第一幕:後編ノ一
後編が三万一千文字を超えたので、後編一と後編二に分けさせてもらいます。前編にあったような区切りは設けていませんので、後編という括りで通させていただきます。
此処は何処だ。そんな疑問は、一瞬で片がついた。
見上げているのは、何千回と見た天井。それは俺の部屋のベッドから見上げる天井だった。
まだ日は出ていない。天井の隅にたまった闇が、まだ夜が明けていないことを主張している。
俺は勢いをつけて体を起こそうとする。
「ガッ! ……はぁ!」
疼痛。
脇腹が酷く疼いた。あまりの痛みに負けて、俺は身を起こすことができなかった。直接脳をナイフで切りつけたような酷い頭痛、全身が火照って苦しい。
脇腹が、まるで焼き鏝を当てられたように熱い。火傷したかのように焼けるのが堪らず、脇腹に手を這わす。
ぐちゃりと滴る肉の感覚。そこにあるのは肌ではなく、肌が捲れてむき出した人間の中身だろうか。
幸い、いや不思議と血は出ていないようだった。骨に異常もなさそうなので、出血さえなければ大事は無いかもしれない。
まぁ、今はの話だから、昼になったら病院にいくことになるだろう。
俺はそう結論付けて、忘れていることを思い出だすことにした。ぼんやりし過ぎて、頭が目先のことにしか向かない。
何かがあったのを忘れている。ショック的な一時記憶喪失だろうか。
「……俺は」
どうなったんだ。
何がどうなっているのか分からない。何も思い出せない。
天井を見上げて、俺は自分が吐いている息が白くなっていくのを見つめていた。電気はついておらず、部屋は暗い。
俺は手を突いて、体を持ち上げる。左手をベットに突いたとき、何かが指に触れる。
冷たい鉄の感触。指に触れたそれは、俺の隣に寝るように存在していた。
体を持ち上げ、それを眺める。
剣だ。
それは漫画やゲームで見るような、これといって変な造りがあるわけではなかった。寧ろ、博物館に飾ってあるような骨董品といったほうがいいだろう。
あまり大きくは無い。柄が拳二つ分と少し、鞘に収まっていて分からないが長さは七十センチほどだろう。
柄は古びていて、黄金のようだが真鍮か何かだろう。鞘は皮張りで、とても綺麗とはいえなかった。はっきりいって、ただの剣だ。
でも何故、そのただの剣が此処に存在するのか。俺には皆目見当もつかなかった。
布団の上に胡坐をかいて、それを左手で拾い上げる。何で左手で拾い上げたかは分からない。ただ、俺は右利きなのに、何故か左手の方が扱いやすいと感じていた。
なんだろうか、この異様な感覚は。俺は、左手のほうがこの剣を持つのに適していると感じている。
俺は左手で柄を握り締め、右手で鞘を引く。鋭く光を流す刃。身を表した瞬間、それが名剣の類であると悟った。
俺はその剣の名前を思い出そうとしている。おかしい、このレベルの剣ならば、すぐに思いついてもおかしくないはずだ。
いや、おかしいのは俺のほうだ。見たことも聞いたこともない剣を、自分の勘だけを頼りに思い出そうとしている俺はおかしい。
こんな剣見たこともない。真剣を見るのは、恐らくこれが初めてだろう。
なのに、俺はこの剣を知っている気がする。
刃は鋭く光る。見とれていたら吸い込まれ、眼球を真っ二つにされてしまいそうなほどの切れ味を、それは秘めている。
薄く鋭くつけられた刃は、窓から入る月明かりを映していた。
そして、窓辺に佇むその姿を、断片的にだが映していた。
ベッド側の壁とは反対側の壁を振り返る。そこには、窓辺に腰掛けている少女。
月夜に映える金髪を肩口まで伸ばし、血の色のような虹彩は空を見上げている。黒い外套を身に纏い、下には白いローブか何かを着ている様子だった。
その姿に、俺は見覚えがあった。
「お、お前は!」
「起きたのか、アキヤ」
少女は、何気なく俺の名前を呟いた。ゆったりとした、優しげな口調。
そこに迷いなど無い。ないから、俺は余計に混乱した。
俺はこんな少女知らない。いや知っている、知っているが俺は少女のことを知らない。
「え? あ! えと? き、君は……誰?」
俺は言葉を選ぶこともせず、口を突いて出る言葉を吐き出し続けた。言葉にならないのは分かっている。ただ自分がどうしたらいいのか分からないだけだ。
少女は確かに俺の名前を呼んだ。
アキヤと、俺の名前を呼んだことは確かなのだ。
俺は立ち上がろうとするが、左脇腹が急に痛み出し、立つことができなかった。体が怪我していて、手元には剣があって、目の前には少女がいる。
これで、俺に何を理解しろというのだろうか。俺に何を思い出せというのか全く分からない。
「左手を見れば、思い出す」
諭すような言葉、そして少女は俺の左腕を指差した。
俺は左手にある剣を確認する。剣を握っている手には、別段不思議なことなど無い。
ただ、魔術式が刻まれているだけだった。
袖を捲ってみると、左腕には契約したときにのみ現れる、召喚用の魔術式らしきものが描かれていた。
それを一つ一つじっくりと読んでいくが、一つたりとも読み取れない。それはこの世の言語ではない。
『現実』の住人である限り理解することは出来ない。俺達が代替してきた真言。
「これは……契約言語?」
そうだ。俺は魔法を使って召喚を行ったのだ。
それでヒュドラを呼び出して……。そうだ、俺は契約していたとしても少女と契約はしていない。
俺が魔法で呼び出したのはヒュドラだ。間違っても剣や少女ではないと断言できる。
しかしヒュドラはもう死んだ。だから、この契約は目の前の少女とものなのだろうか。だとしたら、この人間にしか見えない少女は、幻想の産物ということだ。
少女は、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。歩くたびに色の薄い金髪が揺れて、靡いているようで綺麗だった。
