第3節 1話目 メンマホリック
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「ふぅ、疲れたな……」
桃花村についたはいいものの、既にそこには桃香達はいなかった。村人から聞く事には、賊退治らしい。恐らく、黄巾の暴徒達の鎮圧だろう。
宿を取り、大量の干し草を村人に貰い、馬を休ませて寝台で一息ついているところ、1週間ぶりに聞く、懐かしい声が彼の耳に飛び込んできた。
「お、魁殿」
「子龍さん。お久しぶりです」
「朝廷からは……逃げ出してきたようだな、その様子だと」
「まあ……宦官政治の実態と、呂布さんの武勇を見れただけの収穫は十分ありましたからね。帝に会えずに、ケツを痛めてあちらに行った意味がわからなかったのでずらかったのは言い訳しませんが」
懐かしき声の主は趙子龍。魁は寝台から身を起こして彼女の方に向き直ると、今までの経緯を話した。そして、自分が感じた疑問を彼女に問うた。その答えは、大好物のメンマと酒が切れたから、というなんとも彼女らしい理由で、一旦桃香達から離れてきたのだという。
ちょうどよかった、と魁は言い、瓶詰のシードルを出した。水はほのかに黄色を帯び、林檎とアルコールの芳醇な香りが、趙雲の鼻に突入した。まだまだ未熟な酒ではあるが、試飲というのも悪くないだろう。そう思って魁はシードルを出して、備え付けの湯呑みに注いで趙雲に出した。
まだこの香りを堪能したく、寝台に座って鼻から酒の匂いを味わう。そして口に入れ、林檎の甘さと、強めのアルコール成分が彼女に舌鼓を打たせた。身体にこれまで体感したことのない波が起こり、くうっと声を漏らした。
「美味い!!」
「まだまだ醸造中です。これから更に強くて美味くなりますよ」
「ほう!時間をかけて更に美味くなるのか!なるほど……」
興奮が冷めない様子で、趙雲は魁の顔とシードルの瓶に、期待を込めた笑みを浮かべた顔で見て言った。この空気、この世界が、更にこの酒を美味くする。そんな酒に期待するなという方が無理な話だ。
よし、と趙雲は立ち上がり、魁に頭を下げる。どうやら酒の礼らしい。いえいえ、と魁は言いながらも、次の行動に出ようとした。
「次はメンマですね。あれは、俺は作れないので、買うしかないですけど……」
「けど?」
「いや、俺の世界では、すぐに食べれるメンマが合ったんですよね。腐らないように真空にして、味を付けて」
自分で話しておきながら、魁は自分の世界の技術の凄さを改めて認識し、感嘆した。それ以上に驚いている趙雲を見ても面白い。この時代から1500年足らずで、驚くほど工学が進化したのを考えると、如何に人間が高い知能を持っているかが実感出来る。それでも自然には敵わないのであるのだが。
息抜きがてら、メンマを見に商店街に出る。アーケードやアスファルトなんかは勿論ない。だが、それもまた魁には趣深かった。現代の田舎でも、こんなところは殆どない。
趙雲の行きつけらしい店にて、メンマがぎっしり入った壷を、魁は見て驚いた。こんな大量に作れるのは、やはり工業力なのであろうか。店の主人に許可をもらい、1本だけ試食をさせてもらうと、現代のメンマより遥かに濃厚かつしつこくない味がまた魁を唸らせる。
「美味いですね、これは。いや、すげえ美味い……」
「御遣いサマも味が分かるねえ!俺も自信が付いてきたぜ。店に貼り紙出しちゃおうかな、『御遣絶賛之麺麻』って」
「それはいいな。私も自慢出来る」
「なんで子龍さんが自慢するんですか」
「何故、って。君を婿に貰うと言ったろ」
「聞いてませんし、お断りしますよ」
趙雲の戯言を朗らかに笑う。店の大将は趙雲から代金を貰い、メンマの壷に"御遣印"と筆で描き、価値を高めようとした。はたしてそれで価値が上がるのかは甚だ疑問ではあるが、本人達が満足するのならそれでよしとしよう。魁は微笑みながらそう思った。
「さて、モノは買ったし、後は戻るだけだが、君はどうする?」
「俺は、この村で一泊してからそちらに行きますよ。どこにいるかはわかりませんけどね」
「北東に本陣がある。まあ、みなのんびりとしているから、すぐに本陣が移ることはないだろう。それに、黄巾も段々活気が無くなってきているから、安全だ」
「そうですか。確かに、こちらに来るまでは一回も襲われませんでした」
あの馬なら、恐らく1時間もすれば着くだろう。きっちりと趙雲が言った方向を魁は覚え、今は体力を回復するために、趙雲と別れて宿で身体を休めた。
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「あれだよな……」
翌朝、すこぶる良い体調であった魁は、調子がよさ気な栗毛の馬と共に、"劉"と印した旗が何本も立っている、恐らく桃香達の拠点に辿り着いた。即席で作ったのであろうか、少し雑ななりの門の入り口までゆっくりと馬で進むと、守衛らしき者が魁を見て、ゆっくりと近付いてきた。
「何用か?」
「桃香さんの友人です。武器は……包丁くらいしかないので、安心してください」
「おっ、御遣い様ですか。どうぞどうぞ、お通りください」
「ありがとうございます。お疲れ様です」
気さくな守衛だ。魁は礼と労いの言葉をかけ、馬から降りずに進む。少し進むと馬超と再会し、彼女は魁の乗っている馬に釘付けになった。
「すんげえ毛並みのいい馬だな。身体も締まってるし……」
「朝廷からの頂き物です」
「うわ、価値が付けられねぇな、それは。それにしても、いい駿馬だなぁ……」
「本当、眼が無いですね。それより、桃香さんは?」
「ああ、あいつなら奥にいるぞ。会ってやったら喜ぶだろうな」
非常に楽しみな再会である。馬超の馬への羨望の眼差しに応え、馬から降りて自らの足で奥まで進む。途中、馬岱や黄忠、そして見たことの無い将に会いながら、奥のゲルのようなテントの中に入る。愛紗に鈴々、孔明と士元、そして桃香は、魁の姿を見ると、おっ、と声を上げた。
「魁、よく戻ってきたな」
「いやぁ、宦官に呆れちゃいましてね」
「宦官?そんなに酷かったんですか?」
「うん。俺よりちっこいガキ共がいいようにやってんのよね。黄巾を立ち上がらせたのも張讓っていうクソガキ」
「まあなにはともあれ、おかえり魁くん」
「ん。ただいま、桃香さん」
真名で桃香を呼んだことに、関羽は少し驚いた。そうか、真名を預けてないのは、この義姉妹で私だけか、と思った。
――魁になら、真名を預けてよいだろうな。義姉上も預けているのだから。
「義姉上と鈴々が真名を預けておいて、私だけ預けていないというのは何か気持ちが悪いな」
「義姉上……ああ、桃園の誓いを結んだんですか」
魁は、愛紗が義姉と呼んだ相手を察した。桃園の誓いは有名なイベントであり、またそれを忘れる奴はいないだろう。
「私も、お前に真名を預ける。義姉妹は対等でなければな」
「はい、わかりました、愛紗さん」
「うむ」
以前から鈴々が"愛紗"と真名を呼んでいたので、彼女から教えなくとも魁はわかっていた。真名で呼ばれた愛紗は、それは勇猛な将のよう――実際、とても勇猛なのだが――に笑ってみせた。
さて、と魁は立ち上がった。リュックサックから調理器具やらなにやらを出して、ニコニコしながら彼女らに言う。
「料理、しましょっか」