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ATMOSPHERE  作者: ANOIA
1/5

第一幕:冒頭



 激しく金が鳴らされる。


 高く鳴る剣戟。

 鉄と鉄が混じりあい、弾ける。

 重厚な鉄の匂い、鋼さえ蕩け出しそうなほどの熱気に噎せる。凍て付き静まるこの空間の中で、鋼が重なるたびに世界を震わせていた。


「――ッハァ」


 剣士は一息つくと、また一歩踏み込む。

 その速度たるや正に光の如く。その踏み込みと同時に滑るように体が動き、確実に間合いをつめる。

 だが神風を伴う踏み込みは、死の凶風によって阻まれた。


「クッ!」


 それは死を齎す、槍の薙ぎ払い。

 豪腕と技術と、そして経験に裏打ちされたそれは、人を殺すことしかできない。

 重厚な鎧ごと中身を消し飛ばす、殺戮ともいえる一撃だ。

 剣士は抗うことなく、剣で槍の軌道をずらす。その開いた隙間に身を滑り込ませ、さらに一歩踏み込んだ。

 下手に剣を構え、瞬間に剣を振り切れるように構える。一呼吸もおかず死の攻撃を冷静に捌く様には、隙などなかった。

 軌道は首だ。下から振り切り首を切り落とす、それは剣士の膂力を持ってすれば簡単なことだ。

 しかし、それは槍使いも同じだった。

 槍使いは捌かれた軌道を返し、叩き下ろす様な形になる。

 互いに必殺の間合いだった。殺されるか、殺すか。

 だがそれは一瞬一瞬同じこと。その互いの一撃は一つ一つ、洗練され実践の中で磨かれた業。

 その業は最早、神技の域だ。

 剣士はその剣で神速の一閃を

 槍使いはその槍で光速の一閃を

 互いに放ち合う。

 響かせる音色。その音は重く、まるで乱流のように辺りへ舞い上がる。

 剣と槍は吸い込まれるように重なり、刃と柄は互いを弾き飛ばし、跳ねる。

 火花が見えそうなほどの剣戟に、刃の擦れる振動が増す。高く鳴く疾風と低く唸る旋風は互いに食らいあい、荒れ狂う嵐となる。

 その動作の一つ一つが楽器にして役者だ。人ならざる神業の演奏は、完成された演劇を披露しているようだ。

 最上の戦い。

 それを再現できる者はこの二人しかおらず、そして成しえる者もこの二人だけだ。

 二人は弾け飛ぶ自分の武器に逆らうこともなく、互いに大きく一歩引いた。

 剣士は踊るように身を翻し、槍使いは体勢を低くし距離を置く。

 その時ですら油断はなく、慎重に呼吸をする。

 それは、単に相手の射程を知っているからの行為だった。

 剣士は槍使いの投擲の正確さを恐れ、槍使いは剣士の踏み込みの速度を恐れる。

 その距離ですら、二人の必殺の一撃の間合いだった。故に呼吸すら最小限、苦しくない程度に整えるだけでそれ以上はない。


「ふん、最強が聞いて呆れる。所詮この程度とはな」


 槍使いは槍を下ろし構えを取りながら、その言葉を口にした。

 本来ならば言葉を口にする余裕すらないだろう。

 口にする暇もなく、剣士は襲い掛かってくる。だが、剣士はその言葉を聴いていた。聴き、そして次の言葉を待つ。

 鋼鉄のヘルムに覆われた面に表情はなく、晒された口元にも感情は見えない。

 獲物が動くのを待つを待つように、構えから微動だにしない様は彫像。

 急所のみを庇う簡素な鎧を、黒地と白地のローブの上に纏う姿は剣士としては小柄で、まるで少女だった。

 黒と白の二枚のローブは風に靡き踊り、ヘルムの隙間から出る金糸は梳いたように綺麗に流れる。

 柔らかな金髪の色は薄く、金糸というよりも白金糸。その姿は真に幻想的。その姿で戦う姿はドレスで踊るように優雅で、それでいて雄々しく猛々しさも孕んでいた。

 美しき野獣という言葉は、その剣士そのものだ。


「実に滑稽だ。最強と呼ばれていたものが、一介の剣士にすら勝てぬとあらば……自分に呆れもする」


 一方、槍使いの方は簡素だった。

 レザースーツに赤い外套。その槍使いのためだけに誂え取り揃えたように、それは似合いすぎていた。

 風が踊るたびに外套の裾が跳ね、槍使いの姿を隠す。


 端正な顔立ち、どちらかといえば剛というより華、華奢な顔立ちだ。けれども雄々しさは持ち合わせており、宛らに王子とでもいうような威厳もあった。

 その御姿こそ、英雄のそれだ。

 威風堂々と、槍を携えた戦の英雄だ。

 黒金の神器。神の所業により形を持った、槍の模した奇跡を携えている。長さは二メートルほどだろうか、槍使いの長身を考えればもっと長いようにも感じる。

 名は無い。その槍は無銘にしてどのような名槍も及ばぬ業物だ。全身を黒に彩られ、刃さえ光ることはなく黒く光を吸い込む。穂先は長く、両刃の剣を思い起こさせるほど凶悪な品物だった。