戸惑っている間に、少女は目の前まで来ていた。俺を見下ろす目には、特にこれといった感情がないように見える。
見上げていると、少女は俺を押し倒した。
脇腹が痛んだが、そんなことはどうでも良かった。少女の顔が近くにある。吐息が掛かるほど近く、金髪が肌に触れるほど近い。
こんなに近づいても、少女の顔が綺麗だということは分かった。顔の造形は美しいし、赤い瞳は奥まで澄み切っている。
「アキヤ……お願い」
言葉に、体が反応する。自分でも、顔が赤く火照っていくのが分かる。
こんな間近でそんなことを言われたら、男として反応しないわけが無い。
ただでさえ美少女と呼ばれる類の生き物と顔を突き合わせているのだ。そういった反応をしないほうがおかしい。
「もう、もたない……アキヤ」
少女の吐息が肌に掛かる。それはどこかしら甘いような気がして、噎せ返るほどの女を感じる。
切なげに喘ぐ声は官能的で、俺を誘惑している。
目の前のような美少女に押し倒されて、あのような言葉を言われて理性が焼ききれそうだ。
こんな時だから、変な妄想が頭を駆け巡る。それがいけないものだと分かっていながら、しまいこむことが出来ない。
それに、気が動転していて何をしたらいいのか分からない。
「いや、あのほら、俺達お互いまだ良く知らないし。それに、心の準備ってものが!」
叫ぶと、少女はより一層腕に力を込めてきた。
「駄目、早くしろ。早くしないと……魔力が尽きる」
「はぁ?」
自分でも間抜けな声を出したなと感嘆する。勘違いしていたのだとようやく気が付き、顔が今まで以上に紅潮していく。
少女は別に俺に、俺を求めていたわけではなく。
ただ、この世に留まるための魔力が欲しかったのだ。
「あと少ししかもたない。早く、契約して」
「契約?」
身を起こして左腕を眺める。俺は不思議に思って、魂から色んな『回線』をたどってみる。
確かに、『回線』は繋がれている。それも、とてつもなく大きい『回線』だ。
いくつもの幻想が一気に行き来できるほど、広くて広大だ。これは、彼女という存在の広場に、俺が端的に『回線』を開いているといっても良い。
「契約、されてるみたいだけど……」
契約は確かに施行されているが、そこに魔力は流れていなかった。
普通は契約したときには認識とともに魔力の共有が行われるはずだが、その『回線』には魔力が流れていなかった。
それは、異常なことだった。
「おかしいな、力の共有が行われていない」
「早く」
契約。その言葉で、俺はある人を思い出した。
俺は一度死に掛けたんだ。そこで、『原初の世界』へと還った。そこで自主的に幻想と契約しようと、俺は『原初の世界』へと飛び込んだ。
そこで出会った。誰かは知らない人。
黒い衣装を着て、剣を携えた人。その人は、目の前の少女にあまりにも似すぎているような気がしてならなかった。
黒い衣装、赤い瞳、その特徴は目の前の少女と全く同じだ。
そういえば、あの時、俺は一つの剣をあの人に渡された。もしかして。
シーツの上に転がっていた剣を掴み、それをじっくりと眺める。これが、あの時渡された剣なのだろうか。
となると、ヒュドラを倒した少女も、俺が呼び寄せた幻想なのだろうか。
そうか、尤もたる証拠が俺の体に刻まれている。
「そうか、思いだした」
全部思い出した。全てが繋がった。
俺は召喚したヒュドラに襲われ死に掛けて、『原初の世界』で自ら契約を行い幻想を呼び寄せ、その幻想でヒュドラを倒した。
そして、その幻想がこの少女だ。
俺は少女をもう一度見る。黒い外套。その下には白いワンピースのような服。プラチナブロンドの綺麗な髪。赤い瞳。
物腰というのか雰囲気というのか、どこか違うような気がした。
だが、今はそんなことを気にしている暇はない。
「アキヤが契約しないっていうなら、私は別にいい。でも、アキヤが私を呼んだ。だからこうして待っていた」
「チョットマテ、何で俺の名前を知っているんだ?」
「一応契約自体は成っているから、知識の共有ぐらいはできている」
なるほど、じゃあ俺も少女の名前を知っているわけだ。
魂同士を『回線』で繋いでいるのだから、魂に刻まれた認識、俺が真原秋弥だということが簡単に分かるわけだ。
そして少女の名前を呼ぼうとして、思いつかなかった。
「……? 名前は?」
「私?」
「ああ、君の名前は?」
「ない」
幻想とは有名なもの。有名というのは、広く名を知られているということだ。その名前がないなど、在り得ない。
幻想とは名前がなければ力を得ない。名前をもって、人の思想の一部を占めている。それが『原初の世界』で積み重なって、力を蓄えていく。
名前がないということは、自分には力がないといっているようなものだ。
「いや、色々呼ばれ方はあるだろ。代名詞とか、二つ名とか」
「……ない。私自体が人に呼ばれることは、まずない」
「名前が、ないのか?」
「うん」
「困ったな。名前がないと、契約できない」
「なんで?」
「契約するには、自分は『 』と契約したっていう認識が大事なんだ。それと契約したとか、彼女と契約しただなんてそんな曖昧な認識じゃ、契約しても意味はない」
少女は落ち込んだように目を伏せて、肩を落とした。残念だといわんばかりの表情が、目の前にあった。
俺だって惜しい。これだけ後からある存在と契約できないなんて、蛇の生殺しだ。少女の実力は、あのヒュドラを倒せたことで簡単に分かる。
いやそれよりも、健気な少女を見て、力になってやりたいという安っぽい男がいた。
「……私はアキヤの力にはなれないのか」
「……」
悲しそうに呟くその姿に、俺は答えることができなかった。
何故か少女が、俺と契約してくれるのかは分からない。だけど、少女をこのままにしておくのは、してはいけない気がした。
手段がない事はない。難しいだろうが、不可能ではないはずだ。
「いや、手段はある」
「本当か?」
