第十話:ペテン師
「準決勝第一試合、ユウヤ選手対レオノル選手――始め!」
試合開始の合図がフィールド上に響く。三日目の試合がいよいよ始まった。
開始早々、ユニとフェアリフォックスが陣地を飛び出し、フィールド中央で交差する。そのまま互いの的を狙って超高速の攻防戦が繰り広げられる。
ユウヤ側の的の位置は青的が背中の前後に二つ、赤的が顔面に。相手はパワー型ではないし、ユニコーンは額から角が生えているためやはりそこが一番狙いにくいだろうという判断だ。
対するレオノルの的の位置は青的が左の前後の足に、赤的が背中の羽のつけねの位置にある。背面と左側面の守りを固める戦法らしい。
スピードは互角といっていい。小回りがきく分若干フェアリフォックスの手数が多いようだが、ユニコーンも身のこなしに関しては他の追随を許さないといわれるだけあって、フェアリフォックスの攻撃を寸でのところでことごとくかわしている。
魔獣同士の決着はなかなか着きそうにない。となれば勝敗のゆくえは使役者同士の動きが握っている、ということになってくる。しかし、フィールド上ではユウヤもレオノルも開始直後より立ち位置を変えず、その場に佇んでいた。
レオノルはそんなユウヤを見て不敵に笑みを浮かべる。
「賢明な判断ね。フェアリフォックスの幻術にはいつかかるかわからない。うかつに飛び込んだら即餌食……でもね、突っ立っていてもいずれは同じことよ」
ふと――中央で激しく飛び交う二匹を見ていたユウヤの感覚に異変が起こり始める。
きたか、と思うものの、そう感じる頃にはすでにそれからまぬがれる術はない。ユウヤの視界は徐々に歪んで、足元に何かひんやりとした感触を覚える。気がつけばユウヤはごうごうと激しく流れる川の真っ只中に立ち竦んでいた。濁流に揉まれる足元がぐらつく。
「……くっ!」
「観念するのね。フェアリフォックスの幻術からは逃げられないわ」
レオノルはまるで勝利を確信したかのようにぺたんとその場に座りこんでしまった。しかしユウヤには彼女の声も姿も、もはや聞こえず見えてもいない。
もっとも、そんな状況に陥りながらユウヤの内心は冷静だった。
昨日聞いたユニの話が一つずつユウヤの脳裏に思い起こされてゆく。
――よろしいですこと、ご主人様。
――フェアリフォックスの幻術はたしかに一筋縄ではまいりません。
レオノルは膝を抱えながら余裕の表情で、自分の髪の毛先を摘んでもてあそんでいる。フィールド中央にはいまだ打ち合い続ける二匹の姿があったが、もはや向こうの司令塔は落ちている。このユニコーンも同じよう幻覚に惑わされ、大人しくなるのも時間の問題だ、とレオノルには思われた。
しかし、レオノルの待ち構えたその時が訪れることはなかった。
――彼らがわたくし達森の民にペテン師と呼ばれるゆえん……。
――それはたんに『幻術使いだから』ではございませんの。
ユニが語ったそれは、魔獣使い達の間ではまだあまり知られておらず、森の住人達の間ではペテンと呼ばれ、真実は当人達とごく一部のもの――例えば知的好奇心旺盛なユニコーンなど――しか知らない、フェアリフォックスの幻術の実態だった。
――まるで幻術師かと見紛うようなペテン……それが彼らの真骨頂。
「おかしいわ……遅すぎる……まさか、向こうにはフェアリフォックスの幻術が効いてないとでもいうの……?」
いつまでたっても状況が変わらず、様子がおかしいと気付き始めたレオノルの表情に焦りの色が滲み出す。先ほどまで髪をいじって遊んでいた手を握り締める。しかし彼女もまた、ユウヤと同様、その場から動くことはできないのだった。
――フェアリフォックスの幻術の正体――。
