4話目 乱世の奸雄、人を聞く
◆
蒼い鎧に、ぎらつく眼。辺りは荒れ地だが、大きな陣営を敷いている軍隊。その陣営には高々と、「曹」の青旗はためいて。
「最早黄巾党もこれまで。勢力が弱まっておりまする」
「で、あろうな。寄せ集めの兵が宗教にすがった所で、練兵せねば強くはなるまい」
麗しき長い黒髪の女は、偵察部隊の長の報告を聞き、冷めた声で答えた。奇襲できるほど、兵法も人材も未熟な相手。つまらなさそうな顔をしているのは、大将も同じであろう。
「我が軍は被害なし、ね。死にに来ているようなものね」
「黄巾党の三姉妹……。ただの旅芸人な気もしますが」
「ええ。裏で糸を引いているものがいるわね、確実に」
旅芸人が急に反乱を起こす。成り行きが不自然すぎるし、脈絡もない。噂に聞いていたのが、三人組の義姉妹で歌う旅芸人だということ。確かに熱狂的な信者はいたが、その信者が勝手に暴動を起こしたのか。もしくは。
推理は絶えない。後に、黒髪の従姉妹が出てきて、陣営移動の準備完了の報告を聞けば、議論を終了し、金色の縦ロールの大将が立ち上がった。
「裏を探りましょう。もしかしたらこちらが無駄な労力を使わせられてたのかもしれないし」
「御意。華琳様、手配はこの春蘭におまかせを」
「ええ。殿軍は秋蘭の采配で。行路は桂花に頼るわ」
◆
朝食を済ませてから、馬に馴れるべく、翠の手解きを受ける魁。馴れも大事だが、やはり柔軟性と体幹の強さを養うべきだ、と強く感じた。このままであれば腰が保たない。
馬の方は魁に大分懐いたみたいで、初めてにしちゃ凄すぎるな、と翠は絶賛した。駿馬のほうが賢いのか、魁の扱いがうまいのか。彼自身も鍛えれば立派な騎兵になれそうだが、いきなりここに飛ばされて、その上軍人になれとは、流石に可哀想だ。男らしくないなどという感想もない。
「戻るか?」
「そうですねぇ。でも、もう少し練習したいので、馬超さんは先に戻っていただいても大丈夫ですよ」
「そうか?外に出るなら、兵を一人連れていきなよ」
言われてすぐに彼は外へ出た。兵も中々乗馬が上手く、彼に助けてもらうことがたくさんありそうであった。
穏やかで、風が気持ち良い。ゆっくり馬を歩かせて、その上で、デジタルカメラで風景を取る。これは、自分が見ているものをそのまま絵にしてしまうものだ、と兵に説明をしながら。
「偵察部隊へ回したいくらいですな、その、でじたるかめら、というものは」
「便利でしょうねぇ、恐らく」
その利便性を、果たして賈詡は使いこなせているのであろうか?スマートフォンの小型化が、隠れて記録できるのに向いているのは事実なのだが。
戻ろうか、といったときに馬の蹄の音が魁の鼓膜を揺らした。大軍の様で、それは行軍に他ならなかった。黄巾党か、と兵が身構えるが、曹の旗が見えたときに二人はほっとした。
「曹操軍でしたな。討伐軍の味方です、大丈夫」
「まあ、殺される心配はないでしょうね。恐らくは、陣営を移動するのでしょうね」
ほっ、と落ち着く二人を遠くから見ていた華琳。その片方が、味の御使いだということは、服装で判断できる。軍の士気を高めるために、上等な料理をもてなすということは、とても有効な事である。今まさにそれを考えていて、顔に出ている。
取り敢えず、魁は本陣へ戻りだした。華琳がそれを見ると、近くに義勇団の本陣があると推測した。それは正しい。隣にいた兵は見慣れぬ鎧であった。そして、黄巾党とは全く違うもの。ならば、彼等は義勇団。隣の軍師に華琳は聞く。ここの土地の軍団を。
「桂花、義勇団はここに?」
「はい。事前に調べてます、劉玄徳と名乗る者が大将と。中山靖王の系譜でしょうか……」
「さあ?でも、人を惹き付ける力はあるみたい。それに、義勇団と言えども、練度も充分なようね」
華琳の眼は確かだ。曹操軍の軍師である荀彧、真名を桂花、はそれに頷いた。そして、味の御使い。桂花自身も興味はあった。軍事に関係無く、個人的に味を確かめてみたい。それは、曹操軍の皆が思っていた。読心術にも長ける華琳はそれを利用し、陣を新しく設営したあとに、桃香の陣へ自ら出向いていった。
◆
