3話目 父ありてその子あり
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「うまい!なんだこれは!」
「いや、カレーですって」
鳳蓮の大声が城中に響き渡った。カレーに対する評価は満点。更に、彼の好みに合わせ、相当辛口に作ったので、他の者は恐らく食べれまい。
"英傑が目の前でカレー食ってるなう"と、インターネットが使えたならばツイッターでそうつぶやいていただろう。自分の作ったカレーを、孫呉の将が目の前で食べていることさえ信じられない。
(なんだろ、CMに出したらカレーが爆売れしそうな気がするな)
「魁、酒が止まっておるぞ?もう酔ったか?」
「いえ、少し考え事をしていただけです」
「ほう、ならもっと呑め!呑み明かすのじゃ!」
(本当に薄いな、この酒)
濁酒みたいではあるが、全く魁は酔えない。アルコール度数はもしかしたらビールや甘酒より低いのではなかろうか。もっと強い酒なら、多少は酔えるのだが、と苦笑いをして盃を傾けた。米の微かな風味、アルコールも味も薄い。
「もっと強いお酒はないですか?」
「これ以上強い酒を飲めるのか!?大した奴じゃのう……」
「アルコールが薄すぎるんですよ。こういう酒を作るなら、醸造か蒸留じゃないと」
「何語じゃ、それは……」
「詳しく聞かせてくれ、魁」
「お酒ってのは、主成分はアルコールっていう化学物質なんです。物を発酵させたりすると生み出されるんですが、米をカビさせて麹菌ってのを生み出して、それを溶媒し、水に入れると、醸造酒が造れます、たしか」
「酒屋じゃないにしても、そこまで知ってりゃあ造れるわよ。父様?」
「うむ、是非作らせよう」
(悪いこと言ったかなぁ)
知識をひけらかした自分を叱咤したい気持ちになった。頬が赤い鳳蓮が、体格に似合わずにんまり笑いながら言っているのを見て、そのギャップに魁は吹き出しそうになった。
くすくす笑っている内に、孫家の末妹・孫尚香が魁の頭に飛びついた。思い切り顔を盃に突っ込み、首周りと純銀の指輪が付いたネックレスがびしょびしょに濡れる。
「ねえ魁!なにか甘い物作って!」
「甘い物……?仲謀さん、手ぬぐいありがとうございます。甘い物、ねぇ……」
「果物もあるし、作れるとは思いますが?」
「果物だけだと盛り合わせ位しか……。いや、焼きリンゴは行けるかな」
よっこらせ、とジジ臭い声と共に腰を上げ、カゴの中の林檎を二個ほど掴み、一つは魁の調理器具の中にあった十徳ナイフで芯をくり抜き、砂糖を塗して竃に入れた。もう一つは、シンプルなうさぎ林檎。手先の器用さが光り、耳が丸くなっている。
「器用なのだな」
「甘寧さん、でしたっけ。どうぞ」
「ああ、いただくぞ」
「私もー!」
「はい、どうぞ」
無表情であった甘寧の顔が、林檎を口に入れた時に少し綻んだ。おお、と一斉に声が上がり、いかにも尊敬の視線が魁に向けられる。
しかし魁は、林檎の実の大きさや、中の蜜の詰まり様に興味津々であり、これをシードルにしたら美味そうだな、とか考えていた。
「思春が笑った!!」
「あんなに無表情だったんじゃが、御遣い殿はすごいのう!!」
「うむ、素晴らしいお方だ、魁殿は!!それにしても……思春が笑うなんて、うっ……!!」
「始まったわい、堅殿の酔い泣きが……」
「魁、お前の力量は天下一品だな」
かなり褒められているのを不思議に思ったが、甘寧が笑ったのを見て、魁は久しぶりに料理の効果を実感した。彼が一番意識しているのは、「食べた人が笑う料理」。林檎の皮剥きは料理とは呼べないが、それでも別に魁は構いはしなかった。
「竃はどうかな……」
「わぁっ、凄い焦げ目ー!」
「我ながら、これは美味そう……」
