40:帰還、そして招かれざる客
シルゼリウが告げた「ルナを帰還させる」という言葉。それを信じて待つ数日は、期待と不安が入り混じった針のむしろのような時間だった。
魔族の言葉をどこまで信じていいのか。
これは罠ではないのか。
そんな疑念が、ことあるごとに頭をもたげる。そのたびに、僕は肩に乗せた小さな黒い蜥蜴、アズの頭を撫でて、自分を落ち着かせていた。
アズは、僕の不安を感じ取ってか、「キュウ」と小さく鳴いて、僕の頬に冷たい鼻先を押し付けてくる。邪竜の思念だというのに、妙に人懐っこいこの小さな同居人が、今では僕の心の安定剤になっていた。
そして、約束の日の昼下がり。
村の見張り台にいたミミが、弾かれたように飛び降りてきた。
「アル兄! 帰ってきたニャ! ルナ姉が帰ってきたニャ!」
その声を聞いた瞬間。僕は作業中の道具を放り出して全力で走った。
向かうは村の入り口。心臓が早鐘を打つ。息が切れるのも構わずに走る。
村の柵を越え、街道が見渡せる場所まで出ると、そこには、一台の豪奢な馬車が停まっていた。黒塗りの車体に銀の装飾が施された、明らかに人間族の様式とは異なる、異国情緒あふれる馬車だ。
馬車の扉が開く。
そこから、ゆっくりと降り立った人影。
長い銀色の髪。翡翠色の瞳。
間違いなかった。
「……ルナ!」
僕は叫びながら、彼女の元へ駆け寄った。
ルナは、僕の姿を認めると、その美しい顔に満面の笑みを浮かべた。
「アルト……!」
僕たちは、互いに駆け寄り。
強く抱きしめ合った。
彼女の身体の温もり。
柔らかさ。
そして、懐かしい草花の香り。
夢じゃない。
幻覚じゃない。
本当に、ルナが帰ってきたんだ。
「よかった……! 本当に、無事でよかった……!」
言葉にならない嗚咽が、僕の口から漏れる。涙で視界が滲んでしまって、彼女の顔がよく見えない。
「ごめんなさい、アルト。心配をおかけしました」
ルナもまた、僕の背中に手を回し、涙ながらに謝る。その声は震えていた。
「アル兄! ルナ姉!」
遅れて追いついてきたミミが、僕たちに飛びついてきた。身を寄せ合った僕たちにまとめて抱きつくようにして、ルナの帰還を思い切り喜んで見せる。
少し遅れて、ギドさんやギデオン村長、村人たちも次々と駆けつけてきた。皆が揃って、再会の喜びに沸いた。
「よかった……本当によかった……」
村人たちは涙を流し、互いに抱き合って喜んでいる。村に、久しぶりに本来の明るい空気が戻ってきた瞬間だった。
僕たちの楽園に、かけがえのない家族が戻ってきた。
これでもう、何も恐れるものはない。
そう、思った。
「あらあら。随分と熱烈な歓迎ですこと」
不意に、馬車の中から声が聞こえた。
凛とした、しかしどこか冷ややかな響きを持つ声。
その声に、僕の背筋が凍りつく。
聞き覚えがある。
いや、忘れるはずがない。
村を襲い、僕たちの心を弄び、絶望へと突き落とそうとした、あの声。
馬車からもう一人、女性が降りてきた。
純白のローブに身を包み、聖女のような慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
しかし、その瞳の奥には、決して消えることのない、昏い闇の色が宿っていた。
「……セラフィナ……!」
僕は反射的にルナを背に庇い、彼女を睨みつけた。ギドさんやギデオン村長たちも、一瞬にして表情を険しいものに変えて身構える。
偽りの聖女、魔王軍四天王セラフィナ。
村を襲撃し、勇者パーティーを操った張本人が、なぜ、ここにいる。
「まあ、怖いお顔。せっかくルナさんを送り届けて差し上げましたのに、お礼の一つもありませんの?」
セラフィナは、僕たちの殺気など意に介さず、優雅に扇子を開いて口元を隠した。その仕草一つ一つは計算され尽くしたように魅力的で、そして神経を逆撫でする。
「貴様……! よくもぬけぬけとこの村に! 今度こそ逃がさんぞ!」
「待ってください、ギデオンさん」
ギデオン村長が剣を抜こうとしたのを、僕は手で制した。
護衛がついている、とシルゼリウは確かに言っていた。けれど、それがよりによって四天王であるセラフィナだ、ということまでは聞いていない。
