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いやいや、待たせてしまって申し訳ない。どうやら夢落ち、という何とも手垢にまみれた展開だったようだ。全く一寸目を離すとすぐに安易な方に流れてしまうものだ。しかしとにかくこれで筆者が恐れていた見え透いた展開やら人間感情の陳腐化というのは免れた。ここまで来ればこれから先いくらでもやり直しがきく。いや、別にここまでの展開自体に何か問題があった訳ではないのだから、何もやり直すまでもない。ただ一寸だけ考え方を変えてみれば良いだけの話だ。
あの後筆者は考えてみたのだが、結局晴行を救う為に何か大げさな催しを企てる必要はないという結論に辿り着いた。というのも、彼に必要なものは他ならぬ平々凡々たる生活だからだ。思えば無気力な若者程夢見がちである。夢や希望に満ち溢れている筈の若者が少なからず無気力に陥るのは全くこの性質から来るものである。すなわち頭の中に思い描いた燦爛たる夢や希望と実際の生活とがあまりにも乖離している時、彼は何だか途方に暮れてしまってやる気を起せずに、ただ時空を超えた何処かに思いを馳せながら無為の生活を営む事になるのである。
そう考えると、一見無気力に見えた晴行にも人並みの、いや人並み以上の夢や希望が眠っている事になる。そして正しくそれがために晴行は無気力なのである。してみると、今の晴行に必要なのは夢を叶えてやる事よりもむしろ現実の生活に順応してもらう事である。これが出来ない限り、晴行はいつまでも無為の泥沼に嵌ったまま不幸な生活を送る事になる。つまりはそのうちの何かを変える事ではなく、不幸が不幸でなくなるまで慣れてしまえば良いのである。
そこで新たな問題が一つ生ずる。晴行を生活に順応させるという課題に対して、筆者が出来る事は何も無いという事である。筆者が出来る事は何かを作る事や提起させる事であって、何も起さないことではない。どんな平凡な生活を描くにしろ、筆者は何らかの物語(それが例え物語らしい体裁をとっていなかったとしても)を作らずにはいられない。そうなると晴行をこの物語に閉じ込めて描く事にすら意味がなくなってしまう。ただ勝手に泳がせておくしか無いと言うのであれば。
そうではなく晴行を放っておかずに、なおかつ生活に馴染ませる。これは筆者のみならず読者にとっても大変な根気の要る事のように思われる。なぜならそれは十中八九退屈だろうからである。読み手が退屈なものは書き手に取っても退屈だ。はっきり言って誰も得をしない。
しかし退屈だろうが欠伸が出ようが、書かねばならないことは書くしかない。一人の凡庸な青年を救う為にわざわざ退屈な文章を読まされては読者もたまらないだろう。が、文学の価値は何も起伏に富んだ面白い物語を作る事にのみある訳ではないだろうし、そもそもこんな能書きを垂れている時点でもうかなりの読者が退屈しているのは目に見えている。どうせなら退屈ついでに、うんと退屈な日常を書いてみてもいいかもしれない。