熱々の焼きリンゴを、鉤を使って取り出し、仕上げに魁のシナモンを振り掛けた。甘い香りが城を駆け巡り、皆の鼻腔をリラックスさせる。目の前でそれを切って、尚香に熱いよと忠告をしながら皿に乗せて渡した。
「ウチでもいつかやるかね、あれ」
「美味しーい!!」
「シャオ、私にもちょうだいよ」
「うん、皆食べて食べてー」
「……ははっ」
関羽らとは違う賑やかさがある。その感じを魁はまた別に喜ばしく思った。
◆
「ふーん、18年間恋人無しねぇ……」
「料理しかしなかったし、別に困りゃしなかったけどな」
「若いうちじゃぞ、恋愛に現を抜かせるのは」
「そうは言ってもですね、公覆さん。そんな余裕なかったんですよ」
「ほう?」
中庭では、雪蓮と黄蓋に周瑜、そしてその親玉の孫堅が、酒に酔いながら魁を囲んでいた。もう何杯呑んだのか魁はわからなかったが、少なくとも呑む前と体調は全く変わらないことは確かであった。
魁の話を肴にして、篝火とランタンで明るく照らして、満天の星空の下で語っているこの場面は魁にとってキャンプ以外の何物でもない。だからだろうか、ぽんぽんと自分の話が出てくる。だがその話は少しネガティブであった。
「2歳くらいの頃、両親が離婚しまして。父に育てられた、とは言っても、食事なんか作って貰った覚えはないし、顔も見ないし口もほとんど聞かない。今もそうでしたがね、父が経営してる料理屋で、俺は純粋に料理で人を喜ばせたいから働いているのに対し、父は金以外には見向きもせず」
「複雑な家庭環境じゃのう」
「魁殿の父上は、親としてなっとらんな!背中を見せずに親が勤まるかよ」
「それを考えると、あなたたちが羨ましいです」
「そう?」
「親が反面教師にならずに、雪蓮みたいな虎の子に育つ。それって、俺が思うに凄く良い家族だと思う」
虎の子ねぇ、と雪蓮は嬉しそうに笑った。それを聞いた親虎が、誇らしく胸を張り、魁に穏やかに言う。褒められて恥ずかしそうに見えるが、魁はあまり気にしないことにした。
「虎は虎にしかなれんさ。俺の教育がどうであれ、娘達は虎だろうな。しかし、俺がその牙や爪を研いでやらねばな」
「堅殿、いつになくして真面目じゃのう」
「俺はいつでも真面目なつもりだがな、祭」
「言葉の綾じゃ。して、魁よ。お前には、自分の父はどう見える?」
「……金に眼を取られすぎている、矮小な存在です。ですが、その金で俺は勉強が出来てるんだし、少しは感謝しなければなとは思ってます」
「ふむ。母を捨てても、父は父、か。無論、腹の中に毒は溜まるじゃろうな」
「魁。お前の毒はいつ捨てられているんだ?」
「俺の料理を食べた人の笑顔を見るとき、ですかね……」
周瑜の言葉を聞いた魁は、迷わず、バカ正直な答えを発した。フッ、と周瑜が笑い、鳳蓮はその言葉―――姿勢に感動する。そして彼に抱き着いて、魁の胸元を涙で濡らした。
「なんと真っ直ぐで優しい男よ!貴殿の様な人間が、味の御遣いであることに何の疑いもなく信じられるその根拠よ!新しい時代すら作れるぞ!」
「ちょ、文台さん……」
「決めたぞ、俺は御遣い殿に真名を預ける!男に二言はない!鳳蓮と呼べ、我が友よ!」
「は、はぁ……」
鳳蓮の急激な変化に魁は戸惑うしかない。やんわりと鳳蓮の腕を解き、濡れた長袖シャツを脱いでTシャツになった。ちらりと見える、そこそこ太い腕。兵としてもやっていけそうな身体ではあるが、人を斬る様な人間には雪蓮は見えないししたくもなかった。
「貴殿になら、俺の娘をやってもいい!」
「いきなり言われても……」
「いやいや、堅殿。話が飛びすぎじゃ」
「もう、父様ったら!」
「そう言うわりには満更でもなさそうじゃないか」
「まあね。だって冥琳、魁は内外ともに大丈夫の手本みたいな男よ?」
(酔い過ぎだよ、みんな)
酔っ払って好き勝手言う孫家の当主と長女。二人の話は、周瑜や黄蓋が止めるまでずっと続いた。