「……ルナ、これはどういうことなんだ?」
僕は、背後のルナに問いかける。セラフィナは明らかに敵対し、僕やギデオン村長たちと実際に命の削り合いをした相手だ。本当にただの護衛だ、と言われても、にわかには信じることができない。
「皆さん、武器を収めてください。彼女は……セラフィナは、敵として来たのではありません」
「敵じゃないだと? 姉ちゃん、騙されちゃなんねえ! こいつは化け物だ!」
ギドさんが叫ぶ。他の面々も、彼の叫びに追随していた。
ルナは困ったような、それでいてどこか諦めたような表情を浮かべている。ギドさんや、僕たちの反応は当たり前のこと、とでも言いたげだ。
「ええ、知っています。彼女の所業も、正体も。でも……」
ルナは、ちらりとセラフィナを見た。
二人の視線が、交差する。
そこには、僕には理解できない、奇妙な空気が流れていた。
「彼女は、シルゼリウ様から、私の『護衛』兼『監視役』として派遣されたのです。私がこの村に戻るための、条件として」
「護衛……?」
「ええ。魔族領からここまでの道中、私を守り、送り届けること。そして、私が『魔王軍への協力』を決断するまで、あるいはアルトが決断を下すまで、この村に滞在し、監視すること。それが、彼女の任務です」
ルナの説明に、僕は頭を抱えたくなった。
シルゼリウのやつ、なんてことをしてくれたんだ。
人質を返す代わりに、爆弾を置いていくようなものじゃないか。
「そういうことですわ。ですから、わたくしは今日からこの村の住人となります。どうぞよろしく、アルト様?」
セラフィナは、にっこりと微笑んだ。
その笑顔は完璧な聖女のものだった。
けれど、僕には悪魔の微笑みにしか見えなかった。
「ふざけるな! 誰が貴様のような奴を村に入れるか!」
興奮した村の若者が、セラフィナに石を投げつけた。
たがセラフィナは指先一つ動かさず、飛んできた石を空中で粉砕した。
「あら、乱暴はいけませんわ。わたくしはシルゼリウ様から『通行手形』を頂いておりますの」
彼女は、首元からネックレスを取り出した。それには黒い水晶のような石が組み込まれていて、あのシルゼリウと同じ底知れない魔力が放たれている。
「このネックレスがある限り、あなた方の村の結界は、わたくしを『客』として認識します。無理に追い出そうとすれば結界そのものが崩壊しかねませんわよ?」
脅迫だ。
だが、シルゼリウには実際にやれるだけの力がある。
僕たちは、完全に手玉に取られている。
「……分かりました」
僕は、思わず溜め息をついてしまった。
彼女の思惑がどうあれ、僕たちがどれだけ拒否しても意に介さないだろう。
つまり、意味を成さない。既定路線しか存在しないということだ。
しかし。
「……ルナが無事に帰ってきたことには感謝します。ですが、あなたが村に害をなすようなら、僕たちは全力で排除します。たとえ結界が壊れようとも、です」
言うべきことは言っておかなければならない。
ただ言いなりになるばかりではないぞ、と。
そんな僕の虚勢を見抜いているのか。
セラフィナは「あら、怖い」とクスクス笑った。
「ご安心なさいな。わたくしとて、シルゼリウ様やヴァルガス様の顔に泥を塗るつもりはありません。任務を遂行する間は、大人しくしていますわ。……退屈しない限りは、ね」
殊勝な態度、と言えるのかもしれない。
だが、最後の付け足しが不穏すぎる……。
こうして、感動の再会だったはずの場面は想定外のものになった。
とんでもない招かれざる客の同伴。
それによって、一気に波乱の幕開けとなってしまった。
村人たちは、遠巻きにセラフィナを睨みつけていた。けれど、ルナの頼みと僕の判断に従い、しぶしぶ彼女の滞在を認めることになった。
その夜。
僕たちは、ルナの帰還を祝うささやかな宴を開いた。
しかし、その空気は以前のような手放しの明るさとは少し違っていた。
宴の輪の中心には当然、ルナがいる。だがその少し離れた場所に、セラフィナが優雅に座っていて、村人たちが差し出した (毒見済みの) 料理をつまんでいるのだ。落ち着くはずもない。
「……本当に大丈夫なのかよ、アルト」
マルコさんが、ジョッキを片手に僕に耳打ちする。彼はたまたま村へ行商に来ていて、この騒動に巻き込まれたのだ。