――それは――。
「……!」
突然、目の前に広がっていた大河の景色が掻き消えて、元のフィールドとそれを囲む観客席、天には晴れた空色という景色が視界へと戻った。
現れたフィールドの中央には、角の先端をこうこうと輝かせるユニコーンと、だいぶ疲れの滲んだ様子で羽をたたみ、地に足を着けているフェアリフォックスの姿があった。
フェアリフォックスのほうは背の赤的と左前足の青的一つを黒く塗りつぶされており、呼吸が乱れているのが離れていてもわかる。
「そ、そんな……一体、どうなっているの!」
レオノルが把握できない現状に溜まらず叫ぶ。
そしてそれと同時に、ユウヤは全身にたしかな感覚を取り戻した。
『ユニ、今だ! 一気に攻め込むぞ!』
『かしこまりました』
「――ッ、コーン! ブローック!」
駆け出したユウヤとユニの姿を見たレオノルが従魔へと指示を叫ぶが、コーンと呼ばれたフェアリフォックスの動きは鈍い。幻覚で惑わせる算段がうまくいかずに、中央で激しく打ち合い続けた結果、すでに体力を使い果たしてしまった様子だ。ユニコーンの動きはおろか、ユウヤに追いつくのもやっとという感じである。
――それは『毒』ですわ。
フェアリフォックスはたしかに幻術を使うが、じつをいうとその幻術自体は微々たる能力でしかなく、実際は眩暈を起こさせたり、方向感覚を狂わせたりと、軽く知覚を鈍らせるくらいのことしかできないという。これは意思の強いものであれば簡単に振り切ることができる程度のものだ。
しかしここで本領を発揮するのがフェアリフォックスの羽から散布される『毒』というわけだ。
彼らが飛びまわる度にその毒は周囲へと撒き散らされ、辺り一帯に漂い範囲内にいるものの神経を侵してゆく。そこに幻術をかければ相乗効果となり、範囲内に留まる限り対象は強力な幻覚に捕らわれることとなる。
更にこの毒は幻覚の効果とあいまって、体が痺れる、痛む、動かなくなる、などという症状は感じないので、一種の麻痺毒であるにも関わらず気付くものは少ない。
幻術で惑わすだけでなく、その幻術にさえも返せば裏の仕掛けがある――。
フェアリフォックスが『幻術師』ではなく『ペテン師』と呼ばれるゆえんである。
この事実はレオノルは元より、プロの魔獣使い達の間でさえまだ広く認知されるにいたっていない。認知度の低い理由については、フェアリフォックスが最近になって従魔として使われるようになってきた魔獣だから、という背景もあるだろう。
それをどうしてユニが知っていたのかといえば、単純に森の中でのヒエラルキーによるものである。フェアリフォックスはユニコーンに支配される側なのだ。
ユニコーン達は自らの肉体が毒を受け付けないことを知っている。そして自分の角で汚染された周囲の空気や対象を浄化すれば、その幻覚を解除できることもわかっていた。
フェアリフォックス同士が互いに相手の幻術にかかるということがないのも、幻覚耐性によってではなく自身の持つ毒に耐性があるからだ。
一般的には今のところ範囲内対象無差別の知覚操作魔法と認識されており、当然レオノル自身も幻覚に捕らわれていたため、コーンに任せたきりその場を動かなかったというわけだ。
それでも事は簡単だ。ユウヤとユニをそれぞれ幻覚に捕らえ、身動きをとれなくし、全ての点を奪う。後はフェアリフォックスのもう一つの能力である幻覚解除――実際は解毒剤の散布――を使えば、あっけなく勝負がつくはずだった。
「減点黄色一、青一、レオノル! 点数下限いっぱい、そこまで!」
結果は十四対零、ユウヤとユニの圧勝となった。
「マスター卒業おめでとう! ですー!」