少女の表情が明るくなる様を見て、俺は何故か安堵した。
「ああ、自分で名前をつければいいんだ。だけど、それが自分の名前だと信じ込まなければ、契約は失敗する」
名前のないものに、今名前をつけて即興で契約してしまうという手段だ。ただし、彼女が自分の名前を信じ切れなかった場合、契約は実らない。
もし自分の名前として信じ切れなかった場合、それは名前を騙った契約となり、彼女自体とは契約されない。
全ては、少女次第というわけだ。
「わかった。じゃあ、アキヤが名前をつけてくれ」
「は?」
呆れた。何故彼女は初対面の俺に自分の名前を委ねたのか、全く理解できない。
そこまで俺を信用しているというのだろうか。けれど少女の表情は遊んでいるようにも取れない。
寧ろ、俺が良い名前をつけてくれるのを期待している目だ。それならと、俺は言葉のレパートリーを頭の中で並べる。
「……」
少女は、顔をほころばせながら、俺の言葉を待っていた。
魔力切れで消えそうなことすら忘れている様子で、じっと俺を見つめていた。
「決めた、お前の名前はタマだ」
「弾……?」
少女には、明らかに落胆の色が見えた。
俺はあえて猫の名前にした。少女が俺と認識を共有しているのなら、タマが猫の名前というぐらい分かっているだろう。
だからいいのだ。少女には少し酷だろうが、やはり自分で名前をつけたほうが良い。
「嫌か? だったら、自分で自分の――
「分かった。私はタマ。アキヤがその名を望むなら、私の名前はタマだ」
泣きそうに悲しげな顔をしながらも、少女は一字一句はっきりと言葉を並べる。嫌だけど仕方が無い、そんな風に聞こえてしまう。
自分の表情に気が付いてか、少女は感情を隠そうと無表情を装っていた。
だけど、その姿はあまりにも痛々しく、健気だった。
それに、少女は俺が決めた名前を受け入れた。それがどうしようもなく腹立たしかった。少女がその名前を受け入れる可能性を考えなかった。俺に名前をつけて欲しいという気持ちをも踏みにじったのだ。
「……ッ!」
そんな自分に、ため息をつく。
「取り消しだ。お前の名前はリア。リア王のリア。ドイツ語でRia。分かったか?」
「タマじゃ、なくていいのか?」
「ああ、元々そんな名前を人につける気は無いしな。本当は、自分でつけた名前のほうがいいと思うんだが」
「リア、リア……うん、良い名前」
少女は……いや、リアは言葉を噛み締めながら微笑んだ。その笑顔を、俺は素直に素敵だと思った。
幻想であるはずの少女が、普通の少女のように見えてしまった。気恥ずかしさを取り払うように、俺は言葉を続けた。
「時間ないんだろ。契約するぞ」
そうして、俺はリアへと続く『回線』に意識を乗せる。この時、彼女が自分をリアと信じきれなかったならば、契約は実らない。
俺はリアと契約するのだ。名も無き少女ではない。
そして、リアは俺の意識を受け入れた。契約といっても、もう既に契約自体は成されているも同然だ。
そして俺は呼びかける。そいつは答えて、自分の名前を語る。
リアと、俺は契約を結ぶ。そう思うだけでいいのだ。簡単な契約。俺は拍子抜けして、一息吐いた。
別段変わったことなどない。それは目に見えて変化しない、ちょっと認識が変わっただけだ。
リアという少女と契約し、彼女の宿主となったという、ちょっとした変化だ。俺は手を差し伸べて、無理に少女と手を繋いだ。
「俺は真原秋弥。よろしくな、リア」
リアの手は温かくて、それこそ生きた人間だった。
そして、生きた人間さえ幻想にしてしまうこの世界で、リアが本当に生きいているのだと理解させる。
その手の平は幻想などではない。これが、俺が手に入れた力だ。
「うん、私はリア。よろしく」
―◆―
「解脱、邂逅、干渉」
簡単な魔術式を言語で代替する。
「適格……設定、『回線』支配」
体の傷を治すため、自分の体に『回線』を部分接続する。治すといっても応急処置程度だが、それでも必要だろう。
体の全てを知るために、自分の体に流れる血へと『回線』を開く。
体全身を巡る血は、体の異常を的確に映し出す。
傷は大きく、左の脇腹は削れていた。しかし、何故か出血だけはなかった。
これだけの怪我で出血がないというのはおかしい。内部的な力か、外部的な力かは分からないが、どうも悪影響ではないので捨て置こう。
次に、左の肋骨が三本折れていた。俺は先にそこを直すことに決め、魔術式を展開する。
「再適格、設定、『回線』支配。鉄骨、代替支配」
二重意識で血液を操りながら、言語による魔術式で骨を支配する。操作は繊細を要するが、日々の鍛錬の賜物か、不思議と自信はあった。
骨を動かす。耳から聞こえる流血音の中に、骨が動いている音が乗っている。ゆっくりと、筋肉と血を使って骨をあるべき場所へと直していく。
細かすぎる破片は、血管を傷つけないように胃へと移してしまう。
「連鎖、返骨、再構築……対象『神経』」
血に『回線』を開くのは二重意識を使えばいいが、俺には三重意識はないので言語だけで骨を操ることになってしまう。二口詠唱があれば両方とも言語のみで操れるが、俺はまだそれほど高位の魔術使いじゃない。
それに、俺は魔法使いだ。魔術はそれなりにさえ使えればいいのだ。
尤も、師匠からお前に教える魔術はもうないといわれた身だ。
「固定、調整、固定……接続」
骨を血で固定して、骨を内側から接骨していく。治癒という過程を排除して、元の骨を再構築していく。
骨に働きかけ、最高速度で再生を進行していく。その間呼吸を止め、筋肉を固定し血で補強する。
それほど時間が掛からないだろうが、このまま固定しておく必要がある。
「再填、固定……現状維持、魔術式、停止」
「凄い。魔術使いは自分の体も治せるのか」
「ん、ああ。自分の体ならな。まぁ、イメージだけで手術してるみたいなもんだ」
骨はこのままにしておけば繋がるだろう。血を一時的に凝固させて補強してあるし、多少は動いても大丈夫だ。