 槍使いは構え直す最中すら隙を見せず、その雄姿を見せる。

 槍を突きのために構え直し、正面から剣士に向かう。


「……ぁあ、う。ぐぅ」


 剣士は、言葉を喋らなかった。言葉すら剣士は知らなかった。

 故に、それに出来ることは剣を携え目の前に居るものを倒すこと。いうならばそれは剣士などではなく、剣を扱うただの野獣。

 両の手に握る剣は名剣ではない。先ほどの剣戟により刃は捲れささくれ立ち、最早切ることすらできないような代物だった。

 それでも、剣士は剣を握る。

 まるで、それが剣士に与えられた唯一のもののように。

 喋れない剣士ががよほど意外だったのか、槍使いは目を丸くする。それを終えると楽しげに唇を緩ませ、目つきを鋭くする。

 己が得物で語るが早いと、自らの手にある槍を握りなおす。


「ァアアッ!」


「オレの言葉が分からぬか、ガキが!」


 言葉にならぬ野獣の咆哮に、槍使いは楽しそうに唇を歪め、跳ね飛んでくる剣士を見極める。

 飛んでくる矢を見極め突き落とすような、そんな精密な作業。

 それが矢であったならば、光速であろうが神速であろうが叩き落せたであろう。

 しかし、光速で疾走はしるのは白金と黒を纏った剣士。

 それがどのような呪いをかけられた矢よりも制しがたいものだと、槍使いは理解していた。

 理解することなら誰でもできた。ただ、次の瞬間には殺されているだけなのだから。

 地面を這うよう。宛らに影が迫りくる様に速く、跡を残す間すら与えない。剣士は白に光る髪をはためかせながら駆けていく。


「この時が、互いに最後の在り処だ!」


 槍使いに肉薄した剣士に、槍使いの迎撃が奔る。

 槍という長柄を利用した『突き』だ。

 風すら巻き込み真空を駆け抜け、肉を貫き骨を割る神速の突き。剣士にとって、それは如何なるものよりも速いものだった。

 自身の最速の踏み込みと、敵の最速の槍を合わせたそれは人の知らぬ速度だ。

 見えはしていた。しかしそれをかわす術など皆無、当たらぬことは存在し得ない。

 その突き、当たれば即死になろう。

 運良くかすったとしても、槍使いは怯んだ隙を狙い剣士を攻める。

 戦闘で傷を負うということは、戦力を失うこと。同等だった剣士と槍使いに、圧倒的なまでの落差が生じる。

 それはつまり、敗北するということ。その突きが剣士に当たった瞬間、どのようなことになっても剣士の負けということだ。

 逃れようのない、煌く様な穿孔が駆ける。

 そこで、剣士はさらに踏み込んだ。死を厭わず、恐れず、捻じ伏せて進む。

 神速の突きに負けぬほどの速さ、地面が割れるほど強くを蹴り上げ、剣士はその僅かな距離を加速する。

 肉と、鋼が削れる音。

 死の穿孔は、剣士の右目を刳り貫いていく。鉄のヘルムを切り裂き、肉を朱に染め中へと進んでいく。

 剣士は首を回し、奥に達する前に槍を受け流した。


「――ッ!」


 朱を帯びた黒槍は止まらず、脱げたヘルムを追い討ちするようを切り裂く。

 血を噴出しながら、剣士は更に踏み込む。

 槍使いは咄嗟に、身を反転させながら後退し、突き出した以上の速度で槍を戻す。焦りによる焦燥と、動揺による強迫観念故の行動だった。

 ただ、槍の内側に居る剣士がそれを許すはずなどない。

 槍使いは、槍を払うか槍を捨てるべきだった。いや、仮にそうしていたとしても全て無駄だったろう。

 跳ね上がる剣は自らの刃を散らしながら、黒き槍を叩き折らんと打ち付け、甲高い嬌声を上げながら槍は空へと踊った。


「……ァアッ!」


 一瞬すら遅いと感じる時間の中で、剣士は跳ね上げた剣を振り下ろす。

