第一幕:後編ノ二
男は槍を構える。仁王に立ち、水平に槍を突き出す。
槍の穂先は大きく、それはまるで剣の様でもあった。細身の男が槍を持っているのは、まるで槍が槍を持っている針金細工のようで、滑稽にも思えた。
だが、そんな滑稽さなど吹き飛ばしてしまう鋭い眼光は、確実にリアを射抜く。
「来るがいい魔術師。私はその幻想の、一片まで否定しつくそう」
「ちょ、なんで戦うことになるんだよ! ヒュドラを倒してくれたし、俺としては貴方と戦う意味が無いんだ」
男は不機嫌そうに口の縁を歪ませると、静かに俺を見やる。
その瞬間、俺は死んだ。
睨まれただけで殺されたと錯覚するほどの殺意。それはヒュドラのように獰猛なものではなく、確定された死を機械的に告げるようなものだ。
「貴様に戦う理由がないというなら、私が貴様らを殺すところをじっくり見ていろ。さして相違は、ないのだからな」
「だからなんでリアを狙うんだ。こいつは人を狙わない」
「その幻想が人を殺す殺さないは関係ない。人に害を及ぼす及ぼさないは関係ない。それが害であろうが、有益なものであろうが関係ない。幻想であるということで既に、それは
異端である」
ゆっくりと刃を鳴らし、男が構える。
槍を見る。切っ先は両刃で大きい、さながら短剣の様でもあり、それが人を殺せるほどの鋭さをもっていることが理解できた。柄は木のようだが、黒ではなく灰色にくすんでいて良く見えない。
暗闇で見え辛い柄というのは不利だろう。長さが分からないと、その攻撃をよけることもできない。
何より、その槍が他の槍、俺は他の槍など見たことないが、それとは違う雰囲気を持っているのは理解できた。
敢えていうならそう、妖刀とか魔剣とか、そういった背筋がぞわりとするものだ。
「其れであることによって、私にとって貴様は悪だ!」
「くる」
男の動きは、尋常なものではなかった。駆ける男、それは地を這いずり回る影のよう、蛇の動きだ。
槍を水平に構え、突撃する様は一種の弾丸だ。殺すことのみを念頭に置いた、殺意の突進。
リアは剣を正面に構え、男を待ち伏せた。男がリアの間合いに踏み込み、反射でリアは剣を横に薙ぐ。
しかし、男は這うようにしてそれをかわす。元々低めに振るわれた剣を、更に身を低くして避けたのだ。
そして、男は槍を撃ち出す。それはどんな技法を使っているのか、垂直に打ち上げられた。
顎を掠める槍に、リアは大きく身を引いた。大地を蹴り、距離を離そうとする。
男は槍を水平に直すと、まっすぐに貫く。逃げに対する追い討ちを、剣を盾にしながら受け流す。
「ふん」
男の刈り取るような鎌が、上段を狙った回し蹴りがリアに襲いかかる。無茶な体勢で放たれたはずのそれは、易々と体を吹き飛ばす。
突きと間をおかずして放たれた蹴りは、常軌を逸していた。どこがと言えば分からないが、あえて言うならその速さと威力だろう。
蹴りを顔面に受け止めながらも、不確かな足取りで着地する。そしてすぐさま剣を構え直し、男を見据えた。
「リア、大丈夫か」
「この程度なら、大丈夫」
横から見ていると、リアの表情が引き締まるのが分かる。それは油断を戒める、男に対しての僅かな侮りを消すためのものだ。
見ていて分かったが、リアはヒュドラに対してさえ全力を出していなかった。息一つ切らせず、ヒュドラを切り伏せたのは他でもない彼女の力と技術と剣だ。
ここからが、リアの本当だ。
しかし、俺は目配せしながら、横目で確認してくるリアに対して呟く
「……頼む、できるだけ殺さないで退けてくれ」
「うん」
それ以上俺の指示がないと察すると、リアは剣を握り直し構えた。
「ふう」
間が離れたゆえか、それともリアを見下しているのか、男は槍の穂先を下げて構えを緩めた。
リアはそれにも踏み込めないのだろう、間合いを保っていた。その様が愉快だったのか、男はあきれ果てたというように吐き捨てる。
「中々良い動きをするようだ。どこぞの英雄か誰かなのだろうが、ふん……私から見れば『現代』を甘く見るなというところか」
しかしおかしい。男はリアを倒せなかった。
先程、男は槍の一撃のみでヒュドラを倒した。恐らく、男は幻想を一撃で消去できるアンチマジックの使い手だ。
だが、男の蹴りを食らったリアはまだ生きていることから想像できる。
幻想を一撃で殺すことができるのは、槍の攻撃のみなのだろう。
先程のヒュドラに対しても、男は槍を投げただけだ。その時ヒュドラが殺されたのではなく、ヒュドラという幻想が殺されたのだ。だから、存在しない幻想はこの世に存在できず、『原初の世界』へと還る。
ヒュドラという幻想を殺せたということは、あの槍こそがアンチマジックの武器だ。
「リア! あの槍だけには絶対当たるな。あれは多分アンチマジックだ、当たったらひとたまりもない!」
「ん、分かった」
愉快そうな表情を並べて、男は笑っていた。
それは自身に余裕があるからなどではなく、俺達が必死なのを馬鹿らしいと笑っているみたいで。
何故だか、その男が根底から俺達の敵だと理解できた。
「よく気が付いた。これは他が神を否定する槍だ。在らざる物すべてを否定する槍だ。貴様らを根こそぎ殺すための槍だ。生き残りたいのなら、私の攻撃全てを」
男が再度身を沈める。
「かわしてみせろ」
砂を蹴り上げて、男が踏み込む。
男の手にあるのは槍。槍というのは、遠心力とその長さを利用した武器だ。
それが踏み込むなど、ましてや神速の域まで達する剣を前にして突っ込むなど、自殺に違わない。
男が突っ込んだと思った瞬間、鋼鉄が甲高く鳴いた。
リアが射程に入る丁度の距離で、男は上半身の動きだけで槍を打ち出す。
男の突きは異常な早さだった。だがリアは剣を叩きつけ、槍を逸らしてかわす。速度のみを追求したその突きは、連続で人体の避けにくい場所のみを狙っていた。
それこそ、まさに風が通り抜けるようなものだろう。リアも避けづらいと感じているのか、剣で槍の軌道を逸らすことしかできない。そして槍が引き戻された瞬間、第二射、第三射と繰り返されていく。
距離は二メートルほど、リアの速度があれば反撃は容易いだろう。即座に踏み込み、男を両断できる。
だが、その間に槍に触れると予想しているのだろう、リアは踏み込めずにいた。
リアは踏み込んで、男を一撃で戦闘不能にさせなければならない。殺してしまうのは駄目だが、反撃の余地すら与えず、一瞬でだ。
男にとってその突きには威力など必要ない。その槍は、当たってしまえばリアを確実に倒すことができる。だから力など必要なく、速度のみを重視すればいい。
反撃を受けないためにも、男を動けないまでに破壊しなければならない。
「受けるだけか? 剣が泣くぞ」
