4話目 タイヤはやっぱりBS
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「結局呑み明かしたのかよ……」
翌朝の長沙の城の中庭は死々累々であった。酒に酔い潰れた将が3人、机に突っ伏していた。周瑜と魁が呆れて溜息をつき、鳳蓮、雪蓮、黄蓋を起こす。なんとだらしない、と周瑜が少し怒った様に言い、頭領の孫堅すら彼女に頭が上がらない風景を見て魁はくすりと笑った。
「でも、お酒弱いんですね」
「貴方が強すぎるのよ……」
「確かに、魁は強すぎる。いや、酒が薄いと言っていたからな、もっと強い酒を呑むんだろうが」
「俺の次元じゃあ、ハタチにならないと酒は呑めなかったんですがね。職業上、お酒を呑まなきゃならない場面がありまして」
「ふぅん……。取り敢えず魁、部屋まで私をおぶって行って~」
(マジかよ……)
雪蓮の頼みに、仕方なく魁は付き合った。彼女を背負い、広い城の中を彼女の部屋まで運んでいく。胸の感触が背中から伝わるも、いつ吐かれるか心配でそれどころではなかった。階段を昇っている最中に蓮華に出くわし、そして揺れて気持ち悪いと呻く雪蓮に、魁と蓮華は危機感を強く感じ、小走りで彼女の部屋の寝台に座らせた。
「なんで寝かせないのですか?」
「寝ながら吐いたら、吐いた物が喉に詰まって死ぬ危険性があるんです。ま、この酔っ払いが潰れるまで呑まなきゃ良かったんですがね」
「言わないで魁、耳に激痛が走るわ……」
「なら、節度を持って呑んでくださいよ、姉様」
「うあー、耳にタコ不可避ー!」
――まったく、どっちが姉なんだか。
しっかりしている妹虎に、だらしない姉虎が完全に負けている。しかし、一番だらしないのは親虎なのだろう。魁が中庭に戻ると桶に向かってひたすら吐く鳳蓮が居て、異臭が皆の鼻を壊しにかかった。
一番酔いがマシなのは黄蓋であり、ただ寝ていただけで二日酔いなどではなさそうだった。魁に気付くと昨夜の料理をベタ褒めし、バンバンと背中を叩いて来る。レザージャケットを着ていたら破れていたかもしれないが、背中に紅葉がくっきりと現れたのは間違いない。
「Tシャツまでビショビショだしな……」
「雪蓮の阿呆が酒を頭から被せたからな、可哀相に。非常にお前が酒臭い」
「最悪っスよ。呑んでも呑まれないでほしいです」
「当たり前じゃの。わしは節度を持って呑んでいたから二日酔いから免れたものの」
「節度があるってのは公瑾さんのことを言うんですよ、公覆さん」
「うぬぅ……」
言い返せずに黄蓋は悔しそうな顔をした。だが、それよりも悲惨な目に合っている魁を見て誰しもが笑った。身体からまだアルコールの匂いがし、ネックレスの汚れがアルコールで分解されてピカピカに光っているのを見て、魁は風呂に入りたいと嘆いた。
スマートフォンの目覚ましのアラームが城中に響き渡る。ちょうど、皆がそれで起きて、中庭の大虎を介抱し始めた。
◆
「ふぅ……」
一日で車が直っていたので、この時代にしては早いなと魁が思い、それを確認したところ、何故か車に黒くて太い車輪が付けられていた。ポカンと魁が口を開け、その物体がなぜこんなところに存在するのか驚くが、先程の様子とは大きく変わり、しっかりと前を見据えた鳳蓮が魁の背後に立った。
「あれは、この前俺達が拾ったモノでな。もしかしたら合うかもしれん、と思って付けたのよ」
「……あれで使用用途は合ってるんですが」
「ふむ。貴殿の世界のものなのか」
「ええ。あれは、自動で動く車の車輪なんです。タイヤっていいまして……。ちょっと確認してきます」
石畳の上の車に近付き、タイヤウォールを見る。"BRID○STONE"という印字があり、まさかのメーカー品のタイヤを履いているこの車に魁は驚いた。
「ブリ○ストンかよ、すげえな……」
「ぶり○すとん?」
「このタイヤを作った会社です。俺の世界で、3つの指に入る大きなタイヤ会社なんですよ」
これならパンクの心配もしなくて済むだろう。あまり洛陽へ行くことに乗り気ではないが、事故って死ぬのはもっと嫌だ。魁はバックパックを背負い、嫌々ながらも車に乗る。このまま桃香達のいる村へ、と言いたいが、それは許されないだろう。
鳳蓮が、車に近付き、乗り込もうとする魁に手を差し出した。魁はその手の意味を察し、握手をした。
「お世話になりました、文台さん」
「違うだろ。鳳蓮だ、我が友よ」
「そうでしたね、鳳蓮さん」
「うむ。またいつか会える日を楽しみにしているぞ。その時は、雪蓮でも蓮華でもシャオでも好きなのを選んで嫁にしていいからな」
「ははは……」
「それと、袁術に捕まらんようにな」
袁術。字を公路という。確か袁紹の異母兄弟であった筈だが、なぜ注意するのか疑問に思った。魁は鳳蓮の声に含まれる嫌気を察し、"ああ、鳳蓮は袁術が嫌いなんだ"と察した。
鳳蓮が、雪蓮や蓮華が来たことを気付かずに、袁術の悪口を言い始めた。
「あの甘やかされ続けたバカ娘は、恐らく帝の意向を無視して貴殿を奪いに来るだろう。物の理も礼儀も知らぬ馬鹿だからな」
「尻の一つや二つ、叩けばよかったのにねえ」
「どう反応すりゃいいのか俺にはわかりませんが……。取り敢えず、気をつけますよ」
「ま、我慢出来なかったら一発ぐらい殴っておいても誰も文句は言わんな。側近の張勲とかいうアホぐらいか、騒ぐのは」
「みんなアホなんですね」
鳳蓮の袁術への罵倒に魁は苦笑するしかなかった。蓮華もそれをどう捉えて良いかわからないようではあるが、鳳蓮に同調する雪蓮のように、心の底では袁術を見下しているだろう。
話だけでは、袁術には君主たる器が足りないように思える。だがチョコチョコ私怨も混じっているので、魁は鳳蓮達にスラングを教えてやる。
「中指を立てるんです。こう」
「こうか?」
「そう。この意味は"f**k"。"クソ野郎"とか、"バカ野郎"って意味です」
「いいこと聞いたわね、父様、蓮華!袁術ちゃんには"素敵な方"って意味で誤魔化しちゃえばわかんないわね」
「酷く下品な……ふふっ」
「だがそこがいいな。ありがとう魁殿、これであいつを心の底から罵倒できる」
真面目そうな蓮華までもがそれに笑って、『やはりそうか』と魁は思った。虎の子は絶対虎なのだ。その遺伝子が確実に蓮華にも入っている。
「文台殿、非常にかたじけないです」
「なんの。帝の為ならこれしきよ。無事に魁殿を届けておくれよ」
「命に変えても。では御遣い殿、参りましょう」
「ありがとうございました、鳳蓮さん」
「おお、達者でな」
「またね、魁」
孫家に見送られて、乗り気になれない旅がまた始まる。だが魁は、長沙での出来事だけは、非常に価値あるものだとして、少しだけこの旅に感謝した。