 全身の体重を乗せ、踏み込み加速した速度を併せ持つ様は神速などとうに超えている。

 即死などというのは侮辱だ。それは死を称えるための、全力を以ってなされる一撃。ゆっくり流れる光ですら、その疾風を映すことはできない。

 疾風というのすら生温い、それは打ち据える鉄の暴風。荒れ狂う風の中で銀閃が一線、赤を描く。


 旋風に舞う赤い血が、剣士の髪をぬらした。


 無音。只管に音はなく、暴風の余韻が辺りを支配する。揺らめき胎動する風の中で、何か倒れる。

 その上に、赤い雨が落ちる。

 右目を潰され、そこから血の涙を流す剣士。その容姿はあまりに幼く、少女という言葉を使っても良いほどだった。

 見下ろす瞳は血の色に赤く、まるで右目から流れ出る血さながらだ。

 何も喋らず、少女は倒れた槍使いを見下ろす。

 肩から脇腹までを一線、外套ごと切断された槍使いの姿がそこに在った。

 うつ伏せに倒れ、その死に顔を見ることはかなわない。

 ただ、槍使いは少しも動かない。当然、その体は既に死したものなのだから。

 見下ろす少女も動かず、それが動き出し槍を構えるのを待っている様子だった。

 それは叶わない。

 槍使いは絶命した。その事実を確認する気もないのか、それが動かないと分かると少女は踵を返す。

 朱に濡れた白金の髪を揺らし、背を向ける。その小さな背中は何も語ろうとはしない。

 少女は語らない。

 言葉を持たず、意思を持たず。

 ボロボロの剣だけを携えて、少女は歩く。一歩、一歩と、どこへいくのか一歩ごとに迷いながら。

 宛てはなく、たどり着く先もない。

 少女は剣そのもの。

 帰る先の鞘を無くし、ボロボロになって錆びていくだけ。最強を倒し、最強となった少女は、泣いているようにも見えた。

 白い陶磁器のような肌に流れる、赤い命。

 痛みはないのか、その表情は何も読み取らせてはくれない。

 少女は再度、剣を持ち直す。

 顔を上げると、木々の隙間から朝日が見えていた。回る曙光に身を晒しながら、少女は一歩ずつ歩く。

 歩いていくうちに、足元は砂金に包まれていた。

 足元から少女の形は崩れていき、ブーツも鎧も形を崩し金色の砂となる。砂金は辺りを風に乗り舞踏し、空中で朝日を乱反射させていた。

 紅玉の瞳も、白金の髪も、服も鎧も、その姿全てが夢へと帰っていく。

 砂金へと還り、その形を失っていく。

 全ては幻想。

 少女は手を伸ばす。そこには何もなく、消えゆく少女の手が在るだけだった。

 何かを求めるかのように、高く高く左手を伸ばす。朝日を掴むように、ゆっくりと何かを握り締めながら。

 初めて見た太陽というものをゆっくりと味わうように、少女の歩みは止まっていた。もう、少女には歩くための足がなかった。

 確りと握っていたはずの剣を落とし、少女は空にそれを求めた。それは幻想でしかない。

 その少女も、少女が持つ剣も、全ては幻。

 幻想、故に最強である少女。

 幻想であるが故に、現実では達成できない最強という地位を確立した存在。

 しかし少女は、地位でも力でも栄光でも権力でも富でもなく、ただ、別のものを求めた。

 それすら、幻想に過ぎないというのに。

 最強になった少女の姿はもう無い。後に残ったのは空に舞う光。差し込む光の中で小さな粒子は踊り、消えていく。

 そして、墓標のように突き刺さった剣が、少女の存在を知らせていた。


 高く咆哮を撃つ狼の声が、影を残していた。


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