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火の女  作者: 北川瑞山
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 我々は店を出て、大通りに出た。そして道路を渡り、宇都宮駅方面へ向かうタクシーに乗った。二人並んで後部座席に座った。

「すみません、○○小学校までお願いします」

私はつい口走ってしまった。付いていくだけと言ったくせに、全く馬鹿らしい過保護な親心だ。

「へえ、○○小学校ね」

間もなくドアが閉まってタクシーが走り出すと、運転手は訝しげにこちらを振り返りながら訊ねた。

「ずいぶん遠くまで行くんですね?何かイベントでもあるんですかい?」

確かにこんな夜の九時近くに大の男二人で小学校に行くなんて何事かと思われるのも無理は無い。だがタクシー運転手は客に対して余計な穿鑿をすべきではない。言われたところに黙って車を走らせていればよいのだ。そういう訳で私は何も言わずに黙っていた。ところが晴行がそれに応えた。

「これから知り合いの家に行くんです。近くの目印がそれくらいしか無いもんですから」

慇懃に応えた晴行は、何か疾しい事を隠している様な卑屈な笑みを浮かべていた。彼の平常心は早くも揺らいできているようだった。まあ致し方ない。火の女に刻一刻と近づいている恐怖を差し引いても、名前も知らない女の家に、素性の知れない男と乗り込んでいくのは犯罪に手を染めている様な疾しさがあるのだろう。どう考えても正気の沙汰ではない。運転手はそうですか、と言って一応は納得した様子だった。

 車はやがて街の中心部を通り過ぎ、駅の裏手に出た。それから闇に飲み込まれた国道を真っすぐ突き進んだ。晴行がいつか見た暁暗の向こうに、火の女はいたわけだ。国道沿いは寂れていて、少し行くと家電量販店の店舗や郊外型の大型スーパーが青白い光を放って妙に目立って見えた。しかしそこから十分と経たないうちにそれすらも無くなり、ただ人気の無い、泥のようにくすんだ民家と蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線がいやに存在を主張している、不気味な街並が現れた。車道を走る車がゴキブリの隊列のように頭を光らせて絶える事無く行き過ぎていった。私も晴行も一言も発しなかった。もはやここまで来れば流れに身を任せるだけだ。浮薄な言葉など何の足しにもならない。ただこうして座席で揺られているだけで、運命は我々をあるべきところまで運んでくれるのだ。そうしてまた、この終わりの見えない闇すらも引き裂いて重い扉を開いてくれるだろう。

 やがては視界の両端を占めていた民家も無くなってきた。外灯すらもまばらにしか立っていないので、殆どその効力を発揮していなかった。あらゆる光は何処かに届く前に闇の中で溶けて消えていくのだ。急に視界が開けたと思うと、鬼怒川に架けられた大橋に差し掛かった。ただ寡黙に車はそこを渡っていった。黒く巨大な奔流は月明かりだけを受けて白く濁った光を潺湲と揺らめかせていた。それを横の窓からぼんやりと眺めていると、気が遠くなった。三途の川などというものがあるとすれば、恐らくはこれくらいに闇の底に沈んだ、自らの存在をひた隠している川なのだろう。いやいや、三途の川などと縁起でもない。我々は未来を生きる為にこの川を渡るのだ。そしてそれ相応の報酬を手にしてまたこの道を引き返してくるに違いない。この橋はむしろ色を失った虹の架け橋だ。

 川を渡りきると、殆どもう車も現れない。明かりはといえば信号の明かりだけだが、こんな車通りの少ない道路に果たして信号が必要かどうかも疑わしい。どちらかと言うと交通整理よりも明かりを点す意味合いの方が強い様にすら思われる。

 窓の外で風が轟々と吠え立てている。車内は暖かいが、外はやはり寒そうだ。防風の役割を果たす障害物が何も無い。ただ遥か遠くの方に夜空よりも暗い山々が連なり聳えているだけである。周りには田んぼだか畑だか分からない敷地のなかで何かの農作物が闇の中で発光した蛆のように蠢いている。我々の乗った車は頑丈な闇の壁に突き刺さっていくように前へ前へと猛進した。

 車が不意に止まった。

「ここがその辺りなんですけど」運転手は行った。

 全くそれまでと景色が変わらないので気が付かなかったが、そこが○○小学校の前であったらしい。たしかによく見ると左に小学校らしい建物がある。しかしそこには何の明かりも付いておらず、まるで廃墟の様な存在感のなさだった。

 我々は車を降りると、初めて来る土地を初対面の人物と接するようにおどおどと踏みしめた。すると肌を刺す様な寒さに突然襲われた。暗闇が広大な空から覆い被さっていた。我々のすぐ側には小さな酒屋が一軒あるだけで、それも閉店しているので人の気配という気配は洞窟の中のように悉く消され、ただ鳴り止むことのない北風の音だけがうめき声のように耳朶を打っていた。

「寒い…」晴行の第一声はただそれだけだった。


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