第四話:目撃者
ユウヤの部屋には新たにベッドが一台増えていた。三人娘と交わした例の約束のためである。元々部屋は一人では持て余すくらいの広さがあるので、物が増えること自体は特に支障もないのだが。
約束実行初日、ドール。
「さ、ユーヤ。寝よっか」
「ちょっと待て、おまえの寝床はあっちだ」
「いーじゃんせっかく一緒の部屋で寝られるんだから、一緒のベッドで寝るのは当然っしょ」
「いやいや待て待てだからなんでそこで脱ぐ」
「あ、じゃあ脱がす?」
「頼むから寝かせてくれ」
約束実行二日目、ユニ。
「それではおやすみなさいませ、ご主人様」
「はいおやすみ。また明日」
「…………よいしょ、と」
「……おい」
「はい」
「なぜ乗る」
「主人に添い寝をするのも側女の務めではございませんこと?」
「だからなぜ脱ぐ」
「では脱がせていただけますの?」
「あーもう……」
約束三日目、ラヴィー。
「マスター! あたしと交尾する! です!」
「――ぶっ! ……な、なんだって?」
「ユーシューなイデンシを持つオスを求めるのはメスとして当然の本能、だそうです! マスターはあたしには甘い、そうなので、まずはあたしがユーワクしてキセージジツ作る! です! お姉ちゃん達の命令! です!」
「ちょ、待て、苦しい苦しい! ロープロープ!」
由々しき問題である。
彼女らは人間になったことにより、交配対象がそれにならうのはさることながら、常に交配可能な状態となってしまったらしい。もっともウサギは元よりそういった動物ではあるが、向こうから襲い掛かってくるのは元が魔獣だからなのだろうか。
ユウヤはれっきとした健全で健康な年頃の男子である。そういったことに興味がないわけではない。おくてでもない。むしろそういったことに関しては堂々とし、積極的なほうでさえある。実際こちらの世界に来てから色恋事もいくらかあった。
だがそれとこれとは話が別だ。
たしかに彼女達は可愛いと思うし、懐いてくれるのも嬉しい。他の奴らに自慢してやりたい。もし万が一彼女達に嫌われるようなことにでもなれば、自分は本気で凹むだろう。
しかしそれはあくまで『主人の従魔を見る目』でそう思うのである。いわば『父親が娘を想う気持ち』と似たような感情なのであって、いくら外見が人間の女性になろうとも、それが反則的に愛くるしかろうとも、萌え要素の権化でグラビアアイドル顔負けのわがままボディだろうとも……彼女達相手に交配行為を行おうなどとは、到底思えそうにない。
「眠い……」
更に増えたタチの悪い悩みに、ユウヤは連日の睡眠不足でずっしりと重たい頭を抱えていた。
目の前にはまだ手をつけていない朝食の乗ったトレイが放置されている。
「マスター元気ない、です」
「ははは……」
「ユーヤ、はい、あーん?」
「いや、自分で食うから……」
「わたくしの治癒魔法の出番ですわね」
「疲れは取れても根本的な解決になんねーしなぁ……」
先に食事を終えてしまった三人が、それぞれ心配そうにして主人の顔を覗き込む。
こんな調子で本人達にまったく悪気がないのも始末に終えない。このままでは本当に身が持たないかもしれない。色々な意味で。
「オーッス、ユウヤ。なんだぁ? 朝から浮かない顔してんなぁ、オイ!」
空のトレイを持って背後にきたコパが、項垂れるユウヤの背をバシッと威勢良く叩く。
その勢いでズルッと前方に姿勢を崩したユウヤは、そのままグシャリと顔面からテーブルに突っ伏した。前方に押しやっていたため、スープとパンはギリギリ無事である。
「おいこら人間。ユーヤに何をする」
「わたくし達の目の前でご主人様を攻撃するとは……中々いい度胸をしておいでですわね」
「コパセンパイ、マスターいじめたらダメッ! です!」
「ええっ? あ、いや。えーっと……悪かったって。そんなに怒らないでくれよ」
いっせいに非難を浴びたコパは思わず顔をひきつらせながら苦笑いを浮かべる。
ユウヤも何拍か遅れながら、ズルリとと緩慢な動作で起き上がり、額を押さえながら「大丈夫だから先に部屋に戻ってろ」と三人に指示を出す。三人はやや憮然としながらも、しぶしぶ食堂を出ていった。
「相変わらずいい子達だなぁ。ちーっとおっかねーけど」
「はは。許してやって下さい、中身は魔獣の時のままなんですよ」
「中々興味深いな。おまえには当たり前のことかもしれんが、魔獣の声が聞けるなんて機会、普通はねーからなぁ」
そう言ってコパは彼女達が出て行った先を見据えて口角を持ち上げる。
