第十五話
「……じゃあ、えっと……行ってきます」
「ええ。いつでも戻って来なさい」
「それじゃあ行く意味がないよ……」
家に着いて約束通り沙羅とたくさんハグをし、それから僕は荷物の入ったキャリーケースとリュックを持って玄関に立つ。
最後にキスの1つでもしたかったけど、それは帰ってからと約束した。
僕がちゃんと沙羅を愛するために――。
「……おやすみ、沙羅」
「ええ。おやすみ、瑞揶」
手を振って、笑顔で別れる。
僕は玄関の戸を押し開け、自分の家を後にした――。
◇
――ゴンッ!
「いっったっ……」
次の日、私は頭を打って目を覚ました。
いい加減このような起き方をするのはやめたいけど布団よりはベッド派なのだから仕方ない。
「……あー、だるっ。今日も学校よねぇ……」
目をこすりながら呟き、私は自室を出た。
寝ぼけた頭で、フラフラと1階に降りてゆく。
階段を降りてすぐ、私はリビングに入った。
「……あぁ」
いつもならここで私はおはようって声を掛けられる。
そして少年の姿を私は見つけ、おはようって返すはず。
だけど今日はそんなやりとりもなかった。
「……そっか。居ないのよね」
いつもなら野菜を切る音や鍋で炒めたり焼いたりする音がするリビングでは、カチコチという時計の音しか聞こえない。
彼がいないとこの家は――こんなに寂しいものなのね。
改まって瑞揶の存在の大きさを痛感する。
こうしてみると、やっぱり寂しい。
だけど――送り出した以上は帰りを待つのみ。
「……とりあえず顔を洗って、なんか作りましょうか」
お弁当については瑞揶が作ってくれるだろうから朝ごはんだけ。
1人で食べるのも寂しいから、テレビは点けよう。
…………。
「……力、入らないわね」
おかしい、王血影隊の時は1人でいるのは当たり前だったのに、なんで今になってこんな――。
私はその場にへたりと座り込む。
なんでこんな、今更女の子みたいに……。
学校に行けば、また会える。
彼が落ち着けばまたいつもの日常は返ってくる。
だから、今はこらえよう。
「……気合入れないと、ね」
私は立ち上がり、朝食の準備に取り掛かった。
耐えるといっても、大した期間ではないんだ。
彼は私の元に、必ず帰ってきてくれる。
だから待とう――。
◇
「……確かに僕は助かるんだけど、朝からカレー要求されるのはにゃー……」
「いいじゃねぇか。こういうこともある」
「……あはは」
僕は渇いた笑いしかでなかった。
瑛彦と2人で学校に向かう通学路、僕が叩き起こしたから随分と早い登校だと思う。
カレー作って、お弁当作って……瑛彦の家は大家族だから作る分量が多かったけど、大した手間でもない。
「でも、やっぱ瑞っちが居るとちげーな。なんつーの? 家計が回る?」
「それ、僕が居なくても回るでしょ……」
朝僕が5時に起きて朝食の準備をし、7時半になっても誰も起きないから「にゃーは激怒した!」ってみんな起こしたですよ。
それからちびっ子の歯磨きを手伝ったり、着替えさせたり、僕がお母さんみたいに世話をしてみんな送り出した。
「かーちゃんは寝てばっかだからな、キッチリしてる瑞揶とは違うぜ」
「瑛彦も瑛彦だよ! カレー作ってって言ったの瑛彦なのに、起きないのはダメなのですーッ!!」
「朝は8時まで寝ようぜ?」
「……響川家だとありえないよ」
生活の基準が違い過ぎて逆に疲れる僕なのでした。
けど瑛彦の弟や妹は元気ながらも良い子で、僕とにゃーにゃー言うこともなきにあらず。
「京に入れば京に従えっていうだろ? つまり、瑞っちは俺に従うべきだ」
「それはないよ……。瑛彦はまず、常識に従ってね」
「ぼちぼちな」
「…………」
ガクリと僕は項垂れる。
朝から瑛彦の相手をするのは、ちょっとだけハードだった。
「……そういえば、今日は僕、午前で上がるから」
「あん? どっか行くのか?」
「ちょっとね……」
神下くんに家を買わなければいけない。
億単位でお金は持ってるからいいけど、午前のうちに広さとか洋風か和風かとか、いろいろ訊いておかないと。
そうやって、にゃーとか、うーとか話しているうちに学校に着く。
瑛彦とはクラスまで一緒だから、そのまま一緒の教室へ向かった。
教室に着くと、時計の針は長身が3を刺し、短針は8だから8時15分。
僕にしては遅い登校だけど、瑛彦は早い方だった。
「……遅いっ」
そして、僕の机には沙羅が座っていた。
ほっぺたをぷーっと膨らませて、あからさまに怒っているご様子。
「瑛彦が悪いんだよーっ。朝ごはん作るよう言ってきたのに、起きないんだもの」
「うちの家族は誰一人として起きてなかったからな。そのぶん夜は楽しいから、いいだろ?」
「よくないーっ! 僕は早寝ですーっ!」
瑛彦に食ってかかるも、頭を掴まれて襲いかかるのを止められる。
身長差って、嫌だね?