「そういうあなたの槍は、三流以下だ」
「いうな」
槍の速度が上がる。鋼鉄が高く劈き、まるで悲鳴のように聞こえる。
空気を穴だらけにするように、凄まじい速度で槍を奔らせる。対するリアも、流石ながらその速度についていっている。
どのように槍が見えているのか、的確に槍を弾いてかわしている。その上、防御に徹したリアは一歩たりとも動いていない。避け辛いのもあるだろうが、動かなくても槍を捌けるだけの力量を、リアはもっているのだ。
事態は均衡していた。
それは、防御したリアの鉄壁さと、男の攻撃の正確さが果てを知らないということだ。恐らくリアはどのような攻撃でも受けきるし、男はいつまでも突いてくるだろう。
どちらも、息が詰まりそうな攻防の中で、息を切らせることもない。
「ハァ――ッ」
「……」
俺は驚いていた。あの男は、リアとまともに打ち合っている。
ヒュドラにすら力勝ちするリアを、あそこまで相手にしている。それは単にあの槍のせいだけではない。
槍の速度、正確さ、スタミナ、それらはリアを相手にするうえで申し分ないと思えた。
俺はあの男が人間には見えなかった。まるで何世紀か先のロボットのようで、皮を剥いだら機械でも出てきそうだ。
だがその体に施されているのは魔術だろう。魂影響強化、即ちより世界へ干渉しやすくなった身体ということだ。
より強く影響することができれば、その分だけ力は増す。魂だと十割の力が出せるが、肉体だと五割程度に落ちる。魂が肉体を動かそうとする力は、完全に伝わるわけではない。
力の半分は肉体に干渉することに使われ、もう半分が影響として肉体を操作する。影響強化の魔術は、その魂の影響力を十割、もしくはそれ以上に引き上げる魔術だ。
考え方としては、本来セーブされている力を発揮するのに近い。人間の筋力が、本来の力の三割ほどしか発揮できないのと同じだ。
師匠に聞いた話によれば、そういった影響強化の魔術は単純が故に強いらしい。単純だから創意工夫も盛り込めるし、その強化に魔力を使えば使うだけ影響力が増す。
だから、そいつが魔力を持っているだけ、そいつは化け物へと変わる。
「ッ――!」
「しつこいな、貴様は!」
男の、光が通り過ぎるような突きが一閃する。
「ハァッ!」
そこで、リアは唐突に踏み込んだ。槍とすれ違いながら、男を射程内におさめる。だが男はそれを見逃さない。手首を返し、突きが終わった瞬間に払いに移行する。
「甘い!」
ごう――と風が唸る。空気を切り裂く、正に剣撃のような鋭い払い。
それは速度も十分だし、なにより、先程の突きとは違いその槍には重みが乗っている。鎧を打ち砕き、骨を散らすほどの威力がある。
なのにリアは、それを恐れてもいなかった。
迷いはなく、躊躇いもない。リアの動きは力押しで、獣のそれに思えた。だが、その動きは速すぎ流れるようで、風のようだ。
槍でも、風を捉えることはできない。
壁でさえ透き通る一陣の金風は、やはり生き物には捕らえられないのだろう。
男の真似か、前のめりになるような形で踏み込む。体格差ゆえに、リアは胸を払うはずだった槍を易々と潜る。
「クッ!」
男は慌てながらも、正確に槍を返す。石突を持ち上げ、リアの顔面を狙う。
ほぼ密着までもちこんだリアは、剣で切るのではなく、剣で押し返す。
リアを狙った石突は持ち上がることはなく、槍は男の体に張り付くように押さえつけられる。
予想外というのもあったのだろう、男は簡単に押さえ込まれる。そして、男は力比べのために押し返す。
「そこ!」
リアの冷静な声が走る。
槍を少し弾いただけ、その隙間など十センチにも満たない。しかし、槍を叩き折る加速を得るのは、その隙間だけで十分だった。
槍の柄は無様に圧し折れ、剣は男の右肩に食い込む。
「ぐぅ!」
中ほどで折れた槍を振り回すが、その乱雑な振り方ではリアをかすることすらできない。
剣についた血を払うように早く、リアは身ごと引く。
大きく退き、男を自分の射程ぎりぎりのところへ置き去る。
「私でなく槍を狙ったか」
男は惜しむ様子もなく、折れた槍を投げ捨てた。あんな強力な、アーティファクト級の力を持つ槍は、相当の価格だろう。
まだアンチマジックの効果は残っている。男が槍を棍代わりに襲ってきたら、戦況は拮抗したままだったが、男は槍を捨てた。
逃げるのか、または槍以上の武器を持っているのかだ。
男にはハンデがある。リアが付けた肩の傷は、確実に男の戦闘力を奪った。
だが、これ以上やるなら、リアの戦闘力ならば男を死に至らしめる。
それは駄目だ。俺は身を守るためにも、他人を守るためにも力は使うが、人殺しだけは駄目だ。
じゃあどうするか。
倒すのが駄目なら、逃げればいい。
「リア、退くぞ!」
「わかった」
いつの間にか、リアは俺の横にいた。幸い出口は男とは反対方向だ。
リアを確認しながら外へ向かって駆ける。
「……」
男は何も言わずに、追いかけてくる足音もなかった。
―◆―
俺は全力で五百メートルほど駆けきると、少しだけ速度をゆるめた。
横にはぴったりとリアがついてきている。その呼吸には乱れがなく、まるで呼吸すらしていないようだ。
自転車は置いてきていた。二人で乗るとなると、逃げたり尾行を撒いたりといった小回りが利かない。それに、男が追ってきたとき、反撃もできずに殺されるであろうことは目に見えていた。
しかし、俺の思っていた以上にリアは足が速かった。若干運動不足の俺とは大違いだ。
これならば、あの男から逃げるのには俺だけが問題らしい。笑いそうになる膝を堪えて、次へと足を前に突き出す。
草原や森を小脇に俺たちは駆け抜けていた。一本のアスファルトがレールのようにつながり、迷うことなく逃げ場の多い住宅街へと向かうが、そこはまだ遠い。
「あの男、なんだったんだ?」
「分からない。けど、普通の魔法使いよりは強い」
リアは後ろを確認しながら、辺りに探るように目を向ける。一方俺にはそんな余裕はなく、リアに任せることになる。
「異端審問者とか言ってたな、もしかしたら旧教会の連中かもな」
声を出すのも少々辛いが、情報を整理しておいたほうがいいだろう。戦闘というのは情報戦の延長であると、師匠はいっていた。
「旧教会?」
「……旧教会って言うのは、俺達魔術使いや魔法使いを狩る奴らだ。あっちから見れば、俺らはどうも異端の神を崇拝し、邪術を使う背徳者らしい。現代の魔女裁判の執行者か」
俺は記憶を掘り出して、できうる限り男に関わりがありそうなことを思い出す。
しかし、俺の知識は全て師匠から教わったものばかりで、俺は教会と関わったことなど一度もない。
