第十五話 鹿光の社と、純白の男
一 神との契り
竪穴式住居の中央の炉で、火がぱちりと音を立てた。
アシカビは掌の上の五百円玉を、もう一度、光にかざした。天井の煙出しから差し込む朝光が、硬貨の銀面でちろりと返った。
その五百円玉は、この時代の技術で絶対に作れない。私はそう確信していた。
【現代ニッケル黄銅硬貨の金属学的特異性──五百円硬貨は銅・亜鉛・ニッケルの三元合金であり、特にニッケルの分離精錬は紀元前の冶金技術では不可能である。ニッケルは鉄と極めて類似した性質を持つため、古代の吹子と木炭による精錬では銑鉄と区別して取り出すことができなかった。ニッケルが独立した金属として認識されるのは一七五一年、スウェーデンの鉱物学者アクセル・クロンステットによってである。つまり三世紀の倭国のいかなる高度な冶金師に見せても、この硬貨の正体は永遠の謎として残る。それは「この世界の掟の外側から来たもの」としか説明できない】
炉越しに、アシカビの目をまっすぐに見返す。ユキヒコは私の横で、息を詰めて正座していた。
──どうだ。俺たちを神の使いと認めろ。
私は胸の内で、若き族長の判断を待った。
*
やがて、アシカビは五百円玉をそっと敷物の上に戻した。そしてこちらの顔を、改めて正面から見た。
「ふむ……これが神との契りの証、確かに受け取った」
私は小さく息を吐いた。第一関門を、どうにか越えた。
だがアシカビの両目は、まだ緩んでいなかった。
「して、タカシとやらよ。お主を遣わした神とは?」
*
問いが、炉の火の上を跨いで届いた。
私は反射的に、膝の上の拳を握った。アシカビの背後に控えているカヤ姫、その向こうでじっと黙っている若い妻、家人たち、さらにその後ろに座ったドグリとマグリ──全員の視線が、私の唇に集中していた。
この答え方を間違えれば、さっきの「契り」ごと、ご破算になる。
腹を括って、低く答えた。
「──鹿の神、鹿光様です」
*
──どよめき。
家人たちの肩が、すっと持ち上がった。アシカビの妻が、両手で口元を押さえた。炉の火が一度、大きくゆらいだ。
「やっぱり、そうやっちゃが!」
ドグリが、興奮を抑えきれないように言った。マグリも、力強く何度も頷いた。
なんだ、この反応は──。想定と違う。
"鹿の神"などと聞いたこともない、と一笑に付されるか、あるいは"ほう、鹿の神とは"と知らぬふりをされるか、そのどちらかを予想していた。なのに、家人たちは「ついに来た」とでも言うような、既知の到来を迎える反応を見せている。
*
アシカビは、むしろ、にこやかに頷いていた。
「なるほど。お主らの神は、鹿の神であったか」
「……!?」
あまりに自然すぎる受け取り方に、一瞬、言葉を失った。
アシカビは一拍置き、住居の入口の方へ、ちらりと目をやった。入口の垂布の向こうには、朝の澄んだ空が広がっていた。
「昨夜、山が天を突くように輝いた。──あれは、鹿の神のお出ましか?」
*
背筋が、ぞわりと粟立った。
昨夜、というのは──ユキヒコの身体に鹿光が降りた、あの時だ。立ち小便の最中、少年の全身から枝分かれする白光が噴き出し、両足が地面から浮き上がった、あの時。
私はあれを、自分と息子だけの出来事だと思っていた。夜の草原の、誰も見ていない場所での出来事、と。
だが、違ったのだ。
山が、光ったのだ。この村からも、見える距離で。アシカビたちは、その光を──明確に、見ていた。
*
「ねえ、お父さん、何のことを言ってるの?」
ユキヒコが、小声で父の袖を引いた。少年自身は、昨夜の鹿光の顕現を覚えていない。
「昨日、実は、鹿光が出たんだよ」
私が囁くと、ユキヒコは目を丸くした。
「えっ!」
脳裏に、昨夜の映像がフラッシュのように蘇った。月明かりの下で、ユキヒコの身体の輪郭から噴き出していた白光。鹿の角を思わせる、枝分かれした紋様。浮き上がった両足。そして、漆黒の眼窩の奥で金色に光っていた、あの目。
──昨夜の光。やはり夢じゃなかった。
いや、それ以前に──彼らは鹿光を、知っている?
