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火の女  作者: 北川瑞山
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 夜の七時はもう真っ暗だった。仙台の最低気温は氷点下にまで達している日だった。が、幸い雪は無く足場が乾いていたので、待ち合わせには二人とも遅れずに来た。

「よう、久しぶり」

新田は半年程前に会った時と何も変わっていなかった。洋服のセンスの悪さ、おかっぱのように前髪の切りそろえられたヘアスタイル。少し太ったかなとも思ったが、そこは晴行も人の事を言えなかった。

「おう、とりあえずどっかの店に入ろう」

二人は冬の夜道を懐手をして歩き出した。街はここ数年で俄に栄えた。晴行がまだここに住んでいた頃は辺鄙な田舎町だったが、今では充分に繁華街と呼べる界隈が出来ていた。居酒屋やら和食洋食、イタリアン、バー、スナック、キャバレークラブ。大抵のものは何でもある。が、どれも小ぶりで何となく都市にある歓楽街のミニチュア版といった感じである。

 二人は適当に近くの寿司屋の暖簾を潜った。威勢のいい掛け声が二人を迎えた。生け簀には大きな牡蠣が張り付いている。二人は座敷に上がって腰を下ろし、寿司と地酒を二人前頼んだ。晴行は煙草に火をつけた。

「どうだ、栃木の暮らしは」新田は言う。

「ああ、まあどうという事も無いな。普通にやっているよ」

晴行には殆ど話すべき事がなかった。仕事の事は勿論、私生活上も取り立てて語るべき起伏を何一つ見つけられなかった。こういうとき、晴行は自分の生活の単調さと退屈さを見せつけられて自己嫌悪に陥る。

「そうか、俺の方はやっと後輩が入ってきたよ」

「そうだな、お前もやっと社会人二年目か」

「ああ、長い一年だったよ」

「新人の頃は色々と大変だからな」

「ああ、覚える事が多くてね。そういやお前は何年目だ?」

「俺はもう五年目さ」晴行は言いながら、自分の後輩達の事を思い出した。彼らの殆どは晴行よりも優秀で働きぶりが良く、中には晴行を追い越して主任になっている者もいた。

「五年目か。もう中堅社員だな」新田は言った。

 酒が来た。二人は乾杯した。けれども晴行は浮かない表情をしていた。

「そういやこないだ会ったとき言ってた話はどうなった?」新田は酒を飲みながら言った。新田は煙草を吸わない。

「話って?」晴行はとぼけた。

「ほら、もう会社辞めようかって言っていたじゃないか」

「ああ」

晴行は煙草の煙を鼻からだして、俯いたまま答えた。

「別にどうもなってないさ。俺はまだこうして会社にいるんだからな」

「でもあの時は大分本気だったみたいじゃないか」

「あの時はね。しかし人生どうなるか分からんもんだよ」

晴行は新田の不躾な質問に少し腹を立てた。分かりきった質問を今更穿り返す事も無いように思えた。確かに一年くらい前、晴行は会社を辞めようと本気で思っていた。だが何の計画性もない退職は当然周囲から反対されて頓挫した。確かに晴行も今考えてみればあれは無謀だったと思う。ただ何となくこのまま会社に居続ける事が嫌になって辞めると言い出したまでのことだったのである。

「あの時ははっきり言わなかったけどね、そう簡単に辞めない方が良いよ。仕事だからそりゃあ嫌な事も沢山あるだろうけどね。結局社員で居続けていれば安泰だよ。会社辞めたって自由なんて手に入らない。金が無いんだからね」

そう言いながら新田は晴行のお猪口に酒をついだ。晴行が何か言おうとする前に、寿司が出てきた。

「弟君はどうしてる?」晴行は話題の矛先を変えた。

「ああ、真ん中の奴は就職したね。いきなり四日市に飛ばされたよ」

「四日市って、三重県の?」

「そうだ。だから人材派遣会社なんて止めておけと言ったんだけどね、馬鹿な奴だ」

「末っ子の方は?」

「あいつは今年高校受験だよ。でもまあ余り成績が良くないらしいね。I高校を志望してるらしいけど、なかなか厳しいようだね。下に行く程馬鹿になっているよ、うちの兄弟は」

晴行は新田のこういう棘のある物言いを至極新田らしいと思った。最近になって新田は少し角が取れたのか、社会的地位や収入を誇示する様な事を言わなくなった。が、それでも無意識にか意識的にか他人を見下す様な態度は言葉の端々に現れていた。しかし晴行は特段それを嫌だとも思わなかった。新田が見下す他人は常に三人称であり、晴行には向けられていなかったし、むしろ晴行を「こちら側の人間」として擁護する傾きがあった。勿論晴行にはそこまでの自意識は無かったが、言われて悪い気のするものでは無かった。

「しかし不味いね、この辺の寿司は。今度銀座の方に食いにいこうぜ」新田は寿司を頬張りながら、眉をしかめて言った。

「銀座になんて行くのか?」晴行は問うた。

「ああ、出張でね。まあ大抵は顧問先に御馳走になるんだが」

晴行はそれを聞いて、新田が顧問先の担当者から先生先生と言われて接待を受ける姿を思い浮かべた。新田なら喜んでいるだろうが、自分が同じ立場にいたらとても窮屈でやっていられないだろうと考えた。

 寿司を食い、酒も大分飲んだ。二人は勘定を済ませて外に出た。外は一層寒くなっていて、風も強かった。酒を飲んだせいか、その寒さが頭の奥までしみて来るように思われた。新田はマフラーを冷たい風に靡かせながら、肩を震わせて言った。

「どうだ?もう一軒くらい」

「ああ、良いよ」晴行は諾った。

 二人は飲食店の集合する大型のビルに入った。そしてそこの四階にある小さなスナックに入った。『シルバーフィールド』という看板が出ていて、ご新規様焼酎一本サービスと書いてあった。何だか老人ホームの様な店名が入りやすくもあった。


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