「主に、旧教会には二つある。表向きのカソリックと、もう一つは旧教の名前と大儀を借りた集団、旧教の暗部だ。一番簡単に言うなら、旧教会を通じて雇うことのできる殺し屋みたいな集団だ」
「つまりは、宗教っていう隠れ蓑を被った戦闘員なのか」
宗教的な暗部を、独自に行う異教徒達の集団。他の宗派に対してや、魔術などに対しての戦闘力をもつ、実行部隊だ。
「そうだ。それで、その中にはエクソシスト、悪魔祓いっていう対魔術戦に特化した殺し屋たちがいるって聞いた……気をつけろって言われてたけど、まさか本当に出くわすなんて」
その全てが戦闘員というわけではないだろうが、幻想と戦えるほどの力を持つものがいるのは当然だろう。
でなければ、魔法使いと戦うなんていうことはできないはずだ。
「でも、なんで襲ってくる?」
「俺も師匠の受け売りだからよく分からないけど、エクソシストは殺し屋以前に信徒だからな。もしかしたら、俺達のやってることが奴等にとってはタブーなのかもしれないし、幻想だから殺してもいいっていう犯罪者的な観念を持ってるのかもしれない」
素性は俺にも分からない。
息を切らせ、角を曲がりながら考えるが、真相を予想できるほど手持ちの情報は多くない。
「俺にもよく分からないが、要はエクソシストには関わるなってことだ」
結論としてはこれに尽きる。戦って殺すのは論外だし、相手はプロだ。負ける可能性だって十分にある。
さっきの男が、それを証明しているといっていい。
「それより、体は大丈夫か?」
僅かな安堵感からか、今度は別の話題が頭をよぎった。リアは男の攻撃、それも顔面に当たっていたから、相当痛かっただろう。
しかし、目を見て話すのが照れくさくて、俺はわざと視線を前にそらしてリアを気遣う。リアは俺の力になったのではなく、俺の力になってくれているのだ。どうしても、気になってしまう。
「何がだ?」
リアはとぼけたように返す。その様子を見る限り、体に不調があったりということはなさそうだ。
「だから、どこか痛かったり、調子が悪かったりしないか?」
「心配してるのか?」
俺の顔を見つめてくるが、俺はリアを見ない。照れているわけではないが、いや、俺は悔しいことに照れているんだ。
それは、俺を見つめてくるリアを、本気で可愛いと思ってしまっていたからだ。
「まぁ、女の子だしな」
「……」
駆ける速度はそのままに、困ったように言葉を詰まらせた。それでも何か言わなければいけないのだろうと感じたのか、言葉の切れ端をつなげて喋る。
「うん……私は大丈夫だ、アキヤ」
何故かリアが女の子っぽく俯いて目をそらしたので、俺は二の句を次げなかった。それは本当に、ただの女の子の仕草で、思わず見てしまった俺は何も言えなかったのだ。
互いが不確かながら意識しているのがくすぐったくて、過敏に反応する俺は、リアがちらちらとこちらを窺っているのが簡単に分かってしまう。
幻想だと分かっていても、リアが一人の少女であると感じてしまったときから、意識せざるを得なかったのかもしれない。
そう考えると、守ってやりたくなった奴に守ってもらっているのは、とても恥ずかしいことなのだと悟った。
「逃げ切れるといいけどな……あの男の足なら、俺なんかは簡単に追いつけそうけど」
恥ずかしさに耐え切れず、俺は先程の話題に切り替える。リアも易々とその提案を呑んで、俺の話にあわせる。
「……でも、あいつの能力はおかしい。だって、私の動きに反応してた……例え神経強化したアキヤでも、私の動きは追えない」
先程と違うリアの真剣な顔つきは、嘘を言っているようには見えなかった。それに、リアは自分を過大評価もしていないし、過小評価もしていない。
つまり、正しい目を持つリアですら、あの男が強い存在だといっているのだ。
「あの存在自体がすでに異端。それこそ、私たちみたいな幻想の産物だ」
こちらを向いたリアに答えるように、俺は顔を向ける。その時、リアが叫んだ。
なんといったのかは聞こえない。ただ、俺は呆然としている暇にリアに押し倒された。
何かに、金属が刺さる音。それが一つ。
そんな音を聞きながら、俺とリアの体は道に倒れていく。背中を激しく打ちつけながら、リアと何かが来た方向を見やる。
数を数える暇もなく、その白刃は空を切り裂く。ナイフのようなものが、圧倒的な数で迫ってくる。リアはそれにも臆することなく、咄嗟に脱いだ外套を叩きつける。
黒い風に仰がれ、ナイフは地面に叩きつけられる。刃を散らす音を立てながら、その鉄は舞い落ちる。
見たことのあるものだった。つい今まで見ていたものだ。それは、『アンチマジックの槍』の刃の部分、槍の穂先だった。
「心外だ。異端に異端呼ばわりされるとは」
空に浮く影。
夜空を背にし、長い槍を携えた人影がいた。反射光に光る瞳の色は青く、顔は影になって見えない。
ただ、それは俺達を鋭く見下ろしていた。
僅かな幅しかない電線の上、微動だにせず『アンチマジック』の男がいた。
「見れば分かるだろうが、それは貴様のいう『アンチマジック』のレプリカ。『アンチマジック』とまではいかないが、貴様らを弔うには十分すぎる威力をもっているものだ」
男の表情は、眉すら動かず一身に俺たちを見ている。その手には三本のナイフ。それは、今俺たちの足元に転がっているものと同型だ。
あの男は、あの距離から、あの槍の穂先を、数十本にわたり投げつけてきたのだ。それは人間の芸当ではない、今のが普通のナイフでも、簡単に人を殺せるだろう。
しかし、穂先だけでは役に立たない。恐らく、この穂先一つずつにはちゃんと柄が付いているのだ。何らかの魔術で収納され、穂先だけの形を保っている。
男が望めば、穂先はすぐさま槍へと変わる。
だからだろう、男は這ったような状態から垂直に槍を打ち上げたり、いくつも槍を持ったりできるのだ。
男はただのエクソシストではない。
魔術も使うことのできる、異端のエクソシストだ。
「覚悟しろ。できぬなら目を閉じていろ。じき終わる」
鼻先に槍を突きつけられたような緊張感。張り詰めた糸を切り裂こうと、俺は喉を震わせる。
「あんた、旧教会のエクソシストだろ? なんで俺達を狙うんだ」
「神罰の代行者といったはずだ。 ……だが、あれは教会の常套句というか、大義名分だ。私の真意には関係ない」
男は首を傾げながら、いやらしい笑みを浮かべる。惚けているのは明瞭だ。だが、無理矢理真実を言わそうとしても意味がないだろう。
それよりも、今はどうやって逃げるかだ。
「エクソシストじゃないのか?」
体は重く、足は痺れている。日頃の運動不足を祟れど足は痺れたままなので、話を引き伸ばしながら回復し、逃げる段取りを考える。
「エクソシストといえば私は其れだ。魔という魔を根絶し、この世を在るべき道理に導くのが我々、異端審問者だ」