*
姿勢を正し、改めて問うた。
「アシカビ殿、鹿光様をご存じなのですか?」
アシカビは、静かに笑った。
「俺が子供の頃から、何度も姿を現されてきた神じゃ」
アシカビの目が、遠くを見た。
「村では社に祀り、代々、拝んでおる」
*
声を失った。
──代々。
その一言の重みが、胸の底に、ずしりと落ちた。
鹿光とは、私とユキヒコにだけ関わる、突発的な超常現象ではなかった。少なくとも、このミタイ族にとっては、何世代にもわたって信仰されてきた、土着の神の一柱だった。
【山岳信仰と鹿の神──日本列島の古層信仰において、山の神は多様な姿で顕現する。白鹿、白狼、白猪、白蛇、そして人の姿を取ることもあった。特に鹿の神への信仰は弥生以前の縄文にまで遡り、縄文遺跡から出土する鹿角製の祭祀具や、鹿の頭骨を積んだ「骨塚」の存在がこれを裏付ける。九州山地の山岳信仰においても、鹿を神使とする社は各地に点在し、大分県の八幡朝見神社、熊本県の幣立神宮、宮崎県の荒立神社──いずれも山中の鹿との関わりを伝承に持つ。三世紀のヒムカの山の民が独自の鹿神を祀っていたとして、何の不思議もなかった。むしろ鹿の神は、この地域の最も根源的な信仰形態の一つだった】
*
アシカビは、おもむろに立ち上がった。
「ちょうど良い。今宵は、祭りだ」
広い竪穴式住居の中に、若き族長の声が、よく通った。
「そなたらを、鹿光の社へ、案内しよう」
カヤ姫が、ふっとユキヒコに微笑みかけた。
「ユキヒコ、一緒に行こう」
「う、うん」
ユキヒコは頬をうっすら赤く染めて、頷いた。
私は、やや遅れて立ち上がった。膝が少し強張っていた。
心中は、安堵ではなく、むしろ新たな緊張で満ちていた。俺たちの作り話の"神"が、この村で既に代々祀られている。これは一体、何を意味するのか。自分たちが嘘つきだと露見するか──それとも、逆に、予想外の後ろ盾を得ることになるのか。唇が、強張ったまま真一文字に結ばれた。
二 鹿光の社
その日の夕方。
空が赤々と染まり、村の西の山際にかかった雲が、橙色の縁を帯びた。篝火があちこちで焚かれ、その炎が、低い木立の奥にある一つの場所を、ちろちろと照らし出していた。
私とユキヒコは、カヤ姫に案内されるまま、その場所へ足を踏み入れた。
カヤ姫は、少し得意げに両手を広げた。
「ここが、我らの神の杜じゃ」
*
木立に囲まれた広い空間だった。
中央に、一本の巨大な御神木が立っていた。クスノキだろうか、幹回りは三人がかりでも抱えきれないほどで、幹の根元には注連縄に似た太い植物繊維の綱が、ぐるりと巻かれていた。
御神木の周囲には、大小の石が思い思いの配置で据えられていた。石の傍らには、粗く組まれた木造の小さな祠が、幾つも点在していた。村人たちが列をなして、祠の前に供物を置いていく。干した魚、干し肉、山菜、木の実、そして一握りほどの米──各人、持てるものを、それぞれ供えていた。
──そこには祠は幾つもあり、自然そのものが神として祀られていた。
【古代日本の聖地形態──神社という建築様式が確立するのは仏教の影響を受けた飛鳥・奈良時代以降である。それ以前の聖地は、巨樹、巨岩、滝、洞窟、湧水など、自然そのものが信仰の対象とされた。これを磐座信仰、神籬信仰と呼ぶ。奈良の三輪山(大神神社)、福岡の沖ノ島(宗像大社の沖津宮)、長野の諏訪大社──これらは神体山そのもの、あるいは自然物を神として祀り続ける、列島最古層の信仰形態を今に伝える。三世紀のヒムカの山の民の"神の杜"もまた、この最古層の聖地形態を体現していた。建築物ではなく、場所そのものが神だった】
*
カヤ姫は、一つの小さな祠の前に、私とユキヒコを導いた。
祠の前には、白く漂白された、立派な一対の頭蓋骨が据えられていた。逞しい牙が、夕陽を受けて黄金色に光っていた。
「これは、山の神。猪の社じゃ」
