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火の女  作者: 北川瑞山
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 石を受け取ると、掌がほんの少しだけ温かくなった気がした。石を通して男の体温が伝わってきたのだろう。それをきつく握りしめると、快い石の硬さが弱々しい拳に心なしか力を与えた。いつもは手に力が入らないのが、その時はぎゅっと強く握る事が出来た。それをまた自分の方に引き寄せて開いてみると、いびつな、けれどもよく磨かれた三つの石が掌で快活に身を揺すぶった。確かにそれらは色彩から火の女を思わせた。火の女に飢えていた気持ちはこのとき少しだけ満足させられた。俺は別に断る理由も無いので、男に礼を言ってそれらをポケットにしまった。

 男の言い分は何だか上から見下ろした様な言い方で、俺の嫌いな種類の説教を言っているようだった。だがそこには何らの打算的な狡猾さも見て取れなかった。真に自分の事を思っているかどうかというのは何となく雰囲気で分かるものだ。男の言い方は決して自分の為の発言をさも相手の為であるかのように装うお為ごかしの種類ではなく、俺の事を思っていってくれているのだな、という感じがした。そういう人間は親兄弟を含めたってそう滅多にいるものではない。俺はそのとき男の発言を素直に受け止める事ができた。だからこそ石も黙って受け取ったのだ。

 すると、この男は一体何物なのだろう?という疑念が再び俺の心の奥から湧き出てきた。火の女の事を知っていた事といい、真に利他的な行動といい、まるで俺の分身の様では無いかとさえ思われた。だが今この瞬間は夢ではない。頬をつねるまでもなく、紛れもなく現実の世界だ。指先だってこんなにもかじかんでいるのだから。

 寒さが霜のように舞い降りて来る。俺はポケットの中で石を握りしめる。その度に俺の気は遠くなっていく。隣にいる男が誰なのかも、火の女が何者なのかも、そしてここに何をしにきたのかも茫漠としていて分からないのだ。全てが磨りガラスを隔てたように曖昧模糊とした輪郭を持っていて、俺は今更何をどうする事も出来ない。と言ってもう帰ると言い出す勇気もない。第一こんな状況下にありながら、帰りたいという気は少しも起こらないのだ。

 この地上の光と匂いは晴行にとってもはや愛すべきものに変わっていた。晴行は未だ孤独であった。また相変わらずうだつの上がらない、無気力な愚か者に過ぎなかった。しかし得体の知れないある満足が晴行の内面の細い小径を伝って染み渡っていった。それは如何なる贅沢をしようとも手の届かなかった或る部分をゆっくりと、温かく満たしていった。それが一体どこであるのか、晴行自身すら分析が叶わぬ程漠然とした感覚であった。唯一それだけが晴行がここにいる理由だった。勿論火の女への執着が全くなくなったわけではなかった。だがそれは二の次に変わっていた。それが第一義たる根拠はいつの間にか何処かへ遠のいて、それに代わる何物かが晴行の心の中央にでんと腰を据えていた。そしてそれにもかかわらず何らの要求も晴行に突きつけてはこなかった。


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