エクソシストといえばそれが仕事だ。しかし、仕方がないと諦めてやることはできない。
俺は自然的な力からも、そして、こういった敵からも、人を守れる力が欲しかったのだ。ここで膝をついて、殺されてやることなんてできない。
だから、これは俺にとって最初の試練だ。
リアと一緒に、人を守れるのか。一緒に、生き延びられるのだろうか。
「あんたは、魔術や魔法を使っているというだけで人を殺すっていうのか!」
俺は威勢よく言葉を返す。それで何か感じ取ったのか、リアは既に剣を取り出し、俺の横に控えていた。
俺よりも鋭い眼光を、リアは男へと向ける。俺を守ろうとするその姿は盾の様でもあり、主の命令で敵を射殺す剣の様でもあった。
「そうだ。魔術などあるべきではない。魔術があったら救えた人もいるが、魔術がなければ死ななかった人もいる。例えるなら魔術は犯罪だ。それが確かに有益な場合も存在するだろう。しかし、犯罪に家族を殺された人が、犯罪を憎むのは悪いことだろうか? 私は断言する。其れは悪ではない、犯罪が悪であると」
一息つくと、男は更に続けた。
「犯罪から身を守る術は存在する。法律が制御し、犯罪という悪を根絶やさなければいけない。まだ、その形態も完璧とはいえないがな。しかし、魔術から身を守る方法はない。犯罪から身を守るのに犯罪に手を染めるように、魔術で魔術から身を守らなければならない。ならばどうするか、法を作る以外にないだろう。我々が法となって、魔術を廃絶しなければ、この世から悪たるものはなくならない」
何故か、胸が痛んだ。
それは誰のことだか分からない。だけど、誰かに当て嵌まっていると考えてしまうのは、それが正論でも考えてしまうのは、何故だろうか。
男が俺の同類だとは考えていない。だが、こいつもそういった信念の上に立っている人間なのだと、理解せざるを得なかった。
言葉にたじろぐ俺を庇うようにして、リアが一歩踏み出した。
「御託は仕舞え」
リアは男の声を遮り、無理に自らの言葉をつなげた。打ち破る声は攻撃的で、リアが構える剣の切っ先は男へと真っ直ぐ伸びる。
宣戦布告といえる動作を前にして、男は意外そうに目を丸くした。それも当然、この状況では男のほうが有利だ。
リアの射程は平面的なもので、地上に居るものなら素早い踏み込みで間合いをつめられるだろう。しかし、高低差がある。そのまま電線から飛び移られ、隠れられながら狙い撃ちにされるかもしれない。
アンチマジックの劣化版だとしても、リアが耐えられるという保証はない。一瞬で、全てが終わってしまうかもしれないというのに。
例え天使を敵に回しても、剣は怯むことがない。
「あなたが何を言おうと、何を考えようと私には関係ない。だけど、私はあなたにアキヤを殺させることだけは絶対にできない」
その言葉を聴くと、男は茶化したように口笛を吹いた。
「……私は貴様たちを諭そうとしたのだが。余計な世話だった。貴様となら、語るのはこちらのほうがはやそうだ」
男は槍の穂先を納め、一つだけを手の中に収める。そして予備動作もなく、手中の穂先から柄が伸び、槍へと変わる。
電線から下りると、乾いた靴音を立て舞い降りる。五メートルはあるだろう電線から、何気なく降りる様は、男が只者ではないことを強調していた。
槍を下に構え、突進するような姿勢を保つ。
「いったはずだ。あなたの槍は三流以下だ」
剣を正眼に構え、リアは一心に男を見据える。
無音の合図が、二人の中で鳴った。
駆ける。
大気に混じり風になるものと、影に伏せて這うもの。両者は互いに互いの射程を見切り、まるで同極の磁石のように弾け合う。
リアが駆ける。男が逃げる。一定の距離を保ち、走り、止まり、曲がり、追い、逃げる。
リアは先程男に傷をつけたことで安心しているのだろう。その動きには余裕が見られ、不器用ながら男を追い詰めようとしている。
一方の男は逃げながらも、反撃の機会を窺っていた。開いている距離は男の手にもつ槍三本分、それは投擲の射程というには、あまりに近すぎた。かといって、中距離までもっていけば、リアの踏み込みで一気に近距離までつめることができる。
それに、例え離れて槍を投げたとしても、リアなら三秒と掛からずつめられる。
今の段階では、男が圧倒的に不利だった。電線にいられたら不利だったが、平面的な地上の動きだけなら、リアの戦闘力は計り知れない。
不利だと分かっていたのに、空中戦を捨てて地上戦へ持ち込んだ。
「……」
何かある。男は何か狙っている。
アンチマジックではない、リアを倒すことのできる必殺の何かが、男の手の中にある。それはレプリカアンチマジックではない。そうであったならば、一度防がれた槍と投擲を頼るというのは、あまりにも不確実すぎる。
もしも、リアが槍の一撃に耐えられる場合、男の賭けは終わる。槍という長柄武器を二つ以上操るのは、人間の構造上無理がある。
一度に二本以上の槍を使い、地上では速さと力で勝るリアを圧倒し、確実にしとめられる手段があるというのだろうか。
まさか、あのアンチマジックの槍をまだ持っているとすれば、その自信もまだ説明が付く。
「リア、アンチマジックがまだあるかもしれない。気をつけろ」
俺の声も聞こえているのだろうが、リアは頷く暇もなく男を追いかける。
いつの間にか二人は道路の上から外れ、草原の上へと戦場を移していた。金色に枯れた草を踏みつけ、葉を撫ぜる風の音が辺りにこだまする。
「いっただろう?」
男が叫び、もう一度リアに対して槍の穂先を投げる。しかし、リアは容易くそれを弾き返し、できた隙を埋めるように肉薄する。それに対し、男は無茶苦茶に投擲を開始する。
狙いなど定めず、ばら撒くように何本も投げつける。切っ先の定まらぬ刃は宙へと舞い、地面に突き立ち、リアを阻む壁のように広がる。
リアは空中にある刃など恐れず、一つずつ弾きながら進む。
「現代を、甘く見るなと!」
槍が突き立つ。
一瞬で、全ての穂先が槍へと変わった。空中に在った穂先はリアを阻むように壁を作り、辺りに散らばった槍は地面から伸びる。
「っ!?」
それでも、リアは勤めて冷静に対処をした。だが、迫る槍衾に、風が通る隙間はなかった。
肉が裂かれる音を聞くというのは、思ったよりも不愉快だった。
リアは咄嗟に剣で薙いでできた隙間に飛び込んだ。しかし、たった一回の剣で払える槍の数など知れている。飛び込むリアの体を、幾つかの槍が撫で斬っていた。
「リアッ!」
叫ぶ声に気づくこともせず、逃げるように地面に飛び込んだリアは、受身も取れず原に転がる。がしゃがしゃと槍が草の上に倒れていくが、咄嗟に横へと飛び込んだお陰で、リアは槍から逃れた。