カヤ姫が、低く説明した。
続いて、姫は少し離れた場所にある、人の背丈ほどもある大岩へ二人を案内した。岩の表面には、赤い顔料で、蛇のうねりの絵が大きく描かれていた。
「これは、川の神。大蛇が姿を変えたものと言われておる」
さらに、もう一つ先の場所。石を三段に積み上げた、最も素朴な祠の前に、白い灰が、器に盛られて供えられていた。
「これは、火の神。竈火の社じゃ」
*
ユキヒコは、両目をまんまると見開いて、祠から祠へ視線を往復させていた。
「神さまって、こんなに沢山いるんだ……!」
カヤ姫は、優しく微笑んだ。
「この世のあらゆるものに、神は宿る。──だから祀るんよ」
ユキヒコは、顔を赤くして頷いた。十歳の少年の胸の中で、何か新しい感覚が芽吹いている様子だった。
私は少し離れた位置から、息子と少女のやり取りを横目で観察した。
──アニミズム。自然界すべてに霊が宿る。この思想こそ、後に"八百万の神"と呼ばれる、日本独自の信仰の源流だ。
【アニミズムから八百万の神へ──エドワード・タイラーが一八七一年に定式化した概念『アニミズム』は、自然物や自然現象に霊的存在を認める信仰形態を指す。日本の古層信仰は、この人類学的類型の中でも特に純粋な形を長く保った稀有な例とされる。『八百万の神』という表現は『古事記』『日本書紀』の随所に登場し、特定の"神"に数え切れぬほどの存在が含まれることを示している。山には山の神、川には川の神、風には風の神、土には土の神、竈には竈の神、厠にまで神がいた。一神教を奉じる人間にはしばしば理解不能な多神的世界観だが、このアニミズム的"やおよろず"こそが、日本列島の住人が自然と結び続けてきた関係性の根である。三世紀のミタイ族の神の杜は、この八百万の神の信仰の、最も古く、最も生々しい姿を見せていた】
*
そして、カヤ姫は、最後に一つの祠の前に私とユキヒコを導いた。
他の祠よりも一回り大きく、丁寧に作られた木造の社だった。扉は両開きで、銅の装飾こそないが、縁には白い帯布が結ばれていた。
アシカビが、すっと歩み寄り、扉の取っ手に手をかけた。そして、ゆっくりと、両開きに押し開いた。
「そして、これが──鹿光の社じゃ」
*
扉の中は、薄暗かった。
篝火の揺れる光が、祠の奥を、断続的に照らし出した。
最奥に、一対の、立派な鹿の角が据えられていた。
大振りで、優美に枝分かれした角だった。表面はなめらかに磨かれ、夕陽の残光を受けて、琥珀色にしっとりと光っていた。
息を詰めて、角を凝視した。
「……これが、鹿光の、角なのですか?」
アシカビは、かすかに笑った。
「……と、村に代々、伝えられておるがの」
*
一拍置いて、アシカビは、目尻を少しだけ緩めた。
「神の体を見た者はおらん。ただ、代々、ここに角が伝えられておる。それだけじゃ」
私は腕を組んで、考え込んだ。
昨夜、ユキヒコに降りていた鹿光は、少なくとも姿の面では極めて具体的な一頭の鹿だった。白光を纏い、金色の両目を持ち、人語を操る、あの鹿。私自身、最初に交通事故を起こしかけたあの瞬間にも、はっきりとその姿を目にしている。
では、この祠の中の角は、その鹿光の、何世代前の角なのだろうか。
それとも、まったく別の鹿の角を、彼らが"鹿光の象徴"として祀り続けているだけなのか。
いずれにせよ──ミタイ族にとって、鹿光は数十世代にわたって祀られてきた神である、ということが、この祠一つからも、はっきりと伝わってきた。
*
社の中の角を見つめながら、ぽつりと言った。
「鹿光は、鹿を狩ると、怒ります。──仲間を奪うな、と」
アシカビは、ふっと笑った。それは苦笑にも、達観の笑みにも見えた。
「ならば、俺は、祟られるかもしれんな。──鹿を幾度も、狩ってきたからな」
*
驚いて若き族長の横顔を見た。