血で探ってみたが、どうやら内臓には怪我がないようで安心した。
脇腹の傷は深く抉れているが、傷つけたのは筋肉だけで中を貫通することは無かった。
情けない話だ。
俺は死に掛けでもなんでもなく、ただショックで気を失っていただけという結論に達した。
脇腹の傷は確かに酷いが、肋骨だって臓器に突き刺さることはなかった。この状況から察するに、その結論が一番順当だ。
露になった上半身はとっくに冷えて、背筋に氷が当てられているように冷たい。暖房もつけたばかりで、万全とはいえない。
「リア、居間に行って救急箱とってきてくれ」
「分かった」
「箪笥の上の白い箱だ」
「うん」
俺は自分の体を触診しながら、居間へ駆けていくリアを見送る。
不思議なことに、リアはこれでもかというほどに人間らしかった。体、動作、仕草、それらは人間そのもので、まともな服を着れば現代でもちゃんと生きていけるだろう。
それに、リア自体はそれほど特異な存在ではなかった。
とんでもなく馬鹿力だが、自身で調節はできているみたいだし、魔力も一般人と大差がない。
こちらの世界で魔力を消費し続けていたせいもあるが、リアという存在はそれほど魔力を必要としていない。
見ている限り、リアが魔力を必要とするのは存在するためと、剣を出すためだけのように見える。
そう、リアはどうも剣に縁のある存在のようだ。
リアは剣を自在に扱える存在。恐らく、英霊や神ではなく、剣の精霊か何かなのだろう。
それにしてはリアという存在は異常すぎた。英霊は勿論、神は時にして人の姿で描かれている。だが、精霊は形をもたない。もっていたとしても不定形がほとんどだ。
先程から手を休め、俺はリアへと『回線』を開いく。だが、どこを探しても出てくるのは剣の情報ばっかりだ。
リアの世界には、剣しか存在していなかった。
リアは自在に剣を取り出せるといっていたが、それには魔力が必要なようだ。だが今はもうヒュドラを倒したし、使う必要もないだろう。
俺もリアも消耗しているし、今日はもう遅いから寝支度でもしようと背を伸ばす。
「アキヤ、これでいいのか?」
「ああ、それだ」
リアには白い箱といったが、うちの救急箱はそれ自体が既に重症で、所々絆創膏やバンテージで補強されている。
誰かさんが取り出そうとするたびに落とすせいだ。
リアは落とすこともなく、パタパタと駆けながら目の前に腰を下ろした。
救急箱を広げ、中の消毒液を取り出す。使用期限を確かめる。大丈夫なのを知ると包帯とガーゼも用意し、脱脂綿に消毒液に浸す。
「あぅ〜、っと。こんなもんでいいかな」
「アキヤ」
「なんだ」
「あのヒュドラ、どうする」
「どうするもなにも、幻想はこちらでの生を終えたら『原初の世界』に還るだけだろう。仮初でも生き物だし、ああいった幻想の認識は、そのままあの世界へ留まるだけだろ」
「ヒュドラは、まだ死んでない」
「はい?」
手を止めて、横にかけるリアを見る。
「えー、リアさん、それは一体どういうことでしょうか」
「私には、あのヒュドラは殺せない。私はヒュドラを肯定する存在じゃない、それにアキヤの知識を引っ張るのも限界がある」
時に、リアの言い回しには分かりづらいものがある。
俺には理解しきれないのではないかと不安なときもある。
だが、リアは俺が理解してくれると信じてくれているのだろう、その言葉は自信に満ちている。
「殺す手段が分からないっていうのか。そうだな、あれは力押しで勝てる相手じゃないしな」
「そうなのか」
「不死身だからな、ヒュドラは」
失念していたと後悔する。
ヒュドラは殺すことができない。九つの首のうち、一つが死ぬことのない不死身。
その頭が存在する限り、ヒュドラは殺そうとしても殺しきれない。
リアは確かに強いだろう。ヒュドラにも負けない。しかし、ヒュドラに勝つことはできるが殺すことはできないだろう。
明日は休みで、寺に行く人はいない。被害はない。ヒュドラがいることで、被害になるようなことはない。
ないけれど、それはあまりに無責任だ。
「リア……まだ、戦えるか?」
俺は嫌だ。あんな化け物と対峙したくない。
だけどヒュドラを呼び寄せたのは俺だ。俺の不始末だ。
そして、俺はその力を押さえ込む術を持っている。リアという、最強の幻想を。
「私は、そのためにアキヤに応じた」
その言葉心強くて、俺は腰を持ち上げる。恐怖は無い。
リアがいるのだと思うと、何故だか安心した気持ちになる。まだ出会ったばかりだというのに、俺はリアのことを信用しきっている。
何故だかは分からない。ほぼ直感的に、俺はリアを信用するに足る人物だと理解していた。
「今すぐあいつを倒しに行くぞ」
「分かった」
俺は上着を手繰り寄せ、冷えた肌を隠すように一息で着る。そして、立ち上がると、リアを見た。
その表情には不安も、恐れもない。ただ、俺に優しく微笑みかけていた。
そのうちにリアは何かを思い出したのか、寝室の方へと駆けていった。気にしながらも、俺は出かける準備を進めていく。
「アキヤ、これ」
戻ってきたリアが持っていたのは、あの西洋剣だった。差し出された剣を受け取り、リアを見る。
冷えた鋼に手を裂かれながら、どう持っていいのか分からず、抱えるように持つ。
滑稽だなと自分で笑いながら、どうしたらいいか考える。
「これは?」
「アキヤ、怪我が多そうだから。お守り」
護身用というわけだろう。確かに、俺も剣を持っているいないでは違いが出るだろう。
しかし。
「これは、真剣だし、捕まるな」
職務質問されたらアウトだ。まずリアの格好からして、少し妖しい。
それで剣なんて持っていたら、目的地に着く前に警官に職務質問されて、捕まってしまうだろう。
少々しんどいが、四の五の言っていられないだろう。俺は手に持った剣に語りかけるように、『回線』を開く。