俺は急いでリアへと駆け寄る。その震える体が、すぐにでも消えてしまいそうなほど、か弱く見えてしまったからだ。
俺はほんの一瞬、リアが死んでしまうことを想像してしまった。それは悲しみや怒りよりも、後悔が一番強かった。
「リア! 大丈夫か?」
リアを覗き込むと、少女は声も出せずに小さく蹲っていた。頬には薄く赤い線が走り、白い服にも赤く染みている何かがいくつもあった。
中でも、左腕と左肩には、深く抉れたような痕があった。動かすことすらできないだろうが、このまま放っておいて良い傷でもないことは一目で分かった。
苦しそうに喘ぐ姿に耐え切れず、手をかけて抱え込む。小さな体は俺の腕の中に簡単に納まり、弱弱しくもがいた。
「ぅ……くぅ!」
「リア! しっかりしろ!」
とても近い距離なのに、耳に届く声すら消えてしまいそうだ。俺は涙を抑えながら呼びかけて、苦痛に耐えるリアを抱きしめる。
冷静に考えろ。リアは何故苦しんでいる、どうすれば助かる。推察し、理解しようとする思考は段々と褪せていった。
「お前っ!」
俺は男を睨みつける。動じた風もない男は、決着が付いたと理解しているのだろう。
「どうした魔術師。その幻想はまだ死なないか? アンチマジックに対抗するとは、見上げた根性だ」
そうだ。アンチマジックとは魔力、または魔術式を消去したりする魔術。リアがまだ存在しているということは、アンチマジックに耐えているということだ。
自身の存在を否定する魔術を曲げてまで、無理矢理存在しようとしているのだ。そういった負荷が、リアの体にどれだけの苦痛を与えているのか、想像しようもない。
唇ごと歯を噛み締めて、俺が抱いているのすら分からないほどの激痛に耐えるリア。こんな近くにいながらも、俺には何もできない。
「対抗するのなら。そうだ。回線から、リアの負荷を俺に回せば!」
俺はリアを強く抱きしめて、回線を開く。なりふりなど構わない。俺は、リアを守ってやりたいと、失いたくないと思った。
だから、俺はリアを助ける。
「待ってろ。すぐ痛みを和らげてやる」
腕の中のリアが、力強く俺の服を引っ張る。痛くて力の加減ができていないのだろう、腕が痛くて声が出そうだったが、リアに聞かせられるはずもなく、必死に飲み込んだ。
「アキヤ……だいじょぶ……大丈夫……だから」
か細い吐息は俺の不安を誘うが、無理に作った笑顔は俺にそれを許さない。気丈に振舞うリアは、先程よりに楽になっているようだった。
「待ってろ、今楽に」
「駄目……。今私に干渉したら、アキヤまで魔力を消去される。……もう、消えることはないから、大丈夫だ」
リアは俺の腕に甘えるように縋りながら、苦しげな呼吸を繰り返す。慎重に繰り返される呼吸の音を聞きながら、俺は何もできずにいた。
あの時のように何もできず、見ているだけ。
全く成長していない自分が悔しくて、情けなくて。努力してきたのに、また守りたい人を失いかけて。
俺は、なんでこんなに駄目な奴なのかと、自分を責めた。
「あきや」
リアの指が俺の頬に触れる。指先は頬をつつくと、リアは求めるように掌で俺の顔に触れた。
優しく、とびっきり温かい手が、流していない涙をふき取るように撫でていた。
「私は大丈夫。それより、私はアキヤが泣きそうで心配だ」
心配をかけたのはどっちだよと、声をかけることも忘れ、俺はリアの笑顔に見惚れてしまっていた。初めて出会った人なのに、傍にいるだけでこんなにも喜べる人は初めてだ。
心のソコから惚れてしまったのだろうか。どんなことがあっても助けたい、傍にいて欲しいと願ってしまうのは。
それだけ、こいつが素敵な人だからか。
だったらどうするべきか決まっている。それはこの俺、真原秋弥が両親を亡くしたときからの決定事項だ。
あんなことを繰り返さないために、二度と後悔しないために、俺が成すべき事は決まっている。
草を踏みにじる乾いた足音は距離をとり、俺とリアからをゆったりと射程内におさめていた。見下したような表情には、今までとは違う怪訝な顔つきだった。それは不愉快というよりも、不可解を現しているようだ。
「理解できない。何故、貴様のような幻想が奴を守る。貴様たちは悠久の存在、人など取るに足らないだろう」
男は槍の矛先をリアへと向ける。問いただす威圧感は、剣呑な切っ先になってリアの瞳を射貫く。その動作にも、リアは大した反応もせず、ため息をするように体を起こした。
「……私は……名前なんてない存在だった。だから……形を持っても、この世にあることなどできない」
とつとつと語る口調は、感慨もなくただ無表情で、それがどんな思い出なのかを俺に悟らせない。辛かったのか、少しだけでも楽しいことがあったのか、想像することさえできない。
「誰も求めず、誰にも知られず、ただ力だけが増していく日々で……アキヤは、初めて私を求めてくれた」
想像さえできない悠久の時代を体験してきた彼女には、俺なんて小さな存在だろう。だけど、蟻だって人間を殺せることだってある。たった一つの小さな接点が、その人の運命を左右する事だってある。
例えばそれは、出会いという形であったりするのかもしれない。
「誰もいない世界で、初めて手を差し伸べてくれたのはアキヤだ。それだけじゃない、アキヤは……私をヒトとして扱ってくれた」
出会った彼女は俺に優しく語り掛ける。聞いてくださいと強請る声に、俺は耳を預けながらリアを支える。
「私は求められたからここにいるんじゃない。求められて嬉しかったから、ここにいる」
純朴な笑顔は、今を楽しいと語っている。とても素敵な笑顔だったけれど、俺の腕を掴むリアの左手から、段々と力が抜けていくのが分かった。
「……リア」
「アキヤ、アキヤは私が最強であること信じてくれればいい」
渾身の力を込め、リアは剣を支えにして立ち上がった。温かさは俺の腕を離れ、剣呑な鋭さを男へと向ける。霞んでいく温かさを逃した腕から視線を外し、俺はその背中を見上げた。
白衣に身を包んだ小さな背中は色褪せて、しかし何かを決意し必死に立っている。苦しさも痛さも全部ひっくるめて、背中へと置いていって前へと進もうとする。足を前へ、腕を前へ、行進し、後退しない。
何のために進むのか、誰を思い進むのか。
誰でもない、俺を生かすために彼女は前へと歩くのだ。俺の些細な言葉に喜んで、その生を捧げようとしている。
だけれど、今の彼女に俺を助ける力は残っていない。
「……くッ」
俺に何ができた。
せっかく手に入れた力をみすみす見逃すのか。いや、俺が考えているのはそんなことじゃない。そんなどうでもいいことじゃない。
俺は自分を救ってくれた女の子を、このまま見殺しにしていいのか?