「これでユーヤも晴れて独り立ちかー。わたしもいい加減あそこ飽きたし、次は海辺り行きたいなー」
控え室に戻ればラヴィーとドール、ハクロウ塾門下一同に取り囲まれ、賑やかな祝いと賛辞の言葉でもって出迎えられた。先輩達に頭や肩を小突かれながらユウヤも笑う。ひとまず当初の目的が果たせたことについては、ここで素直に喜んでもいいだろう。
一人前の魔獣使いになるということ。
それはユウヤにとって、一人前のこの世界の住人になるということ。
今はそれが誇らしい。
少々手荒だった祝福も落ち着いて、ユウヤはこちらに向いていつものようにニコニコとメガネの奥で微笑んでいる、今回の立役者に改めて礼を向ける。
「ユニもご苦労様。おかげで試合にも勝てたし、卒業を決めることができた」
「いいえ、あれしきのことお安いご用ですわ」
「だけど意外だったな、フェアリフォックスを使っていたレオノル本人もあの幻術の仕組みについて知らなかったなんて……」
「森の外に住まうものは知らなくて当然ですわ。フェアリフォックスは森の番人ともいわれていて、森への侵入者を排除する役割もございますの。ですから、あの能力の実態は森全体で守られている秘め事でもございますのよ」
「なっ……おまえそれ、俺にバラしてよかったのか……?」
こともなげにそんなことをさらりと暴露するユニの笑顔は相変わらずで、ユウヤは思わず笑っていた口の端を引きつらせた。
つまり、それを種明かししてしまったということは、今後フェアリフォックスの能力についての解明が進み、あげく森が侵入者によって荒らされるという事態にも発展しかねない、ということだ。少々考えすぎかもしれないが、ありえないとは言い切れない。もちろんユウヤがそんなことをするはずはないが、今回のユニコーンとフェアリフォックスの対決を見て真実に気付いた輩がいないとも限らないのだから。
「それはもちろん、ご主人様が立派な魔獣使いになられて、森の民の安全をきちんと守って下さりさえすれば、何の問題にもならないことでございますから」
たじろぐユウヤに、ユニは笑んだ目をますます細めて唇に柔らかく弧を描かせる。まるで聖女のようにけがれなく美しい、穏やかな笑み。
ユニのそんな笑顔に、ああ、そうだった――と、ユウヤは思い出す。ふと眉尻を下げて笑みを取り戻し、一つたしかに頷いて見せた。
「そうだったな。大丈夫だ、おまえとの約束はきっと果たせる」
ユニも嬉しそうに「はい」と頷き返していた。
それよりも幻術が通じないとわかっていて挑んできたフェアリフォックスのほうが意外だった、と語ったユニは眠たそうに欠伸を浮かべている。それについては試合後に「ユニコーンなんて反則だろ……」と、ぼやいたコーンの独り言をユウヤが聞いていたりする。
控え室にいる人数は初日に比べ随分少なくなっていた。試合を終えてしまった者達は帰ったか、客席のほうで観戦しているのだろう。残っているのは個人戦で決勝に残るユウヤと、その応援にかけつけているハクロウ塾の面子。それから午後に団体戦決勝を控えているチームメンバーがちらほらいるようだ。
ちなみにハクロウ塾の団体戦メンバーは昨日準決勝で惜しくも敗れてしまった。それでも三位決定戦ではきっちり勝利を収め、表彰台の座は獲得している。
さて、鏡では個人戦準決勝第二試合目の決着が着いたところだ。
「ふぁ……終わりましたわね……。あのグレイトコングのご婦人、お見事でしたわねぇ」
ユニが欠伸を連発しながら、勝者であるマーシュと、そのかたわらで胸を張るメスのグレイトコングを見上げている。メスだとわかったのはドラミングをしらないから、だそうだ。見た目にはさっぱりわからない。