「魁くんを貸して欲しい?」
「ええ。今夜だけでいいわ。料理を振る舞ってもらうだけ。御使いの腕前を知りたいの。今後の教養などのためにもね」
魁を含めての、交渉。勿論二つ返事で桃香は了承した。魁はうちの軍団所属ではない、と。だが、華琳は、桃香が魁に向ける視線が、なにやら色じみているのに気付いたので、遠慮気味になりかける。魁本人も、いいですよ、と快諾し、早速道具を持って、華琳の後ろへついていく。
「曹騎都尉、宜しくお願いします」
「礼は尽くすのね。いいわ、魁。字で呼びなさいな」
「いいんですかね……」
「華琳様が言っているから、大丈夫よ」
華琳に心酔している桂花もそういってくれた。ついでに私も、と桂花が字を教える。ありがとうございます荀さん、と魁は言って、竈へ向かった。
「西洋の料理が中心とのことです」
「もしそうであれば、口に合わなくても仕方ないわね。その時は許してあげなさい」
「ですね」
調理の様子を見るために、特設の厨房の近くに椅子を持ってこさせ、そこに座る。やっぱりこうなるのね、と魁は心で思いながら、手早く調理を進めた。
まず華琳が気付いたことは、しっかりと手と食材を洗うこと。水は有限だが、水の蓄えも豊富で、湖もあるから、咎めはしない。この時代には細菌という概念はないため、華琳はそこに質問をした。
「なぜ、水で手と食材を?」
「はい。この世のありとあらゆるものは、細菌、という、肉眼では見えないものが無数にあります。その中には、病気の原因となるものもありまして、なので水で洗い流して、その病気を減らそうということなんですね」
「なら、水にも細菌があるんじゃ?」
「流石ですね、文若さん。そうなんです。実は、細菌は、極度に加熱するか冷却すると死にます。これを殺菌、というのですが、この水は、先程玄徳さんの陣で煮沸していただいた水ですので、安心していただきたいです」
料理人の心得である。それに、汚い手で作った料理など食べたくはない。衛生面に気を遣う、これはやはり軍営の重要点でもある。すぐさまこれを書き取らせて、徹底させるように華琳は肝に命じた。
やはり曹孟徳は聡明な人間である。未来から来ている魁の知識を流用するのだから。思考プロセスもやはり統治者のそれである。時代が違っても有能な人間であることに間違いはない。そこに、魁は憧れていた。
桃花村で買ったエビの殻を剥き、背腸を取る。身は塩で軽く揉みつつ、殻を焼いて臭みを飛ばし、そこから水に入れて出汁を取る。後は野菜と塩を使い、味を整えて、簡単なスープを作り上げた。20分で一品作り上げたところで、桃香の陣営で新たに作ったベシャメルソースを取り出す。白く、てらてら光るその液体に、皆が目を奪われた。
よく洗った香草をむしろに詰めて、そこにエビと野菜をいれて蒸す。もう1品、と、羊肉を焼き出し、差し出してもらった酒でまたフランベ、皿に持ってベシャメルソースをかけて、先程蒸した野菜を添えて出来上がり。
「エビ出汁の野菜スープ、マトンのベシャメルソース、香草蒸しの野菜とエビを添えて。果たして、合うかどうか」
◆
華琳の下が、ビリビリと痺れた。決して不味くない。否、その反対で、この世の中で決して味わえることのないものであった。
羊肉など滅多に食べぬ。それを、酒で火柱を立たせて臭みを消し、塩と、この白い餡で、完璧に味を整える。甘めのこの餡は、牛乳を基にし、小麦粉とバターを入れ、塩気も感じさせられる味である。それに、野菜の旨みすらこの餡に出ている。とにかく、旨い。
流石だ、味の御使い。これこそ、美味。
「魁。何も言うことはないわ。貴方の腕、私が保証する」
「それはそれは、光栄です。お口に合ってよかった。文若さんはどうでしょう?」
「全っ然、食べたことない味。慣れてないけど、美味しいわね」
よしっ、と小さく拳を握ってガッツポーズをして見せた。その他春蘭に秋蘭も満足気なようである。人の子の反応をして見せる魁に、好感を抱かぬわけがない。そして同時に華琳には、この男と味勝負をしてみたい、という闘争心が静かに沸いてきて、桂花は従姉の荀攸にもこの男を紹介したいと感じた。