救いたいと思っている。救いたいと思った。俺は救世主じゃないし、正義のヒーローでもない。
だけど
「何のために、ここに立ってるって言うんだ!」
僅かでも力があるのなら、望んだ結果があるはずだ。そのために頑張るのは、助けることだ。それが俺の求めた『救い』。
俺は俺なりの正義で、自分が助けてやりたいと思った女の子を助けてやるだけだ。いや、誰が助けた助けられたということは関係なく、二人で生き残るんだ。
「……俺が相手だ! エクソシスト!」
いつの間にか、リアと男の間に割って入っていた。一瞬前のことなのに思い出せない。
これは勇気なんて格好良いものじゃなく、ただの足掻きだ。膝は笑っているし、握った剣は震えている。いつの間にか手の中に具現化していた剣は、俺の意思を嘲るように冷たく重かった。
だけど、後退だけはしない。死なせたくない女の子を背にしているのだ。
背中に正義を背負い込むというのは、俺には重すぎるように感じた。だが、なぜだかこの重さが心地よい。
「あき……や」
苦しげな声はか細く、力などない。俺は、それを背にすることしかできない。
背で迎えてやることしか、俺にはできないのだ。
「魔術師が……私に勝てると考えるなど」
この剣は名剣だ。だが、それだけではこの状況を覆す要因にはならない。
もっと何か、別の力が必要だ。
「俺は魔術師じゃない。魔術使いだ!」
一喝し、『回線』を開く。
「解脱、邂逅、干渉!」
俺には、それほど高度な魔術は使えない。しかし、基本だけはしっかりしている。
基本のみを使った応用ならば、俺にできないわけがない。
俺の魂の意識、第一意識は肉体、第二意識は魔術使用のための意識、第三意識の代わりである代替言語は言葉で魔術を操る。
第一意識、第二意識、第三意識の全てを、この肉体にまわす。
それは、俺が持っている魔力、力を全て肉体に回すということだ。
影響強化の魔術は、力の劣化を抑える魔術。俺がやろうということは、二十割の力で十割の結果を出す荒業だ。
体が壊れようと関係ない。残り少ない魔力が空にならない限り、俺はまだ動ける。動けるならば、誰だって救ってやる。
「適格、設定『体』」
「口頭詠唱か?」
男は俺の詠唱に気が付いたのか、槍を構える。数は一本、それならば何とかできる。
男が咄嗟に距離をつめてきたので、既に互いの射程内だ。
俺の踏み込みと同時に、男の地を這うような突き。それは鎌首を上げ、首を狙う一撃へと変わる。
「斬れ!」
力任せに振り下ろされた剣は、槍を捉えることはできなかった。
「ッ――」
振り下ろして屈んだためか、槍の穂先は右の鎖骨に食い込んだ。咄嗟に痛覚を遮断する。代わりの感覚を鋭敏化し、前を見る。
強化された視覚で男を確認した。
「何だと?」
聞こえてきたのは、男の声だ。間近に聞こえる声に、吐息が乗っているような、空気の流れる音が聞こえた。
鋭敏化された聴覚のせいだろうか、やけにはっきりと、倒したい奴が捕らえられた。
俺は鎖骨に食い込んだ槍を無視し、右腕を振りかぶる。痛みがないため、自身の体など省みず振るう。
「斬れ!」
男を切り裂く勢いで、俺は剣を振り切った。乱暴な剣は叩き割ることすらできない。それは力任せの殴打に似ていた。
「はぁっ!」
男はそれを取り出したもう一つの槍で受け止める。だが木製の柄は、剣を止めるまでには至らなかった。
そして、剣は男の左肩に吸い込まれるように向かう。容易に、剣は男の肩に食い込む。
握り締めた剣から、まるで木を割るような手応えが伝わってくる。そこには肉の感触などない。そもそも、俺は肉を切った感触など知らない。
「ぐぅ――ッ!」
斬撃の余韻を失った剣は男の新しい槍に弾かれ、俺は大きく足をふらつかせた。
後ろへ仰け反るのを堪え、咄嗟に構え直す。しかし、男は構え直す間に射程外へと逃げていた。
俺にはリアほどの神がかったスピードはない。
一方、男には投擲という攻撃がある。剣一本しかない俺には、これ一つが命綱だ。投擲なんて分の悪い賭けに使っていいものじゃない。
男の動きについていけるのも、リアがつけた右肩の傷が、男の槍を遅くしているお陰だ。しかし、その殺人機械が手負いだとしても、俺の手には余る。
事態は、圧倒的に不利といってよかった。
「よくもまぁ、次から次へと、ぽんぽん槍が出てくるもんだな」
「私は常時、一つの本物と三百六十の偽物で武装している。貴様ごときが私を倒すには、兵装の点で足りない」
俺は瞬時に男の槍の数を数えた。弾切れを狙うには、あまりに非現実的な数字だ。
「は……俺には、この一本で十分すぎる……。一途なんでね!」
剣を構える。
今度は震えなど無く、力強くて頼もしかった。もう、迷うことなんてない。向かう先のへっかがいくつあろうとも、進める道は一つだけだ。
「自分を貫き通すには、剣一つで十分だ!」
誰を助けなければいけない。誰を助けてはいけない。そんなことはどうでもいい。救えないなんてこともどうでもいい。
ただ、自分が救いたいと思った奴に対して全力を尽くす。それで、無様でも一緒に生き残れれば十分だ。
「……ハァ……あき、や……術式を、呪いを」
いつの間にか、リアが俺の横に立っていた。
そっと寄り添ったリアの呼吸が、鮮明に聞こえるほど近かった。俺を庇うようにではなく、俺に寄りかかるように立つ様は危なげだ。
そっと手を伸ばすと、リアは俺の手の中にある剣を握る。
構えた手に、そっとリアの手が重なる。暖かいその手は、まだリアがこの世にいるのだと感じさせた。
「え……術式?」
「エクス……カリバー」
剣を構成していた魔術式が動き出す、起動した剣は自らの魔力を使って召喚を行う。
それは光だった。電灯で表すならば途方もない量。だが、それは電気の光というよりも、暖かい日の光に似ていた。
剣を包みながら、薄っすらと膜を作っていく。
白い刀身は長く、ロングソードの風体だった。しかし、それは赤の下地に金の装飾が成された豪奢な造りだった。
その剣は存在し得ない、この世に存在しない幻想の産物の一つ。幻想という中でも、トップクラスの知名度を誇る聖剣だ。
