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火の女  作者: 北川瑞山
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 或る雨の日の事だった。先週まで続いた寒さは大分和らいで、もうコートのボタンを外したままでも外を歩けるようになっていた。

 その日の朝、私はいつものように歯医者の前で林田さんを待っていた。さすがに雨の日に上司を待たせておく訳にはいかない。そこで今日は早めに家を出て、こうしてもう十分も前から歩道の隅で棒のように突っ立っているのだ。そして傘の下で、自分の犯してしまった過ちについてぼんやりと考えていた。

 私の過ちとは、すなわち自分が如何に落ちぶれた人間であるかを理解していながら、心の何処かでそれを受け入れる事が出来ず、また疾しさから逃れたい欲求も手伝って、自分を第三者化してしまったことだ。第三者が空の上から俯瞰するように自分を論じる事が出来れば、それをあたかも他人事のように語る事ができ、かつ自分は絶対的安全圏に住まう事が出来ると考えたのだ。確かに、雲の上の生活は例えようも無く快適だった。自分の劣等感やら無能力やらをそっくりそのまま他人になすり付ける事ができ、かつそれを遠くから指差して嗤う事ができる。何をやっても駄目な奴、何をやっても失敗する奴、何をやってもこける奴、あははは…。自分を嗤うのは他人を嗤うよりも罪悪感を感じずに済むから、ユーモアを表現するにはもってこいだ。その上自分が駄目人間であることを「自覚してはいるのだ」、ということで一寸した謙虚さもアピールできる。

 だがもう終わりだ。私は結局菅原晴行という人間にしかなる事が出来ない。それ以外の人間になる事は不可能なのだ。私は自分から逃げ出さずに、これからは正直に生きていこうと思う。

 雨に煙る遠くから、幼稚園バスが唸りを上げて走ってくる。息子さんを見送った林田さんが、もうすぐ来る筈だ。


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