その言葉は、信仰の建前と、生活の現実の矛盾を、自分で引き受ける者の言葉だった。
神を祀りながら、同じ神の眷属を狩る。これは日本列島の山の民の、古来からの、避けようのない矛盾だった。山の神として鹿を敬いながら、鹿を狩って食わねば冬を越せない。森を母と呼びながら、森の木を切って家を建てねば雨露を凌げない。
アシカビはその矛盾を、綺麗事で誤魔化さず、むしろ自嘲のように引き受けていた。
*
「……いや」
私は静かに首を振った。
「生きるために、仕方ないことです」
【狩猟民の倫理──民俗学者・柳田國男が記した東北のマタギ文化において、山の神への供犠と狩猟の両立は、古代以来の狩人の中核的な倫理であった。獲物を仕留めた後、マタギは必ず山に向かって祈りを捧げ、獲物の血を土に返し、頭骨を木に掲げた。これを「ケボカイ」「ケオドシ」と呼ぶ。神を祀ることと神の眷属を狩ることは、矛盾ではなく、循環として捉えられていた。神から命を借りて生き、その借りを祭祀によって返す──この円環こそが、古代狩猟民の生の根本構造だった】
アシカビは、私の顔をしばらく眺めた。そして、低く笑った。
「ふむ、やはり、不思議な男だな、そなたは」
三 純白の男
篝火が、村の広場で、ごうごうと燃え始めていた。
祭りの準備は、もう佳境に入っていた。村の若者たちが、大きな土器に酒を運び、女たちが干した魚と芋と貝汁を、次々に平皿に盛り付けていく。太鼓の革の張りを確かめる音が、あちこちで、どん、どん、と低く響いた。
アシカビは、鹿光の社の前に立ったまま、こちらにゆっくりと向き直った。
若き族長の目は、先ほどまでの柔らかい笑みとは別の、測り深い色を帯びていた。
「そなたは、奇妙な衣をまとい、見たこともないカネを持つ」
私の背筋が、知らず、張り詰めた。
「さらに──恐ろしい光を放つ術を使う、と聞いた」
傍らのドグリとマグリが、一斉に気まずそうに頬を掻いた。沢での最初の遭遇、スマホの光に腰を抜かしかけた自分たちの姿を、二人は絶対にアシカビに報告していたのだ。
*
アシカビは、続けた。
「だが──威張りもせず、こうして我らと、膝を突き合わせている」
私は黙って、アシカビの目を、受け止めた。
「同じ神の使者を名乗っても──あの男より遥かに、信用できる」
*
一同が、しん、となった。
カヤ姫の微笑が、ほんの一瞬、硬くなった。ドグリとマグリの顔から、先ほどまでの陽気が、すっと抜けた。
気づいた。アシカビの口調の"あの男"のところに、明確な棘があった。
「同じ神の使者……?」
問い返しかけた、その時だった。
*
「くだらぬ、くだらぬ!」
広場の奥から、高い声が、響いた。
ユキヒコと同時に振り返った。
*
篝火の炎の向こう側から、鋭い眼光の、一人の男が、悠然と歩み出てきた。
肩幅の広い、頑健な体躯。頬には一族の刺青が、他の若者よりも一回り深く、くっきりと刻まれていた。腰には青銅製の剣を佩き、背後には同じように武装した部下が、二人、付き従っていた。
その男は、アシカビの正面に立ち、低く吐き捨てた。
「長よ! 勝手に、よそ者を、村に入れるのは、困りますな」
*
アシカビは、眉をわずかに寄せた。
「ナガツか……」
若き族長の声は、穏やかだった。だがその穏やかさの奥に、姉を何度も悩ませてきた出来の良くない弟を見るような、どこか疲れた忍耐が、滲んでいた。
「この者たちは、我らが神、鹿光の使者。決して、よそ者ではない」
*
ナガツの眉が、ぐいと吊り上がった。
「鹿光の、使いだと!?」
「そうだ」
アシカビは、一歩も引かなかった。
そして、若き族長は、ナガツの目を正面から見据えて、続けた。
「それよりも──そなたたちをたぶらかしている、"その男"の方が、よっぽどの余所者ではないか?」
*
ナガツの唇が、歪んだ。
「……!」