「解脱」
二番目の意識を剣に乗せる。そうすると、その剣の全てを理解できる。
材質、形状、色彩までを完全に把握する。
「干渉」
それを魔術式に換算する。メモを取るのでは意味がないので、できるだけ克明に、脳味噌に焼き付ける。
師匠は、未熟な魔術使いほど魔術式を体に焼き付けたりするが、あれは間違いだといっていた。『魔術を使うなら、それくらいは覚えて見せろ』と、よく俺に嘯いていた。
俺は魔術も魔法もいまいちだが、訓練のお陰で記憶力はいい。
それにこの魔術式は、簡単なものだ。量は多いが、複雑なとこは少ない。慣れてしまった俺には、物足りないくらいだ。
「適格、設定、完了、消去」
ふと、手に持った重さが消える。見てみると剣は形もなく、そこには俺の手があるだけだった。
「……あれ? 剣は?」
リアは不思議そうにしているが、俺にはタネが分かっているぶん滑稽に見えてしまう。
要は、剣を『剣を構成する魔術式』に変換し、魔術式を解析し終えたら分解しただけだ。魔術式を覚えるのは楽だが、物質を分解するのはかなりの手間だ。分解したぶん、魔力は自分へ還元しないといけない。還元しなければ、出すときに自分の魔力を使わなければならなくなる。
出すときは簡単、材料を代替し、鍛冶を代替し、経験を代替し、元の形を作らせる。
魔術の基礎を応用しただけだが、この世に起こることなら魔術で作れる。そうでなくても、剣であるならリアの知識を借りてそこから作れるだろう。
「どこ?」
「ここ」
俺は自分の頭を叩く。そう、この脳味噌に魔術式を叩き込んだ。
俺の特技の一つでもある、物の収納。中々他人には真似できない芸当だ。
「出せるのか?」
「余裕」
俺は剣を取り出してみせる。だが、それは俺の手の中で形にならなかった。
「ん?」
剣には、一つだけ高度な部分があった。恐らくそれが魔術式で、魔術に縁があるのだと想像させる。
ただの名剣ではないようだが、種さえわかれば代替するのは簡単だ。
「ほら、この通りだ」
瞬間的に、何の脈絡もなく剣が手の中に現れる。
「凄い。アキヤは、魔術師じゃなくて魔術使いなのか」
リアは本当に目を丸くして、尊敬のまなざしで俺を見ている。
「頼りになるだろ」
「未熟だけど、その分は私が補う」
「手厳しいな。だけど、そっちのほうが助かる、頼むぞ」
「ああ、私も、アキヤのために頑張る」
互いに微笑んで、俺たちは歩き出した。
まだ会って間もないのに、ここまで信用しあえるというのはおかしいなと感じた。だが、そんな疑問もすぐに理解できた。
俺たちは、二人揃ってお人よしだった。
―◆―
幻想を倒すということは容易い。
幻想とは人々の想像が形をもったもの。幻想が形をもつには多くの人に想像されてなければいけない。
多くの人が知る、有名すぎるということだ。神話などを紐解けば、その天敵、弱点を知ることなど簡単だ。
それは有名であればあるほど、強ければ強いほど容易い。
ヒュドラの特徴は、大きく分けて二つだ。
一つは毒。ヒュドラが吐く息には猛毒が含まれており、それは血液にも同じ。顕現してから時間が経っているためか、ヒュドラの周りは毒の吹き溜まりとなり始めている。
俺があの時死ななかったのは、まだ顕現して時間が浅かったせい。
土が腐り始め、腐蝕を開始する。恐らく、後数時間も経てば小さな沼地ができ上がるだろう。ヒュドラは沼地に巣食う水蛇であり毒蛇、その毒は大地を腐らせ沼を作ることもできるのだろう。
そしてもう一つ、これが尤も厄介だ。
『不死の一』《アンデッドワン》
ヒュドラは、大英雄ヘラクレスですら殺すことのできなかった化け物だ。その理由は不死性にある。
ヒュドラの九つの首はそのうち一つだけが不死であり、いかなる行為を以ってしても殺すことが出来ない。それは、蛇のシンボルである無限を象徴しているかのように。
『不死の一』の効果か、ヒュドラには切られた首を二つにして再生するという能力もある。
あの時、リアが圧し折った首が四つ。そして切り落とした首が四つ。串刺しにした首が一つ。
そして、俺達の目の前に居るのは、十七本の首を侍らす大蛇。どうやら、伝承とは少し歪んでいるらしく。『死んだ首』を倍の数にして増やすという能力のようだった。
十六頭の大蛇は、腐りかけの大地に身を沈めながら落ち着いている。鱗を土に擦り付けながら、幾重にも絡まりあっている。
そのさまは異様と表現するしかなかった。ぬかるんだ大地からは十六の巨木が、まるで絡まりながら天を目指すように生えている。胴体は半分埋まり、ヒュドラが何処から出てくるのか全く分からない。
その中で一つ、呻いている蛇が一頭。脳天から顎までを剣によって串刺しにされ、鳴こうにも鳴けない大蛇。
幾度も首を上げようとしているが、中々持ち上がらない。
分かりやすくいて良い。あの剣が突き刺さったヒュドラが『不死の一』だ。
あのヒュドラが最後にリアを襲った理由が分かった。あのヒュドラは、リアの最初の剣撃で既に死んでいたのだろう。それが二撃目が終わった後に再生し、リアを襲った。
このヒュドラの再生速度は、リアの攻撃に対抗できるほどに速い。
だが、お陰でリアは『不死の一』を無意識的に選別し、動きを封じることができた。
このアドバンテージは大きい。それに、『不死の一』は死ぬことがないから増えないし、他の『不死の眷属』であるヒュドラの再生スピードもたいしたものではないようだ。
「どうするか」
俺は考えた。相手は大英雄でも殺しきることができなかった大蛇。
ヘラクレスは甥のイオラオスに手伝わせ、切り落としたヒュドラの首を松明で焼かせて再生を防いだ。そして最後の『不死の一』を岩の下敷きにして、ヒュドラを退治した。
だが、それは今状況で現実的とは言えない。今、火など手元にないし、第一首を切り落とすことも難しいだろう。
リアなら、あのヒュドラ全てを串刺しにできるだろうか?
