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晴行は私を怒鳴りつけてから、無言で俯いていた。
「とにかく、少し待ってみよう。暫くすれば帰って来るかも分からん」
晴行は何も言わなかった。腰を下ろすところも無いので、我々は立ったまま待つ事にした。しかし寒さはいよいよもって骨の髄まで染み渡る。そのせいで額と鼻先に鋭い痛みを感じる程だ。寒くなればなるほど、人は無口になるらしい。
「そうだ。君に渡したいものがあるんだ。良い機会だから今渡そう」
私はコートのポケットをまさぐった。地図やタクシー代の他にもう一つ私が用意してきたものがあったのだ。それを今になって思い出した。晴行は怪訝な顔をしていた。
「あった。これだこれだ。これを君にやろうと思う」
私がポケットから出したのは、ビー玉くらいの大きさの三つの天然石だった。それはどれも透き通った黒い光沢の中に仄かな赤をあしらった石だった。闇の中でも、それは妖しげに赤黒い光をたたえていた。
「何だこれは」
「これは珍しい天然石さ。所謂パワーストーンと言うやつだ。私の趣味で収集しているんだが、この三つをぜひとも君に渡したいと思って持ってきたんだ」
晴行はその美しい天然石に見入っていたようだ。しかし同時にその意味を解しかねてもいたようだった。
「これはレインボージャスパー、それからこっちがポピージャスパー、こっちの丸っこいのがスネークスキンジャスパーというんだ。それぞれ魔除けとか行動力とか生命力とかいう意味があるんだが、まあそんなのは関係なく単に色でチョイスして持ってきた」
「なぜこんなものを俺に?」
「それはまあ、特に深い意味はないがね。ただ何となくこの場にお誂え向きじゃないか」
私はそうは言ったが、何も意味がないわけではなかった。所謂験担ぎというような愚にもつかない意味がそこにはあったのだ。今回のことで私も大いに勉強になった。第三者がどんな策を弄しようとも、結局は他人を動かすことなどできはしないのだ。第三者はどこまでいっても第三者であり、本人の感性や気持ちなどそう簡単に理解できるはずもないからだ。そのことが私には身にしみてわかった。となればもう最後は願をかけるしかない。私の持ってきた石にはそういう意味が込められていた。
「どれも何となく火の女のイメージに近いだろう?マーブル模様の赤と黒…。今夜火の女に会う事が出来なくても、せめてこれを持って火の女に恥じないくらいの忍耐力を身につけてくれ。生きることは耐え抜くことさ」
こんな言い方は、あるいは説教くさいのかも知れない。黙って渡せばよかったかも知れない。しかしなんだかんだ言っても人生には忍耐が必要だというのは本心から出た言葉だった。いや、忍耐だけでいいと言うべきか…。変わる必要も成長する必要もない。希望を持つ必要なんてなおさらない。ただ黙って耐えていればそれでいいのだ。従って晴行は何も間違ってはいなかったのだ。そういう意味で私は今まで自分があらゆる愚策を用いて晴行を翻弄してきたことに対して済まないような気がした。石にはここへ来てそういう謝罪の意味も付け加わったとも言えなくはない。
ここに来てあろうことか晴行を更生させる気を無くし、そればかりか同情までしている私を愚劣だと指弾する者もあるだろう。ミイラ取りがミイラになったとは正にこの事だと。確かにそういう見方もある。私だって少しもそう思わないわけではない。しかし直接晴行に会ってみて、何の光も宿さない目の奥を見ていると、何だか自分の正義を押し付ける事が虚しく思われてきてならなかったのだ。それどころか、自分が今まで正義と信じて疑わなかったもの、あるいは晴行の幸福と当たり前に思っていたものが、本当にそうなのか疑わしくなってきたのだ。増してやそれを晴行に恩着せがましく押し付ける事など出来やしない。晴行は晴行自身の考えで生きれば良い。それ自体が重要な事なのだと思う。その結果成功したとか失敗したとかいうのは大した問題ではない。
だから、もうこれが最後だ。晴行にはもう金輪際かかわらない事にする。私はどうやら余計者だったようだ。
晴行の手を取って、私は三つの石を渡した。晴行の掌は生温く湿っていた。




