第二話:三人娘
「……はぁ」
「マスター?」
「…………はぁ」
「マスター……」
吐いても吐いても尽きない溜め息があふれてくる。
まずは目に飛び込んだ少女のあられもない姿に慌て、急いで自室に連れてゆきシャツを着せて、隠すべき場所を隠させた。その点、人が出払っていてある意味幸いだったといえる。
その後、混乱する頭をなんとか落ち着かせようと深呼吸を繰り返し、改めて目の当たりにする少女を見て、間違いなくそれが『ラヴィー』であるという確信を持ったユウヤはまたひとつ溜め息を重ねるのだった。
少女の首には自分が飼っていたハネミミラビットの首輪が巻かれている。
その首輪には魔法がかけられており、つけた主にしか外すことはできない。だから目の前の少女は確かに、始めの森で出会い、空腹のユウヤを助け、しばらく共に寝て過ごしたあのハネミミラビットのラヴィーである。
「……うん、よし、そうだな。わかった。現実は受け入れなければ」
最後に一呼吸、大きく吸って長く吐いて頷く。きょとんとした顔でこちらを見て傾げるラヴィーに真っ直ぐ見返し、受けた衝撃で忘れかけていた本来の目的を思い出す。呆けている場合ではないのだ。
「おまえがどうして人間の姿をしているのかわからんが、今はそれよりユニとドールを見つけ出すのが先だ。特にドールはあんな性格だから、何をしでかすかわからない。それで、さっそくだけどおまえのサーチで捜索を……」
いや、そもそも人間の姿になったラヴィーは魔獣だった時の能力を使えるのだろうか。
言いかけてふと疑問をいだいたユウヤが眉をひそめるも、ラヴィーはそんなユウヤを気に留めた様子もなく、すいっと指先を持ち上げてゆく。
「えっと、ユニお姉ちゃんならあっちにいる、です」
「え」
「さっき言おうと思ったんですけど、マスター凄く急いでるみたいだったから」
どうやらすでに大体の居場所を知っているらしい。
まったく悪気のない顔をして校舎の方向を指差すラヴィーに再び溜め息だ。
ちなみにユニはユニコーンというキメラ系の魔獣で、見た目は馬に似ているが雑食であり、肉を好む。ユニコーンの中には人里に下りてきて家畜を襲う物もいるため、時折討伐の対象にもなっている。
ユニはそんなユニコーンの中では珍しく大人しい性格をしており、元々知能が高い魔獣ということもあって、ユウヤの話をよく理解してくれる良きパートナーだった。人語も理解できるので、聞きかじった人間の言葉の意味を知りたがったりと、知的好奇心旺盛な一面もある。
「ん……そうか、悪かった。じゃあまずユニのところへ行ってくれ」
「……」
「どうした?」
「んっと、えっと。ユニお姉ちゃんにもこういうのいらない? ですか?」
そう言ってラヴィーは自分の着ているシャツの裾を掴んで、ユウヤに見せるようにぐっと前に引っ張る。ユウヤはそっとその両手をとり、そこから離させ、シャツの裾を直す。
……ズボンは大きすぎて履けなかったのだ。
「つまり、ユニもドールもおまえと同じように人間の姿になってるってことか?」
「ですです」
頷くラヴィーを見て軽く眩暈が。
ラヴィーは先だって見ての通りだが、加えてユニもドールも『メス』なのだ。
しかし人間の姿になっているのならば、その足ではそう遠くまで行けないのでは、とも考えられる。
ラヴィーを見つけた時の姿を思うとまた別の意味で何かと問題ではあるが、野放しにされたドラゴンが近隣の町や村を飛び交い火を噴いた、なんて事態を起こすよりはそのほうがはるかにマシなはずだ。
とりあえず、新たに出したシャツ二枚を持ち、太ももの下まで隠すダブダブのシャツを着たラヴィーを連れて、校舎へと移動する。
それにしても、たった一晩の内に一体何があったというのか。今にもユウヤの理解の範疇を飛び越えそうな現実に、眉間のシワは刻まれっぱなしだ。
それに対してラヴィーはというと、じつに楽しそうにしながらユウヤの後を付いてくる。
今は教室での授業も行われておらず、しんとしている校舎の通路を歩きながら「人間の服似合いますか?」などと屈託のない笑顔を向けてくる。ピョコピョコと軽やかに跳ねる足取りもハネミミラビットの時のままだ。
そんな様子でひとまず辿り着いた校舎の中、ラヴィーの示す方向へと通路を渡り歩いて、間もなく二人は書庫の前に来た。その居場所に、ユニらしいな、などと思って少し笑ってしまい、すぐに気を引き締め直して扉の正面に立つ。
ユウヤはちらっとラヴィーを見やり、頷く仕草を見て静かに扉を開いてゆく。扉の向こうには背の高い本棚が整然と並んでおり、昼でも薄暗い室内の奥からはブツブツと誰かの呟く声がしていた。
「なるほどなるほどー……ドラゴンの弱点は特に無し……うーん役に立たない本ですわねぇ」
「ユニコーンには複数の獣の特徴があり……角には解毒作用……と」