いや、それも現実的ではない。今やヒュドラの数は十七、動けない『不死の一』を除いても十六。リアは確かに速く力強いが、先程の倍ほどの数を相手にしなければいけないのだ。
「あれを、倒すのか?」
リアが不意に聞いてきた。それは不安そうな素振りではなく、確認のためといったところだ。
命令があるまで動くつもりはないのか、その手には剣が無い。
「リア、お前剣持ってるよな? 後、何本残ってる?」
「数という概念は意味を成さない。魔力さえあれば、どんな剣をどれだけでも出せる」
「じゃあ、剣を投げてあいつらを串刺しにできるか?」
「無理」
リアの答えは分かりやすかった。
「もう、剣は出せない」
「は?」
「さっきだした剣で魔力が無くなった。それに、契約まで無理矢理残っていたから」
そうだ。リアは俺が契約するかどうかの意思を確認するまで、この世界に留まってくれていたのだ。
それがリアにとってどれほどのことかは分からないが、俺はそれに感謝するべきだろう。
「でも、私の体の一部を潰せばまだ大丈夫。左腕一本で、大体二振りは出せる」
「それは止めとくか」
それで俺が剣を投げても、あのヒュドラにすら届かないだろう。第一、剣二本で十六の首を串刺しにするのは難しい。
「あれを倒すために、剣が必要なの?」
「ああ、素手で倒せるようには見えないしな」
「分かった。取ってくる」
リアは一歩踏み出した。
ここが境界線だったのだろうか。リアが一歩踏み越えると、ヒュドラは一斉にこちらを向いた。
三十四に増えた瞳は、一身にリアに注がれている。それに臆することなく、リアは軽い足取りで進んでいく。
リアが何をしたいのかが、俺には理解できなかった。八岐大蛇ではあるまいに、その腹に剣が眠っているわけではないのだ。
それに、もう少し進めばヒュドラの毒が溜まる腐土に足を踏み入れることになる。
ヒュドラの毒は、ヘラクレスに死を覚悟させた猛毒だ。神話の中で幾多の生き物を仕留めた毒が、人にどのような影響を及ぼすのか、想像するのは簡単だ。
一瞬、リアが毒にやられて、ヒュドラに食いちぎられる様を想像してしまった。だが、それは想像だけでは終わらない気がして、不安で仕方がなかった。
「おい! リア、帰って来い。ヒュドラの毒は吸うと死ぬぞ」
「私には毒なんて効かない。すぐ戻る」
リアが駆ける。その素早さは四足の獣のようにしなやかで、追いつくことなどできなかった。
ぬかるんだ大地を跳ね上げながら、地上を閃光のように駆けていく。
黒い外套を闇に靡かせながら、リアは走った。待ち構えていた十六の頭は、リアが射程に入ると同時に迫ってきていた。
それは何者も逃さないだろう。幾ら速くても、壁を越えることはできないように。
最早壁画と思えるような、眼前を埋め尽くすヒュドラに、入り込む隙などなかった。絶対に包囲せんと、十六の水蛇が唸りを上げる。
でも、例えそれが壁であろうと、十七の頭を持つヒュドラであろうと、その神獣じみた動きを止めることはできない。
足場の悪さなど、リアの足枷にすらなりはしない。一陣の風は、ヒュドラが風に迫る前には、既に駆け抜けていた。
蛇は振り返ることしかできない。その思い巨体を引きずって追うことは、ヒュドラには適わない。
リアは手を伸ばす。その先には、剣で串刺しにされた『不死の一』。剣を抜いたなら、そのヒュドラはすぐさまリアを襲うだろう。
後方から迫り来るヒュドラと、前から迫る『不死の一』。そうなれば神速に迫ろうというリアでも、捌ききるのは難しい。
リアは、見当違いのところへ手を伸ばしていた。何も無いぬかるんだ地面に手を伸ばし、『不死の一』に足を払われた。
「あ」
一瞬だった。動けないはずだった『不死の一』は、リアへと迫りかけ、途中で力尽きたのか足を払う形になった。
抜けた声を上げながら、倒れこむリア。
そこに、十六の杭が打ち付けられる。
「リアーッ!」
無意識的に叫んでいた。それがリアを心配するものなのか、注意を呼びかけるものなのか。叫んだ自分ですら分からない。
泥が跳ね、鱗に絡みつく。まるでそこからヒュドラが生えているのかのように、十六の頭はリアを基点として牙を突き立てていた。
リアはぬかるみの中に沈んでしまったのか、それともヒュドラの中に納まってしまったのか。ヒュドラは、我先にと泥の中にその頭を埋めていた。
大きすぎる蛇頭は群れからあぶれると、また勢いをつけて群れへと戻っていく。それは何度も何度も槍が打ち付けられるように見えて、不愉快で仕方が無かった。
リアのその肉を我先にと、飲み込もうとしているしている。そう思うと、無性にあいつらを殺してやりたくて、仕方が無かった。
光速で脳味噌を回す。魔術式を選び、俺は行為を代替する。途中、代替できない場所があるのに気が付き、魔術式だということを思い出しながら代替する。
完成した。
手の中には一本の剣、それはリアに渡された剣だ。
「顕現」