――なるほど。言われるまで気付かなかったが、魔獣との対話というのは、魔獣使いにとって憧れるものがあるに違いない。かつて自分も、動物とのそれに憧れたことがあったように。
まるで少年のような顔を見せるコパに、ユウヤもふと笑みを浮かべた。
「ぜひともこの機会にドールちゃんとお近づきになりたいもんだ」
笑みはすぐに消えた。
「んで、大丈夫そうか。大会は二日後だぜ。仮の従魔、見つかりそうか?」
「いえ、それがまだ全然で……」
ようやく朝食に口をつけながら隣に座るコパと会話を続ける。
ヤン校長に紹介してもらった調教師のところへはこの二日とも通っているが、まだ納得のいく従魔を見つけられていない現状だった。本日も訪ねる予定でいるが、今日見つからなければ今回の大会は出場を見送ることになってしまうだろう。
「よーお、天才様。随分と余裕のご様子じゃねーか。俺様の能力を持ってすれば二日もありゃー大会なんざチョロイチョロイ、ってかー?」
不意に横から声を挟まれる。
嫌な奴が来た、とユウヤもコパも揃って口を閉じ、顔をしかめた。
兄弟子のスクイズ。
たしか年はコパと同じくらいで、二十四、五ではなかっただろうか。実家が名家の金持ちだとかで、たしかに贅沢をしていそうな体型をしている。またその父親がヤン校長とは旧知の仲らしく、この学校にも出資しているという話だ。そのことを鼻にかけて何かと周囲に威張り散らし、特にユウヤには難癖をつけて嫌がらせをしてくる。
この門下で唯一、ユウヤが心底関わりたくないと思う人物だ。
「ま、せいぜい悪あがきしろよな。天・才・様? ひゃっはっはっはっは!」
昨今巷で流行りのイケメン俳優を真似たらしい、まるで似合っていないヘアスタイルを片手でいじりながらスクイズが食堂を去ってゆく。
とたんにコパが毒づいた。
「ケッ、ヤーな奴! 自分の短足に引っかかって転べチビデブ!」
「先輩、言い過ぎですよ。全面的に同意はしますが」
最後に少し嫌な気分にはなったものの、ようやく眠気も覚めてきた。朝食を食べ終え、牧舎に向かうコパとは別れてユウヤは自室へと戻った。
スクイズの言ったことを気にするわけではないが、はたして今日こそ良いパートナーを見つけることができるだろうか。できればいいのだが……。
場所は変わって、ハクロウ塾から西に位置する町、ラバー。ハクロウ塾のあるサイレンの町から出るバスで十分ほどの小さな町だ。
一行はヤン校長が懇意にしているという魔獣調教師の牧舎に訪れていた。今日で三日目だというのにもかかわらず、状況は変わらずといったところで選定は難航していた。
紹介される魔獣はどれもよく訓練されており、ユウヤとしては「この子となら上手くやれそうだ」と思った魔獣もいくらかいたのだが、三人娘が頑として首を縦に振らない。
『やぁ、こんにちは。俺はユウヤだ。君の名前は?』
『ジェシカと申します。凄いですね、鹿の言葉がわかる人間なんてはじめて見ました』
『はは、ちょっと特殊な能力なんだ。じつは短期で働いてくれる従魔を探しててね』
「凄い! です! 角が立派な鹿さん! です!」
「美味しそう」
「お刺身にしたら何人前いただけますかしら」
『おや、客人か。よく来たな、拙者ワンダーウルフのローと申す』
『どうも、魔獣使いのユウヤっていいます。今度出る大会に一緒に出てくれる従魔を探してて……』
「随分目付きの悪いお方ですわねぇ」
「こいつ今わたしにガン飛ばしたんだけど、殴っていい?」
「狼さん怖い、です……」
『俺はユウヤ……』
「弱そう」
「お馬鹿さんっぽいですわ」
「あたしでも勝てるかな?」
「あああもおおお! これじゃいつまでたっても決まらないだろおおおおおお!」
ついに最後の一匹まで見終わってしまい、ユウヤはがしがしと髪をかきむしって声を上げる。
嘆く主人をよそに、三人はしらーっと明後日の方向を向きながら素知らぬふりをする。
「おまえらさてはワザとか、ワザとだな?」
「いーえぇ、滅相もございませんわぁ。わたくしの代わりを担えると思えるようなお方が、こちらにはいらっしゃらなかったというだけで」
それは贅沢というものである。仮にも三人はユウヤが毎日のように話しかけ、共に過ごし、パートナーとして実戦経験も積んできた従魔達だ。しかも上の二人は魔獣としてのランク自体が最高位であるドラゴンにユニコーン、ともなればそれに見合う従魔などそうそう都合よくいるわけがない。
「はぁ……ま、しょうがねーか。大会はまだ次があるし、ゆっくり探そう」
「そーそ。男は諦めが肝心! ってねー」