「ハネミミラビット……鳥の翼のような耳をしており、毛の色や柄は様々……肉は食用にも……」
「ユニ!」
ユウヤが呟く声に向けて呼びかけたとたん、ピタリと声が止む。それから数秒ほど間を置いて、静かに足音が近づいてきた。
「ごきげんよう、ご主人様」
そう言って開いた扉から差し込む明かりに照らし出されたのは、白い肌に緩いウェーブのかかった金色の髪をふわりと流した美少女だ。年の頃は十八前後だろうか。垂れ気味の目尻と微笑む薄い唇があいまって、じつにおっとりとした印象を与えていた――のだろうと思われる。全裸でさえなければ。
ラヴィーのそれより更に発育の良い肢体は、本来ならば健全な男子の目には魅力的に映るのだろうが、あいにく気に留めている場合ではない。手際よく頭からすっぽりとシャツを被せて首輪を確認し、まだ読みかけの本がどうのと後ろ髪を引かれているユニの腕を引いて再び自室へと向かう。
さて、残す一匹――いや、今は一人というべきだろうか。
レッドドラゴンのドール。
そのドールこそが、今回の事件において一番の問題点であり、ユウヤが事態を懸念する原因である。
ドラゴンといえば説明も不要なほど世界的に有名な魔獣であるが、その凶悪性に加えてドールはプライドが高く我侭で、ユウヤ以外の人間に対しあまり好意的ではない。
ユウヤにしてみればそこも可愛いと思う一面なのだが、この局面においてその性格はトラブルの種以外の何物でもないだろう。実際、これまでにも何度かその性格に手を焼いている。
それにいくら人間の姿になっているとはいえ安心はできない。できる限り迅速に発見し、かつ確実に捕獲する必要がある。いつまた元の姿に戻るとも知れないのだ。
それにラヴィーが人間の姿のままでハネミミラビットの能力を使えたことを改めて考えると、もしやドールも空を飛んだり火を吹いたりと……まさかとは思うが、考えるだけで恐ろしい。それはまるで悪魔の所業だ。
良からぬ方向へ考え出すとキリがない。ユウヤは思考を切り替えドール捕獲に向けての算段を思案しつつ、ただただ、そうでないことを願うばかりだ。
「あ、ユーヤ。おっかえりー」
自室の扉を開いた瞬間、ユウヤはがっくりとその場に崩れ落ちることとなる。
自分のベッドの上に悠々と腰を下ろし長い足を組んだ赤髪の美女が、こちらに向けてにこやかに手を振っている。
おそらくユウヤと同じくらいの年頃だろう。ストレートの赤い髪は腰に届くほど長い。吊り気味の目元が勝気そうで、出るところは出て締まるところはきっちりと締まった褐色の肢体が健康的で色っぽい。
聞かずともユウヤにはそれが誰なのかはっきりとわかった。
「ドールお姉ちゃん!」
「あらあら、あのまま帰ってくる気はないものだと思っておりましたわぁ」
後ろに続いていたラヴィーとユニがそれぞれに口を開く。ドールはといえばそんな二人にも手をヒラヒラと振ってみせ、手招きをした。
「それでも良かったんだけどねー。ま、わたしがいないとユーヤも困るだろーし? あんた達の服もテキトーに見繕ってきてやったんだから、ありがたく思いな?」
それを聞いてラヴィーははしゃぎ、ユニは表情を変えないままでベッドへと近寄り、ドールの周りに広げられた女性用の衣類を手に取ってさっそく着替え始める。
ドールはすでに裸ではなく、黒のキャミソールに白の半袖ジャケットを羽織り、ベルトを巻いてホットパンツを履いていた。
順序よく着替えてゆくユニに比べて、下着を頭に被ろうとしているラヴィーに年上の二人が着こなしを指導したりして、一見すれば仲の良い姉妹達の自宅ファッションショーだ。
しばらくそんな三人の様子を前に脱力したままうなだれていたユウヤだが、はっと顔を上げてドールに詰め寄る。
「おい、俺は部屋の鍵はかけていったはずだぞ。今もかかったままだった。おまえ一体どうやってここに……」
部屋のありかは自分のにおいを辿ればあるいは行き着くこともできるかと思うが。
「ん?」
きょとん、と瞬いたドールがにこりと笑って横の壁へと顔を向ける。
そこには草原と青空というじつに見晴らしの良い景色が覗く、しかし常識的にはありえない大きさの穴が清々しく開いていた。
「それよりご主人様、婦人の生着替えをそう堂々と眺めるものではございませんことよ」
「いーい? ラヴィー、ああいうのをドスケベっていうんだ」
「マスターのドスケベ!」
ビシッ! と突きつけられた指先に、痛む頭を押さえながらユウヤは溜め息を漏らし適当に頷く。
まともな返答を期待した自分がそもそも甘かったのだ。
「はいはいはい……否定はせんからもう何とでも言ってくれ。外で待つ」
言いながらユウヤはドールの首輪に触れ、お決まりの呪文を呟く。
