歳月が人間の歳月とはまるで違う、超次元的存在なのだから。
「……何の用?」
色の無い声で少女は問うた。
虚無は別段自由と会う約束したわけでもなく、ひょうきんな彼がのこのことやってきたに過ぎない。
「んー、まぁ用事? ちょっとお手伝いして欲しくてね」
「……どんな?」
「セイを捕らえる。言ってることはわかる?」
「……わかる」
少女は男の言うことを理解し、コクリと頷く。
本来ならば精神も理解という概念も持ち合わせない彼女ではあるが、“管理”によってあらゆるものの一部を彼女は持っている。
その末端に、セイの情報があるのだ。
「なら話は早いね。僕が戦うつもりだけど、逃げられないようにしてくれないか?」
「……了承。邪魔な存在は……消す」
「…殊勝なことだね。さすがは、全てを無に帰す“虚無の律司神様”だ」
「御託はいい。現状と指示内容を聞かせて」
「……やれやれ、君も急かすねぇ。ともあれ、現状、か……」
そして2人は話し合い、作戦を固めた。
その作戦内容は
瑞揶を殺し、その魂を回収するセイを討つ、というもので――。
◇
「もしも生まれ変わるなら、僕はにゃーになりたいです」
「……はぁ、そう」
「全てはにゃーなのですっ。肉球ぷにーっ」
「人の手でなにを……」
朝食の席で沙羅の手をぷにぷにと触っていると、瀬羅がぐしぐしと僕らの手を箸で刺す。
ぬむーっ、痛いですーっ。
「なにするにゃーっ……」
「遊ぶのは食べてからにしなさい〜っ」
「……はーい。叱りつけるなんて、さすがはお姉さんだねっ」
「そうよっ。私はこの家で1番歳上なんだから、私の言う事に従いなさい〜っ」
「……精神面だけで言えば、瑞揶が1番歳上なんじゃないの?」
沙羅がなんか余計な事を言っているけど、僕は年齢なんて知りません、永遠の少年ですっ。
本当は30歳超えてるとか、そんな事言う人は絶対に許さないよっ!
「ご馳走様〜。朝から満腹だわ」
「さーちゃん、まだ3合も食べてないよ?」
「……着替えてくるわね。片付けよろしく」
逃げるようにして沙羅はリビングから消えて行った。
……3合って、炊飯したご飯1kgぐらいだし、僕も沙羅もそんなに食べられないよ。
瀬羅は不思議そうにしながらも自分のご飯を炊飯器からよそい、味噌汁を飲みながらモグモグとご飯を食べていた。
「……よく食べるですにゃー」
「瑞揶くんは、今日はよく鳴くね?」
「うん。これでそろそろねこさんに進化できるかな!?」
「……それは退化じゃないかな?」
的確なツッコミに僕はひれ伏した。
ねこさんみたいにまったりと暮らしたいのは変わらないし、退化でもいいかなぁ……。
「瑞揶くんはさぁ、どーしてねこさんになりたいの〜っ?」
瀬羅が茶碗を置いてクリクリとした目を見開いて尋ねてくる。
あれーっ、言ってなかったっけー?
「前世の話なんだけどね、中学の頃に友達の家に行って、ねこさんを見たの。それでにゃーにゃー言いながらごろごろしてて、僕もこういう風に、毎日暮らしたいって思ったの〜っ」
「……それ、人間だったらただのニートだよ?」
「あはは……。けどね、毎日を平穏に暮らしていけたら良いなって思う。何にも憂うことなく、みんなで優しくし合えたら良いよね?」
「…………」
僕の言葉を聞いて瀬羅は閉口した。
見開いた瞳で僕を見て固まっている。
けど、彼女は急にガタンと立ち上がった。
「さーちゃん!? 瑞揶くんが今、凄い良いこと言った! さーちゃぁあん!!」
叫ぶようにして沙羅を呼び立てながら一瞬のうちにリビングから消え去る瀬羅。
……えーっと、そんなに良いこと言ったかな?
「ちょっ、まだ着替え中なんだけどっ」
「瑞揶くん! さーちゃんにも今の言葉聞かせてあげて〜っ!」
「…………」
すぐに連れて来させられた沙羅はどこか諦めたような表情をしていた。
口にも出していたように着替え途中で、下着とワイシャツの袖を通しただけの姿だった。
なんというか、胸の形とかくっきりわかって……。
「……瑞揶、なにを目ぇ逸らしてんのよ?」
「瑞揶くん、どーしたの?」
「い、いいからっ、沙羅は早く着替えてきてっ」
『!!!』
僕の言葉に3人が驚いているのを目端に捉えた。
……みんな何気なく接してくるけど、僕も男なんですよ?