「俺が卒業できなきゃおまえ達だって困るんだぞ……ったく、わかってんのか」
「マスタークヨクヨするな! です! 狼さん以外ならあたし仲良くする、ですよ!」
帰り道のバスに揺られながら、どうやら今回は棄権を余儀なくされることとなった、二日後の大会のことを考える。棄権の申し出は当日会場の受け付けで行えば済むはずだ。自分は参加できなくとも、先輩達も出場するので応援には行くつもりである。
じつは今回の大会、ユウヤは初の個人トーナメントへの参戦をする予定だった。卒業試験合格はもちろんその個人戦での上位入賞が条件なわけだが、それを差し引いても、個人戦未経験のユウヤにとっては参加すること自体に充分な意味があったので、いささか残念な結果になってしまったといえる。
最寄りのバス停に着いた。
モーター音のしない車内から、出入り口の扉を開いて外へと下り立つ。箱型の車内に座席が並んでいるその造りは、やや古めかしい型をしておりかつ木製という違いはあるが、ユウヤがよく知っているバスそのものだ。しかしこの世界のバスはエンジン音もしなければ排気ガスも出さない。バスが静かに走り去ってゆくのを見送って、四人はハクロウ塾へと戻る道を歩き出す。
町外れにあるバス停から徒歩十五分、ハクロウ塾の敷地へと入る。宿舎までは更にここから五分ほど歩く。大きな一本道を進んでゆくと、道すがらに先輩達が大会に向けての最終確認を行っているのが見えた。二日前ともなれば大詰めだろう。パートナーとなる従魔達にも気合が入っている様子だ。
その様子を見ていると、先ほど一度は諦めたものの、何とかならないものかな……という気持ちになってくる。宿舎に戻ったら三人娘を説得してみようか。
ユウヤの卒業が遅れるということは、それだけ呪いの解明、ひいては解呪への道が遠ざかるということを言い聞かせなくてはなるまい。
「あっ、おーいユウヤ君! ちょうどよかった、ちょっと来てちょうだい!」
今は空になっている自分の牧舎が見えてくる辺りまで来て、女性の声に呼び止められる。
声のするほうに見やると、柵に囲まれた運動場の中からこちらに大きく手を振っているタリア女史の姿があった。
「お呼びでしょうか、タリア先生」
女史の前まで来てひざまずき、頭を下げる。三人娘はユウヤの後ろで一応大人しくしている。良い魔獣は力のある魔獣使いを自然と見極めるものだ。人間になっても中身は魔獣なので、本能的に何かしら感じるところがあったのかもしれない。ユウヤの挨拶を見た女史は笑いながら長い栗色の髪をかきあげ、後ろに流して頷き返す。
「なんだかくすぐったいわね、元後輩に先生だなんて呼ばれちゃうと」
タリア女史はハクロウ塾の卒業生で、卒業後の今は魔獣使い指導員免許を取得するため、今年この学校に実習生として戻ってきたユウヤの元先輩である。ユウヤと共に学んだ期間は一年足らずと短い間だったが、記憶をなくしたことになっているユウヤにこの世の魔法の仕組みを丁寧に教えてくれた親切な女性だ。
美人というほどの容姿ではないものの、愛嬌のある顔立ちでスタイルも良い。近々結婚するそうで、男子生徒の何人かは枕を濡らすことになったとか、ならなかったとか。
「それが、オルニス君のルフが三、四日くらい前から急にいうこと聞かなくなっちゃったっていうのよ。暫く様子をみてみようっていってたんだけど、全然駄目。一向に動いてくれないわ」
オルニスはよく知っている。ユウヤの二つ下の青年で、大会の団体戦でチームを組んだこともある。ゆえにオルニスの従魔であるルフのロックも知り合いだ。ロックは賢く、主人の命令に忠実に従うことのできる優秀な従魔だったはず。
タリア女史の脇でやはり困った顔をしているオルニスを見やり、ユウヤは一つ頷き返す。
「わかりました、話してみましょう」
運動場からほど近い、オルニスの牧舎へと移動する。
ロックは牧舎の中で翼をたたみ、まさに字の如くじっと動かず、そこにいた。一同の見守る中、ユウヤはロックの前へと立つ。ルフは大きな鷹に似た姿をした鳥型の魔獣で、並んで立つと目線はユウヤよりも頭一つ分ほど上方になる。とはいえドールの原型に比べればまだ可愛いものだが。
『やぁ、ロック。久しぶりだ』
『……ユウヤか』
閉じていたロックの瞼が持ち上がり、ユウヤを見た。
『おまえが来るのを待っていた』
『俺を?……なんでまた。オルニスが心配してるぞ、何かあったのか』
『何か、か。それはおまえのほうにこそ心当たりがあるのではないか』
ルフ鳥はじっと目の前の若い魔獣使いを見つめ、語り出す。