首輪には主従の契約を結ぶ魔法がかけられているため、主はこうして首輪を通して命令を伝えることで、従う者にある程度拘束力を持つことができる。例えば主を中心に半径何メートル以上は離れることができない、だとか、その場を動かないように、だとかそういったことを。
もちろんこの首輪をかけるためには様々な条件があり、誰でも使えるが、誰にでも使える代物というわけではない。これについては法令も存在するので、違反したら罰せられる。ただ、対話能力以外魔法らしい魔法を使うことができないユウヤにとっては、まさに便利な魔法道具だ。
しかし便利だからといって、あまり必要以上に拘束しても魔獣達にとってストレスになるので加減は必要である。そこら辺が腕の良い魔獣使いとそうでない者との差になるのかもしれない。
更にもう少しだけ補足すると、人間に使役される魔獣達は魔獣使いの懐柔能力に加えてこの首輪で管理されているため、その安全性は世間的にも保障されていることとなる。裏を返せばそうすることによって、従魔達の安全も確保されているのだった。
動物を飼い慣らすということに心を傷めた覚えのあるユウヤが、魔獣使いという存在を受け入れられたのもそのためだ。
こうして無事、三人を捕獲完了となったユウヤは部屋の外に出てドアを閉め、そのままそこに背をもたれてしゃがみこむ。そして眉尻を下げつつ、ようやく安心したように笑った。
「ったく、心配かけやがって……ほんとどうなるかと思った」
嬉しい誤算だった。
ユウヤは毎回、牧舎に魔獣を休ませる際、首輪の効力は解除している。なぜなら、牧舎自体にやはり魔法がかけられており、魔獣はその空間から勝手に出ることはできなくなるからだ。
中には念のためと首輪の拘束力もかけて二重に対策する者もいるのだが、相手と対話できる能力を持つだけに、ユウヤは魔獣に対しても対等な信頼関係を築きたいと常に願っており、ゆえに、せめて牧舎の中でくらいは首輪の拘束力を使わないようにしていた。
それはささやかながらユウヤから魔獣達へと向けた、信頼と親愛のしるしでもある。
しかしそのために逃がした魔獣が人に危害を加えるような事態になっていたら、間違いなくユウヤの管理責任能力を問われることとなっただろう。卒業試験どころではない、魔獣使いの資格さえ永久的に剥奪されていたかもしれない。彼女たちも事によっては殺処分となっていた可能性だってある。
そこまで考え、改めて安堵の溜め息を吐いたところで背を預けていた扉が内側より押される。
「あれ、開かない。マスター? もういい、ですよー?」
背を起こし、立ち上がる。扉を開けば目の前に三者三様の格好をした、眺めるだけなら文句なしといえるだろう、それぞれに美しくまたは可愛らしい女の子達がこちらに向いて微笑んでいた。
ラヴィーは半袖の白いブラウスに水色のワンピースを重ねた、年相応の可愛らしい格好をしている。茶色のショートヘアに映えるワンピースと同じ色のカチューシャと、ワンピースの裾から覗く白い膝小僧がラヴィーの活発な性格をよく醸し出していた。
ユニは長袖で詰襟のきっちりしたベージュのブラウスに焦げ茶のロングスカートを合わせている。首元にはリボンを結んでアクセントにし、長い髪を左右に分けてみつあみにしていた。ドールとは対照的に露出度が低い。さらに眼鏡をかけているから、まさに淑女といった様相だ。
ドールは先ほど述べた通りの姿で、艶かしいというか挑発的というか、しかし勝気そうな顔立ちにもグラマラスな体系にも、それはよく似合っているといえるだろう。
「ユーヤ。あんた、ラヴィーとユニの裸はしっかり見たんだってねー。わたしの裸見られなくって残念だった? なんなら脱がしてみる?」
少し眩しいものを見るように目を眇めていたユウヤに、ドールがニヤニヤしながらジャケットを肩から滑り落とし、肩を露出させて胸を寄せ、上目遣いにポーズをとる。
「まあな。つーか自分で脱ぐな。あー、コホン。それじゃとりあえずヤン先生に報告に行くから――って、そういや」
ドールの戯れにやり場のない視線を伏せ、咳払いで受け流しつつ、ふと疑問が思い浮かぶ。
似合っているだとか可愛いだとか、それ以前に、だ。
「なあドール、その服やアクセサリー……一体どうしたんだ?」
まさか力ずくで盗んできたんじゃあ……と、そこに考えがいたってユウヤは青ざめる。
強盗は立派な犯罪である。従魔を使って店を襲ったとなれば更にタチが悪い。そう、ドールが無事に戻ってきたからといって、どこにも被害が出なかったとは限らないのだ。
ドラゴンの飛行能力を持ってすれば、午前中に近場の町とここを往復するくらいはわけないだろう。
それをドールに問いただすと、ドールはしれっと『飛行能力は使えない』ことと『服はあっちの部屋にあった』ことを説明した。あっち、と示されたほうには建物こそ分かれていないものの、女子寮がある。
「……」
ユウヤは再び痛む頭を抱えることとなった。