2話目 酒呑め!雪蓮さん
注意:酔っ払いが絡んできます
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すぐに来客用の部屋に魁は通され、バックパックを下ろし、レザージャケットを脱いで寝台に置いて身軽になると、溜息をついて水差しに入っていた水を飲んだ。
「水はこっちの方が美味いんだよなぁ。あのきったない中国の昔の地とは到底思えないぜ」
「入ってもよろしいか?」
「あっ、はい。どうぞ」
扉をノックする音が聞こえ、魁はその人物を迎えた。小さな丸渕眼鏡に、綺麗な黒髪、豊満な胸、褐色の肌。彼女は魁の元まで歩き、自己紹介をし始めた。
「申し遅れた、私の名は周公瑾」
「ああ、周瑜さんですね。知っていますよ。自分の次元でも、あなたも有名な武将でしたから」
「それを聞くと誇らしく思えるな。で、どうだ?こちらに来てから、なにか感じたことは」
それは色々ありますよ、と魁は言った。そして、昨日の関羽へ話したことをそっくりリピートして、彼女に興味を抱かせた。やはりというか、彼女も知識欲――それも孔明や士元と同じ理学の――をちらつかせる。だが魁は、今は教える気が全くなかった。車に揺られるのも案外体力がいる。
魁は体力にそれなり自信はあるものの、この慣れない地で色々と驚きがあり、その所為で疲れも溜まっているのだ。
「ああそうだ、鳳蓮様はお前をかなり気に入っている。よければ、専属の料理人として雇う、と言っているが」
「ああ、さいですか……。すんません、答えは"いいえ"としか出ません」
「ははっ、だろうと思ったよ」
上品に周瑜が笑った。こんな異次元に飛ばされて、右も左もわからない、この賢い少年を、すぐに雇うというのは無理に決まっている。まだ世界を見てまわり、それから決めても遅くはないのだし、この少年が店を出せば必ず魁の料理を食べれるのだから、焦る必要もないだろう。
第一、朝廷が引っ張っている人物を横取りしたら、こちらに罰が与えられる。
「友達がいるんです。こっちにきて、すぐに仲良くなった友達が。その子と一緒に商売をしよう、そう決めたんです」
「……ほう?なかなか義理堅いんだな」
「そう言っていただけるとありがたい。その子の名は劉玄徳。俺の次元では、後に蜀と呼ばれる国の王となる存在です」
しかし、意外なことに、人情で拒んだことを周瑜は悟った。いや、信念というべきか、とも周瑜は思い、ふっと優しく笑う。
「雇えなくても、今日は君に美味しい料理を振る舞ってもらえればいいさ」
「勿論、恩は料理で返します。倍返しでね」
にかりと笑って魁は返してみせた。非常に期待できる、と周瑜――冥琳は思い、彼に今夜の夕食を安心して任せることにした。
それで、と魁が口を開く。なにかあるのだろうか、それを聞いてみるが、料理人としては非常に素朴な質問であった。
「なにか、御希望の一品はありますか?」
◆
中庭にわざわざ台所まで作らせて、目の前で料理を作らざるを選なくなった魁であるが、既に孫家の当主と長女、そしてそのある意味女房役である黄蓋は既に酒を呑んでいた。さらには、孫家の一番下の妹である孫尚香や、猫に気を取られまくっている周泰、非常に寡黙かつポーカーフェイスな甘寧に、ダボ袖の呂蒙とゆったりした空気を出している陸遜が、こちらに一斉に注目していた。
(作りづれぇ!!なんだこの生殺し!?)
「魁殿、どうかしたのか?」
「いいえ、なんでもありません」
牛肉を一口大より大きめに切り、一旦表面だけ焼いて焦げ目を付けた。寿命で死んだ牛の肉らしいが、意外に柔らかく、脂身はそれほどなく、かといって霜降りがあるわけでもない。だが質は良い肉だと魁は見抜き、無駄なく作ろうと彼は一つの目的を立てた。
(カレー粉まで持ってくるとはねぇ……)
孫堅――鳳蓮のリクエストは"びいふかれえ"であった。どこでそんな単語を知ったのかは知らないが(恐らく文献ではあると思うが)、魁はきちんとカレー色をしたカレー粉を鳳蓮が用意していた事に驚いた。どうやって材料を知り、集めたかは知らないが、そこは気にしないことにした。大人しくビーフカレーを作ればいいやと早々に割り切った。
このほのかに暗い夜の外の中、篝火と魁のランタンが非常に明るく中庭を照らす。地面は非常に太った土だ。ここで農耕すれば作物が良く育つだろうなと思いながら、切った玉葱と人参を、牛脂を引き、鍋で炒めた。
「でねー、蓮華がねー」
「ハァハッハッ!!なるほど!!」
「お姉様ったら、もう……」
「我ながら面白い娘だ!!さて、御遣い殿、まだかな?」
「そんなすぐには出来ませんって。楽しみにしていただけるのはありがたいですけど、作り始めたのはついさっきじゃないですか」
「ハッハッハ、そうだったな!!」
「魁、後ろから覗いていい?」
「いいっすよ」
「やーりぃ!」
酒瓶を持って雪蓮は立ち上がり、魁の背後に回って彼の手際や鍋の中を見た。鍋に水と肉を入れ、グツグツと煮込んでいる最中、彼は他の料理に取り掛かる。
「策さん、おつまみいります?」
「あら、気が利くぅ!」
「同時進行で肴まで作ってくれるんか?手際のいい料理人じゃのう」
「煮込みに時間はかかりますから。お肉が少し余りましたし、それを使いましょう」
サイコロ上に肉を細かく切っては、すぐに中華鍋に入れて焼く。ただのサイコロステーキだがツマミにはなるだろう。肴は魚ではなく肉だ。
「羹まで作りはじめたわ。凄い速さねぇ」
「牛骨までありますから。いいダシが摂れるんですよ」
「なーるほど!流石魁ちゃん!」
(なんかうぜえなこの姉ちゃん)
同い年なのに酒に酔って絡むこの美人を、魁は少し鬱陶しく思った。彼女の吐息が非常にアルコール臭い。だが、そこまで濃度は高くなさそうだ。
「見たら結構いい男よね、あなた」
「そんなことないですよ」
「謙遜しないの!敬語も使わなくてよろしい!」
「いいんですかね、文台様」
「ハッハッハ、構わんよ!」
「ついでに真名も預けちゃうわ。雪蓮よ、よろしく!」
(いいのかなぁ……)
魁は思った。"酔っ払いの絡みは予想より質が悪い"と。