『妖精王の剣、エクスカリバー』。
妖精の都アヴァロンで鍛えられ、アーサー王の権力や威厳の象徴となった聖なる剣。
それが、名前しか聞いたことのない聖剣が、俺の手の中にあった。剣によって召喚され、まるで変形したように手元の剣が妖精王の剣に変わっていたのだ。
剣による剣の召喚、あの剣は幻想でもなんでもないのだろう。しかし、妖精王の剣を呼び出すための器として、あの剣は存在していた。
あの剣は、エクスカリバーという剣を封印していたといってもいい。
「嘘、だろ?」
俺の手に握られているのは聖剣。国を守ると信じられた剣が、人二人を守るなんて簡単なことだ。
握り締める感覚は心地よく、俺の意思に答えるように熱かった。
「でも、これなら……いける!」
俺が百年魔力を溜めたとしても、この聖剣の前には霞んでしまう。それほどの魔力を、この剣は秘めていた。
倒せる。
その剣が、目の前の敵を倒せると俺に伝えていた。
はち切れそうな足の筋肉を引きずって、俺は駆け出す。距離は十五メートルほど、それなら四秒も必要ない。
だが、男がそれを許さない。
「甘いぞ、魔術師!」
投擲。
俺へ、いや剣へと向かう槍の穂先は鋭く空を切る。数は二つ、どちらも正確に剣を狙っている。
この剣を危険だと感じているのだろう。男は俺ではなく、レプリカアンチマジックで剣を殺そうとしたのだ。
だが、それは間違いだ。それを証明するために、俺は敢えてその刃を受け止める。
刃金は音を立てながら、鋼を打ち返す。投擲といっても重い衝撃を孕んだ槍を、振るうようにして叩きつける。
それでも、妖精王の剣は殺せない。
簡単だ。この剣の魔力が、幻想殺しのレプリカで消去できる限界を超えているのだ。だから、一回や二回では殺すことができない。
それこそ、あのヒュドラを殺したような真の幻想殺しでなければ、この剣をとめることはできない。
「なんだと!?」
時間は掛かったが、突進するような踏み込みで、俺は男を射程におさめる。
リアを真似て剣を下げる。本当は斬り下ろしのほうが効率がいいが、それでは駄目だった。
そうしたら、この男は死んでしまう。
甘いと人はいうだろう。だが、これは俺の信念だ。
俺は人を殺すためではなく、人を助けるために幻想を呼んだ。それで人を殺すなんて、俺に対しての冒涜に他ならない。
だから足を刈り取る、下段の斬り払い。
「意地を見せろよ、聖剣!」
再度呼んだその名前に呼応するように、秘められた魔力が剣からあふれ出てくる。
魔力とは千変万化の力だ。
そして剣ならば、剣という形であるならばその指向性は一つしかないだろう。
溢れ出してくるのは斬撃の魔力。物を叩き斬ることのみに特化した魔力だ。その量は半端ではない。故に、男の足は微塵も残らないだろう。
一本の剣で、何万回も斬りつける。それを、一回に短縮しただけだ。ただそれだけで、男の足は微塵も残らないだろう。
「斬り裂けろ!」
速度だけを追求した、俺にとって最速の一撃を振り切る。幾万の魔力からなる幾千の斬撃は、唸りを上げながら風を斬り裂いていく。
しかし、幾万にもなろうという斬撃は、殺されたように掻き消える。
阻まれる鋼の音が、握る手の平にこだまする。行軍する兵を一刀にて薙ぎ払う一撃は、一本の木の棒に阻まれていた。
『アンチマジック』。
男は柄の折れたアンチマジックの穂先を使って、妖精王の剣を防ぎきる。捨てたと思っていたが、やはりというべきか、男はまだそれを隠し持っていた。剣自体は無事なようだが、妖精王の剣を包んでいた魔力は掻き消えてしまった。
それどころか、俺が握っていたのはただの剣だ。妖精王の剣は消され、召喚する前の剣に戻ってしまったのだ。握る感触に、今までの頼もしさはない。
剣戟の残り香に浸る俺の横を、梳くように剣が走る。振るわれた剣は、俺の握る剣をよけるように槍を砕き、そのまま男の脇腹を撫で斬っていた。
「なっ!」
気が付けば、血が滲み出る左腕を引っ提げて、リアが俺の隣にいた。右腕だけで切り伏せたにも関わらず、その腕に握る剣は地面にまでめり込むほど力強い。
その剣は、先程のリアや、俺の攻撃よりも深く入った。それこそ命をそぎ落とす一撃に、男はようやく膝をついた。
乾いた木の音と、澄んだ鋼の音が落ちる。男は本物のアンチマジックを両手に持ったまま、両腕を支えにしてリアを見上げていた。
「はぁ……は、ぁ……ぁ」
熱いリアの吐息が聞こえる。荒くはなく、消え去りそうなほど小さい呼吸音が響く。
「リア、大丈夫か?」
「アキヤ、下がって……まだ、勝負は付いてない」
膝をついて見上げる男と、剣を杖にして見下ろすリア。
その絵に気おされて、俺はゆっくりと下がった。その両者の視戦の中で、俺は存在できない。
本当に互角のレベルだ。二人ともその体の傷は大きい、部位に違いはあれど、それは大きい意味を成さない。
リアは左腕と肩をやられ、男は両肩と左脇腹を切り裂かれた。虫の息だが、両者にはまだ腕を振るう力が残っている。
その一撃は、次こそ本当に殺すための一撃だ。止めなければ分かっていながら、俺は踏み出すことができずにいた。
「……」
空気が固まり、時が止まる。
「……」
「は……分が悪いな。今日は引くが、勘違いしないするな」
重い吐息と共に吐き出した言葉は地に伏して、男はリアへと降服するように頭を垂れる形になる。
だが垂れる頭を持ち上げ、指先しか届かない空を射るようにリアを睨む。
「私はこれから撤退する。しかしそれは、貴様らを殺すためだということを、誤解せず、理解しろ」
牙のように突き立てる言葉にも力がないが、それはリアも同じだった。
「負け惜しみか」
皮肉げなリアの言葉をものともせず、男は立ち上がる。既に戦う気がないことをアピールしているのか、その手には槍がなかった。
「魔術とは世界の外法。魔法とは世界への冒涜。神が賜わしたる世界を汚すものに、神罰を」
十字を切っていやみに笑う男に対し、リアは鮮やかに切り替えした。
「神罰が下るのなら、私は神を殺してでもアキヤを守る。たったそれだけ、他愛ない」