「眠いなら寝ててもいいぞ、ユニ。ラヴィーも居るし、みんなも居てくれるからな」
「いえ、ご主人様が優勝なさるのをきちんとこの目で見ておきたいので……」
「あはは、次出るのわたしだしー。ちゃーんと目ェ開けてないと、長い瞬きしてる間に試合終わっちゃうかもねー」
「あたし頑張ってユニお姉ちゃんのまぶた持ち上げとく、です!」
「謹んでご遠慮申し上げますわ、ラヴィー」
ユニのメガネの奥の瞳が一瞬不穏な空気を孕んだが、それを押し流すように再びユウヤの周囲を仲間達が囲って、今度は決勝に向けてやんややんやと激励する。
「決勝戦はみんなで客席まで行って応援すっからな!」
「卒業確定だからって気ィ抜いちゃダメだよ! ユウヤ君なら次も絶対勝てるから!」
「ユウヤ君、頑張ってね!」
無論、ユウヤもここで気を抜くつもりはない。せっかくこうして決勝まで上り詰めてきたものを、次に情けない試合をして台無しにでもしたら、見守ってきてくれたヤン校長もがっかりするだろう。
ドールも相変わらず気合が入っているようだし、気持ちよく優勝して有終の美を飾りたいものだ。
決勝戦はユウヤ対マーシュ、三十後にA面フィールドにて行われるとアナウンスが入った。
「結局お互い負けちゃったわねー」
レオノルとオットは同じゴドライン学校の生徒だった。
今朝は「決勝で会おう」などと話していたものの、二人とも準決勝敗退となり、今は専用通路の一角に設置されたベンチにて、二人と二匹ささやかに残念会を開いていたところだ。
「いやー、噂には聞いてたけどマーシュさんは強いよ。あのグレイトコングも凄かった。リザードツインズじゃ全ッ然、歯が立たなかった」
「こっちも完膚なきまでにやられちゃったわー。ユニコーン相手でも自信あったんだけどなぁ……」
「クゥーン……」
「なぁに、慰めてくれるのコーン? もーほんと優しいんだからっ。可愛いっ。ちゅーしちゃうーっ」
「…………」
「……いや、リーザ、こっち見んなって。俺はしねーぞ」
主人に擦り寄るフェアリフォックスを見た後に、リーザと呼ばれたリザードツインズもふっと主人の顔へと見上げてゆく。
尾の部分が頭部と同じ形をなして擬態化している大トカゲの、本物の頭のほうの瞳に見つめられ、オットが苦笑いをして手を振る。が、リーザの瞳はじっとオットを見つめたまま揺るがない。それに少々ぎくりとしたオットだったが、ふとリーザの視線がオットではなく、その先を見据えているのに気付いてそちらに振り返る。
左隣に座るレオノルと、さらにその左側足元にしゃがんでいるコーン。その向こう、通路の先から人が近づいてくるのが見えた。
「どぉ~もぉ。試合お疲れ様でしたねぇ~。レオノルさんに、オットさんでよろしいでしょ~かぁ?」
そして近づいてきた人影にそのまま二人は声をかけられる。声をかけてきたのは随分と恰幅のいい、しかしまだ若そうではある、丸ブチメガネの男だ。
ネクタイの趣味は世辞にも良いとは言えない紫のヘビ柄。でっぱった腹の部分ではちきれそうになっているYシャツのボタン。その上にきつそうにしながら茶色基調のチェック柄ジャケットを羽織り、スラックスはサスペンダーで止めて、頭には同じ柄のハンチング帽をかぶっている。一見新聞記者か何かのようないでたちだ。ただ、笑顔がどうにも胡散臭いのが鼻につく、そんな印象である。
「ワタクシィ~、今回の大会に出場している魔獣使い見習いである学生選手の皆さんについて、特集記事を書こうと取材をしておりますEG社の者でしてぇ~」
「えっ、EG社? ってあのEG社ですか?」