私とユキヒコは、息を詰めて、このやりとりを見守っていた。"その男"とは誰なのか、咄嗟には分からなかった。だがナガツの反応から、この村の中に既に、もう一人の外来者がいるらしい、という事実だけは、はっきりと察した。
*
その時──。
ナガツの背後から、まったく別の、涼やかな声が、滑り込んだ。
「たぶらかすだなんて、人聞きが悪いですねぇ」
*
声のした方へ、ぱっと視線を移した。
ナガツの後方、部下の二人が左右に分かれて道を空けた向こうから、ぬっと、一人の人影が現れた。
*
篝火の炎に照らし出された、その男の姿──。
──純白の衣だった。
他の村人たちが身に纏う麻や木皮の素朴な衣とはまったく異なる、白く、すっきりと織られた長衣。肩から足首までを覆う、上等な布地。夕焼けの最後の残光と、篝火の赤が、その純白の表面で複雑に反射して、男の全身を、どこか現実離れした存在として浮かび上がらせた。
髪は、後ろで一つに丁寧に束ねられ、その結び目には白い紐が添えられていた。髭はきれいに剃られ、顔の輪郭は、まるで絹のように滑らかだった。
そして、その頬には──。
刺青が、なかった。
ミタイ族の男の印である、あの幾何学模様の刺青は、この男の頬のどこにも、刻まれていなかった。
【古代倭国における"白衣"の意味──『魏志倭人伝』は倭国の風俗として「禾稲・紵麻を種え、蚕桑を為し緝績して、細紵・縑緜を出だす」と記す。弥生時代末期の倭国は既に麻や絹に近い繊維を織る技術を有していたが、一般庶民が白く染めた衣を着ることは稀だった。白い布地は染色前の繊維本来の色であり、むしろ神聖な儀式・神職の服として、特別な意味を持った。神道における神主の装束が白を基調とするのは、この古代的な感覚の継承である。さらに、弥生時代の北部九州の遺跡からは、輸入された朝鮮半島産の絹織物の痕跡が出土している。──純白の長衣を日常的に纏う存在は、通常の倭人の社会では、明確な"他者性"を帯びていた。大陸系、あるいは半島系の影響を色濃く受けた、特殊な集団の一員】
*
男は、にこやかに微笑んでいた。
だがその両目は──笑っていなかった。
穏やかな、しかし底の見えない、冷たい目だった。
男は、私の方に、ゆっくりと視線を向けた。そして、うっすらと首を傾げながら、言った。
「アシカビさん、貴方がたが"無知"ゆえに、私が"真理"を、教えて差し上げているのですよ」
*
呼吸が、止まった。
二一世紀の東京で、会社経営者として幾度となくこの種の声色を聞いてきた。詐欺師の声。新興宗教の勧誘員の声。巧妙なセールスマンの声。"貴方のためを思って"の皮をかぶった、相手を支配しようとする者の声。
──まさか、二四〇年のヒムカで、同じ声色と再会することになるとは。
ユキヒコも、気圧されたように、父の袖を握った。
*
男は、こちらの反応を楽しむかのように、さらに、甘い微笑みを広げた。
篝火が、ごうと爆ぜた。
男の白い衣が、炎の赤を吸って、一瞬、燃え立つように輝いた。
そして、男は言った。
「我らが──偉大なる、アマテラスの、教えを」
*
全身が、凍りついた。
「!!」
*
アマテラス──。
それは、日本神話の最高神。太陽の女神。皇室の祖と言われる、神の名──。
*
広場の篝火が、ごうと、もう一度、高く燃え上がった。
純白の男が、篝火の逆光の中で、穏やかに、しかし確実に、微笑み続けていた。
若き族長アシカビの目元に、深い皺が寄った。
副族長ナガツの口元に、わずかに、勝ち誇ったような色が浮かんだ。
カヤ姫の唇が、ぎゅっと結ばれた。
ユキヒコと私は、ただ、言葉を失って、その男を見つめていた。
二四〇年のヒムカの、夕暮れの神の杜に──。
皇室の祖神の名が、今、初めて、響き渡った。
(第十五話 了)
しばらく休載します。
5月10日22時30より毎日更新
さらに
5月27日よりピッコマにてコミカライズ連載開始!




