表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の女  作者: 北川瑞山
18/33

18

 金をおろしている途中に、携帯の着信が鳴った。ひとみからのメールだった。

「着きました!今どこにいますか?」

晴行は急いで紙幣を取りだすと、コンビニを出た。すると店の前にいたひとみが振り返ってこちらを見た。紛れもない猫顔だった。それは晴行の記憶以上に猫顔で、一寸笑いたくなった。しかし笑いをこらえて誠実に挨拶をした。

「やあ、お疲れさん」晴行は笑いをこらえている為ではなく、ごく自然に笑顔になった。

「あ!お疲れ様です!めっきり寒くなりましたねぇ」ひとみも猫顔に満面の笑みを浮かべている。吐く息が相変わらず白いが、それは先ほどより幾分か楽しげに朦々と湧き上がった。

 二人は夕食の店に向かって歩いた。店はひとみが予約してくれていた。こうして二人で並んで歩いてみると、思った以上にひとみが小さいのに晴行は驚いた。かなり踵の高い靴を履いているが、それでも身長170センチの晴行よりもずっと小さい。こんな些細な点からも、晴行は火の女を思い出さずにはいられなかった。

 火の女はおよそ自分と同じ身長だったなあ。しかし小さい女程気が強い傾向があるというのは本当だろうか?いや、無論迷信には違いないが、仮に本当だとすればこうして如何にも恭しく自分と肩を並べて歩いているひとみにも実は何処かに秘められた負けん気があるのだろうか。そう言えば火の女はその風貌からして頗る気位が高そうな印象を受けたが、その説が本当ならば実はそれほどでもないという事になる。人間は見かけによらないから、案外そうかも知れない。とは言え火の女の記憶はあくまで夢の中の事であるから、彼女の身長についてまで確たる事は何も言えないし、第一この迷信を信じてしまっては目の前のひとみとの時間を楽しむ事が出来ない。晴行はそう考えると、火の女を頭から追い払った。

 辿り着いたのは何の事は無い、ひとみの勤務する店と同じビルに入っている普通の居酒屋だった。晴行は一寸拍子抜けした。どうせならもっと高級なところでも御馳走してやるのにと思った。

 二人は靴を脱ぐと、二階の座敷に通された。靴を脱いでみると、ひとみの小ささはより歴然とした。晴行には彼女が殆ど子供のようにしか感じられなかった。これが自分よりも年上なのかと思うと、長く生きてきた経験がその小さな体にぎゅっと凝縮している気がして、彼女に対して、何かありがたいものを拝む様なある種の畏敬の念が湧いてきた。

 食卓に対座すると、二人は酒を頼んだ。晴行はダイキリを、ひとみはミモザを頼んだ。カクテルグラスをかち合わせると、それなりにデートらしい雰囲気になった。その後サラダや卵焼きや肉料理など適当な食事を注文したが、晴行はそれに手を付けずに殆どひとみに食わせた。実際晴行には何となく食欲が無かった。緊張していたからかも知れないし、ひとみとの会話を存分に楽しむ為だったかも知れない。しかし実際のところ、晴行はそれほど口数を増やす努力をする必要が無かった。何となくその必要を感じなかった。ひとみに会話の主導を任せ、自分は殆ど適当な相槌を打っていれば事足りた。と言って、ひとみにしてもそれほど口数が多いわけでもなかった。だからたまに会話が途切れると、二人の間に空白が訪れた。だがその空白が不思議なことに少しも気まずくはなかった。むしろその空白はひとみの絶え間ない笑顔によって埋められていたので、敢えて空疎な言葉で埋める方が却って陳腐に思われた。また会話の内容も決して明るいものではなかった。ひとみは高校を卒業してすぐに水商売の世界に入らざるを得なかった事情を晴行に打ち明けた。父親と死別し、母親が病気で、高卒の自分が母親との暮らしをまかなえるくらいのまとまった金額を稼ぐには水商売しかなかったとか、大方そんな内容だった。ただそんな身につまされる話もひとみが話すと不思議と暗くはならなかった。晴行はその話にただ同情して頷き、あたかも理解のある男を演じているだけで事足りた。

