6話目 取り敢えず寝かせて下さい
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「はぁー。本当、美味しかったよ」
「それはよかった」
関羽らの護衛付きで、劉備の家に向かう魁は、少し欠伸を交えながら劉備と話していた。とにかく、眠い。寝る前にトリップしたのが悪かった。魁が望んだ訳でもないのだが、自分の運を魁は恨めしく思った。
「本当、運がいいのか悪いのか……」
「災難に遭ったことには同情するが、お陰で美味い料理を食べられたのだ。こっちに取っては幸運だよ。なあ愛紗」
「ああ。出来ればこのまま帰したくないな。毎日美味しい料理を食べたい」
「つまり、魁どのを婿にしたいと」
「言葉のアヤでしょ。揚げ足を取るのは良くないですよ、子龍さん」
「私なら、君を攫って一生食事と酒を作ってもらうが?」
「うおっ、考えただけでも怖っ……」
彼女らの性格が大分掴めてきた。特に趙雲。酒とメンマに眼がなく、人をからかうのが好きで、その対象は主に関羽になっている。極端に悪く言うなら、"腹黒い"か。その清廉な衣とは裏腹な性格である。
対する関羽は、どこか情に篤い。そして色恋や性知識などにウブである。趙雲から聞いてそうだと思い、今趙雲の揚げ足取りでも顔を朱くしている。これが、"棗のような顔"なのだろう。
関羽の仲間達は、悪そうな人間は一人もいない。皆潔白だが、個性が非常に強い。そのギャップが魅力を生み出しているのであろう。
「人との出会いは一生に一度だからね。その瞬間が増えただけでも、私は嬉しいよ」
「そう言ってくれるなら救われるよ。でも、店も心配だし、せっかく合格した大学の入学もパァだしな……」
「ダイガクって?」
「なんだ、その……。勉強するところだよ。好きなものを勉強出来るんだ。物の理とか、世界の仕組みや経済だとか、動物とか、植物とか。そこに入るのに試験があるんだけど……」
「科挙みたいなものか。しかしあれは役人の試験だしな」
魁の価値観では、科挙には何の意味もないと感じており、あんなものただの時間の無駄だと、漢文の授業中いつも呟いていた。魁のクラスメイトに鷹鷲雀という少年がいるのだが、その男も同様の意見を出しており、テストの解答用紙の欄外に大きく「科挙=カス」と書いていた。(それでも雀は100点満点だったので、87点だった魁は非常に雀を尊敬した。)
「殆ど記憶力だけの科挙より難しいですよ。時間的拘束力は科挙の方が強いですが。こっちは5科目あって、1科目大体2時間半くらいですし」
「やはり、その科目というのは、数学や自然の摂理などを問題とするのか?」
「はい。俺はそういう分野の人間なんで。俺の住んでいた国で相当難しい大学です」
「頭いいな、お前」
褒められたことに礼を言い、魁はほのかに笑った。彼は料理以外で褒められたことはあまり無かったので新鮮に感じた。
劉備が"ここ"と指し示した先は、立派な桑の木が庭に生えている家であった。外見は普通の家に見えるが、劉備の話だと貧しい家庭らしい。事前知識として魁にはそれが頭の中に入っていて、彼女の母にお茶を飲ませてあげる為に鞋や筵を売っていた、と何かの本で読んだ記憶があった。
「それじゃ、私達はここで」
「魁くん、一緒に入ってよ」
「え?」
「だって、あの量の鞋と筵が売り切れたは魁くんのおかげなんだよ?」
「俺はそんな……」
「行ってやれ、魁。女性に恥をかかせるものではないぞ」
魁は劉備に手を引かれ、少し強引に劉備宅の敷居を跨いだ。おかえり、と劉備によく似た女性がこちらに声をかける。劉備の母であった。
「桃香、そちらは?」
「ただいま帰りました、お母様。こちらは、私の手助けをしてくれた人です」
「あらまあ。だから、背中に筵も鞋もないのね。名前を教えていただけませんか?」
「あー……。新城魁、っていいます。性は新城、名が魁です」
「……もしや、街で噂の味の御遣い、と言われている御本人ですか?」
「ははは……そうらしいですね」
自信なさ気に弱々しく魁は笑った。それとは対照的に、劉備の母は明るく笑った。そして、実の娘にゆっくりと語りかける。
「桃香、素晴らしい日を過ごしましたね」
「はい。売り切れたり、魁さんに出会えたり、貴重な経験の連続でした。そうだ、お母様。取って置きの贈物をお母様に」
史実通り、それは茶であった。この時代では、茶は高級品。それを今日の稼ぎで買えてしまえたのだ。親孝行をしたいが為の行動。劉備の母はとても喜んだ。
そうだ、と眠気を抑えながら、魁は茶葉を許可を得て劉備の母から受け取った。美味しいお茶を入れてやろう、と彼は思ったのだ。少し広めで、薄暗い家の中を、スマートフォンのライトと非常用のLEDランタンで明るく照らし、これもまた部屋から持ってきたケトルに水を入れて火にかけた。
茶こしではなく、先程宿から掻っ払ってきた漉布で茶葉を 包み、ケトルの中に入れて蓋をした。火力はそこまで強くはないが、その分茶の旨味が出るだろう。
「少しお待ち下さい。お湯が沸いたら、熱々のお茶がすぐに飲めます」
「ありがとうございます、魁様」
「そんな。自分に様付けなんて、恐れ多いですよ。ただ、人より少し料理が出来るだけで、他はからっきしダメですから、自分は」
「しかし、ウチの阿備よりとても優秀ではありませんか。今、少し阿備からお話を聞きましたわ」
「いやいや……。それでも、自分は玄徳さんには適いません。誰にも負けない仁徳の心を、玄徳さんは持っています。大事なことですよ、料理より、才能より」
ぴぃーっ、と甲高い音が、広間に響き渡った。少し立派な机から木の床を歩き、釜戸からケトルを取り、湯呑みを劉夫人の前に置いた。
「味の濃さはいかがいたしますか?」
「おまかせしますわ」
「では、少し濃いめにいたします」
熱くなっている漉布を少し搾り、そのあと、撥ねさせないように気をつけながら湯呑みに茶を注いだ。この湯気の温かさが眠気を誘うが、必死に床に踏ん張り耐えた。劉備にも煎れてやり、熱いケトルを、重ね折りして水で濡らしたタオルの上に置いた。冷めてしまうが、仕方ない。
「美味しいですわ。とてもお上品な味です」
「それはよかった」
眠さを隠し笑顔を作る。劉備からも絶賛の声が上がった。うとうとするのを必死に耐えて、彼女らのお茶に魁は付き合った。