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火の女  作者: 北川瑞山
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 翌朝は雪が降っていた。それも見渡す限りの路面や屋根に真っ白く積もっていた。晴行はここにきて初めて故郷に帰ったという実感を得ていた。

晴行は朝飯を食い終えると二階の自室で石油ストーブに当たって、本を読んだり煙草を吸ったりしてぼんやりと時を過ごしていた。実家に帰ってきても、大抵晴行はこうして一人部屋に籠っている事が多い。家族との会話は殆ど無い。それでは何の為にわざわざ実家に帰ってきたのかと言えば、それは晴行自身にも判然としなかった。ただ思いつきで帰省し、実家に帰ってきてから、やっぱり来なければよかった、等と思うのである。

 それはそうと、晴行はただその冷淡さから家族を忌避しているわけではなかった。むしろ晴行が家族と顔を合わせる事を億劫に思うのには、それなりに同情の余地のある理由があるのであった。それは晴行の母親が家の中でひっきりなしに金切り声をあげていたからである。

 晴行の母親は、老人の介護に疲れきっていた。所謂介護鬱というものかも知れないし、あるいはそれに更年期障害の症状も付け加わっているのかも知れなかった。老人は二人いた。父方の祖母と、母方の祖父だった。そして二人とも要介護認定を受ける程の認知症だった。母親は四六時中老人の心配をしていなければならなかった。デイサービスや色々な病院を行ったり来たりしていたし、家にいる時も身の回りのことを何一つ出来ない老人の世話に明け暮れていた。晴行も帰省したおりにはそれを手伝っていた。だがそれはごくたまさかの事だったし、それ以前に何の勝手も知らない晴行が手伝うといっても、それで母親の負担が軽減する事は殆どなかった。

 母親は日頃の疲労から一度体調を崩した事があった。その際に近所に住んでいる父親の姉、つまり晴行の伯母に援助を求めた事があった。三日で良いから祖母を預かってくれないかと言った。だがそれを無碍に断られた。祖母の遺産はそっちで相続するのだから、介護もそっちで完結させてくれというのが伯母の主張だった。

 母親はこれに怒り狂った。実の娘が何故三日間ぐらい母親を介護できないのか、しょっちゅう頼んでいる訳でもあるまいし、大体遺産を相続すると言うけれども祖父が死んだ時にはきっちり遺留分を請求したではないか、というのが母親の怒りの内容だった。

 そして母親の怒りの矛先は父親に向かった。父親は姉には頭の上がらない人間だったので、伯母を説得できなかった。本来ならば肉親の父親が何とか話をつけるべきところを、そう出来なかったという事実は父親をこの一件のA級戦犯に仕立て上げた。それで母親は四六時中父親に向かって罵声を浴びせていた。その内容は晴行にははっきり聞き取れなかったし、また聞き取ろうともしなかった。ただ晴行が母親のそばにいると、晴行にも祖母の愚痴やら何やら小言を言う。それを鬱陶しく思い、晴行は終始二階の自室に引きこもっているのであった。

 晴行は一階から聞こえてくる金切り声にうんざりして、ベランダに出た。外にはまだ雪が降っていた。真っ白に染められた世界は、不思議なくらい静かだった。雪の積もる微かな音が微弱なノイズをかき消し、無音よりも却って静かになるのだろうか、と晴行は考えた。寒さで下腹に力が入る。晴行は震えながら、ベランダの隅に立てかけてあった折りたたみ式の椅子を広げ、そこに腰掛けた。合成繊維の椅子は冷えきっており、座ると飛び上がりそうになる程尻が冷たかった。晴行は煙草に火をつけて、煙を吐き出した。淀んだ煙の立ち上る向こうに、目の覚める程の白さの雪が降る。こうして見るとなかなか風雅だ。晴行は少しそれに癒されて元気になり、その勢いで今日は何処かへ出かけてしまおうと思い立った。居心地が悪くてする事も無い家にいるよりは外で時間をつぶすほうが余程良い。そして夜になったらそのままあの店に行って、帰ってきたらすぐに寝てしまおうと思った。

 そう思うが早いか、晴行は電話でタクシーを呼ぶと、家の者に一声かけて玄関から外に出た。雪の勢いは増していたが、傘はささなかった。雨に濡れるのは嫌だが、雪は余りそんな気がしない。傘をさす方が何となく不自然なように感じられた。お陰で晴行の頭は瞬時に真っ白になった。

 迎えにきたタクシーに乗って、街へ出た。駅前のタクシープールで降車して、駅の真向かいにあるデパートに入った。一階の喫茶店でアメリカンコーヒーを啜りながら、一時間程本を読んだ。やがてそれに飽きると、店を出て地下のフードコーナーで昼飯を食った。それから何もする事が無いので、晴行はデパートの最上階に行った。年の瀬という事もあってか、店内は家族連れで混雑していた。彼らのかき立てる洪水の様な騒音が晴行を苛立たせた。晴行は人混みが余り得意ではなかった。そういうところでは自分の無気力が孤立し、まるでその空間にだけ穴があいたように不自然な異次元世界が出来てしまうのである。それは晴行にとって何となく恐ろしかった。

 エスカレーターで最上階まで昇ると、沖縄物産展がやっていた。ハイビスカス柄の派手な出店と、エイサーエイサーという民謡ですぐにそれと分かった。晴行は暫くそれを見て歩いた。色とりどりのちんすこうやらさんぴん茶、泡盛、沖縄そば、ソーキやラフテー、島唐辛子、その他よく分からないものが無数に店頭に並んでいた。美しい海を撮った写真もいくつか飾られている。晴行は一瞬だけ沖縄に行ってみたいなどと思った。しかしその直後に、どうせ疲れるだけだから止そうとすぐに打ち消した。

 晴行は今日あの店に行くなら、ひとみに土産を買っていってやろうと思い付いた。それで雪塩ちんすこうとイルカのぬいぐるみを買っていった。何だか酒場の女に貢物をするようで自分が少し矮小になった気がしたが、こんなものでひとみの喜ぶ顔が見れるなら安いものだと思った。


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