迷わず鞘を抜くと、そこに流れる光が頼もしい。鞘を右手に、剣を左手に携えて、俺は駆け出した。
あいつらを殺してやると、殺意だけを込めて剣を握り駆け出す。
しかし、近づくごとに――ギギギギギギ――と、何かが擦れる音が聞こえた。不審に思って足を止めると、それが見えた。
近づいてみると、リアがいた大地が窪んでいるのが分かる。恐らく、多くのヒュドラが突っ込んだせいだろう。そこから音が聞こえ、その姿が見えた。
大きい無骨な鉄板、それに刃を付けただけの鋼の塊。それを盾にして、ヒュドラを支えているリアの姿があった。ギチギチギチ――と、鋼と牙が擦れる音が静かに響く。
ぬかるんだ大地に足を突きたて、両腕で剣を支える。ヒュドラが真正面でのみ向かってくるため、力でのみ対抗すればいい。
「ハァアアアッ!」
たった一振りの剣で十六頭のヒュドラを支えている。その姿は、リアが幻想なのだと再認させられる。
拮抗していた力が崩れ、一方が押し返される。押しているのはヒュドラではなく、たった一人の小さな少女だった。
リアは腕が伸びきるまでヒュドラを押し返すと、勢いをつけてヒュドラを弾き返した。
ヒュドラの重い巨体が、一瞬だけだが宙に浮いていた。地響きを鳴らし、再度ぬかるみへと沈んでいく。
目を凝らしてリアの姿を探す。ヒュドラが巻き上げる泥の中で、リアは姿を見せた。
暴風雨のように、リアは剣を振るっていた。
「ハァッ――!」
変な表現だと思って構わないが、それはもぐら叩きに似ていた。
ヒュドラがリアに迫る度に、リアは剣閃すら感じさせない速度で剣を振るう。だがその剣戟は、速度のみを重視したもので重さが無かった。
ただ跳ね返すだけの剣は、致命傷にならない。鋼の擦れる匂いを嗅ぎながら、リアは盛大に剣を打ち鳴らす。
斬り上げ、斬り下げ、横に薙ぎ、天を斬り払う。リアはその一連の動作を、とんでもない速度で連発していた。それは流れるような動作ではない、流れたことすら分からない、映画のコマが抜け落ちたようなものだ。
斬り上げたのが見えたら、次には斬り下げていた。薙いだと思ったら、斬り上げていた。本当に漫画の一コマだ。振り切った姿のみが映され、振るう動作など見えはしない。
ヒュドラはそれほど斬りつけられているのに、動じた様子はない。そもそも、ヒュドラが迫る速度は、身構えさえすればかわせるものだった。
ただ、その数が十六。息する間も置かず迫るため、その速度は普通の人間では対処すらできないものだった。
拮抗してはいるが、リアの一撃は軽く、ヒュドラの固い鱗に阻まれ、肉を切り裂くことはできない。
打開策はないか。
助けにいったとしても、俺では飲み殺されるだけだ。次々と迫り来るヒュドラを弾き返すなんてことができるのは、目の前に居る剣士くらいだ。
剣を握ることはできても、俺にはその剣を振るうことはできない。
「――ッ!」
頭の中に、何かが浮かんだ。形は剣、幅広の剣。それが唐突に頭の中に浮かんできた。
頭の中に写真が入っているようなものではなく、目の前にその剣があるようにはっきりと見えている。細部まではっきりと、その形が浮かぶ。
そして今、その剣が必要な気がする。
そして俺は、リアの中にその剣があることを理解していた。
リアは魔力がないから剣を出せないといった。ならば、俺が送ってやればいい。
『回線』を開いて、リアへと俺の魔力を送る。今までも魔力は送っていたが、それはリアが存在できる最低水準のものだ。
今の状態でヒュドラと拮抗できているなら、もっと力を分け与えればいい。
「リア! 火だ! ヒュドラを焼き殺せ!」
俺には、ヘラクレスを助けたイオラオスのような真似はできない。だが、指示を出すことぐらいはできる。
ヒュドラは焼き殺してさえしまえば、『不死の一』しか生き残れない。幻想とは人々の思想の中に生きるもの。
弱点など、人間が知っている。
「これなら……ッ!」
一段と剣に力が篭っていく。力を溜める真似はせず、リアは一気に振り切った。
それこそ、ヒュドラの胴体は大砲でも食らったかのように吹き飛ばされる。それでもヒュドラの鱗は貫通できず、圧し折られながら吹き飛ぶ。
迫ろうとしていた十六の首は根元から浮き上がり、泥を跳ね上げながら大地を揺らす。横倒しになりそうなのを堪え、再度その首がリアへと向く。
「焼け失せろ!」
そこに待っていたのは、嵐となった炎。熱の渦、その中心点にいるのはリアだ。手に握る剣は今までの剣とは何かが違う、まるで炎で作られているような、そういった不自然さがあった。
リアを中心として、炎が円を描くように舞い踊る。大地を焼き、空気すらも焼き焦がす劫火は荒れ狂い、今にも爆発して全て焼却してしまいそうだ。
煌々と光るオレンジの渦に、見惚れるしかなかった。
リアは炎に映える剣を下げ。一歩踏み込み。その腕を最上段まで振り上げる。
炎を巻き込みながら、その剣はヒュドラへと襲い掛かる。炎が煌く音のみが耳に残り、視覚は明るい赤に侵される。