「えーっ、嘘、すごーい! もしかして私達EG社の雑誌に載るの?」
男はへらへらと笑いながら内ポケットから取り出す名刺を二人にそれぞれ手渡す。二人はその名刺の「編集長 トマソー・イージー」の名前に目が釘付けになった。
EG社といったら若者向けの人気雑誌を多く手がける、業界でも屈指の大手出版会社だ。トマソー・イージーの名もメディア関連でよく見かける名だった。
この胡散臭いことこの上ない笑顔の男が編集長である、という事実はいささか残念のような気がするものの、そんなことより今は有名出版会社の出す雑誌に自分が載るかもしれない、という現実に否が応でも気分が高揚してしまう。
「でも取材って編集長自らしたりするもんなんですね!」
「ええまぁ~。普段はしないんですよぉ? でも私自身、魔獣のことには大変興味があるもんですからねぇ~」
「そうなんですかぁ。なんだか嬉しいです、そうやって魔獣のことを理解してくれる人がもっと増えたらいいなぁ」
「本当ですねぇ~。それではいくつかご質問させていただきますねぇ~……えぇ~、そうそうその前に写真のほうも数枚お願いできますかねぇ。あんまり撮るのはうまかないんで、すんませんけどもねぇ~。へっへ」
まずは全員で並んだ写真を一枚、といわれて二人と二匹はベンチの前に一列に並ぶ。
レオノルとオットが真っ直ぐ視線を向けた先に、仕事用の大きなカメラを構えるイージー氏が立つ。もちろんこの世界ではカメラも魔法道具になるので、見た目はともかくその構造は機械仕掛けのものとは大分違っている。
二人と二匹に向けて、バシャッと眩いフラッシュ光が迸った。
準決勝試合終了から間もなく三十分が経過しようとしていた。
ハクロウ塾門下一同は観客席へと移動を済ませ、フィールドライン手前に並び立つユウヤとドール、その対戦相手達の姿を見ていた。
「うーっ……なんだかあたしまでキンチョーしてきた、ですっ。目が離せない、です……っ」
「ええ本当に。さすがにこれだけの熱気に包まれてしまっては、眠るどころではございませんわねぇ」
観客席はプロ戦ほどとはいわないながら、かなりの熱気に包まれている。アマチュア戦とはいえ、世界的にも有名なこの大会の個人戦で優勝ともなれば、将来はほぼ約束されたようなものである。未来のスター達の姿がそこにあるのだ。
となれば、この頃からファンがついたりすることもある。そんなファンの歓声を聞く限りでは、観客席での人気はユウヤもマーシュも五分五分といったところか。二人ともそこそこ有名人となっている様子だ。
「あんたがユウヤさんかい。こりゃーまた、なかなかのイケメンだぁねぇ……あんたモテるだろ」
開始まで後一分。横に並ぶユウヤへとマーシュがにんまり笑ってみせた。
マーシュの軽い口調にユウヤは緊張感をほどほどに保ったまま、笑みで答える。
「そうですね、少なくとも魔獣達にはそれなりに」
ユウヤのどこか不敵な返答に、マーシュは「さっすがぁ」などと言いつつ楽しげに喉を鳴らした。
「ハクロウ塾門下のユウヤです。マーシュさんでしたか、どうぞよろしく」
「おうよー、マーシュ・バトン。こっちこそよろしくなぁ。まーいっちょお手柔らかに。勝っても負けても恨みっこなしで頼むぜぃ」
時計が十時十分を示した。
「それでは両選手、フィールド内へ入ってください」
レフェリーの声に従い、ユウヤとマーシュが互いの陣地へと従魔を従え、位置に着く。
観客席の歓声が遠のいてゆく。ユウヤもマーシュも心地よい緊張感に包まれ、互いに対戦相手の姿をじっと見据えながら、開始の合図を待っていた。
「それでは――」
レフェリーの腕が高く、頭上へと持ち上がってゆく。