 ひとみは笑うと余計に猫顔になった。本物の猫は決して笑わないのに、笑った方が猫に近づくというのも妙な話だと、晴行は思った。

 晴行は飯は食わなかったが、酒は飲んだ。妙に酒が進んだ。一瞬だけひとみの術中に嵌ったかとも思ったが、考えてみればこの店で沢山飲んだってひとみの手柄になりはしない。従って自分から進んで飲んでいるだけの話だろうとも思った。一方のひとみは仕事前なので、最初の一杯をゆっくりと飲んでいた。だから全く酔った様子はなかった。段々と二人の酒量の差が開いていくのが、晴行には少しだけ不満だった。ひとみがそう多く飲めないのは仕方が無い。仕方が無いのは分かっているが、こうして店の外でわざわざ会っているのに自分ばかりが赤い顔をしていては、まるで店で飲んでいるのと変わらない。何とか自分が彼女との距離を縮めたいと思った結果がこれでは少し物足りない。晴行はそんな気持ちもあってか、若干焦っていた。焦って遂に手持ちのカードを切った。用意していた貢ぎ物を渡したのである。

「これ、さっき買い物したついでに買ってきたんだけどさ」と晴行は言って、まずは沖縄物産展の方から渡した。渡す瞬間にふと、実際に沖縄を旅行して買ってきたと見栄を張ろうか等という考えが浮かんだが、昨日会ったばかりの人物にどうして土産が買えるのかという点で辻褄が合わず断念した。

「これはちんすこうね。店の皆と食べてよ。それからこれはイルカ。ひとみちゃんに似てると思って」イルカの方は冗談のつもりだったが、ひとみは

「それはちょっと喜んでいいのかどうか…」と真剣に思い詰める素振りを見せたので、晴行は慌てて

「まあ可愛いってことだよ」と付け加えた。

「あ、でも私動物顔だって言われる。イルカ大好きだし、嬉しいな。ありがとう」とまた笑顔に戻って喜んだ。晴行は安堵しつつ、こんな事ならいっそ猫のぬいぐるみを買ってくればよかったと後悔した。猫が好きな晴行は自分の猫好きをアピールすれば間接的に好意が伝わる気がしたのだ。

 それから少し間を置いて、グッチのキーケースを渡した。ひとみが開けていいかと聞くので、開けてご覧と応えた。ひとみが何だろうなと言いつつ包装を解いている途中、晴行は普通だよと言って少しでもハードルを下げようとした。

「服とかは好みが分からないからさ、結局普通のにしちゃったよ」

晴行には女性にこういう贈り物をした経験が乏しかったため、自分の選択にあまり自信がなかった。そのためあくまでそのプレゼントがつまらないもので、それはごく気軽な気持ちで渡しているにすぎない事を強調したかった。

「あ、グッチだ!」

ひとみは喜んでいた。ただその喜び方が如何にも取って付けた様で、余り心から喜んでいるとは思えなかった。

「私こんなブランドもの持ったことないよ〜。ありがとう」

ひとみはそのプレゼントに驚いている風で、色も可愛いと言っていた。だがその文句があまりにもありきたりであった。晴行は少し拍子抜けしたが、とは言えそれほどの大失敗をしたわけでもなさそうだったので、それで良いかと思った。ただ隣の卓についた客が五六人の中年女性のグループで、それが大変五月蝿く甲高い笑い声をたてているのが甚だ興ざめだと思った。

 それからすぐに店を出た。会計は勿論晴行が済ました。クレジットカードのブラックをさりげなくちらつかせながら、晴行は自分を下衆な人間だと思った。ごちそうさまでした、というひとみは最初から当然支払ってくれるものと思っていたらしく、財布を取り出しもしなかった。そういう相手の仕草を一々確認している自分が卑しく思えた。

 外へ出て、エレベーターに乗って四階まで上がると、すぐにシルバーフィールドである。エレベーターに乗り込んで二人きりになると、ひとみはこう言った。

「今日は私、コスプレするかも」

「へえ、店の方針で?」晴行はエレベーターの薄汚れた壁にもたれながら訊いた。

「ううん、自分からやるって言い出したんだよ」

「そう言えばアニメとか好きなんだっけ?」

「うん、もう三十だしさ、コスプレするのも今年が限界かなと思って」

「どんな恰好するの?」

「それは見てのお楽しみ!」ひとみはいたずらっぽい微笑を浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