「正直、胃が痛いです……。でも、ルナが言うには、彼女は『性格は最悪だけど、契約や約束事には異常に厳しい』らしいんです」
「悪魔の契約ってやつか。まあ、毒を食らわば皿まで、ってな。あいつの利用価値も見出してやろうぜ」
マルコさんの言い様に、思わず苦笑してしまう。
その商魂たくましい言葉に、僕は少しだけ救われた気がした。
そんな宴の最中。
僕はルナと二人きりになる時間を作った。
場所は、家の裏手にある静かな丘の上。月明かりの下、ルナの横顔は以前よりも少し大人びて、そしてどこか儚げに見えた。
「……辛かったかい?」
僕が尋ねると、ルナは首を横に振った。
「いいえ。シルゼリウ様は、紳士的な方でした。魔族の歴史や、彼らの思想について、多くのことを教えていただきました」
自分の知らないエルフ一族のこともいろいろ、と、彼女は言う。
そんな会話をしながら、お互いに夜空を見上げる。
「……アルト。私は、迷っています。人間族と魔族、どちらが正しいのか。私たちが信じてきた歴史は、本当に真実だったのか」
彼女もまた、僕と同じように悩んでいる。
世界の真実の一端に触れ、自分の在り方や帰属意識が揺れ動いたのだ。
ルナは、エルフ族の年齢としてはまだ若輩だという。
しかもエルフ族滅亡の前に、呪いの結界に封じられていた。
何を信じ、何を基準にして判断をすべきなのかが定まっていない。
迷いが生まれてしまうのは仕方がないと思う。
「うん。僕もだよ。邪竜の記憶を見て、僕も分からなくなった。でも……」
僕は、ルナの手を握った。
迷うことはあっても、恐れることはないと、伝わるように。
「一つだけ確かなことは、君が帰ってきてくれたことだ。君がいれば、僕はどんな迷いの中でも、前に進める気がする」
「……はい。私もです、アルト」
ルナは、僕の手を握り返してくれる。
そして、優しく微笑んだ。
「共に考え、共に歩みましょう。私たちの、答えを見つけるために」
僕とルナは見つめ合う。
彼女は頬をほのかに赤くし、瞳を潤ませていた。
僕も、顔を真っ赤にしているかもしれない。
いい雰囲気になりかけた、その時。
「あらあら、お熱いですこと。若いって素晴らしいですわねぇ」
場の空気に水を差すような、からかいの声が。
背後の茂みから、セラフィナがぬらりと現れた。
手にはワイングラスを持っている。
酔っ払いによく見られる絡んでくる言動。
そもそも魔族は酒に酔うのだろうか。
「邪魔をするつもりはありませんでしたのよ? ただ、夜風に当たりに来たら、ほら、偶然、ね?」
「……絶対に狙っていただろう」
僕はジト目でセラフィナを睨む。
ルナは、僕と見つめ合っていた自分を客観視してしまったのか、さっきまでとは違った意味で顔を赤くした。
そんな僕らを見て、セラフィナは悪びれもせずに笑う。
「まあまあ。せっかくですから、わたくしも混ぜていただけます? 魔族とエルフと人間。かつて殺し合った三種族が、こうして月を見上げるなんて、なかなか乙なものでしょう?」
いけしゃあしゃあ、とはこういう態度を言うのだろう。僕は毒気を抜かれたような気分になり、思わず溜め息をついてしまう。
逆にルナはその言葉に、ふっ、と笑みを浮かべた。
「……そうですね。あなたの言う通りかもしれません。性格は悪いですけれど」
「あら、褒め言葉として受け取っておきますわ」
僕とルナ、そしてセラフィナ。
奇妙な三人組が、月明かりの下に並ぶ。
敵か味方か、まだ分からない。
でも、少なくとも今は、同じ月を見上げている。
それが、これからの僕たちの、新しい関係の始まりだった。
……僕の胃痛の日々は、ここから本格的にスタートすることになるのだが、それはまた別のお話。
まずは、おかえり、ルナ。
そして、ようこそ、招かれざる客よ。
僕たちの楽園は、君たちを含めて、次のステージへと進むんだ。
-つづく-
次回、第41話。「水と油、あるいは混ぜるな危険」。
喧嘩するほど仲がいい、とは言うけれど。
◇ ◇ ◇
次回更新は来週、2月21日になります。
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