「……まぁなんであれ、あれよ。瑞揶、私を抱きしめなさい」
「……沙羅も沙羅でにゃーです! 僕はしばらく恋愛のことから離れたいのです!我慢してよー!」
「いや、もう朝の時点で我慢できなかったから。さ、来なさい!」
「うわぁあああん!!!」
僕は逃げ出した。
教室を出るときに神下くんとぶつかったけど、気にせず2組まで逃げ出す。
にゃーは困りました、こういう時は頼れる人のところの行くのです。
目標の人は1人机に座り、ペットボトルのお茶を飲んでホッと息を吐き出していた。
相変わらずまったりとしている彼女のいる机を、僕は思いっきり叩いた。
「うわっ、なに?」
「環奈! 瑛彦も沙羅も、僕の扱いがひどいよ! 助けて!」
「……なんじゃいそりゃ」
こんなに助けを求めてるのに、あからさまに嫌そうな顔をする環奈。
でも話は聞いてくれるらしく、短く事の概要を話すと彼女はうんうんと聞いてくれた。
「……もういっそのこと、どっか田舎にでも下宿すりゃいいんじゃない?」
「え……学校来れないよ?」
「別にいいじゃん。沙羅がノート取ってくれるだろうし、部活は来なくても支障ないし、ね?」
「…………」
子供を諭すように言う環奈。
確かに、僕にはそれが一番かもしれない。
学校には、沙羅とレリがいる。
2人の態度が僕を惑わせるなら、僕は遠くに行くのがいいだろう。
……瑛彦の家は嫌いじゃないけど、あそこはあそこで、結局忙しいし、休めないし。
「まぁ、瑞揶は遠くに行きたくなさそうだからどっちでもいいけどね」
「え……遠くに行きたくなさそうって、なんでそう思うの?」
「……普通に考えて、アンタの場合は休みたいって言うなら、今の環境から離れるでしょ。学校や何もかもからね」
「???」
環奈の言うことがよくわからなかった。
全部から離れる?
そんな必要はないと思うけど……。
環奈は億劫そうにため息を吐き、再度口を開いた。
「……わかってないなら説明したる。瑞揶は働きすぎなのよ。アンタさ、家では家事全部やって学校では勉強。部活は休憩っちゃそうだけど、寝れるわけでもないし、今ならレリも沙羅も居て針の筵でしょうに。それに、瑛彦の家に泊まってるんだって? 絶対休めっこないから、それ」
「……先生! もっと短くまとめてください!」
「アホか」
ポカリと頭を叩かれる。
だって、言うことが長くてよくわからないよ……。
「……んまぁとにかく、瑛彦ん家じゃ休めんでしょ? どっか休めるところを探す事だね。そうだね、アンタはいらん事で思い悩むから、狭くて何もないような所が良い。でしょ?」
「……うーん、行くならそういう所かなぁ」
「だね。まぁちょっとぐらい旅に出なよっ。まだ若いんだからね」
「……なんか達観したようなセリフだね、環奈」
「年功ってもんよ、あっはっは」
カラカラと笑う環奈はとても年功なんて感じぬ若々しさがあった。
でも言葉だけ取ってみると、頼り甲斐があるんだよね……。
「……でも、僕も少し考えてみるよ」
「そうかい。ま、いい事ね。若いうちにいろいろと頑張りな」
「……なんでニヤつくかなぁ。でも、ありがとうね、環奈」
「いやいや、こんな事ならいくらでも相談しなって。こうして少しずつ恩を返して行くのさ……」
なんかしみじみと語り出した環奈。
黄昏た風貌にはコメントしづらいけど、彼女も彼女なりのいいアドバイスをくれたのは何よりだろう。
その後、すぐにHRのチャイムが鳴った。
今日は登校が遅れただけにいつもより早く鳴ってると思いつつ、席に戻ったのだった。