「相違ない。のだろうな……貴様らにとっては」
リアの横顔ははっきりと、一辺の霞すらなく俺の目に映った。そこには確かに弱々しさが在ったが、力強さもあった。
「次は、ない」
男は告げると、潔く立ち去った。背を向けて歩いていく男を追うこともなく、リアは軽く睨みつけるだけだった。
それは、男の姿が消えて数分立つまで止めなかった。
「勝ったのか」
呆けたような言葉も聞かず、リアはゆっくりと頷きながら倒れこむ。俺は慌ててそれを受け止めながら、抱きかかえた。
そして、力なくリアは呟く。
「うん、勝ったぞアキヤ」
―◆―
帰り道、力尽きて倒れてしまったリアをおぶって、俺は歩いていた。人間で言えばリアの体は軽かったが、荷物としてみれば重かった。しかし、温かくて、小さくて、それこそただの少女だった。
女の子を背負ったことはなかったが、それがとても女の子らしいと思えて仕方なかった。でも、こんな小さな体をしているリアが、あんなに戦えるとは誰も思わない。
背負ったリアをずり下がってきたので、俺は跳ねてリアを上に押し上げる。脇腹が痛んだが、ここで休んでいるわけにもいかないだろう。
おぶり直し、前を見据える。案内するように立ち並んだ街灯を頼りに、足を進めていく。
「あきや……」
「起きたか」
俺は元気だったが、リアはそうでもないらしい。実は、落ちていたレプリカアンチマジックの槍を収納し、魔力の補充をしていた。アンチマジックといっても所詮魔術、そこには魔力が流れている。その魔力もリアへと分けているが、先程まで意識を失ったままだった。
「アキヤ、大丈夫か」
「阿呆、大丈夫じゃないなら、こんな元気じゃないさ」
「ん、なら大丈夫」
リアは安堵するような溜息をつくと、ふと空を見上げる。揺れた金髪が頬を撫で、くすぐったかった。
「ねぇ、アキヤ」
「なんだ?」
振り返らずに訊ねるのは、気恥ずかしかったからだ。リアはどうだか分からないが、女の人を背負うなんて、男としてチョット恥ずかしい。
「一つだけ、我侭がある」
「ああ」
「家まで、このままでいいか?」
「おう……分かった」
俺はリアの言葉に頷きながら、一緒に空を見上げた。
冬のせいか、やけにはっきりと星が見える。子供の頃に覚えた星座はほとんど忘れてしまったが、丸い月と、一番輝く金星だけは分かった。
素直に、綺麗だと思った。
「あきや、もうちょっと嬉しそうにしろ」
太陽よりも真っ赤な瞳を下げ、リアは不満そうに言った。
「なっ……阿呆!」
切り返した言葉に、リアは呆れたように返す。咄嗟に振り返ると、深紅の瞳が俺を見つめていた。吸い込むように大きな瞳は、一点に俺だけを見つめていた。
「冗談だ。元気でたか?」
「ふん!」
にんまりと笑うリアから目を背けるため、俺は勢いをつけて空を見上げた。そこには、さっきと変わらない星空が流れている。そうしていると、背中のリアが微笑んで頷いたような気が、確かにした。
「……そういえばさ、リア」
俺はずっと気になっていた言葉を口にするため、前置きをする。
「なに……?」
「お前があの時使った剣、エクスカリバーだよな?」
それは間違いないだろう。不発に終わったが、本当に発動していたら人一人殺すどころの規模には収まらなかったかもしれない。
威力自体は分からなかったが、その魔力は手に持っていた俺がきちんと知っている。
「……うん……」
「じゃあ、お前はアーサー王なのか?」
肯定の言葉に俺は期待を膨らませるが、リアの反応は芳しくない。
「……」
「だったらお前はリアじゃなくてアーサーっていう、ちゃんとした名前があるじゃないか」
「違う……私は、リア。アーサー王っていうのは、別の人だ」
あまり強くなかった発言も、そこだけはやけにはっきりと発していた。それは自分がアーサーというのを隠すような素振りではなくて、どちらかというとリアという名前で呼んで欲しいという、子供じみた欲求のように聞こえた。
「じゃあ、お前が使ったあの剣はなんだったんだ?」
なんだか知らないが、勝手に緩んでしまった口元で言葉を続けるが、背中のリアは動かない。
「……」
「リア?」
もう一度問いかけるが、背中から反応はない。静かに待っていると、そこからは小さな寝息が聞こえてきた。
呆れるというよりも、俺は子供をあやす親の気分で軽くため息をついた。そして、起こさないように歩みを静かにする自分がいた。
「寝ちまったのか」
彼女は幻想などではなく、れっきとした人間だった。
リアの体温、呼吸、その全てが普通で、その少女が人間なのだと教えていた。
リアという名前は、リア王のリアでもなく、ドイツ語名のリアでもなく。
ただ単純に、リアルのリアだ。
この世に顕現したリアルは、ゆっくりと眠りについた。
きっと朝には、青い蒼い、突き抜けるような空が待っているだろう。空に広がる大気と、無限に広がる空を見上げるだろう。
感心するような、あどけない少女の顔を思い浮かべ、俺は一人ほくそ笑む。
「無理して、元気づけようとしてくれたのか」
俺は、良い奴なように見えて、実はとっても厄介な奴を召喚してしまったのかもしれない。
だけど、それでもいい。
守ってやる奴が一人増えたくらいで、へこたれてなんかいられない。そこまで考えて、俺ははたと気が付いた。
「守ってるのか守られてるのか、わかりゃしねぇ」
俺は笑って誤魔化す。返す声はなかったが、背中のリアは笑っているような気がした。
ぼろぼろになっても助け合って生きていられるなら、笑っていなくとも一緒に生きていられるのなら。
例え真っ暗な世界でも、捨てたものじゃない。
自分の中で勝手に決めていたんですが、奇数月更新にします。更新月に一回更新というわけではなく、何回か更新する場合もあるかも知れません。気が向いたらデス。まぁ、ご要望があれば、月一くらいで頑張るかもしれません。
これ、一ヶ月以上前に完成していたんですけどね。改めて見ると、明らかに月○をぱくっていた自分がいらっしゃいますね。……アレンジはありだと思いますが、パクリはナシですね。
てか長いなーコレ。もう五万文字超えてますね。