リアが剣を振ると同時に、爆炎はまるで生きているかのようにヒュドラへと迫る。
劫火は二つの影を包み、俺にそれを見ることを許さない。
爆発する炎をよける必要はなかった。炎は煙すら焼き蒸発させ、広がることなく天へと昇る。
焼けるものを全て焼き尽くすと、炎はすぐさま消え失せる。まるで、ヒュドラのみを殺しつくための炎のように。
炎から生まれた姿は、完膚な様のリアだ。ヒュドラは分からないが、リアはしっかりと生きている。
「殺しつくせない? まだこの世界になじみきれてない?」
確かに、確認せずとも今の炎で『不死の眷属』は倒せただろう。だが『不死の一』は殺せない。
『不死の一』を殺すには、死という現象を与えるか、その存在を消去するしかない。
その再生速度は、まるで攻撃を受けていないようなものだ。復活した瞬間、リアに襲い掛かるだろう。
『不死の一』は深追いせずに、リアを下がらせるべきだ。そう思ったとき、薄っすら上る煙の中で、太く煤けた縄が鎌首を持ち上げるのが見えた。
そこに刺さっていた剣はない。炎の中で焼け落ちたのだ。
不死身の化け物が、枷を払った。容赦なく、リアに牙を突き立てんと走る。
「リアッ! 下がれ!」
瞬と、黒い光が奔る。唸りと旋風を巻き上げて、空気を穿ちながら突き進んでいく。
一瞬、それは毒の溜まる大気を突き抜け、ヒュドラを貫いていた。
光はヒュドラの鱗を易々と通り抜け、木の幹に突き刺さった。幹に突き立った黒い光は、穿孔の余韻に揺れながらその姿を見せる。
黒い線。
それが木の幹に突き刺さっていた。距離があるのでよく分からないが、それはどうも棒のようだった。
「死んだか」
光が飛んできたほうから、一人の男が姿を見せた。
まるで何気なくこの寺にやってきたような、そんな軽い足取りでヒュドラへ向かっていく。
あの程度の攻撃で、『不死の一』が死ぬわけが無い。そんな無防備にヒュドラへ近づいたら、殺されるだけだろう。
唸り声を上げるヒュドラを見ようとして、在り得ないものを見た。在り得ていたものが、無かった。
「うそ、だろ」
そこには、何も無かった。ヒュドラに汚されていた空気も、ヒュドラに侵されていた大地も、ヒュドラ自体も、そこには存在していなかった。
ヒュドラは、完全にこの世界から消失していた。
先程の、あの光だけでヒュドラを倒すなんて不可能だ。あのヒュドラという化け物は、『不死身』という幻想だ。殺すことのできない存在なのだ。
その様は死んだという言葉すら生温い。
『不死身』だろうがなんだろうが関係ない。まるで存在を否定されたかのように、この世から拒絶されたように姿を消していた。
断末魔も、足掻きも残さずこの世から消えている。それが何故なのか。どのようなことが原因でヒュドラが消えたのか。
その神隠し的な異常を、俺は理解することすらできない。
「ヒュドラが消えた?」
いつの間にか、男は黒い棒が突き刺さった木の前へ立っていた。男はその棒を握り締めると、ゆっくりと引き抜いた。
棒が全身を見せる。それは先に両刃の剣がついているよな、大きな槍だった。
それを小脇に抱え、男は俺へと向いた。
「消えたのではない。否定されたんだよ魔術師」
俺へと向けられた言葉に、リアが間に入る。恐らく、この男から敵意を感じ取ったのだろう。
いつの間にか現れた新しい剣を構え、男と俺の間に壁を作る。
その姿を見て、男は眉を顰める。リアを汚いもののように見下げ、明らかに嫌悪している。
男の顔立ち、身嗜みは凡庸というか、ありふれたものを組み合わせたものだった。
灰色を基調としたスーツに身を包み、白い手袋をしている。顔立ちは外国人だが、どこの国かは判別できない。
それに話す日本語も流暢で、まるで日本で生まれたかのような違和感があった。そう感じたのは、若さのせいもあるだろう。二十歳を過ぎて数年か、その辺りだろう。
長めの黒髪を肩口まで垂らし、髪の毛の隙間からのぞく瞳は狩猟者のそれだ。さながら、その手の中にある黒い槍は猟銃といったところだろうか。
物腰は紳士とも、野蛮ともいえない。どちらかといえば、人間を演じる機械のようだ。
その体躯には力強さもなければ勇ましさもない。ただあるとするなら、ぎらついた殺意だけだ。
「どうやら、この地脈に無理矢理寄生していたようだが……幾ら強力でも、私には勝てないのだがね」
「貴方は?」
「私は異端審問者にして神罰の代行者。この地上から、神以外の幻想を否定するものだ」
パクリって言われると、モチベーション下がりますよねぇ。元はあるけれど、それを自分なりにアレンジしたものを、……全く別のもののパクリだといわれるのは更に萎えますよね。
Unrimited Blade W○rksってなんだよ。俺はガキのときに読んだハーメ○ンのバイオリン弾きのギー○みたいに色んな剣を使わせたいだけなのにー!
言っておきますが、ハーメ○ンの影響は受けましたが、Fat○とかいうのの影響は受けてません。月○はやりましたけど。あと、ヘルシ○グは偉大です。