『私は見たのだ。五日前の晩に、おまえの牧舎で何が起きたのかを――』
ハクロウ塾門下一同は緊急集会を行うとの連絡を受け、皆一様にして宿舎の食堂へと集まっていた。
中央の大テーブルを囲って皆怪訝そうにしながら席へと着いてゆく。ヤン老師が生徒の数を一通り数え、全員揃っていることを確認すると、一人だけ一同の輪から抜け、老師の傍らに立っていたユウヤへと目を配る。ユウヤはそれに小さく頷いて、大テーブルの上座へと立った。
「皆さんご存知の通り、先日より私の管理不足によって私の従魔達が人の姿となり、大変ご迷惑をおかけしています。ここで改めてお詫びと感謝を申し上げます」
そこで一旦言葉を区切り、ぺこりと一礼する。
ドール、ユニ、ラヴィーの三人娘はいいつけを守り、ユウヤの右手側の席に並んで座って大人しくしている。
「そしてこの度、諸先生方とオルニス先輩のご協力をいただきまして、真相解明の糸口を見つけることができました。今日はこれからそれを解決していきたいと思いますので、皆さんもご協力お願いします」
皆、静かにユウヤへと視線を向け、口を挟まず言葉に聞き入っている。
一同の視線を集めたユウヤは一拍間を置いて、面々の顔を見渡しゆっくりと口を開いた。
「さて。皆さんご存知の通り、この学校の牧舎には拘束システムに加え、防犯システムも備わっています。牧舎の担当者は牧舎に入るためのパスワードを持ち、担当以外は中に入れないようになっています」
ユウヤはあえて、この学校の――いや、魔獣使いの心得のある者であれば誰でも知っているであろう事柄から語りだす。
家畜や魔獣の牧舎には魔法のかかっているものとそうでないものの両方があるが、きちんとそれらが管理されているような場、つまり学校や大規模な調教・飼育場などでは魔法での防犯対策をしていることがほとんどである。
つまりあの晩、誰かがユウヤの牧舎に侵入し、なおかつドールやユニ、ラヴィーに気配を悟られることもなく犯行に及んだとは考え難いのだ。ゆえに、当日のユウヤはあれだけの動揺をみせ、奔走するはめになったわけなのだが。
しかし、もしそれが昼間の内に行われていたのであれば――そうなると話は別だ。
基本的に、ハクロウ塾では各々が責任を持って自分の牧舎の管理を全て行うことになっているのだが、用事や都合で従魔の世話ができない際にはもちろんこの限りではない。体調を崩して寝込んだり、休みの日には外出することもある。そんな時には従魔のエサやりなどを代理人に頼むのだ。
一同はユウヤの言葉に少し緊張した様子で、かたずをのんで事の成り行きを見守っている。
「俺はその日バイトに出かけるため、彼女達のエサの世話をアンジェリカに頼みました」
代理人は自分の牧舎から近い牧舎の担当に頼むことが多い。近ければ自分の従魔の世話のついでにエサを運ぶこともできるからだ。ユウヤは普段、一番牧舎の近いオルニスに頼んでいるのだが、あいにくその日はオルニスも出かける予定があり、次に近いアンジェリカに頼むことになった。
代理人をたてる際には、担当以外が牧舎に入るためのサブパスワードを渡す。サブパスワードは牧舎主が定めた期間、許可した行動のみ可能になる、制限付き管理パスである。
「アンジェリカはオルニスのところのロックのエサやりと共に、快く引き受けてくれました」
「ちょ……ちょっと待ってよユウヤ君! それってまさかアンジェリカを疑ってるってこと?」
ガタンと音を立て、堪らないといった様子でオルガが席を立つ。視線が一気にそちらへと移動した。
ユウヤに食って掛かるオルガの様子にドールの殺気が一瞬増した。ユウヤは視線でそれをたしなめ、オルガへと向き直る。隣に座るアンジェリカは黙って俯き、心なしか顔が青ざめているように見える。
「アンジェリカはそんな卑怯なことをする子じゃない! ルームメイトの私が保証する!」
「ご……め……なさ……」
「ユウヤ君だって知ってるでしょ? アンジェリカは魔獣をとても大事にするいい子だって! いくら自分の従魔じゃないからって、間違ってもそんな……!」
「ごめんなさい。ごめんなさい。オルガ、ごめん、本当に私のせいなの……私がやったの。私のせいなの。ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ、なさい……」
「アンジー……あんた……」
アンジェリカがテーブルの上に顔を伏せ、怯えたようにひたすら同じ言葉を繰り返す。
オルガはただ、信じられない、というように表情を硬くし、傍らのルームメイトの小さく竦んだ肩を見下ろした。