「……ねぇ瑞揶、私の聞き間違いかしら? もっかい言ってくれる?」
「瑞揶くんがついに男の子らしく振舞って……成長するのって、なんだか悲しいね」
「な、なにさーっ! 僕は沙羅が好きなんだから、沙羅の事で色々考えたっていいでしょーっ!!?」
「…………」
「…………」
「……あ」
凄い勢いで誤爆してしまった。
瀬羅は固まり、沙羅は顔を真っ赤にして俯いている。
色々考えてるって言っても、猫耳になったりきりんの着ぐるみ着たりなんだけどっ……今のは変なふうに捉えられた、かな?
「……にゃーは変なことはしないのですっ!!」
「……今更ごまかさなくたっていいわよ。男の子はみんなエッチだし、瑞揶も少しは甲斐性あれば、私だって……」
「いっ、家の中の男女不純交友はお姉ちゃんが許さないんだからーッ!! 私だけ1人は嫌だーッ!」
「だーかーらーっ、変な事しないってばーっ!」
フイッとそっぽを向いてパクパクとご飯を食べることにした。
入り口のところで姉妹がなんか言ってたけど無視。
しばらくするとかまってほしくなったのか、2人が抱きついてきて仲直りする。
少し変な空気もあったけれど、今日も響川家では日常が巡る。
この日々すら失う可能性はある。
今のうちに噛みしめておきたいと、そう感じた――。
◇
「――ふぅ」
息を吐く。
それたけで生命のぬくもりを感じ、僕は空の上から響川家を見下ろした。
とはいえ、気配を悟られぬように上空500mからではあるが――ビー玉サイズでも狙いは見間違うことなどない。
「ナエト様、アレですか?」
僕を呼ぶ声に振り返る。
どことなく僕と似た容姿を持ちながら、髪の色は紫であり、濃淡な青の着物を着ている。
半分は同じ血の流れた子供達――王血影隊の少年だ。
名前は聞いていない、今回は20人も派兵されたのだからとても覚えきれない。
こんなことになったのは魔王直結の僕が片腕を失くす事態となった事、過去の改竄の発覚に対する父上の怒りによるもの。
そうして駆り出されたサイファルの同僚ともいえる王血影隊20名と僕。
与えられた任務はただ1つ。
サイファルの捕獲――。
なるべくは生かせ、と――。
「……瑞揶が厄介だ。不意打ちで殺し、生き返って意識がない間に毒を盛る。失敗した場合は街ごと吹き飛ばすつもりで盛大に殺るぞ」
『御意』
僕の言葉に全員が声を揃えて返事を返す。
よし――準備は上々。
待っていろ、レリ……。
お前の語った事が本当であるなら、僕は……。
◇
――それはまだ、瑞揶と沙羅が付き合う前のこと。
僕は放課後にレリに呼び出された。
文化祭も終わって一悶着した後に、屋上に。
何を言われるのか、レリからの呼び出しなのだからいつもの軽口ではないだろう。
屋上の戸を開くと、眩い夕日の光が散らばり、火を中心に光線が弧を成している。
その中心の隣に、レリは後ろ姿を見せて立っていた。
彼女の姿を見つけて安心し、僕はいたずらでないのを確信する。
「……来たぞ、レリ」
「……おっ、来た来た。いやはや、ナエトの事だからめんどくさがって帰るかと思ったよ。あんな奴に構ってられん、みたいな!? それでも来るんだからやっぱりナエトはツンデレだよね!」
「貴様の中の僕と現実の僕は違う! 呼ばれたら行くさ!」
「お、律儀! あたしなら行かないけどね」
「……お前、本当に僕の事を友人と思っているのか?」
「……友人以上? 沙羅たちとも違う、特別的な?」
「…………」
彼女の言葉に閉口する。
……まぁ、僕はコイツと会う回数も多いから仕方ないだろう。
色々と付き合わされるしな。
特別的といっても、さしたる意味はないはずだ。
「それで、要件はなんだ? 急いでいるわけじゃないからゆっくりでもいいが、さっさと済ませろ」
「うわっ、せっかちだなー」
「うるさいっ。貴様と居ると碌な目に遭わんのだ」
「酷い言われよう、あたし泣いちゃう」
「そう言いながら目薬を取り出すのはどうかと思うぞ。もろ僕に見せてるし」
軽口を叩きながらレリの横に並ぶ。
建物の間に落ちていく夕日はまだ数分は落ちないだろう。
屋上から見える茜色の空、どことなく美しくて言葉が詰まる。
「……綺麗っしょ、この夕日?」
「そうだな。毎日見てるのか?」
「まっさか〜。 ナエトみたいに暇人じゃないんだから……」
「どっちかというと貴様の方が暇だろうが……」
「あはは、そうね……」
カラカラと笑い、そして憂える瞳で夕日を覗いていた。
……なんだ?
「本当にどうしたんだ?」
「……いや。なんと言うかね……」
「……?」
「あたしさぁ、もうすぐ居なくなるっぽいわ」
彼女は僕に笑いかけ、そんな言葉を口にした。