0020 追走
討伐の準備で騒がしい窓の外と違って、宿の中はひどく静かだった。窓から、ほんのり夕日がさしていた。
ベッドに腰掛けたまま、私は自分の手を見る。正確には私の分体の手だけど、そんなことはどうでもいい。…私はきっと、行っても何もできないんだろう。頭が冷えてくると、その事実が刺さってくる。私はただの一般人。戦えないわけじゃないけど、討伐隊に混ざれるような実力はない。
でも、本当に、それでいいのかな?
あのオーガを思い出す。
あの圧倒的な存在感。あれが群れと一緒に来るかもしれないなんて、正直、冗談じゃない。
ローディスさんたちだって、無事で済む保証なんてどこにもない。
…それでも、私は何もしないで待つだけ?
「……そうじゃないよね」
小さく呟く。誰に聞かせるでもなく、ただ確認するように。
私は立ち上がった。
討伐隊はもうすぐ出発するだろう。だから、追いつけるのは今しかない。
分体を生成し、宿に置いていく。私は窓を開け、そこから飛び出した。
風が頬を打つ。思っていたよりも高かったらしく、地面が一瞬だけ遠く感じた。
「っと…!」
着地の瞬間、膝を軽く曲げて衝撃を逃がす。足元の石畳に、かすかな音が響いた。……よし、大丈夫。
周囲を見渡す。夕暮れの街はまだ人通りが多く、討伐の準備で慌ただしく動く冒険者たちの姿もちらほらと見えた。装備を整える者、仲間と話し合う者、急ぎ足でどこかへ向かう者。
その流れの中に紛れるように、私は歩き出す。
……目立たないように、目立たないように。フードを軽く引き下げながら、人の流れに合わせて進む。幸い、今は誰もが討伐のことで頭がいっぱいらしく、私のことを気にする様子はなかった。
やがて、街の南門が見えてきた。
門の前には、既に多くの冒険者たちが集まっていた。鎧の擦れる音、武器のぶつかる音、低く交わされる会話。空気が、どこか張り詰めている。
その中に、見知った顔があった。
「……いた」
ローディスさんたちだ。
レンさんが何かを言いながら笑っていて、荷物の確認をしている。クレアさんは少し離れた場所で、周囲を見渡していた。
そして、その隣には……カイル。彼は黙って、門の外を見つめている。その横顔は、さっきまでとは少し違って見えた。
……やっぱり、行くんだ。まあ、当然といえば当然か。勇者の卵なんだし。
その時、不意に声が響いた。
「全員、揃っているな!」
低く、よく通る声。振り向くと、エルヴァンさんが門の前に立っていた。
ざわめきが、一瞬で静まる。
「これより、南の森への討伐を開始する。目的は蹂躙発生源の特定、及び排除。規模は不明、だが最悪を想定しろ」
周囲の空気が、さらに引き締まる。
「俺たちが討伐をするのは、俺たち自身の大事な者、守るべき者を守るためだ。だが…」
一拍、間を置く。
「俺たちがいなければ守れない命があることを心得ろ。絶対に生きて帰れ」
その一言に、誰もが小さく頷いた。
やがて門がゆっくりと開き始める。重い音を立てながら、外への道が姿を見せた。
討伐隊が、動き出す。……ついに、行くんだ。胸の奥が、少しざわざわする。
「……よし」
人の流れが途切れたその後ろに、距離を保ちながら私は静かに歩き出した。
「戻ったか、愛娘よ。…噂は聞いている。オーガが出没したんだな?」
「はい、さらに蹂躙も発生したとのことです。現在討伐隊の準備がされています。準備でき次第、私も出発します」
「そうか…くれぐれも、気をつけて行け。無理はするな」
「…ありがとうございます」
「フッ、少し前もこんな会話をした気がするな」
「やはり、子煩悩が過ぎるんでしょう」
「うるさい、それくらい分かっている」
「それで、蹂躙と例の件との関係性は?」
「確かではありませんが、非常に深い関係にあると考えられます」
「そうか…ならいっそう、気をつけろ。これは私の勘でしかないが、より悪い方向に事が運ぶような気がする」
「心得ました」