「決勝戦、ユウヤ選手対マーシュ選手――」
ユウヤはグレイトコングの実物を見たのは今回が初めてだった。まずは実際の相手のデータが欲しいところだ。
相手の的は胸と腹と左肘。肘が赤的だ。
ドールにはあらかじめ、開始と同時に相手の陣地へと走り、初撃でそのどれかを狙えそうなら狙ってみて、相手の出方を伺うように言ってある。対話できる分、戦いながら状況を見て作戦を練れるのも自分達の強みだ。
レフェリーが大きく息を吸った。
ピリッとした緊張がコロシアム全体に走る。
「はじ――――」
「ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
突如、試合開始の合図を横から遮る雄叫びがその場の空気を低く震わせつんざいた。
「グガルルルァアアアアアアアアアアアアアア!」
立て続けにどう猛な唸り声までフィールド上へと躍り出て、その二つが二手に別れ、ユウヤとマーシュそれぞれに襲い掛かる。
「――ッ!」
「なんだぁ、こいつらは――!」
ユウヤの前にはレッドドラゴンが、マーシュの前にはグレイトコングがそれぞれ立ちはだかり、襲い掛かった黒い影をそれぞれ弾き返す。
どうっ、と横倒しに転がった大きな黒い塊の一つはすぐさま起き上がり、尋常ではない様子でフウフウと鼻息荒く、前足のヒヅメを地面に擦りながらユウヤとその前に立ち塞いだドールを睨んでいる。
ウシ型魔獣――ビッグホーン。大きな湾曲した角を頭部に抱えた雄牛である。その巨体は角まで含めればドラゴンにも引けをとらない迫力がある。
片や、グレイトコングに弾き飛ばされたものの、軽やかな身のこなしでストンと地面に着地したのはサーベルタイガー。いわずと知れたネコ型魔獣である。こちらもかなりでかく、ヘスペロキオンといい勝負だろう。
太く大きな牙を剥いて、涎を垂らしながらグルグルと唸り声を上げ続けている。鋭く釣り上がった目付きが常軌を逸した色を帯びている。
二匹の様子は明らかにおかしい。
コロシアム内は混乱に溢れかえった。観客席には悲鳴が沸きおこり、野次馬をしようとする者と逃げ出そうとする者が入り乱れている。フィールドに立っていたレフェリーは運悪くビッグホーンが横転した際に巻き込まれ気絶してしまった。
救急班が慌ててレフェリーを回収し、その場から離れようとしている。ユウヤとマーシュにも声がかかる。
「君達! 試合は一旦中止だ! 早く非難を!」
「会長を呼べ! 居合わせたプロでもいい、とにかく早く人手を!」
右往左往、人と声とが行き惑う。
ビッグホーンとサーベルタイガーはますます興奮したように咆哮を上げて、しかし真っ直ぐにユウヤ達の姿を凝視し、意図するようにその行く手を阻んでいた。どうやらはっきりと自分達が標的として認められてしまったようだ。
「クククククク……クハハハハハハ! ギャーッハッハッハッハッハッハ!」
不意に、コロシアム内のざわめきの中、一際耳障りな笑い声が響いた。
ユウヤの意識が反射的にそれを聞きとめ、視線を向ける。
――神経を逆撫でするような、この笑い声。
「いよぉ……クククッ。元気にしてたかよ、天才様よぉ」
混乱の生じているA面フィールドへと出る、一番近い通用口から、一人の人影がこちらへと近づいてくる。ユウヤ達の前に立ちはだかった猛獣二匹の後ろに立ち止まり、下卑た笑みを浮かべてふんぞり返る。
見覚えのある、しかし一刻も早く忘れたいその人物の姿。
「こないだの礼、たっぷり返させてもらうぜぇええ! ヒャッハハハハハハ!」
――スクイズ・ベイスン。
復讐に燃える禍々しい笑みを浮かべ、その男が再びユウヤの前へと立った。




